ジョン:ポケモンGメンの諜報機関に所属していた元エージェント
イーブイ(♂):前のトレーナーに虐待されていたところを、ジョンに拾われた
アブソル(♀):諜報機関よりジョンのお目付役として与えられた殺し屋
シモンズ:諜報機関のチームリーダー、ジョンの元上司
スタイルズ:ミアレシティ警察の落ちぶれ刑事
クチート(♀):スタイルズの相棒、高飛車な性格
ベネット:ミアレシティ警察の新米警官、刑事を目指している
ルイス:若きバーの主人、元犯罪者
文字どおり頭に爆弾を抱えているポケモンが、そうとは知らず自由気ままにモンスターボールから飛び出した。
これじゃ思うように街中を歩けやしない。ジョンは足を止めて、そのお目当てに近づいた。
「ミアレガレット、おひとついかが?」
黙って屋台を見上げるアブソルに、エプロンのお姉さんはすかさず営業をかけた。甘く香ばしい焼き菓子の香りに釣られたポケモンは、屋台にとって格好のターゲットに違いない。トレーナーの財布を開くには、まずポケモンを射止めよ、というビジネスの格言もある。
冷酷に彼女をボールに戻すこともできた。事実、ジョンはそうしようとボールに手をかけた。ところが、片腕に抱いたイーブイまでが屋台に目を奪われている。決して手の届かないものを、ただ遠くから眺めている子供のように見えた。わがままを言うこともなく、ただ黙って見ていた。
それを容赦なく振り切れる鋼の心を持ち合わせていなかったことが悔やまれる。ジョンはついに観念して、財布を開いた。
「毎度あり!」
近くのベンチに座って、側にイーブイを下ろすと、買ったばかりのミアレガレットを二匹に与えた。可愛げのある鳴き声で応えるイーブイはいいとしても、アブソルは無言で引ったくるように齧りついた。素早く手を引っ込めなければ、危うく指ごと持っていかれるところだった。
我の強い奴もいたものだ。ジョンはむしろ感心していた。組織の苛烈な調教を経て、なお自我を保っていられるポケモンはそういない。決まって元の愛嬌を失い、殺戮の傀儡に成り果てる。調教官は心を殺すのが上手い。彼らがどうやってポケモンを躾けているのかは分からないが、およそまともな方法ではないだろう。
考えながら、手持ち無沙汰で何気なしに外套のポケットをまさぐっていると、金属の冷たいもの指に当たった。先ほどシモンズから預かったUSBメモリだ。
悠長に構えている暇はない。シモンズに爆弾のスイッチを握られている以上、やるしかないのだ。俺たちに利用価値がないと思ったが最期、俺たちはともかく、無関係のイーブイまで吹き飛ぶことになる。こいつには普通の幸せを掴んで欲しい。
ジョンは目を細めて、満足そうに口周りを舐めるイーブイの頭に、そっと手を置いた。
「行くぞ」
イーブイを抱きかかえ、ジョンはアブソルを連れて歩き出した。
季節は春。まだ風が冷たいものの、穏やかな陽気が肌を撫でて暖かく感じる。始まりと終わりを告げる季節だ。大勢の人が旅立ち、あるいは旅を終えて戻ってくる。
そんな人とポケモンのごった返すミアレシティの中央駅に、ジョンとイーブイ、アブソルが紛れていた。
歴史ある鉄道駅だ。二百年近く前に赤煉瓦で建てられ、幾度となく改修工事を経て、今なお毅然とした風態で街の往来を見守っている。ホログラムの時刻表や広告といった最新設備が輝く一方、古びたロッカーも残っている。それは昔使われていた地下通路の片隅に眠っていた。
あるとき改装されて、新しいきれいな地下通路ができてから、昔の地下通路は人通りがほとんどなくなった。古びた通路は狭苦しい上にカビ臭い、おまけにヤバい連中の溜まり場になっている。ジョンのような裏を生きる人間にとっても好都合な場所だった。
「いい子にしてろ」
ジョンは抱いていたイーブイをアブソルに乗せると、外套のポケットから鍵を出して、古びたロッカーのひとつを開けた。
中にはショルダーバッグが押し込んであった。中身は現金と偽造された身分証。非常時に備えていたものだ。もう二度と使うことはないと思っていたが、今こそ役に立つ時がきた。
バッグを開かず、重さだけて確かめると、ジョンはそれを抱えて引き返そうとした。
若く奇抜な格好をした男たちが、ニヤニヤ笑って取り囲んできた。
「おい待てよオッサン。あんたそのイーブイどうしたんだ?」
ぶぃ、と小さく鳴いて、イーブイが涙目で怯む。
黒いパーカーの胸にきらりと光るバッジ。白黒に分かれたそれは、イッシュ・マフィアのシンボルだ。前に縄張りでひと騒動起こしたことを根に持っているのか、それとも。
「道で拾った」
「俺らのダチから奪ったんだろうが!」
若者たちが一斉にボールを握る。
やはりそうか。俺がイーブイを奪ったあいつが仕返しにマフィアを頼った訳だ。
思わず失笑が漏れる。これから陰謀に加担させられそうなときに、街のチンピラに絡まれるとは。
ジョンはイーブイを抱き上げて、アブソルに囁いた。
「殺しはナシだ、狙うなら足にしろ。それならいい。一本でも二本でも好きなだけ持っていけ」
普段から顔にも行動にも感情を表に出さない奴だが、若者たちに向かって歩いていくアブソルの背中は、どこか活き活きしているように見えた。
*
新米の女性警官ベネットは、救急車で運ばれていく男たちを見送りながら、あの奇妙な光景を思い返していた。
ミアレステーションからの通報を受けて、他の警官と駆けつけると、古びた地下通路に死屍累々と若者たちやポケモンたちが倒れ、痛みに呻いていたのである。多少の出血はあったがどれも致命傷にはならず、きれいに足の筋繊維を斬っている。救急隊員が言うには、どれも障碍の残るような傷ではないらしい。
現場の様子からして、何らかの戦闘があったのは確かだ。しかしマフィアの下っ端たちは揃って口を開かない。自分たちだけでカタをつけるつもりだろう。
ミアレシティに、また不穏な風が吹き始めている。ベネットが緊張を覚える一方、小太りの男刑事がようやく現れた。現場の視察よりも、缶に残っているコーヒーを飲み干すのが大事らしい。彼の相棒のクチートも鼻持ちならないお嬢様気質で、ベネットを見てもすぐにそっぽを向いた。
どうしてこんな人たちが刑事に。文句のひとつも言いたい気持ちを抑えて敬礼した。
「スタイルズ刑事」
「また真面目にやってるな?」スタイルズは嘲笑うように言った。「やってもいいが無駄だぞ、こりゃあ組織犯罪対策課のヤマになる。俺たちポケモン課はのんびり書類作ってりゃそれでいいから楽だよなぁ」
「聞いてください、刑事」
聞く気がないらしく、現場を一瞥しただけで帰ろうとしたが、ベネットはしつこく食い下がった。
「これは組織間の抗争じゃありません。現場をもっとよく見てください」
「見たさ。で、お前さんの所見は?」
「戦闘痕がどこにもないんです、あまりにもきれい過ぎる。決着は一瞬、あのチンピラ連中は反撃すらできずに足を斬られた。それだけの実力差があるのに、命には手もつけていない。相手がマフィアなら現場はもっと凄惨です」
「じゃあ誰がやったと思う」
「それは……」
答えようがない。地下通路を見た限りでは、そこまで推測できる材料がなかった。しかしスタイルズの冷ややかな視線は、「そんなことも分からないのか」と嗜められているように思えた。
「分かりません」
「そう、分からない。だろ? 見当もつかない。だから余計に首を突っ込むべきじゃないのさ」
これで終いだと言わんばかりに、クチートを連れて引き返していく。ベネットは慌てて彼らを追いかけた。
「分からないから放っておくんですか!? 凶悪なポケモンの仕業なら、我々ポケモン課の出番でしょう」
振り返ってきた視線に、ベネットは思わず怯んでしまった。諦めと嘲笑が入り混じっている。若造が何を粋がっているのか、と。
拳を握りしめて、それ以上は何も言わなかった。スタイルズも察したらしく「好きにしろ」とだけ言って、本当に現場を去った。好きにしろ。それが刑事のセリフなの? ベネットはやり場のないイライラを呑み込んで、スタイルズの背中から視線を切った。
私は私のやり方で刑事になってみせる。あんな風に達観して、何もしない刑事にだけは絶対になるものか。
正義感の炎は分署に戻ってからもしばらく燃えていたが、ある知らせが入って早くも揺らぎ始めた。スタイルズの言ったとおり、事件の捜査権が組織犯罪対策課に渡った。自分たちは引き継ぎのため、急いで調書を仕上げる作業に迫られた。
とはいえ、ほとんど何も分かっていないに等しい。ひと気のない地下通路に目撃者はほとんどいないか、いたとしても警察嫌いな浮浪者やチンピラばかりで、まともな証言も取れない。監視カメラの映像も、被害者である若者たちを映していたが、肝心の相手は入っていなかった。最初からカメラの位置を知っていて、映らないように避けたのだろう。そこが妙に引っかかった。相手が敵対組織なら、いちいちカメラを気にするだろうか。やはり何かが違う気がする。
ベネットが調書を書き終える頃には、すっかり日が暮れて夜になっていた。勤務時間は終了、これでやっと独自に捜査できる。組織抗争の線は対策課が調べるのだから、自分は別の線で調べよう。更衣室で私服に着替えてすぐに、ベネットは分署を出てとある場所に向かっていった。
分署の近くには、若い警察官たち御用達のバー『ヤヤコマの隠れ家』が建っていた。ビルとビルの間に挟まれた手狭なところだが、毎晩仕事を終えた警官が立ち寄っては酒をあおる。仕事の嫌なことを忘れるため、ただ楽しくなりたいから、訪れる理由は多々あれど、皆一様にペラペラと喋る。おかげでバーの主人は情報通だ。難事件の捜査に行き詰まったらここを頼れと、スタイルズも教えてくれた。冗談半分だったかもしれないが、今はここが頼みの綱だった。
赤毛のポニーテールを揺らして、ベネットは中に踏み入った。相変わらず仕事終わりの警官でいっぱいだが、なんとかカウンターに空きを見つけて座った。
「やっこやっこ」
バーの看板ポケモン、ヤヤコマがメニューを運んできてくれた。ベネットは「ありがとう」と微笑んで、カクテルを注文する。ほどなくして、バーの主人がグラスを出してきた。
彼、ルイスは元受刑者の犯罪者だった。イッシュ・マフィアの下っ端の下っ端で、ちんけな詐欺を生業にしていたが、今ではここで警官相手に商売している。歳はベネットよりも少し上で、ジャラジャラとアクセサリーをまとっているものの、派手な見た目とは裏腹に誠実な相談相手にもなってくれた。
ベネットを見るなり、ルイスは苦笑いを浮かべた。
「まだ分署に来て2ヶ月だろ、ベネット巡査。大人しくしときなよ」
「なんで? まだ何も言ってないでしょ」
「これからヤバいことしますって顔に書いてある」
「んー、ちょっと独自に捜査したいだけ」
凛としたベネットの顔が崩れて、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
喧騒に紛れて、ベネットは事件について話を持ちかけた。ミアレステーションの地下通路で、イッシュ・マフィアが襲撃されたこと。皆そろって足に切り傷を負っていたこと。大勢を相手に立ち回るほどの実力があって、なおかつイッシュ・マフィアにケンカを売る動機のある人物、ポケモン、または組織に心当たりはないか。
尋ねたところで、ルイスの顔つきが曇った。
「組対(組織犯罪対策課の略称)に任せとけって。奴らは精鋭だ、きっと解決できる」
「それは別の心当たりがあるってこと?」
「あんたの上司は捜査のこと知ってんのか?」
一瞬どう答えるか迷った。NOを突きつけるスタイルズの顔が浮かんだが、彼の言ったことで上塗りする。「好きにしろ」、それは承認を意味するに違いない。きっとそうだ。自信たっぷりに「当然でしょ」と頷いた。
ルイスは疑わしく目を細めていたが、まあいいか、と口を開いた。
「組対から流れてきた噂じゃあ、これは始まりだ。じきにミアレシティで嵐が起きる。カロス全土を揺るがす嵐がな……」
ミアレシティを根城にしていた秘密組織フレア団。そのリーダー、フラダリが行方を眩ませてから、カロス地方は平和を取り戻したかのように見えていた。データ上でも犯罪件数が大幅に減っていたのだが、その水面下では新たな勢力が空白を埋めようとひしめき合っているのでは、という見方もあった。
ルイスはミアレシティに蠢く三大勢力について話してくれた。
ひとつは『イッシュ・マフィア』。イッシュ地方の本家から袂を別れて、このカロス地方に流れてきた犯罪組織だ。数は多くて規律の少ない、最近起きている重大犯罪の多くが彼らによる仕業だった。
もうひとつは『ロケット団』。カントー地方の地元マフィアが、今では国際的な犯罪組織に成長して、このカロス地方にも勢力を伸ばしてきた。ルイス曰く、組対はロケット団による見せしめだと考えているらしい。それが本当なら、ロケット団とイッシュ・マフィアの全面衝突は時間の問題だ。
最後に、『フレア団』の残党。リーダーのフラダリと、幹部のクセロシキ、パキラ、その他の主要メンバーが抜けてから、自然消滅したように思われていた。実際のところ、ここしばらく彼らが活動した痕跡は一切見られない。構成員は金を積んで入った連中ばかりだが、戻ってきた奴の噂が一向に流れて来ないのが不気味さを際立たせる。本当に彼らは解散したのだろうか。
「襲った動機を考えれば、普通ロケット団がやったと思うだろ?」
ルイスは声を落としてヒソヒソと囁いた。
「俺は違うと思う。実は事件になっていないが、同じような裂傷を負った奴がポケモンセンターに運ばれている。確かにそいつはイッシュ・マフィアの関係者だが、なんと下っ端の親戚なんだ」
「ロケット団が見せしめに襲ったにしては、なんだかマフィアから遠い気がするわね」
「だから俺は考えた。もしかしたらこいつはマフィアやロケット団とは関係ない、新たなヒーローが街にやって来たんじゃないか、ってね」
「……真面目に聞いた私がバカだった」
ベネットは代金を荒っぽくテーブルに置いて、店を出て行った。ひょっとしたら真相に繋がる鍵を握っているのでは、と真剣に期待していた自分が阿呆らしい。
この街にヒーローなんていない。だから警察という仕事がある。いるかどうかも怪しい連中を追いかけるより、私は私の手で真実を突き止めてみせる。
独り決意を固めながら、帰路につくのだった。