ジョン:ポケモンGメンの諜報機関に所属していた元エージェント
イーブイ(♂):前のトレーナーに虐待されていたところを、ジョンに拾われた
アブソル(♀):諜報機関よりジョンのお目付役として与えられた殺し屋
シモンズ:諜報機関のチームリーダー、ジョンの元上司
スタイルズ:ミアレシティ警察の落ちぶれ刑事
クチート(♀):スタイルズの相棒、高飛車な性格
ベネット:ミアレシティ警察の新米警官、刑事を目指している
ルイス:若きバーの主人、元犯罪者
ポーター:素性不明、謎の運び屋
暗闇に紛れたその影は、高層ビルの屋上から摩天楼の景色を一望していた。まるで財宝の輝きだ。夜の闇を寄せつけないほど、ギラギラした欲望を帯びて燦然と光っている。
その手には携帯電話を握っていた。もう使えない電話だ、番号が政府機関に知られている。彼らの追跡をかわすのは訳ないが、あまりの執拗さに一度だけ盗聴を許してしまった。取引の日程を知られた以上、日時と場所を改めるべきだ。クライアントにも即座に予定を変えるよう持ちかけたが、「予定通りに進める」と言って突っぱねられた。
それならせめて政府の出方を探るべく、携帯電話を持って数日を過ごした。案の定、数名のエージェントが襲ってきた。一人を捕まえて、他は闇に葬った。
影は尋ねた。政府はどれだけ本気なのか、と。
エージェントは答えなかった。どんな拷問を受けても、決して口を開かなかった。ところが、ほどなくして影はすべてを悟っていた。自分の生まれた場所、家族の名前、ポケモンリーグで好成績を残したことまで、何もかも暴かれた。心を見られてしまったのだ。
心に秘めたすべてを引き抜かれた末に、エージェントは肉塊に成り果てた。
あいにく荷物の中身までは知らされていないようだった。さすがポケモンGメン、情報統制も徹底している。荷物に政府が何としてでも手に入れたいものがあることは明らかだ。仕事の鉄則として、自ら荷物を暴くことはできないが、思いを馳せることはできる。
さあて、この中には何が入っているのかしら。届けるのが楽しみだわ。
影はニンマリと微笑んだ。
*
家電量販店で適当なノートパソコンを一台買ったついでに、近くのコンビニに立ち寄ってポケモンフーズを二袋ほど仕入れた。ひとつはペレット状で食べやすく、もうひとつは骨を模した硬めのおやつ。与えれば夢中で齧ってくれるので、どんなポケモンでもしばらくは大人しくなる。甘えたがりのイーブイには悪いが、仕事の間だけでも静かにしてもらおう。
昨日泊まったところとは別のホテルにチェックインを済ませて、ジョンは部屋の鍵を受け取った。七階の客室に入るなり、早々にポケモンフーズを開けた。はじめは怪訝そうに匂いを嗅いでいたイーブイだが、ひと口食べた後は夢中で貪った。
二匹が食べているうちに、新品のパソコンを立ち上げて、例のUSBメモリを挿し込む。さて、何が出てくるやら。ファイルをクリックすると、次々と文書が湧いてきた。中でも真っ先に目を引いたのが。
「……ポーター」
運び屋、トランスポーター。通称『ポーター』と呼ばれている。
素性は謎に包まれているが、彼もしくは彼女について確実に言えることがひとつだけある。それは、ポーターに託した『荷物』は、決して誰かに捕まることなく、確実に、かつ安全に届けられるということだ。その手にかかれば、核兵器の弾頭でも国会議事堂に持ち込むことができるだろう。ポーターの仕事ぶりには、ポケモンの『テレポート』便よりも絶大な信頼が寄せられていた。
なるほど他のエージェントが失敗する訳だ。ポーターの足取りを追うことは容易ではない、国際警察でさえ尻尾すら掴めていないのだから。わずかでも手がかりを掴めたのは奇跡に等しい。
さて、ポケモンGメンが傍受した情報によれば、問題の『パッケージ』は翌月一日に届けられるとのことだ。あと二週間もあるが、それほど運ぶのが難しい物かと思いきや、普通サイズのアタッシュケースに入っているらしい。ただちに引き渡さない理由はなんだ? なにかを待っているのだろうか。
ポーターの届け先は不明だが、行き先がこのミアレシティにあるのなら、候補はいくつかに絞られる。街を支配する三大勢力、フレア団、ロケット団、そしてイッシュ・マフィアのいずれかに違いない。そのうちポーターを雇うほど豊富な資金力があって、相応の野心を持つ組織はどれか。ロケット団なら見立てに合うし、それがたとえフレア団だったとしても、ロケット団が連中の野望達成を黙って見ているはずがない。
なにかしら情報を握っているとすれば、ロケット団だ。彼らに近づいて可能な限り深くまで潜り込み、パッケージの情報を手に入れる。その方法はあるが、今のままでは気が進まないな。ジョンは渋い顔をして背もたれに体重を預ける。そして、ちらりとポケモンたちを見やった。
アブソルは問題ない。並外れた殺しの技能を持ち、食欲のせいでムラっ気があるものの、トレーナーには忠実だ。
だがイーブイは連れて行けない。当然だ。やはりポケモンセンターに預かってもらうしかない。新しいトレーナーが見つかるまで面倒を見るつもりだったが、それもここまでか。
ロケット団に潜入する前に、この子を手放そう。やや無責任な気もするが仕方ない……。
「ぶぃー!」
そんな決意が密かに固まっていることも知らず、食事を終えたイーブイは早速ジョンの膝に飛び乗った。食べカスのついた口周りを布巾で拭いてやると、遊んでくれたと勘違いしたのか、猫なで声で鳴いてさらに甘えてきた。しまいには膝の上で丸まり、すやすやと寝息を立てる始末だ。
これでは動けない。ジョンが困り果てていると、不意にアブソルと目が合った。その赤い瞳にジョンの姿を写して、ジッと見つめてくる。まるで何かを訴えかけているように。
「……そんな目で見ても無駄だ、ここまで面倒を見てやっただろ」
銅像みたいに動かず、物言わぬアブソル。その視線でチクチクと刺してくる。罪悪感でも嗅ぎ取ったというのか。心を殺す訓練を受けたポケモンにしては、やけに感傷的ではないか。
「連れて行く気はない。あとはジョーイに面倒を見てもらう。それがイーブイの為だ」
お好きに、とでも言いたげにアブソルは視線を切って、クッションの上に身を置いた。
これで残る問題は、膝の上のイーブイだけだ。起こさずに寝床へ運べるといいのだが。ジョンは細心の注意を払って、おそるおそるフカフカの毛玉を持ち上げた。
*
翌日、ポケモンセンターに行ってイーブイを預けるための保護申請書を受け取った。それを渡したときのジョーイさんの顔に、うっすらと軽蔑の色が見えたが、ジョンは素知らぬフリをして必要事項を記入していった。
その傍ら、ジョーイさんはイーブイを抱き上げて、頭を撫でながら憂鬱そうなため息を吐いた。
「最近多いんです、飼えなくなったポケモンを預けに訪れるトレーナーさん。ご存知ですか? うちに預けられたポケモンは、次のトレーナーさんが見つかるまで保護施設に送られるんですよ。でも行政からの支援がどんどん先細りになる一方で、ポケモンのケアが行き届かなくなっているんです。場所によっては、狭い檻に閉じ込めっぱなしの劣悪な施設もあるとか。そうそう、この前の新聞で読んだんですけど、保護施設で病気になったポケモンが亡くなる事例が増えているんですって。可哀想なイーブイちゃん。早く次のトレーナーさんと出会えるといいね……」
最後の同意事項にチェックマークを記入する寸前、ジョンの手が止まった。ゆっくりと顔を上げると、ジョーイが目を細くして睨んでいた。
ジョンは歯を見せて微笑んだ。
結局ポケモンセンターを出てきても、入ったときと状況は何ひとつ変わらなかった。腕には相変わらずご機嫌なイーブイを抱えている。せめてボールに入ってもらおうとしても。
「ぶぃぃい!!」
近づけるだけでボールを蹴り飛ばすほどの拒絶っぷりだ。思えば最初にイーブイを解放してから、ずっとボールを避けていた。ポケモンによってはボールを嫌う奴もいるらしいが、イーブイの場合は前のトレーナーとのこともあるだろう。
参ったな。イーブイの耳が嬉しそうに揺れる反面、ジョンの顔は曇っていた。これからロケット団に近づこうというのに、可愛いイーブイを抱いたままでは迫力に欠ける。笑われて門前払いを喰らうのがオチだろう。
歩いているうちに、ふと閃いた。あるいは逆に利用する手もあるか。
「これからちょっと怖いところに行くが、このまま離れるなよ」
「いぶい?」
首を傾げるイーブイを一層抱き寄せて、ジョンは繁華街に向かった。
ここしばらく浮浪者として街中の路地裏を転々としていたおかげで、ジョンは街の裏側にも通ずるようになっていた。目的があって人々を観察していた訳ではない、エージェントだった頃に培った経験や癖がそうさせた。日陰でヤクの取引を交わす売人。睨み合うマフィアや私服のロケット団員。組織に順応して本能のままに暴れるポケモンと、順応できずにひたすら怯えるポケモン。彼らがどこから来て、どこへ向かうか、どこで交わるか。人とポケモン、そして金の流れを掴むと、ミアレシティの裏の顔が見えてくる。
それらの交わる場所のひとつが、ここにある。街に数あるバーのひとつで、退役軍人の男が店主を務める。歳は六十を越えているように見えるが、隆々とした鋼の肉体は顕在だ。従えるポケモンも引けを取らず、歴戦のブリガロンが店内の片隅に座って目を閉じていた。
「共に戦場を駆け巡ったあいつも、もう歳でねえ」店主の男は、低く野太い声で言った。「老後のポケモンが落ち着ける自然保護区があるんだが、こいつは頑なに俺の下から離れようとしねえ。どんなに老いても忠誠心ってものがあるのさ」
「今なおあんたを守ろうとしているのか」
「そういうこと」
隣りの席にイーブイを置いて昼間から酒をあおるジョンに、店主もカウンターの向こうから気前よく話してくれる。お互いに一目見てただの客と店主ではないと悟っていた。あとはただ既定路線に沿った他愛ない会話で、それを確かめ合う。
こういう場所で『仕事』を請け負うには、信頼と礼儀が大事だ。どこぞの馬の骨とも知れない奴が、いきなり来ても仕事を斡旋してもらえることはまずありえない。例外を作るには、まず高い酒を注文して、話すことだ。
「俺も軍にいたんだ。陸軍特殊部隊、第七分隊」ジョンはあえて視線を手元の酒に落として、恥じるように言った。「だが相棒のポケモンが死んで、俺は除隊された。俺だけがのうのうと生きながらえて、ミアレシティに戻ってきたところで何になる……俺を待つ友人も家族もいないというのに」
「そいつはどうして死んだ?」
「……俺が判断を間違ったせいだ」ジョンの目がうっすらと細む。「あいつは最初から俺の指示に反対していた。分かっていたんだ、それが敵の策略だと。俺はそれにまんまと嵌って……犠牲になったあいつは、俺の腕の中で息を引き取った。その直前、あいつは、微笑んでいた。俺が無事だと悟って、嬉しそうに……」
店主は偽りを見抜く目を持っている。大勢の人と話をしてきたバーの店主を欺くには、たとえ諜報に長けたエージェントでも嘘が通じないのだ。必要なのは土台となる真実。そこに虚実を織り交ぜ、店主が親近感を持つように仕向ける。似た経歴を持ち、成功した自分とは逆に、一歩間違えればそうなっていたであろう自分が目に映るように演じる。
土壌が整ったら、同情心の種を植えるのだ。ジョンは一気にグラスを飲み干して、自嘲気味に笑った。
「せめてあいつの死を無駄にしないように、こっちに戻ってからポケモンの保護活動をやっていたんだ。なのに行政の支援金は先細るばかりで、とうとう借金にも手を出してしまった」
「まさか、イッシュ・マフィアの傘下から借りてねえよな?」
店主が尋ねると、ジョンは内心ほくそ笑みながら小さく頷いた。
「連中に金を返さないと、保護したポケモンたちが借金の方に連れ去られてしまう」
「バカなことを。あいつらはここらでもタチが悪いことで有名だぞ」
「分かってるが、他に選択肢はなかったんだ」
「あったさ。お前が選ばなかっただけだろう」
店主は呆れていた。いい傾向だ。すべてを信じ切った訳ではないが、腹の底ではシメたものだと手を打っていることだろう。カモネギが見つかった、と。
ジョンは黙って項垂れたまま、次の決定的なひと言を待っていた。
「いくら借金した?」
よし、いいぞ。
ジョンはさらに頭を抱えて、絞るような声で言った。
「三百万……来週までに返せと」
「それでうちに来た訳だ」
ギョッと驚いて顔を上げる。どうしてそれを。まさか見抜かれていたなんて。そう思っている風に見えるように。
「分かるさ」店主は肩をすくめて言った。「うちに来るのは大抵そんな連中だ。ロケット団の仕事欲しさに何でもやる。あいつらは金払いがいい、だが楽じゃねえぞ。下手をすれば警察にパクられるし、組織を売れば後に待つのは制裁だ。獄中では毎週誰かが死んでいる。お前もそうなりたくないだろ?」
「もちろんだ」ジョンは真剣な眼差しで見上げた。「金さえくれれば、あいつらを守るためなら、俺は何でもする覚悟だ。誰かの身代わりになって捕まってもいい」
「金に困った連中はみんなそう言うんだ。最初はな。ま、いずれ分かる」
そう言って、店主はイーブイに一瞥をくれた。相手がビクリと怯んで、ジョンの膝に隠れると、思わず破顔した。
「なんとも頼りねえポケモンだなぁ」
「こいつは初めて保護したポケモンだよ、どうしても俺から離れてくれなくてな。仕事をこなせるポケモンは他にいる、大丈夫だ」
「そいつは構わねえが、泣かせるなよ」
「え?」
「そのイーブイだよ。ったく、あんたにすり寄るイーブイの顔、幸せそのものだ」
狙ったとは言え、ここまで上手く同情を引けるとは思わなかった。むしろイーブイのおかげで真実味が出たのかもしれない。潜入捜査官がこんな弱そうなイーブイを連れてくるとは夢にも思わなかったのだろう。
ジョンは「そうするよ」と返して、イーブイの背中を優しく撫でた。