窓から差し込む日がその色を薄れさせて行く。
黄昏を出迎えた教室で、
過去から掴んで来る手も、現在を縛りつける鎖も、
これなら、前を向ける。未来に想いを馳せられる。
「……いい顔になりましたね。大変好ましい」
ローズはよく見る薄ら笑いでは無い、思わず出たかの様な微笑みを浮かべていた。
「ありがとうございますローズさん」
「おや、私はまだ何もしていませんよ。君の摩訶不思議な状況について持論を語っただけです」
「それでも、ありがとうございます」
頭を深々と下げる。
誇張なく、俺はこの人に命を救われたのだ。子どもの俺には、この場で返せるものはこの位しかない。
「本当に何もしていないんですがねぇ……」
困った困ったと、ローズは頭をかく。
彼にとっては、慈善でも何でもないことなのだろう。
きっと、彼の性格からして「子どもの道を正すのは大人の義務」とでも思っているか。何にせよ、頭が上がらない。
ローズは、暫く思案していたが、やがて何か考えがまとまったのか、掌を拳で叩いた。
「それでは、君に私からのお願いをします」
「お願い…ですか」
「はいお願いです。その内容は、
俺は、どんな無理難題をお願いされても引き受けようと思っていたが、これには返事が出来ず、固まってしまった。
「あの…ローズ委員長…それは…」
「出来ませんか?」
「いや、出来る出来ないという話では……」
彼のお願いに直ぐに答えられず、ごにょごにょと口籠る。
確かに俺の身に振りかかっている状況は受け入れた。ただ、受け入れたからと言ってその状況が変わる事は無い。
俺は相変わらずポケモンに嫌われている。ポケモンと仲を深める?どうすればいいのか見当もつかない。
質問の意図についてああでもないこうでもないと考えこむ俺に対し、ローズはニコリと笑った。
「では、先に質問をしましょうか。
雑念が止まる。
前世の俺の軌跡。俺の根底となっているもの。それが、その言葉で強制的に呼び起こされる。
俺の人生は、常にポケモンと一緒だった。
幼少時代、常に縫いぐるみを抱いて一緒に行動した。
少年時代、怒られるまでゲームを辞めなかった。
青年時代、グッズやカードを買う為にバイトに勤しんだ。
笑って泣いて、喜びも悔しさも、一緒に分け合った。
コンテンツという枠組みでは到底おさまりきらない。
ポケモンは俺の世界の半分だった。
この世界でもそれは変わらない。
心の闇は霧散した。俺はもう何があってもこの気持ちを忘れる事は無いだろう。
だから、その質問には直ぐに答えられる。
「はい 世界中の誰よりも大好きです」
透明な言葉が空気に溶ける。嘘偽り無い俺の気持ち。
ローズは、満足気な表情を浮かべた。
「なら大丈夫です。その気持ちがあればポケモンも貴方を愛してくれるはずです。」
ローズが、机の上に置かれていたダークボールの開閉ボタンを静かに押す。
軽快な音と共に、眩い電子光線が教室に弾ける。
その後には─────一匹のポケモンがこちらを見上げていた。
☓☓☓☓☓
ローズがダークボールから出した一匹のポケモン。
そのポケモンは、机の上で、50㎝にも満たないだろう小さな体を揺らしていた。
長い髪を左右に伸ばし、頭には、バースデーハットの様な突起。目元は前髪で隠されていて見えないが、俺の様子を窺っているのが雰囲気で分かる。
スクールでは見たことの無かったポケモンだが、このポケモンのことを、俺は前世からの知識で当然知っていた。だが、知識として俺の知っているものと、眼前のポケモンは姿は全く同じでも、明確に違うものがあった。
「色違いのミブリム……」
そのポケモン───ミブリムの身体には、本来あるはずの
『色違い』
前世において、ポケモンゲーム第二世代に当たる【金・銀・クリスタル】から出現した、原種とは色の異なる
その出現確率は、通常8192分の1であり、DS以前のバージョンでは、特別な出会い以外ではまずお目にかかれない幻中の幻。
この世界でも存在の認識こそされているが、教科書や論文に資料として写真が少し残されている位のもの。目撃情報は殆ど無く、所持報告も無い。何故出現するのかそのメカニズムすら全く未知のポケモン。
そんな色違いのポケモンが、俺を見つめている。
「この子は私が保護したんです」
そう言ってローズはミブリムを軽く撫でようとしたが、ミブリムはそんなローズの手を器用に両髪で弾いた。
表情こそ見えないが、彼を警戒している様子がこっちにまで伝わってくる。
「この通り、保護しただけで懐いて貰えてはいないんですがね」
「何かあったんですか?」
「この子はね、マクロコスモス本社の入り口で倒れているのを発見し、保護しました。保護当時、身体は傷だらけで、身体は瘦せこけっており、満足な栄養状態とは言えませんでした。……ここからは、推測になってしまいますが」
ローズは一度話を区切り、声のトーンを一つ落とす。
「恐らくこの子は
「悲しいことです」と、彼は呟く。
『母体の栄養が足りず、身体の色素が変色した個体なのではないか』
『神の呪いをその身に宿しているのではないか』
『体内に宿る力が色として表面に現れているのではないか』
謎に包まれている色違いに対する見解は多くあるが、共通することが一つある。
それは───
ポケモンの好事家はこの世界で大きな力を持っている。
トレーナーを失ったかつてリーグで好成績を残したポケモン。
強い子どもを産むと噂のポケモン。
通常種と少し変わった特性を持つポケモン。
上記の様な、特徴的なポケモンを所持するトレーナーの元には、買い取りを希望する連絡が来ることがあるそうだ。
曰く、「
好事家たちにとって、一生にお目にかかれるかすら分からない色違いのポケモンは、オペラのプリマドンナの様に喉から手が出る程欲しいモノ。
『奴らに売り渡せば一生遊んで暮らせるだけの金が貰える。どんな手を使っても手に入れてやる』
中には、そう考える人もいるだろう。過去には色違いを手に入れる為に、手持ちのポケモンに強制的な配合を繰り返させ、死に追いやったという事例も残されている。
そんな身勝手な人の悪意がこのミブリムに襲い掛かったのだ。
言葉にならない怒りが湧いてくる。
「俺はどうすればいいんですか」
何かしてあげたいという気持ちは当然ある。だが、俺はポケモンにとって
これ以上この子の負担を増やしたくない。
ローズは俺の言葉を聞くと、ミブリムを見つめる。
「この子は過去の出来事から、大人と、人の悪意に対し強いトラウマを抱えてしまった。…ミブリムというポケモンは、生物の気持ちを感じ取れるという特性上、人一倍悪意に敏感なポケモンではありますが、この子は特にそれが顕著だ。……大人の私ではこの子の心を開くことが出来なかった。」
ミブリムに向けられていた目線が俺に向く。
「ミブリムは、見た目や雰囲気で相手を判断しません。
☓☓☓☓☓
机に手を掛けながらしゃがんで、ミブリムと目線を合わせる。
ローズの「大丈夫」という言葉を信じ、引き受けてはみたものの、どんな言葉を掛ければいいか何も考えていない。
見切り発車の旅だ。でも、何故かそれでいいと思った。
元より何も失うものなんかない。
ただ、俺の気持ちを素直に言葉にする。
「なぁ、俺たち似た者同士だと思わないか?」
出来るだけ優しく声を掛ける。
駆け引きも何もしない。口から零れる言葉に全てを任せて話す。
「お前心が読めるんだろ。なら、お前にも分かるはずだ。俺の気持ちが」
俺の心を覗いているのか、ミブリムは動かない。黙って俺を見つめている。
そんな様子を見て、何一つ隠すのは辞めようと、決心する。
前髪を上げる。
ローズの眉が少し上がったのが視界の端に見えた。
「分かるか?これは───
…この傷を外に晒すのも久しぶりだ。
あの授業の後、先生立ち合いの元、スクール中のポケモンに近付いた。
俺のことを認めてくれるポケモンが一匹くらい居るはずだ。と、現実を認められなかったのだ。
そんな俺に現実を直視させたのが左眼の上にはしるこの傷。明確な害意を持って、鋭利な爪で肌を切り裂かれたのだ。……正直今でも余り思い出したくはない。手を伸ばしただけで全身の毛を逆立てて襲い掛かられた光景のことは。
そんな見苦しいであろう俺の傷跡を見ても、ミブリムは身体を動かさない。逃げ出そうという素振りも、拒絶するような雰囲気も出さない。
相も変わらず静かに俺を見つめる。
「嫌われるのは苦しいよな。悪意に晒されるのは気持ち悪いよな。吐きそうになるよな。……俺も同じだよ」
そっと、ミブリムに手を伸ばす。
身体中から汗が滲み、伸ばした右手は、自分でも笑えるくらいにガクガクと震えていた。
「お前の頭を撫でるつもりなんだけどな……怖いんだ。怖くて怖くて堪らない」
拒否される。逃げられる。襲われる。
何度も何度も何度も経験した。
世界中の全てのポケモンが俺を嫌っている。そう思うと眠れない日もあった。
今だってそうだ。一瞬後には、この子にも拒絶されるかもしれないと。どうしても考えてしまう。
それでも、それでも、もう前を向くと決めたのだ。
震える腕を気合いで抑える。過呼吸になりかけていた息を整える。
この子の心を救うことの出来る気の利いた言葉なんか知らない。
俺に出来るのは、想いを伝えることだけ。
「なぁ、俺と…ううん…私と…
声が震えて掠れる。それも、蚊の鳴くような小さな声が。
前を見れない。耐えきれなくなって俯く。
「こんな
柔らかな感触を掌に感じる。
軽く軽く、傷つけないように撫でる。これが最後のポケモンとの触れ合いかもしれない。二度と後悔しないように、もう二度と傷つけないように優しく、優しく。
『りゅ…』
小さな泣き声が聞こえた気がした。
同時に温かな温もりを手に感じる。
俯いていた顔を上げ、固く瞑り込んだ両眼を開き───息を飲み込んだ。
ミブリムが両髪で俺の手の甲を優しく包んでいた。
怖いのか、その小さな身体は、誰かと同じ様に震えている。
それでも、掴んだ俺の両手を放そうとはしない。
その事実を認識した時、長らく溜まり続けていた感情が決壊した。
涙が両眼から溢れて止まらない。本当に、今日は泣いてばっかりだ。
鼻水と涙が顔面でぐちゃぐちゃに交じり合っているのを感じる。俺は今、人に見せられない様なみっともない顔をしているに違いない。それでも、この気持ちはもうどうしようもなかった。
そんな俺をローズは、父の様に見守ってくれていた。
「この子に是非名前をつけてあげてください。警戒心が強くて、控えめで、臆病で、意地っ張りだけど…とても優しい子です」
差し出されたハンカチと共に、名付けを頼まれる。
ハンカチを受け取り、涙を拭く。
当然ポケモンに名前なんか付けたことが無い。
もう頭なんかまったく働いていない。だけど───一つの名前が脳裏に浮かんだ。
ミブリムを抱きかかえる。
軽くて小さなその身体を、腕を真っ直ぐ伸ばし、顔の前に持ってくる。
「『リオン』それが君の新たな名前」
俺の
新たな名前を気に入ってくれたのか、ミブリムは頭を両掌に擦り付け、小さな口を綻ばせる。
それにつられて俺も笑った。
「これからよろしく。リオン」
『リュム!』
この日俺は一人のポケモントレーナーになったのだ。
主人公君の身体的特徴については意図的に伏せて描写していました。俺っ娘ロリいいよね…
…主人公の名前の判明に2万5千字かかった奴がいるらしい。
主人公君(ナズナ):泣き虫
ミブリム♀(リオン):ナズナの心と言葉にクリティカルを食らった。
ローズ:行き当たりばったりに見えて、一番深くまで物事を考えている男。
本能だけで判断するポケモンは多いけどそれが全部じゃないよという話。
次回ファイナルラストプロローグ最終話
番外編どの話が読みたいですか?
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ローズの過去編
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ユウリの今の話
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とあるモブとナズナの話