アントキバの街角、すっかり相澤をはじめとした現実世界からやってきたヒーロー達御用達となった中華料理屋の中に彼らはいた。食堂の一席で女性がすすり泣く。見た所20代後半といった年頃の女性だろうか。彼女は嗚咽交じりに相澤に対して懇願するように訴えかけていた。
「嫌です!ここから離れたくないです…っ!」
「わ、分かったから。泣くのはやめてくれ…」
彼女の口調に、相澤はひきつった表情をしてしまう。どうやら修行の合間に民間人の様子を伺いに来たらしい。女や未成年がいたら優先して離脱の呪文で現実世界へと帰還させるという決まりになっている。
だから彼女にも同じように現実世界へと帰りたくはないかと尋ねただけなのだ。ただそれだけで目の前の女性はいきなり号泣をし始める。そんな女性に対して相澤は困惑していた。
どう考えても人選違いである。一度出直そうかと思うが目の前の女性がそれを許さない。彼女は嗚咽交じりに涙をぽろぽろと零していた。
相澤とてヒーローであり、男である。泣いている女性をそのままにするのも気が引けてしまう。彼は目前の女性に気が付かれぬように小さく溜息をついた。
「現実には戻りたくないっていうのは元々の環境のせいか」
「はい、私の個性が…異形型、女郎蜘蛛なんです」
「そうか…分かってるとは思うが確かにここでは個性が使えない。いざという時に悪い奴が出たら個性が使えるヒーローがここにはいないんだぞ」
「それでもいいんです…それがいいんです…っ!」
そういってぽろぽろと涙を零しながら自分の事情について語る女。どうやら彼女は自身の個性のせいで不幸な人生を歩んで来たらしい。自身の事を醜いと思っており、怯えた表情やおどおどとした態度から随分と内気な性格であることが伺える。
傍から見ても彼女自身が形容する程醜い訳ではない。至って普通…いいや、十分美人と形容されるような女性であるように見えた。だがそれはここグリードアイランドに来た影響の結果なのであろう。
彼女の話を要約するとこれまでの人生で良い事などなにも無かったらしい。なにせ女郎蜘蛛である。独りの女性が背負うには中々に厳しい個性であるかもしれない。
クモ目ジョロウグモ
他種と比較してかなり大型の蜘蛛であり、その黄色と黒、巨大な体躯は見るものを恐怖させる。
雌の大きさは3cm程度にもなり、大きな足や1m近くにもなる網糸を含めるとかなりの威圧感を与える。
派手な見た目から多くの女官の中でも上位に位置する上臈が由来ともされるこの生物。その派手で個性的な見た目から遥か昔から人々の記憶に残り続ける生物であり、時には美しい女の姿に化けて人々を喰らう妖怪にすら例えられる事すらあるという。
「元々現実世界での私は…中央に目玉が集合していて、左右に二つ…合計で八つの目玉があったんです」
「お、おう…」
「おまけに身体は2m近く。男性よりも大きくて身体能力も高いからいつだって敬遠されてきました」
頭の中で想像してみる。女郎蜘蛛というと黄色と黒模様が特徴的な巨大な蜘蛛である。蜘蛛は腹や尻にも独自の器官を持っており、きっと彼女自身にもその特徴が反映されていたに違いない。
身長が2m以上あり八つの目玉を持った女性…現実世界へ帰還したがらないのも無理はないのかもしれない。
一時期は外へ出られないほど精神を薄弱してしまったらしい彼女。そんな彼女の苦すぎる日々をアルコールの匂いと共に無理やり聞かされる相澤。完全に飲み屋で泣き疲れたOL女の図であった。そんな彼女に同情しながらもつい顔がひきつってしまう相澤を誰が責められるだろうか。
「それで社会に出て働き出した途端、ナンパ男に引っかかったと…」
「だって初めて愛してるって言われたんですよ!?」
「分かったから落ちついてくれ…」
「初めて彼に誘われて…そのままあの人とキスをしたときに…」
「その時初めて毒の個性に気が付いたと…」
女郎蜘蛛は確かに毒を持っている。JSTX-3という毒を持っており、仕留めた獲物に対して用いる事で神経物質に作用する毒を注入する。人体には影響が出ない程度の弱性の毒ではあるものの、彼女のような個性持ちの場合、どんな強さの毒になるのかは分からない。
「慰謝料を請求されました…個性を使用した
「……」
「そのお金を払うために借金したり、身体を売れと脅されたり…」
「……」
「もうどうしようもなくなって…その話をされたやくざの事務所内で逃げ出そうとしたんです。倉庫まで逃げ込んで…気が付いたらここにいたんです」
やくざの事務所で脅迫されたという彼女。性的な意味なのか、毒という薬物を売る為に実験体にされそうになったという意味なのかは分からない。いずれにせよあまりにも胸糞が悪い話である。しかしここでもまたやくざというワードが出たことに相澤は気が付く。
このグリードアイランドというゲームに関わった人間は暴力団に対して目的を持っていた?それとも裏の世界に公布するために彼らを利用した?彼女の話を聞きながらそっと情報を整理する。
それにしてもやくざの事務所の倉庫内とは…そんな所にこんなゲームが本当に放置してあったのだろうか。何はともあれ彼女の話は、自他ともに認めるアンダーグラウンドヒーローにとっては重すぎた。これが香山先輩あたりなら、自身の経験談も踏まえつつ彼女を慰める事だって出来たろうに。
生憎こういうケースにうってつけのウワバミやらミルコは既に一度現実世界へと帰還している。ガンヘッドとギャングオルカはいまだに修行中である事を考慮すると自分が対応するしかないだろう。プロヒーローとして彼女になんと言葉を掛けたらよいのかと内心頭を抱える相澤。
「少しいいか」
すると、どこからともなく男性が寄ってくる。どうやら相澤達の会話を盗み聞きしていたらしい。20代前半といった年齢だろうか。随分と若く見える青年といった様子の男性であった。彼は相澤と女性がついているテーブルに座るといきなり話し出した。
「あんたヒーローなんだろ?それで俺達を現実世界へと返そうとしてるって所か」
「…まぁな。それでアンタは?」
「俺は毒島っていうもんだ。GMTの会長をやっている」
「世界標準時刻か?」
「いや、
「どんな略語だ、分かるか!」
「まぁ聞けよ。俺の元々の個性は毒ガスだ」
「毒…?」
そういって自身の過去を話し出す彼。代々毒にまつわる個性をもっており、父の毒と母親の小さな風を産み出す個性があわせってこうなったとの事である。そういって語りだした彼の人生、一言で言えば悲惨に尽きるものであった。
ただ息を吐く、それだけで毒ガスが体内で精製されてしまうらしい。個性が発現した時から特注ガスマスクを付ける事を強制された彼、彼の生涯は常にガスマスクが共にあったとの事。
「小学校の頃とか悲惨だったぞ…なにせおれだけ毒ガス個性のガスマスクだ。給食の時は独りで別室に移動された。席替えの時に隣になったらそいつに悲鳴を挙げられたよ…同級生達は
「……」
「家族以外とはまともに会話もしなかった。今思えば苦しい青春時代だったな」
そういって自嘲するように笑う男性。個性に振り回される例など珍しくもない。珍しくもないが…だからと言って彼のような存在を見過ごしてよい筈もない。
相澤はそっと彼の話を聞いた。せめて彼の話を最後まで聞き届けるべきだと、そう思ったのだ。隣にいる彼女は時折切ない表情を浮かべて肯定していた。個性に苦しまされてきた物として共通する部分があるのだろう。
「学校を卒業した俺にはまともな就職先なんてなかった。非合法スレスレのゴミ回収やら清掃の仕事位しかなかったんだよ」
それでも就職したことを家族に喜ばれた彼。せめて与えられた職業は一生懸命とこなそうとした。周囲の人間達の視線やら声に惑わされることなく、懸命に業務に励んだ彼。だがそんな生活も突如終わりを告げる。
食事をする際は細心の注意が必要となる。食堂で食事を取るなどもってのほか。空気の換気が十二分に行る場所で行わなければならないからだ。
ある日彼が、公園のベンチで独りで食事を取っている時に子供がやってきた。小学生程度の小さな子供だ、その子供は毒島が食べている物が気になったのだろうか。そのままその児童は彼のそばへとそっと近寄り…結果倒れてしまった。
「俺の毒ガスを吸って倒れたんだよ。通りがかった民間人が即座に通報、そのままヒーローは俺を押し倒して拘束したよ。監視カメラもあったから言い訳はできないぞなんて脅しながらな」
「裁判の結果は有罪。『自身の個性の危険性を十分に認識しておきながら意図的に個性を使用したから』だと。笑えるだろ」
執行猶予はついた。それでも彼の地元では相当大きな新聞沙汰にもなったから会社で働けなくなったらしい。周囲からの圧力もあり、退職を余儀なくされた彼。そんな彼はいまだに退職したときの会社の連中の顔が忘れられないという。
「そいつらの顔が分かるか?怒ったり、ニヤニヤと笑ってバカにするような顔だったと思うか?違うんだよ」
「会社の連中はほっとしたような顔をしてたよ。厄介ごとを抱え込んだクソが自分から消えてくれてよかった、清々したって顔だった。それが何よりも自分の心に効いたよ。あぁこの世界に俺の居場所なんてないんだなって」
「いっそ本当にテロでも起こそうかと思ったよ。ガスマスクだけ外して電車にでも乗れば一発さ。けどできなかった…したくもなかったって感じかな。もう人間そのものに嫌気が差してたから」
人生そのものに嫌気が指した毒島。彼はそのまま生活保護を申請し、家に引きこもる。職もなにもかも失ってしまった彼。そんな彼がある日見つけたのがこの未知の世界への扉であった。
「異世界へ通じる扉がある…なんて噂があったんだ。裏ネットで評判になり始めててさ」
「あっ、私も似たような話をオカルトサイトで見たかも…」
「アンタもか…とにかく俺は借金してこのゲーム機を購入してみたんだ。それで藁にもすがる思いでゲーム機に触れて…この世界へとやってきた」
ガスマスク無しで初めて誰かと食卓を囲んだ時はマジで泣きそうになった、そんな彼の言葉に思わず無言のまま押し黙る相澤。非常に重苦しい雰囲気のテーブルであった。
「俺にはその女性の気持ちがよくわかる。痛いほど、よくな。俺たちは今まで人間じゃなかったんだ。人間らしく生きられなかった事が、ここで初めてできたんだ」
「……」
「俺たちは
そういって頭を下げてくる毒島。そんな彼に対して相澤は思わず無言のまま返事に困ってしまう。元々死の危険を含んだゲームである。こんな場所から一刻も早く一般人を返すべきである…と理性では考える。
だが彼のような個性持ちからすればどうであろうか。現実世界に居所がなかった人間からすれば漸くできた居場所である。そんな人間から安寧の生活を取り上げる行為は本当に正しい行為なのだろうか。
…いいや、ここには敵がいない。が、それと同時にヒーローもいないのだ。もしもここで事件や事故が起きればそれに対処できる個性持ちの人間もいない。結局のところ本当の意味でも理想郷などどこにも存在しないのだ。そんな事を思考する相澤の背後からとある独りの男性が現れた。
「うぅ…よく言った…っ!」
「…ギャングオルカさん?」
「自分も個性のせいで苦労してきたんだ…他人事にはとても思えない…」
ギャングオルカ、である。テーブルの背後から涙を流しながら現れた彼はそのまま手拭いで自身の涙をぬぐう。相澤のつぶやきに対してつい反応してしまう女性と毒島。
「ギャングオルカ?」
「ギャングオルカ!?この渋めのダンディーなおじさまが!」
動揺する二人。彼らからすれば異形型のあこがれでもある鯱ヒーローである。アンダーグランドが専門の相澤よりもよっぽどアイドル性とカリスマ性が強い、まさしくあこがれのヒーローであった。テレビや雑誌でも見たことがあるような有名人物にあってテンションが上がっている二人をよそに、相澤はそっと彼に対して問いかけた。
「ギャングオルカさんはなぜここに…?」
「ウイングさんとの修行もひと段落してな。応援にきた」
「…なるほど。でも俺たちの仕事は民間人を現実世界へ帰還をさせる事ですよ」
「分かっている…だが、無理して現実世界に戻らなくてもいいんじゃないか?」
「ギャングオルカさん…」
「一度考慮してくれるだけでもいい…彼等が漸く見つけた居場所なんだ、簡単に奪って良いのだろうか」
そう熱心に訴えかけてくるギャングオルカ。その瞳に、口調の強さについ黙ってしまう。異形型…いいや、個性によって迫害される人間の気持ちは同胞にしか分からない物があるのだろう。
それはきっと、これまでもこれからも相澤には理解しきれない感情に違いない。そうしてその傷を癒すことも。
「彼らを後回しにして、他の連中を優先して救出…それが譲歩です。それ以上の判断は現場からはできないので…細かい判断は上の連中にしてもらいましょう」
「おぉ!ありがとうイレイザー!!」
「何か言われたら、貴方にも警察やらヒーロー協会に報告だけはして貰いますよ」
「勿論だ…ありがとう」
固く頷くギャングオルカ。そんな彼に対してあくまで冷静に返答を行う相澤。相澤からすれば帰りたくないなんて連中より帰りたがっている人間やら女子供の方が優先度が高いというだけの話なのだが。
涙ぐむ女性とそんな女性に対して肩を叩いて励ます毒島。うまく行けば、彼らの第二の人生はここから始まるだろう。個性を取り上げられたことで皮肉にも平等な世界となったこの場所で彼らは一体何をおもうのだろうか。
後日、彼らは恋愛都市アイアイで素敵な恋人を見つける…のかもしれない。