時間は数日前まで遡る。場所は宮城県仙台市。この東北地方のとある場所に、彼は降り立った。山中の道路に備え付けられた街灯が周囲を照らし出す。男は大樹に背を預けながら夜空に浮かぶ月と星々を眺めた。
周囲には煩わしい民家や人の影など一つもない森林、事を起こすには絶好の場所であった。時刻は深夜、美しい月明りと心地良い風に黄昏ながら彼はそっとその瞬間を待ち続ける。
それは実に整った容姿をした男であった。見た目は東洋人なのであろうか。黒目、黒髪をした彼の姿はまるで青年のように若々しい。すらりと伸びた脚に逞しい筋肉を帯びた彼の身体には、無駄な肉など何一つ存在しない。
そんな彼の視線の奥から、一台の車がやってくる。どうやら囚人用の護送車らしい。そしてその護送車の前後には、ヒーロー達と武装警察官が何人も乗車している武装車まで在った。黒く塗られ、幾つもの防弾装備と鉄格子を備えたその護送車。それは彼の目的である彼女が運ばれている車でもあった。
レディナガン
本名を
彼はそっとポケットから【弾丸】を取り出すと、そのまま自身の指で弾くようにして押し出した。驚くべき速度と威力である。その二発の弾丸は音を置き去りにして、護送車の運転席へと撃ち込まれる。
「ッ!?」
「おっ、おい…急にどうしっ…!」
それが運転手達の最後の言葉となる。運転手と助手席に座っていた彼等は弾丸を頭蓋に撃ち込まれた事によって気絶してしまう。ハンドルは不能となり、護送車はコントロールを失う。中にいる乗員もろとも、護送車はガードレールへと勢いよくぶつかった。
彼が放った弾丸とは特殊繊維が練りこまれたゴム弾である。たかがゴムと侮るなかれ。熟練の念能力者ならば例え消しゴムの切れっぱしであろうとも、念で周囲をコーティングする事でBB弾程度の硬度にする事だってできる。きっと彼が放ったこの時の弾丸はライフル弾にだって匹敵するのだろう。
彼は念でこのゴム弾を飛ばしたのだ。
護送車の異変に気が付いたのだろうか。車の前後からヒーロー達が慌てたように護送車に駆けつけてくる。いずれもトップクラスのヒーローと特殊武装携帯が許可された武装警察官である。彼等ならば、例え敵の集団が襲い掛かろうとも撃退できた事だろう。だが今回は相手が悪すぎた。
「襲撃だっ!皆警戒を…ッ」
「一体何が…!」
「ビートマックス!ミスアクア!護送車の様子を…ッ!?」
次々と、倒れる。まるで瞬間移動のように突如目の前に現れた男の襲撃に対してわずかでも反応できたのはたった数名のヒーローだけであった。放たれる火炎弾、激流のような水圧攻撃。繰り出されるヒーロー達による個性攻撃に対してわずかに半歩身をよじるだけでいとも容易く避けてしまう男。
そのまま手刀を彼らの首元に繰り出す。恐ろしく早い手刀、彼らが見逃してしまうのも無理はない。ほんの僅かの間に、たちまちヒーロー達を無力化してしまう男。だがヒーロー達は血の一滴も流していない。これだけ強いにも関わらず、命を奪っていないのは一体どういう理屈なのだろうか。
地面に倒れ伏すヒーローと警察官達をつまらなそうに眺める男。
そのまま彼は護送車まで歩いていく。そっと護送車の扉を開くと…そこには四肢を拘束された女性がいた。まるで腕を折りたたむようにして背後に組まれ、目元には巨大なアイマスクと猿轡を噛まされた彼女。そんな彼女は身じろぎ一つしないでその場に佇んでいた。
彼女のそばにそっと近寄る。男は彼女に聞こえるように、穏やかにつぶやいた。
「君を助けに来た」
「……」
「今からこれを外す…暴れるなよ」
そういって彼女の拘束具を外していく彼。オーラを込めた今の状態ならば、また外部からも操作も同時に行えばこの程度の拘束具などいとも簡単に外せてしまう。そうして彼は彼女の手足の拘束を、アイマスクを外した。先程とは違い、晴れて自由の身となる彼女。
瞬間、レディナガンは目前の男に向かって殴りかかった。風切り音すら発生する渾身の殴打。無論、そんな攻撃を真正面から受ける男ではない。顔面に向けて打ち付けられた拳を軽々と掴むと、彼は溜息をつくようにつぶやいた。
「そうじゃれつくなよ」
「っ!お前も私を殺しに来たのか…」
「いいや、全く」
そういってこちらを見つめる男。そこにはなんら感情が含まれていなかった。きっと彼にとって今の状況は昼下がりのコーヒーブレイクとなんら変わらない平穏な物なのだろう。彼女を恨む人間は表にも裏にも多い。てっきりその筋の人間かと思ったのだが…。
レディナガン…いや、筒美火伊那は舌打ちをすると自身の右肘からライフルを展開させた。そのまま周囲を伺うようにそっと息を潜める。男に警戒しつつも壁に背を付けて辺りを伺う筒美に対して、彼は呆れたように声をかけた。
「何をやってるんだ?」
「…車の前後に護送のヒーロー達がいただろ」
「あぁそいつらならもう全員倒した」
「は?」
「20秒程度かかったかな…案外強かったよ」
彼からの返答に思わず唖然とした表情で彼を見てしまうレディナガン。確かに、周囲には彼女と彼以外に気配は一つたりともない。彼女は車から外へ出ると…確かにそこには何人ものヒーロー達がいた。地面に倒れ伏し、まるで眠るように気絶しているではないか。彼女はその光景を見て無言のまま顔をひきつらせた。異変を音で感じてから数分だって経過していないだろうに…。
この男はたった独りでこれだけの戦力を排除してしまったという事だろうか。護衛に来ていたヒーローと武装した警察官合計十数名にも及ぶ集団をたった20秒で討伐しただと?見知らぬ男に対して警戒心をはねあげる筒美。彼は筒美に対してなんの気なしに、軽い口調でこう誘った。
「俺のアジトへ来い。食事と寝床を提供しよう」
「……」
「あぁ、後始末は知り合いがやってくれる手はずになっている。君は何も心配しなくていいさ」
「……っ!!」
「おいおい、いきなり人に銃口を向けるなよ」
「お前の目的は何だ」
「勧誘だよ。したい事があってそれに君も協力して貰いたい。ほら、分かりやすい理由だろう?」
そういって肩をすくめる男性。どうやらくだらない嘘はついていないらしい。こんな状況になってしまった以上は、すぐにでもこの場を離れるべきだろう。レディナガンは眉を潜めながら男を観察した。
顔はいかにも優男といった風貌である。まるで穢れも知らぬような、純粋な瞳。その見た目と顔の造形から、おそらく男が東洋人であることが伺える。まるでティーンズ雑誌のモデルにでも居そうなその風貌は、きっと街中で声でもかければ女が幾らでも釣れそうな程に整った容姿をしていた。
だが一方で矛盾するようだが、肉体の体つきはどこまでも武闘的であった。筋肉の付き方、身のこなし。歩き方一つとっても熟練した武闘家のソレであった。日本でプロヒーローをしていた彼女だが、こんな怪しい男は見たことがなかった。彼女は溜息をつくと、彼に対して問いかける。
「大体私はあんたが何者かも知らないんだが?」
「おっとこれは失礼」
「
「これでも元ヒーローなのだがね…ふむ」
そういって軽く考え込む男。何を考え込んでいるのだろうか。男はほんのわずかばかり考え込むとそのまま少しだけ微笑んだ。ゾクッとするようなオーラを身に纏ったその男はにこやかに微笑みながら、彼女に対して自己紹介を行った。
「仙水…今は仙水忍と名乗っておこうかな」
そういって彼はにこりと微笑んだ。どこまでも純粋で無垢な瞳。それが彼が持つ異様な不気味さを引き立てた。月明りの元、彼らは出会う。本来ならば起こりうる筈のなかった邂逅が歴史に歪を生んでいく。
仙水忍。かつて数多の念能力者とヒーロー達を粛清した男である。そして同時にこの世界にグリードアイランドを持ち込んだ存在でもあった。彼がこの並行世界において何を求め、何をしてきたのか。それはもうじき、明らかになる。
仙水忍。『幽遊白書』魔界の扉編に登場。この頃から『領域』『異能力者』といった存在が出始める。作中において念という概念や言葉がはっきりと出始めた章でも有名。