夜明けを待ち暮らす者の手の内に舞い落ちたその灰塵は、小さくしかしほんのわずかに火の香りがしていたという。
………
「アビス?」
「そうです。ここはアビス、大穴とも呼ばれます。」
分厚くまたサイズの大きくゆったりとした灰色のフードの中で小さな頭が動き、きらと反射を受けて光るように見えたフルフェイスの黒い兜が縦のスリットの入った珍しい装備をつけた男を見る。
そして決して顔を逸らすことなくしかし一人考え事をするようにブツブツとものを言う。聞かせる気があるかどうか定かではないが男にはよく聞こえていた。
「深淵の監視者…覇王ウォルニール………小ロンド…ウーラシール、………?」
確認を求めるようだと捉えた男はしばし考えたのちに、残念そうな声色で応えるが曰く。
「どうも申し訳ないですが、心当たりはありませんね。」
男を注視して行末を見ていた彼はしかし見るからに肩を落として、だらりと両腕を垂らし少し項垂れた。
「そうか…いや忘れてくれ。ぼくはぼくでまたやることが生まれただけだよ。」
「ふむそうですか。お役に立てず…。」
フードと鉄板越しにため息を吐き、カシャカシャという脚甲の金属音をローブの中で鳴らして足速に去ろうとするその小さな影に男が声をかけた。
「もうお休みになられるのですか。」
「…いや、まだ起きて研究をする。」
「そうですか…では、あなたがここを訪れて三か月になりますから改めてこの基地を案内して差し上げようかと思っていたのですがお邪魔してしまいますか。」
ピクリと反応して立ち止まり回れ右をする小さな姿がある。その勢いで腰に提げられている結晶の生えた刺剣や鈍い金色に光る聖鈴、枝葉を模した鈴がチリチリという心地の良い音を鳴らして通路を反響した。
「案内してくれるというのなら、行こう。」
「それはそれは嬉しい限りです。」
容姿の年若い——幼さも残るような——彼には似合わずまた見合ったサイズとも思えない杖を手に先程と同じ速度で歩み寄り一歩踏み出さねば手の届かぬ間合いを取って立ち止まると、男は少し残念に感じていた。
「おや…おや…。では参りましょう、
「黎明卿」ボンドルド。彼はその背後についてくる、灰と名乗る彼に期待と好奇心を向けながらその仮面の亀裂から露出した緑色の瞳を光らせた。
出会いから今に至るまで彼、灰と名乗るこの子へのボンドルドが抱く印象はただひたすらに不思議であるという他ない。それはもしかしなくとも相手が抱く印象と重なるモノであるが、彼の方が一方的にアビスを知るほかに彼を知る術は聞き出す他なく今のところ灰と名乗ることと何らかの研究をしているということ以外まるで分からないのだ。
(彼に割り当てた部屋へ訪問したことは幾度となくありましたが…。)
食事には一切手をつけず、また一切眠る様子を見ることもなく。ただ部屋へは大量の紙とインクを取り寄せて、そこに書き溜められた文書が纏められて本のように部屋へ並べられているそんな様子であった。机上には火に満たされ揺らめく瓶のほか冷たい光を放つ灰の詰まった瓶が並べられ、その内容物を一滴ずつ滴下して分析する様子もまた観察できたがそれらが何であるのかは分からずじまいであったことも思い起こされる。
(あるいは彼自身もわからないのかもしれません。それを理解するため研究に勤しんでいるのでしょうか。)
また時折りイド・フロントから出てアビス第五層を徒歩で探索する姿も
そんな生活を始めて
ボンドルドの言う「祭壇」を遠巻きに見学しまた基地の内部へと戻るまで口を利かなかった灰であるが、そこでようやくややぶっきらぼうに口を開いた。
「遺跡と言ったか。」
「えぇ。先程お見せした祭壇をはじめとしてイド・フロントの表出した構造物群は全て所謂『遺物』です。祭壇について
決して嘘は言わない、そんな信条を持つ男らしい言説であったがしかしそこに灰はさらに踏み込む。
「なるほど…して貴公、その言い方から察するにまだ秘匿しているものがあるのだろう?」
驚いたように立ち止まり振り向く男の視線の先には、先程と変わらずじつと見つめる兜があった。しかしその熱視線は無邪気な少年というよりもむしろ未知と秘匿を暴き既知と為さんとする探究者のものと言う方が正しいほどだ。否、だからこそ無邪気な少年の気があるのだろうか。
「ほお、あぁ…なんという。なんと素晴らしいその探究心、益々あなたを欲しくなるものです…ええその通りです。その通りですとも。あなたは本当に聡く賢くそして恐ろしいお方だ。」
屈みこみ背の低い兜に視線を合わせるようにしてそう口にしたボンドルドは、すっと背を伸ばし再び直立姿勢に戻ると廊下から構造物群のある表出部へ戻る道を進みながら言う。
「そう、貴方の仰る通りです。この遺跡にはもう一つ、本来ここの中枢として機能していたとみられる間があります。遺跡の端々と通路や壊れた昇降機で結ばれていますがその多くが扉によって閉ざされていたのでその考察に至るには遅れましたが。」
黎明卿の固いブーツの音と灰の脚甲の硬い音が響き渡り、通用口を抜けると祭壇を右手に臨む広い通りに出る。円形をしているこの遺跡の中心路だ。ボンドルドはその祭壇に立ち入って消毒する
白亜にも似た白い外観とは打って変わって内部はアーチ構造によって支えられたこじんまりとした暗室ながらそこに運び込まれた機械によって色とりどりに薄っすらと照らされている。
「これらは解析のために運び込まれた我々の資材です。今のところこれと言って成果がありません。とはいえ祭壇の研究には役に立った者たちですから全くの無用かと言えばそうではありませんが。」
ドームの頂点部は開口しているらしく外の紫色の光がこちらもやはりうっすらと差し込んでいるが、
ボンドルドには初めからわかっていたらしく側へ来た
「こちらは……ええ、そうその彼ですよ。火の無い灰と名乗られましたので灰の方と。」
「では卿の通りに。灰の方、あまり面白いものではないと思いますがごゆっくり…」
そう言い切るか言いきらぬかという間に灰はその中央に鎮座するそれへと歩み寄っていた。
その視線の先。ドームの中心には灼けた人骨や灰が薪としてくべてあり、その中央には捻じれて螺旋状になった剣が石の窪んだ炉のようなものをも貫いて屹立している。火に焼けたらしい黒い剣は火をなくした今もなおほんの残り滓という程度ながらわずかにその先端が赤熱しているのが見て取れた。
「!!灰の方、お手は触れないよう」
「いえ、いいでしょう。」
「卿、しかしあれは我々の研究の最先端であることは…」
「その通りです。そしてその通りだからこそ彼に可能性を感じている私が許可するのです。さあ灰の方、火の香りのする者よどうぞ前へ。そして私に見せてください。」
そんな黎明卿の願いはもはや聞き届ける気もないのやもしれない。灰に比べれば大きな男二人が慌てそれを諭す場の中でも、しかし彼はそれを無視して炉へと歩みを進めていたことにそれが表れているだろう。ちょうどボンドルドの願いを耳に入れる瞬間に儀式へ移ったのはほんの偶然である。
脱力して、
そしてこの再燃の儀式こそが
初めて「火」を見た
「!?こ、これは…何だッ!!何なのか!!」
そしてその光を見た黎明卿は期待を裏切ることのなかった彼に、そしてついにまみえた暖かなそれに打ち震えた。
「あぁ、これが……っこれこそが……
素晴らしい…本当に素晴らしい…っ!!」
………
毎度のことながらわたしHumanityの思いつき二次SSです。
これが続くのか続かないのかそれは分かりませんが、薪の探索者および探窟家の皆様へひと時の休息となれば幸いです。