誰もが経験するありふれた、落下死。
ああかわいそうな奴よ、そして、憐れな奴
………
『灰よ、心しておくがよい』
『貴公もまた、呪いに囚われているのだと…』
———
——
—
イドフロント深部、その存在を認知するものの少ない『炉の間』にて揺らめく灯が一層大きく火花を散らせ燃え上がる瞬間があった。突き刺さった螺旋の剣より吹き上げた朱色の焔がその燃え滓に人の形を成させるのだ。直にその目で観測した祈手はこれまで見られることのなかったその異常な現象に、目を見開きながらもしかし冷静にボンドルドとの視界共有へ移行する。
そして仄暗い廊下に立ち尽くす卿は意識の半分をその視界共有へ割きつつ、目の前に在る向ける先のない慟哭に疲れてうずくまったドルミゥへ優しく声をかけるのだ。
「あぁ、…ドルミゥ。可哀想なドルミゥ。これは………これは私がもっと目を掛けていれば、収拾がついたはずの事態でした。」
「…ぅぐ……ひぐ………。」
ドルミゥは頭を上げない。彼女はぽっかり開いた哀しみの慰めにもならない言葉の羅列に耳も貸さなかった。しかし続けて目の前の男、ボンドルドがなした発言はとても強い衝撃を以て彼女に受け取られることとなったのだ。
「そして、これを引き起こしたのもまた私でした。灰の方に、こちらの階段を上るよう勧めたのは私でしたから。」
「………っ!」
ボンドルドの告白。これを聞かされたドルミゥは咄嗟の反応で
「な、なんで…で…です………か?」
突如として空気が鉛のように重く感じられるほど息苦しくなったドルミゥは呼吸を荒くして問う。対する卿は正直に過ぎる程の答えをすでに用意していた。
「それはあなたにとってかなり難しい話になります。が無論その内容について灰の方の同意を得、そして賛同をいただいたうえで行ったある種の実験でした。」
「はい のかた…が?」
信じられないという様子でドルミゥは独り言半分のその疑問を投げる。
「ええ。最近あの方が黒笛となるため勉学に励んでいたことをドルミゥ、あなたはよくご存じでしょう。」
「………。」
「これ自体は我々が灰の方の研究をお手伝いするための一つのステップにすぎませんでしたが、彼はその過程でアビスの上昇負荷というものへ特に強い関心を向けていらっしゃいました。」
ドルミゥに思い起こされたのは、彼女がボンドルドに連れられてほかの数人の子供たちとともに第五層へゴンドラで降り立った際の事。ボンドルド自身によってもたらされたアビスについての知識のうち一つであり、また「極めて危険」という枕詞と共にあらわされたアビスの冷酷な一面である。
殊、第五層と第六層以降への
しかしもし第五層への立ち入りを厭わないほどの強い好奇心を持つ火の無い灰が、その上昇負荷に対して興味を抱いたのなら。ドルミゥはそこまで考えて再び床へへたり込み、
「…。」
それはもはや声もなくそして心そのものを取り落としてしまったように、支えを喪って脱力しきったドルミゥを見る卿はかける言葉もなく立ち尽くす、——かに見えるだろう。
しかし当の男は、鉄砲水のようになだれ込む『炉の間』の祈手の視界共有とその情報処理に追われているのだ。
その時、暗い階段に金属音が鳴った。
一段また一段と下る音はよく聞けば低く重い石のような音も伴っていて、さもガーゴイルなどといった石像が自立して歩むという御伽噺じみた様を幻視するほどに不気味な音色なのだ。
だがその音が耳に入っているのか定かでない
「ああ、…なんと。」
黒いコートと灰色のローブの内側で銀色の小ぶりな兜が照明の光を分厚いフード越しに反射させて妖しい輝きを放つ。
「ッ!! ぁ…」
白い手が頬に触れた瞬間にその手を払いのけようと動いたドルミゥの腕が相手の腕に当たり着こんでいる鎖帷子が音を発すると、初めて目の前の存在に気付いた彼女は払いのけきるまえに腕を止めて小さく声を上げた。
「……ぼくはだれの英雄にもなれないな。……ごめんよドルミゥ。」
その声がドルミゥの耳に届き鼓膜を揺らしたとき、ドルミゥは瞳を一際大きく揺らして——…灰を突き飛ばした。
「ァがッ ゔ。」
突然であったために受けきることは出来ずしかし受け身を取りつつ衝撃を躱した灰であったが、その直後に彼の腹の上へ跨ったドルミゥを往なすことができず硬い床へ押し倒される格好となる。
「、ドルミゥ……。」
「…。」
ドルミゥの細い腕では持ち上げることなど叶わないのだが、そうとわかっていても彼女は灰の黒いコートを左手に握りこみもう片方の手は固くして、濁った両目は歪み小さく開いた口には鋭い犬歯が軋むほどきつく噛み合わせられているのが見えていた。
「…。」
「…っ」
灰は倒れたままに自身の兜のバイザーを上げる。そしてドルミゥの双眼へ合わせるのだ。
ドルミゥは灰を数秒にわたって睨みつけ、しかし終ぞその握りこぶしを振るうことなく俯いて顔を隠し痙攣する息を幾度か吐く。そして告げた。
「絶対。忘れないから。」
ただそうとだけ。
ドルミゥは灰から離れると祈手の一人に渡された黒いローブを羽織り、さらにボンドルドの人払いによって複数の祈手に連れられて彼女の与えられている部屋へと向かい廊下からその姿が消えた。残されるはボンドルドと火の無い灰の二人のみである。
「さてはてああこれは、あなたの現状について。なんと、素晴らしく並外れたそれを、説明されるのですか灰の方。」
「……むぅ……。」
落ち着き払った口調で、しかしこれ以上どうしようもなく高まった火の無い灰への興味はボンドルド卿のガワの中で渦巻いて——普段ならばこの程度でさえありえないことであるが——少々文構造の乱れとなって呈する。
「灰の方のそれは恐らく、いえ確信して明らかに。アビスのそれではない。その不死性は。」
かつて手にしたアビスの不死性——ミーティ——の比ではないほどにとても興奮した様子のボンドルドであるが、以前に灰の部屋より回収した文書の解読内容が頭の中にありこれがしっかりとした根拠として彼の確信に繋がっていた。
ボンドルドの問いかけに対してようやく硬い床から起き上がりながら、灰はバイザーを閉じそしてひどく悩まし気で徐に口を開く。なぜならば灰自身でさえも、自分自身についてボンドルドの疑問へ完全に応え得るものを考えることができなかったのだ。
「……最初の火が信仰に対して与えた……偶像。大元の、
悩んだ末に現状の結論として絞り出したその言葉の羅列は、ボンドルドにとってどれほどの意味を持っただろうか。しかし少なくともそこに見出された意義が灰の発したものとは大きく異なった見方と考察のもとに受け取られたことは想像に難くない。
「素晴らしい。………これほどの『遺物』は、アビスではありえない、いやアビスの名のもとに存在してはならないのでしょう。」
アビスは祈るだけの者に何も応えないのだから。
………
わたしがドルミゥの立ち位置なら、握りこぶしを数度にわたって振りぬいたことでしょう。そうする権利はあると思います。
それはさておき前回投稿後、ランキング入りしていたようですね。
ご愛読ありがとうございます。