最初の火   作:Humanity

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第九層

………

 

 

「精神隷属機、ゾアホリック。この遺物こそが私」

 

「我々」

 

「それ自身と言ってもよいでしょう。人格を複製し他者にそれを移すことでボンドルドという人格を維持し続ける。そういう遺物です。本来の使い方であるとは断言できませんが。呪い除け籠の例がありますので。」

 

 

そう言いながらボンドルドは背後を振り向く。火の無い灰は相槌こそ打つことはないが真剣に、自らの研究と合わせて参考とするべく思案しているといった風である。

ボンドルドは花のようなその遺物に向き直ると話をつづけた。

 

 

「一部の奈落の住人や()()()の言葉を借りれば、この遺物が取り扱う人格というのはつまり『魂』という事です。原則としてアビス内では……科学的に説明を行うことが難しいものの『魂』はアビスへ還り流転するものとして扱われます。ですからこの遺物はそのアビスの傘下から例外を作り出すことのできる特異点というわけですね。」

 

 

再び言葉を切る。

灰が何かを言うそぶりを見せないので、卿は灰に尋ねてみることとした。

 

 

「灰の方にはどう映っているのでしょうか。」

 

 

それに対してしばらく黙り込んだ灰はやや首をかしげて言う。

 

 

「モノだな。」

 

 

その言葉の意味をはかりかねたボンドルドは逡巡ののちに聞き返す。

 

 

「………モノ、ですか。」

 

「貴公が訳に成功しているかはわからないが、僕の手記で冒頭に書いたことだ。最初の火およびソウルの魔術の基本理論として竜の二相、岩と魂の二元論というのがある。」

 

「…ほう。」

 

「要は肉体と魂は別々に存在するということだ。アビスでもそういう事象がみられるという解釈で間違いはないだろう。」

 

 

銀色の兜が上向き、ボンドルドの仮面の裂け目から覗く緑色の瞳を見つめる。対してボンドルドは瞬きの一つもせず見つめ返した。

 

 

「生死という概念が厳密には存在しない不死者や火の時代の末期に表れた僕を含めた多数の『灰の人』も、定命の常人も果ては『神』ですらも須らくこの二元論に囚われる。その(ソウル)を取り除いた抜け殻。竜の二相においてはモノを由来の影響で岩と表現するわけだが、この遺物はその『モノ』と表現するのがふさわしい。そういうことだ。」

 

「つまりこれは自然物であると。そう仰るのですか。」

 

「それが文字通りに石ころとかそういうものとして自然物と言っているのであればそれは誤解だ。元は(ソウル)のあったモノ、という意味で取ってもらいたい。」

 

「これ自体は何らかの生命体であった可能性が高いと考察しているのですか。」

 

「うむ。」

 

 

ゆっくりとボンドルドの背筋が伸び、天を仰ぐような仕草で打ち震える。

 

 

「ああ、なんと素晴らしい。その通りです。我々探窟家は、というよりも私はあなたと同様にこうした遺物もまたアビスの作り出した成れ果てのうち一つではないかと考えています。今となってはお見せすることのかないませんが、私にその考えを確信させたもの等がここの下、第六層に存在しました。」

 

 

かつては。そう言葉に含ませながらボンドルドの続けて話すには、アビスの呪いはそれを受ける当人の意思がより強く働くのだという。それは白笛の原材料である命を響く石(ユアワース)や六層の呪いである「人間性の喪失」に対して人間性の完全な喪失には至らなかった完成に近い成れ果て、曰くアビスの祝福が教えてくれるのだと。

 

 

「アビスは意志に応える、その点に関して言えばあなたの言う最初の火は対極にあると言えるかもしれません。」

 

「………。」

 

「時に、以前…あなたが階段から転落した際あなたは『ソウルを回収する』と仰っていました。」

 

「あぁ。」

 

 

ボンドルドはぐっと背を屈め今度は背の低い灰のバイザーの向こう側を覗き込むようにして問いかける。

 

 

「ソウルというものは見ることができるのですか。であればあなたにはこのアビスはどのように見えているのですか。」

 

 

灰は微動だにしないが、祈手たちもゾアホリックの維持作業の手を止め様子をうかがっている。しんとして何の物音を発するものの無い広い空間は、その広さにも関わらず並みの探窟家であれば堪えることなどできようかという圧迫感を醸し出していた。

 

 

「出来る。この手に取ることも。」

 

「……ほう。」

 

 

灰の立つ床に穴が開くのではないかというほどに、周囲の祈手たちは青く光る仮面から熱い視線を灰へと投げかけた。

 

 

「………僕も探窟家としての教養を身に着けるうちに、理解することができた。この祭祀場の篝火を灯すよりも以前に、どれほどアビスの原生生物を相手取ったとしてもソウルは手に入らなかったことの意味に。そしてそれは確かに見えていたという事も。」

 

「やはりあなたには見えているのですね、このアビスの諸相が一つは。」

 

「ソウルは確かに、僕にではなくこの下へ。アビスのさらに下層へと()()()()()。しかしそれは今、少なくとも僕についていえばこの法則性がゆがみを以て現れている。あの階段に僕の持っていたソウルの()()()()が滞留していたから。」

 

 

今この時ばかりは祈手も統一された精神の下ではなく一人一人が探窟家として、あるいはアビスの探求者として詰め寄りボンドルドはこれを片手に制しつつ自らもまた彼らに同じ衝動を抱えて灰に問うのだった。

 

 

「灰の方。我々にそれを、ソウルを見せていただけませんか。」

 

 

(ソウル)という何某かを自らは成し遂げることのできないながら、考えうる最短の方法で実証するのだ。

 

 

———

——

 

 

「灰の方……。」

 

 

灰の私室。イドフロントの一角に用意された狭く暗い部屋の、一人分の大きさしかない小さなベッドの上でドルミゥは横になっていた。灰は今この場にいない。

 

 

「灰の方……。」

 

 

掛け布団を枕のように纏めて抱き着き顔を埋めながら。

私室の机上には大量の紙とペンにインク、そしてイドフロントの所蔵でもある探窟家協会の教本や遺物全集が立てられており整頓されているが何にせよ物が多い。しかし灰自身の持つ装備品については一つも存在せず、それらを身に着けるか仕舞いこむかして灰は持ち運んでいるのだろう。

 

 

「は、ぃの…かた……。」

 

 

ドルミゥの顔は布団に埋もれて見えていないが、灰を呼ぶ彼女の声は次第に震えていき布団を抱きしめる腕も絡みつく両足もどんどん力を込めていく。手も掛け布団のシーツを固く握りしめていた。

 

 

「っ…!、!」

 

 

大量の血を流して自らの腕の中で弱っていった灰の感触が。咳や呼吸をするたびに吹き出し胸元を重くした黒い血液が。苦しそうに唇を震わせて、不意にこちらを向いた両の瞳が。彼女の手に腕に胸に瞼の裏に、灰の体の重さや()せ返るような血の匂いまでありとあらゆる感覚が想起していて。

 

 

「ぁ。はぁっはぁっんぐ。」

 

 

呼吸が荒くなり目元の涙を堪え切れなくなったとき、ドルミゥはようやく正気に戻って息を整える。

 

灰の転落から四日経った。

あの日、彼女は湧いた怒りを灰に半ばぶつけたことにその場から離れて気づいた後。ドルミゥはすぐ灰の私室へ向かった。

その時はまだ私室に灰が戻っておらずがらんどうにすら感じる部屋で茫然と立ち尽くしていたのだが、灰がやってきてようやく彼は生きているということを確認できたのだった。

 

それから二日は灰が予定を変えて私室にとどまっており、狭い部屋の狭いベッドでともに時間を過ごしたのだった。

そしてもう二日。ドルミゥは灰がボンドルドのもとへ向かうのを見送った後もこの部屋で多くの時間を過ごすのだが、そうして一人になるたびに先ほどのような深く脳に刻み込まれた喪失の記憶を何度も何度も思い出してしまうのである。

 

 

「ふぐ……うぅ…。」

 

 

部屋に帰ってくる灰には探窟家としての勉学に本人の研究もあってこのことを言い出せなかったうえ、祈手やボンドルドへ相談するなどもってのほかと判断したドルミゥは。

 

 

「………。」

 

 

忘れるはずもない記憶を何としても忘れようと努めるのだった。

 

 

「…ドルミゥ。」

 

「っ!」

 

 

驚いたドルミゥがベッドを飛び起きる。すると廊下の光が入る扉を後ろ手に閉めつつ兜を抱えてこちらを見る灰が居た。

 

 

「………寝ていたか。起こしてしまったかな…。」

 

「…大丈夫、です。灰の方。」

 

「そう…か。ちょっと待っていてくれ鎧を外すからな。」

 

 

そうしたらお風呂に行こう、とドルミゥに語りかけ手甲などを取り外す灰の姿を彼女は何も言わずにただぼうっと眺めていた。

瞼の裏には火の無い灰の遺骸が灰燼に帰す光景があった。

 

 

………




 
卿「(ジェスチャー:恍惚)」
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