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「火の祭祀場」
そう新たに名を付けられたイドフロントの暗室。そこで灰はボンドルドと篝火を挟んで向き合い座っていた。
灰の探窟家教練がひと段落しイドフロントの研究に積極的な関わりを持つようになってから、この「火」の観察も併せて各々が見解と考察を併せアビスや「火」について相互の理解を深める場と定義された時間だ。
灰に向き合いボンドルドが口を開く。
「以前の試みは成功、そして失敗といったところでした。灰の方。」
されどもボンドルドの口調はどこか浮ついて聞こえる。
卿の言う「以前の試み」とは詰まるところ
「これは私がかつて祝福を得た際に見えていたもの、力場と似ていますね。祝福を再び得ることができればより正確なことが言えるのですが…。」
「アビスの力場、上昇負荷と地下奥深くまで日光の取り入れが可能なことの要因か。」
「その通り。あなたも探窟家としての知識量は笛を持つに足るでしょうから、もうすぐ笛持ちになっていただけそうですね素晴らしいことです…。それはさておき、ソウルの流れですか。これは我々でちょっとした実験を行ってみましたがやはり、凡そ力場の位置に一致するようです。つまりアビスに還る魂というものもまた力場による影響下にあるという事がここに来て初めて理解できましたね。喜ばしいことですよ、大変に。ただ…。」
「…ソウルの情報量か。」
灰には卿の言う事に心当たりがあったのだ。無論そのつもりでボンドルドも話しているのだが。
「ええ、そうです灰の方。そもそも魂とは誰かの生きた証でありそのものの欲や感情が、彼らの培った膨大な経験が鮮明に映し出された情報の塊です。あなたが最初に我々へ見せてくださったソウルですらも、儚くとも惨憺とした記憶が残っていましたから同等ではありますが魂を直接扱うという事はきわめて危険と言えます。幸いに祈手たちはみな優秀な探窟家であり強靭な精神力をもちますからそこまで人員に欠けは出ませんでしたが…。」
今こうしている間もどこかで死んだ魂がイドフロントの天井と床を貫通してゆっくりとアビスへと還っていく。ほんのり青く光る薄布が揺蕩うような一筋の線がボンドルドの正面へ降りてくる。
ボンドルドはこの一筋の光へ手を差し伸べて、これを自らの体へ入れた。
「そうこのように、赤笛の子が可哀想なことに亡くなった魂が還ってくる。これに意図せず触れてしまうと、彼らの記憶を無意識に読んでしまうという事故が発生するようになってしまいました。まだあなたのように魂を手に取るという業には至れていませんが、こうした魂の情報の処理についても少なくとも祈手では明確に決定する必要がありそうです。」
こればかりは慣れるしかないでしょうと口にしつつ続けて、ボンドルドは得たものの方が大きいという事を、あくまで実験の成功を強調する。
ボンドルドの手から溢れあるいは通り抜けた残りのソウルは、朱い炎に包み込まれて篝火に焼かれ焚べられた。
「そうか。」
灰は対して極めて淡白な反応で返すが、それでもある程度の関心を寄こしているという証左足りえたようでボンドルドは満足げに見えた。曰くいい試みでした、と。
いくらか頷いたのち、男は一息置いてからまた言った。
「時に灰の方。」
「む。」
朱く燃え上がった火から灰の方へと視線を移す紫色の光と緑色の瞳。灰のかぶる兜のバイザー越しに見える目は黒い。
「
「……いや…。」
「おやおや…そうでしたか。ではあの子の夢についてはご存じでないのですね灰の方。」
灰はそのとき灰が部屋へ帰った時に垣間見た、目を泣き腫らせたドルミゥの姿を想起する。灰はその故を彼女に詳しく聞くことをしなかったが、ドルミゥは激しく灰を求め彼はそれに応えたのだった。
「夢、か?」
「はい。…あの子の夢はあなたなのですよ、灰の方。」
「どういう…意味だ…。」
少し驚き、灰は顔を上げてボンドルドの緑色の瞳を見る。曇りなき
「灰の方のお側に
灰はものを言わずしかし篝火のそばから立ち退くと、ボンドルドもまた立って灰の肩へ手をやりその手のひらにローブの下に着込まれた鎖帷子を感じながら続けて語った。
「灰の方、灰の方。あの子は初めての存在なのです。ドルミゥはその意志の方向をアビスへの願いではなく他でもないあなたに捧げた。そして灰の方、我々よりも早く『火』の存在を
「…なんだと。それは、あり得ないだろう貴公。ぼくが初めて篝火に触れたのはアビスでは貴公らの目の前だったじゃあないか…!それより前にこのアビスにおいて『火』など存在しない、するわけがないと断言したのは貴公だったじゃあないか!」
この時灰の語気には掴みかからんとするほどの気迫があったが、そうすることはなく灰はかの動揺を言葉に乗せて如実に伝える。対するボンドルドは灰から目を逸らすことなく諭すかのような口調で続けるのだ。
「あの子が視た最初の火はあなたでした。あなたの瞳の奥に小さな火種を、いえ残り火を視たのですよ灰の方。『火の香りのする』者。」
「残り火…。」
アビスで初めて死ぬまで灰はすでに残り火を宿していたのか、という気づきを得る。そして同時にどこで残り火を手にしただろうかと考えた。
(王たちの化身か…?いやそれ以上に…ああそうか僕は…。)
——火を継いだのか。
「ですから貴方には検討をお願いしたいのです、灰の方。ドルミゥの夢を叶えてあげられる方策を。我々もそのお手伝いをしたいだけなのですから。」
………
……
…
「お帰りなさい灰の方。」
「…ただいま、ドルミゥ。」
薄暗い部屋でも輝くように眩しく灰へ笑いかけるドルミゥ。いつものようにベッドに腰掛けていたドルミゥへ灰は歩み寄り片膝をつく。そして灰は手甲を取り薄褐色の艶やかな頬に触れると、彼女はくすぐったそうに首を縮めて灰の手を自分の小さな両手で包む。
「んん…どうしたの?」
「…。」
灰は話し出せなかった。ドルミゥを彼女の夢の叶うように導く前に、自らのどうにかすべき折り合いがあると感じていたのだ。
ドルミゥが沈黙した灰のバイザーを上げる。鉄の仮面の下から顕になった顔を見て、彼女は肩を落とし灰に比べれば小さな両手で灰の顔を彼のするように包み込んだ。
「、ドル…ミゥ。」
そこまでして漸く気付いたらしい灰は少し顔を上げ、ドルミゥと目を合わせる。ドルミウには灰の内側で渦巻く思いが、どのような内容であるかはさておきその想いのどれほど重いものであるのかが直に伝わるのだ。
「灰の方。わたしには分からないことが沢山あるけれど、あなたが苦しんでいるということだけは確かに分かるのです。…わたしではあなたの力になれませんか…?」
「ぅ…。」
ドルミゥは灰に寄り添って、灰の思惑の助けになろうとしているだけだ。しかしその言葉の真意に沿うものではないとわかっていても、今の灰には違って聞こえるのだった。
「違うんだ……。」
「灰の方?」
「ぼくの、使命だから…。…きみに…、傷ついてほしくないんだ…。これは、ぼくだけで…背負うべきものだから…。」
「…。」
零れ落ちる。溢れて滴る。
「、それとも…一度でもそう考えたぼくが…悪いのか…?」
「灰の方。」
「ゆるし…て、赦して…。」
「灰の方。」
首を垂れた灰の顔を無理矢理に持ち上げて、くすんだ瞳が灰を覗き込む。しかしそれは害意があるものではなく、ただ慈愛に満ちたものであったのだ。もし火守女たちに目があったら、こういう眼をしていたのだろうかと灰がふと思いつくくらいには。
「わたしの夢は、あなたなんです。」
「…!、っ。」
「あなたに連れられて行くのではなくて、あなたの半身としてありたいんです。」
ドルミゥはそう言ってから口をつぐみ灰を見つめる。対して灰は背後から衝撃を受けたかのようにして、ドルミゥに倒れ掛かり、彼女は堪えられずにベッドへ倒れ込んだ。
「ぅ……。」
「っ、灰の方。おもいですよ…ぉ…。」
灰の下に潰されるようになりながら、ドルミゥは腕を灰の背中に回す。決して明かすことのなかった自分の夢を、なぜ火の無い灰は他人から聞かされたような素振りをして知っていたのか。その疑問を灰と共に抱き抱えて。
………
メイドインアビスを総復習して、『暗き魂の黎明』も六週目をみてきました。イドフロントって酔いそうですよね。