………
「ない、な…。」
荒涼とした白い砂漠をただ一人で歩く灰色のローブ。
第五層の探索に出発していた灰はボンドルド卿の基地の近辺では大方の探索を終え、更なる未開へと足を踏み入れていた。煤けたドーム——グェイラという男の遺骸があったあの場所——からさらに外側である。
「…ない。」
灰はこれまで幾度も行ってきた探索と、ボンドルドとの「答え合わせ」でこの大地が一つの階層であるらしいことは考察していた。白教からすれば異端であるが、火の時代の最盛期に「階層世界」と呼ばれる特異な世界観の神話があったと記憶している灰はそれを連想しているのだ。
「…。」
時おり頭上を通る鳥の群れを岩礁に丸まって躱しつつ、そんな遮蔽の裏を覗いて目的のものを探すのである。
篝火。不死人を生かす、不死人の故郷。
「…。」
不死の力の根源、ダークリングと呼ばれる小人に刻みつけられた刻印であり逃れ得ぬ不死の呪いと対を成して、篝火とは使命に向かう不死人を支える光である。それは火の無い灰も同じことであった。
「…くっ…。」
しかし灰は今、内心揺らいでいた。
遡れば数日前エストと篝火の正体に彼の発想が行き着いたとき、灰は初めて躓いたのだろう。信じた火継ぎの使命に、焦がれてやまなかった火継ぎの英雄という独りよがりな憧憬に、どれほど苦しめども死ねども命を落とすことにはならなかった永い戦いと旅路に。
いつしかその導く先に疑念を抱いていたこと、それ自体を強く自覚したがために。
篝火など見つからない方が良いのではないか、と。
「………。」
篝火が長らく見つからないということ自体は悪いことばかりでは無い。軟禁という状態ながら活動の拠点は存在することが幸いしているほか、以前の不貞寝一度限りながら7時間の睡眠を取った灰は確かに集中力の回復を感じていたのだから。全回復とはいかないまでも、これは大きな発見だろう。
とそんな考えごとのなか、灰はふと気配を感知した。
「…幻視の指輪は…あるか。」
思い至って左手を確認すると確かに、指輪は4つ嵌っていた。
灰の感知したそれはこちらを遠巻きに監視する祈手と違う、もっと強大な何かあるいは誰か。一個の軍勢のようでもあるが、そうであるならば接触は避けなければならない。
「高台は鳥の群れが怖いうえに、ソウルの奔流もあいにく外してきてしまったからなあ…」
果たしてあの鳥の群れは、奔流で撃てば散るようなものだろうか。
それはさておき、おそらくこれはまだ件の気配には
「今日は鳥どもがやたらと騒がしいのも、もしかするとこれが原因か。」
開けすぎるのは上や正確な位置がわからない件の気配の正体を鑑みればやはり危険であることに変わりはない。そう思いつつやや開けた、白い砂の広場のような場所に出る。見上げれば白い岩のような材質の大きなドームがボウルを上からさかさまに被せたかのようになっており上からの視線を遮ってくれているようだ。
「煤けたドームといい、これは一体どういう構造物なのやら…む。」
ふと白い壁を見る。そして兜のバイザーを少し上げて直に一瞥すると、その壁にはどうも繊維質の白い塊でできているのだ。
「……白く濁って透いているが石英ではない、いやそもそも岩ではないな?…これは……まさか。」
積み上げられたように連なり重なり合いつながりあうその白い繊維質は、もしかしなくとも生物による生成物ではないか。真っ白というわけではなく小さな塵や何らかの破片が含まれるこれは、もしかすると巣なのではなかろうか。
そこまで灰の考えが及んだその時、灰の踏む地が一瞬揺れた。
「っ!!」
咄嗟に前へローリングしたその刹那、先ほどまで灰の立っていた地面を太い鉤型の刺を先に持つ尾が穿ちドームへ高く掲げられた。結果的に空振りとなったそれであるが続けざまに灰は数回、左右へ位置をずらしつつ回避行動をとる。するとその後を追うように瞬時に先ほどと同様の尾が貫き天へと伸びた。
「これは、っ!前のは幼体だったのか!?」
以前戦ったそれとは比べ物にならぬほどの大きな尾は合計で5本突き立てられ、それから大きな揺れと共にその尾の主がけたたましい威嚇音とともに現れた。砂地から体を持ち上げるために用いたものも含めて、尾は合計7本。クルリと半周その場で回りこちらを向く。そうしてようやく確認できた体表は以前のものよりもさらに分厚く軟らかい表皮と硬い骨格に代わっていることは切りつけずとも察せられた。
「面倒な……!」
がしゃがしゃとやたら本数の多い脚部を鳴らし、特有の声を発する巨大なサソリを前にしてだが極めて冷静に灰が即座に装備を整える。指輪を犠牲から吠える竜印へ着け替え、緑花の指輪+3を加える。左手は杖からフィリアノールの聖鈴に持ち替えて簡易的に恵みの祈りを捧げた。恵みの恩寵によって力は弱いながら自然治癒力を授けてくれるのだ。
(武器はブロードソードと…これでいいな。)
左手は聖鈴を腰に掛けて背中から草紋の盾を取る。この盾ではやや心もとないがこれをも換装するというような暇はなく、前から襲い来る7本の尾を捌かねばならなかった。
「っあ、ぐっ…。」
7本の尾によってかわるがわるに突き攻撃に隙を作らない猛攻を、灰は盾受けをせずしかし距離は離さずに前か横へローリングしてこれを避け、往なす。往なす途中、鉤状の刺が右足甲の隙間を縫って鎖帷子に当たり、しかし鎖帷子が刺突には弱いために押し負けて肉の裂ける音が響くもののこれを気に留める余裕はない。
合計して驚異の21連撃。右足の肉を裂かれさらには左腕もまた同様の傷を負って、足甲と手甲から赤黒い血が流れ出ているがこの程度の被弾ならば冗長と灰は考えていた。負傷部は肉を焼き溶かすような激痛と恩恵の治癒能力が押し引きして終わらない苦しみを膿んでいるが、
そうして連撃が瞬間止む。灰は相手の動向を見るために尻尾の動きを目で追うと、7本の槍は一斉に灰を指向して構えそれらを一挙にたたきつけた。
「んぐっふ、安直だな。」
思わず口から出た言葉に彼自身も内心笑いながら、これを前へ距離を詰めるように走り込み幅広のブロードソードへ松脂を塗りつけながらこれを横に薙ぐ。手甲を添わせて振るわれた刃は火花によって松脂へ引火し炎に包まれて相手の足の節を切りつけるのだ。
「——弾かれたか。」
手ごたえでわかる。この刃は節を切り裂くには至らないと。
右手を振り切る前にそうつぶやいた灰は予定を変更し、横に薙いでいた剣を体の正面へまっすぐに持ってきたタイミングで節の一か所を狙い両手で柄を支えて強く突き込んだ。
幼体の頭部を打ち砕いたことのあるこの攻撃は、確かに硬い甲には有効打であり松脂の炎で肉を燃やしながら多くあるうち一本の節足に深く刺さる。
「こんのぉぁぁぁ!」
石に刺さったように固く力を振り絞らねば抜けぬほどになってしまったために彼は、刺さった節足に足をかけて目一杯に蹴り剣もまた梃子の要領でこれを後押しさせたのだ。
外骨格の砕ける音と共に、不気味な金属音を発する剣。無理な運用をしたために耐久がごっそり減っただろう。
——ァァァァアア——
耳障りな喘鳴と共に
火のようなエストを一口呷り、灰は再度蠍へ距離を詰め——ようとした刹那灰は膝から崩れ落ちた。
「なっ…があ…ッ!」
膝をついたのは右足である。麻痺しているため痛みを感じず、足甲越しにはわからないが蠍の毒は短期間で着々と灰を蝕んでいたのだ。気づけば同様の傷を受けた左腕も盾を握り込んだままだらりとしていていくら力を込めようとも動かない。
「はぁっ、んぐっ…っぁ、ふく」
幸いにも苔の効能で痛みを感じないため気絶することはないが、立ち上がれないために膝立ちで戦うほかない。また蠍は待ちもしないのだ。
灰は左足に力を込め身を捩って、喘ぎ喘ぎいっぺんに襲いくる7本の槍を数度交わし切る。
偶然にも有利な行動を引いたのだろうか、あるいは蠍にしてみれば矮小な獲物へ止めを刺さんとしているのか。
「っこ、のぉ!」
片膝をついて武器を振るう際の這うような低い姿勢が後ろへ下がって尾の有利を取ろうとする蠍についてゆくことを許さず、辛うじて幅広のブロードソードで尾を払うことしか出来なくなってしまった灰はしかしなんとか斬り返す隙がないかと模索する。
蠍はもはや死に体の獲物の存外に強い抵抗へ苛立ちを見せる。
灰が動かぬ左腕を横へ無理やりに回避した力を利用して口で強く噛み咥えると盾を構え直すような風態をとったためだ。
これでは辛抱ならないと言わんばかりに痺れを切らせた蠍がその鋏状の口を開きさらに胴体の過半を占めるほど長く伸ばした大きな口を、その柔軟さに任せて開き直接に食らわんと、2本の尾で体を持ち上げて灰の頭上に覆いかぶさる。
「——く…。」
蠍というにはやや凶悪に過ぎる、肉食動物特有の歯列と蛇の体のようにぐいっと伸びた口腔に灰が飲み込まれるという瞬間。灰の右手に壊れかけた剣はなく、一振りの大剣を片手で構えた。そして大きな口が灰に到達するかという時、蠍の口は内側から青銅色の静かな光に照らされほんの一筋の奔流が首を貫通したのだ。
………
あと一話続きますよ。
それと、カッショウガシラの口については私の偏見で「あの程度の見た目に収まるほどのものではない」と判断しやや設定を付け足しました。エルデにいるのなら是非一戦交えたいですね。