Absolute One   作:宇宮 祐樹

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今日はバレンタイン!
まあ、このテイオーがチョコを渡す相手はもうこの世にはいませんが……


14 REIGNITE / ライターに燈火を

 

 チームルームの扉を開けた先に見えたのは、篠崎の背中だった。

 

「テイオーちゃん?」

 

 振り返った彼女はトウカイテイオーと目を合わせてから、不思議そうに首を傾げた。壁にかけられた時計は、午後の八時四十六分を示している。トレーニングは既に終わり、そろそろ寮の門限に達しそうな頃合いであった。

 そんな彼女の表情から考えを汲み取ったトウカイテイオーが、後ろ手で頭を掻きながら答える。

 

「ごめんね、ちょっと忘れ物。ここで課題してたから」

「ああ、テストとか近いもんね」

 

 などと何気のない会話を交わして、トウカイテイオーが机の上に広げられていたノートとペンを手に取る。そうして早々に部屋を立ち去ろうとしたところでふと、篠崎が彼のデスクから何かを取り出しているのが見えた。それが何かを問いかけようとする前に、彼女はその視線に気づいていたのか、くすりとほほ笑んでから口を開く。

 

「トレーニング、どう? うまくできそう?」

「え? ……うん。手探りな感じは正直あるけど、やれることはやってるよ」

「それならよかった。今のテイオーちゃんは、少しだけブランクがあるから心配したけど……」

「頑張るよ。次のレース……えっと、若駒ステークスだっけ?」

「そう。ちゃんと覚えてて偉いね」

「……子供じゃないんだから。とにかく。それまでには仕上げてみせるよ」

「うん、期待してるね」

 

 呟くと、彼女は一度、小さく息を吐いて、

 

「こんなことを言っても仕方ないけど、やっぱり力不足を感じちゃう」

「大丈夫だよ。篠崎さんは今でもすごく頑張ってくれてる、ってボクは思ってるから」

 

 気遣いというよりは、本心からの言葉であった。そもそもこのチームが存続できているのは、マンハッタンカフェの意志もそうだが、実際はそれを尊重した彼女の功績の方が大きいだろう。それを考えると、トウカイテイオーの口からそうした言葉が出てくることは、自然なことだった。

 すると彼女は一瞬、引き出しを探る手を止めて。

 

「本当、つっくんには感謝してもしきれないよ」

 

 言葉と共に、一枚の写真立てを取り出した。

 

「それ……」

「つっくんね、あんまり写真に撮られたがらなかったの。映りが悪いから、って。だから、悪戯で撮ったこれだけしか残ってなかったんだ。……こうしてみると本当に、いつも不機嫌そうな顔してるよね」

 

 ほら、と見せられたそれは、どこかの街角で撮られた彼だけが映っている写真だった。腕には有名なCDショップチェーン店のビニール袋が下げられている。こちらに向ける視線は鬱陶しそうで、けれどそれがどうも彼らしくて、トウカイテイオーは少しだけ嬉しい気持ちになった。

 そうやってしばらく写真を眺めていると、ふと篠崎が悟ったのか手にしていたそれをトウカイテイオーへと渡す。思わず顔を上げる彼女に、篠崎はただただ優しい、見守るような笑みを浮かべているだけであった。

 

「向こうの棚に、置いてくれる?」

「……うん」

 

 言われるがまま、トウカイテイオーが写真立てを棚の上へと静かに乗せる。

 少しだけ角度をつけると、不機嫌そうなその視線が、自分へ向いている気がした。

 

「あと、これも」

 

 背後から聞こえたその声に、トウカイテイオーが振り返って、

 

「……さすがにそれはマズいんじゃない?」

「大丈夫だよ、空箱だから」

 

 中身のない煙草の蓋を開ける篠崎に、息を吐いた。

 

「セブンスターで合ってたよね?」

「うん。いつも、その箱だった」

 

 頷いて、トウカイテイオーが答える。あの枯れた香りを、思い出した。

 そのまま空箱を持った篠崎が、それを彼の写真の隣へと並べる。そうしてしばらくの間、二人で写真を眺めていたところでふと、トウカイテイオーは思い出したように篠崎へと問いかけた。

 

「そういえば、さ」

「うん」

「トレーナーのお葬式、結局行けなかった」

 

 語る声は、トウカイテイオー自身が思っているよりも震えているものだった。

 

「仕方ないよ。あの時はテイオーちゃんも疲れてたし、二人も……いろいろ抱えてたから」

「でも、やっぱり後悔してるよ。ああやってしてるくらいだったら、行けばよかった、って」

「……だけど、気持ちの整理はついたでしょ?」

 

 篠崎の言葉に、小さく頷く。それでも、やはり後悔の念は晴れてくれなかった。

 俯いたままのトウカイテイオーに、篠崎がふと振り返って彼のデスクの引き出しへと手を伸ばす。やがて何かを探る音が聞こえてきて、トウカイテイオーは思わずそちらへと顔を向けた。

 

「お葬式でね、つっくんのお父さんとお姉さんに会ったんだ」

「……怒ってた? ボクたちが行かなかったこと」

「ううん。いつかお墓参りに来てくれたら嬉しい、って言ってた」

「そっか……」

 

 安堵よりも、悔しさの残る返事だった。

 

「あとね、これも譲ってくれた」

 

 引き出しの占める音と共に、彼女がその手に掲げたのは。

 

「……そのライターって」

「うん。つっくんがいつも使ってたやつ」

 

 鈍い銀灰の輝きが、蛍光灯に照らされて一度だけ瞬いた。

 そうして篠崎が手慰みに開いたキャップの下から、くたびれたオイルの香りが漂ってくる。鼻孔をくすぐるその香りに、トウカイテイオーはどうしようもない懐かしさを覚えていた。空色の瞳は、いつまでも黒ずんだ銀色の輝きを映している。口元には諦めともとれるような、うっすらとした笑みが浮かんでいた。

 流れる沈黙は、かちん、とキャップの閉じる乾いた音で絶ち切れる。

 すると篠崎は一度、トウカイテイオーの方へと向き直ってから、

 

「はい、これ」

「……え?」

 

 首を傾げる彼女の手のひらに、ライターをしっかりと握らせた。

 

「いいの?」

「私が持っていても、仕方ないから。それに……」

「……それに?」

 

 問いかけに篠崎は、一度だけ視線を逸らしてから、

 

「きっとこれは、テイオーちゃんが持っておくべきものだと思うんだ」

 

 それは、彼に対する自分の気持ちを汲み取ってくれた優しさからなのか。あるいは、そうでもしないと崩れてしまいそうなほど、彼女の目には自分が脆く見えたのか。ゴールドシップでも、マンハッタンカフェでも、篠崎自身でもない理由は終ぞ今のトウカイテイオーには分からなかったが、それが信頼の証であるということは確かだった。

 曖昧な疑問が頭を過ぎる中、トウカイテイオーが指先でキャップを開く。

 

「ホントにさ、トレーナーは色んなものを残しすぎたよね」

「……何もないよりはいいって、私は思うよ」

「それは、そうだけどさ。でも……」

 

 広がるオイルの香りを感じながら、トウカイテイオーがぽつりと。

 

「何も、ボクの心にまで残さなくたって、よかったのに」

 

 そして、下ろした指先が――

 

 

 ――ライターへと、火を灯す。

 

「…………」

 

 出走時刻まで、およそ10分を切ったころだった。

 同じレースに出走するウマ娘の殆どは、既にこの道を通ってターフへと出場している。その際に向けられた奇異と哀れみの視線を、トウカイテイオーは今一度、思い返していた。

 どうやら彼がこの世を去ったことは、そこそこ大きな話題となっていたらしい。しばらく部屋に閉じこもっていたトウカイテイオーにそれを知る由もなかったが、顔すらも合わせたことのないない彼女たちからそうした視線を向けられるということは、つまりそういうことなのだろう。

 苛立ちと鬱陶しさが頭の中で渦巻いている。同情されたい気もなければ、理解してほしいという気もあるわけがない。だって、この悲しみは自分だけにしか理解できないのだから。

 未練がましいとは思う。相応しいかったかどうかすら曖昧なのに、重たい女だという自覚もある。

 それでも、もう何かを奪われるのは嫌だった。

 

「…………」

 

 頭を掻きむしりたくなるようなその衝動は、けれどイヤホンから流れるロックが、何とか掻き消してくれた。

 瞳の奥で、ライターの灯火が揺れ動く。腕を右に動かせば、焔は残滓を伴って右へ。左へ戻せば、焔は消えずに左へ。顔を照らすその爛れた光をしばらく見つめてから、トウカイテイオーはキャップをぱたりと閉じて、

 

「オイルの匂い、移っちゃうよ?」

 

 顔を上げたそこには、不安そうな表情でこちらを見下ろすナイスネイチャの姿があった。

 

「……気づいてたんだ?」

「さすがに足音は聞こえるよ」

 

 呆れたように肩をすくめて、トウカイテイオーがイヤホンを外す。そうしてコードを携帯へ巻きつけると、彼女は再び片手でライターのキャップを開き、火を点けた。道の先から流れ込んでくる緩やかな風が、炎を揺らす。夕焼けの色に似た、しかし輝きだけは程遠いその光をトウカイテイオーはただじっと見つめていた。

 

「それって、あの人からの形見?」

 

 投げられた問いかけに、トウカイテイオーはうっすらとした笑みを浮かべて、

 

「未練かもね」

 

 答えてから、ライターのキャップを締めた。

 

「行かなくていいの? 遅れちゃうよ?」

「……それはアンタも同じでしょ。携帯もライターも、控え室まで戻す時間ないんじゃない?」

「ボクはいいの。ほら」

 

 そうやってトウカイテイオーが指で示した、その先には。

 

「……どうも」

 

 小さく会釈を交わしながら、こちらへ歩いて来るマンハッタンカフェの姿があった。

 

「ああ……えっと、カフェ先輩。お疲れさまです」

「……こうして顔を合わせるのは初めてですね、ナイスネイチャさん」

「ネイチャで結構ですよ」

「では、そのように」

 

 答えてから控えめに頭を下げると、マンハッタンカフェはもう一度トウカイテイオーの方へと向き直り、その右腕を静かに差し出した。

 

「時間です。お預かりしますよ」

「……今日は篠崎さんじゃないんだ?」

「あの人はあの人で、仕事が増えましたから。誰かさんが勝手にいなくなってしまったせいで」

「そっか」

 

 申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、トウカイテイオーはイヤホンの巻きついた携帯だけを、マンハッタンカフェへと手渡した。そうして、しばらく手の内にあるそれを見つめていた彼女が、半ば呆れたような視線をまた、トウカイテイオーへと向ける。

 

「ライターは」

「いいよ。このままポケット入れて走るから」

「中でオイルが漏れてしまったら?」

「その時は、その時だよ」

「……いよいよ本当に、不真面目になってしまいましたね」

 

 取り付く島もない彼女の言動には、もう既に慣れ切ったころだった。

 やがてしばらくの沈黙が続いた後に、マンハッタンカフェは小さく息を吐いてから、

 

「どうか、お気をつけて」

「うん。ありがと」

 

 短く会話を交わし、退屈そうに来た道を戻っていく。

 そうして、その真っ暗な背中が見えなくなったところでふと、ナイスネイチャが口を開く。

 

「……呆れられてんじゃないの?」

「信じてくれてる、ってボクは思ってるよ」

 

 笑いながら答えたトウカイテイオーが、少しだけ黒ずんだキャップを開き、そのまま流れるように親指でホイールを下ろす。灯された小さな炎は、しかしすぐに手首の勢いだけで閉じられるキャップに隠されて消えた。そして宙へ投げたライターを反対の手で受け止めると、ポケットへそれを仕舞ってから、トウカイテイオーは改めてナイスネイチャへと声をかける。

 

「行こっか、ネイチャ」

「……はいはい」

 

 諦めたように首を横に振る彼女と共に、トウカイテイオーはレース場へと足を踏み入れた。

 

 

「戻りました」

「おう」

 

 声をかけるマンハッタンカフェの方を見ないまま、ゴールドシップが短く返す。視線の先には、ちょうどゲート入りを終えたウマ娘たちの姿があった。その中で一人、集中して先を見据えるトウカイテイオーの姿を見つけると、マンハッタンカフェは安心したように息を吐いて、ゴールドシップの隣へ並んだ。

 

「アイツ、どうだった?」

「いつも通りでしたよ。これを聴いて集中してました」

 

 手にしたままのトウカイテイオーの携帯を見て、ゴールドシップが笑う。

 

「いい加減、無線のイヤホン使えばいいのにな。こんなゴチャゴチャにすんなら」

「前に、そう注意したんですけどね。コードも絡まるし、痛むから変えた方がいいと」

「……テイオーは何て?」

「無くしそうだから怖いし、繋げておいたままでいたい、と」

 

 そうマンハッタンカフェが答えたのと同時に、ゲートの開く音がした。

 歓声が鳴り響く中、トウカイテイオーが地面を強く蹴って走り出す。着いた位置は先行集団のやや後方だった。決して悪い位置ではないはずだが、表情には若干の焦燥が滲んでいる。そうして目の前を抜けて、第一コーナーへと差し掛かる彼女の姿を眺めていたゴールドシップは、ふとつまらなさそうに口を尖らせた。

 

「んな顔しなくても勝てるっての」

「……きっと、レースそのものに焦っているわけではないのでしょうね」

「そっちの方が問題だと思うけどな、むしろ」

 

 答えたゴールドシップがうん、と体を伸ばす。

 

「このまま順当に行けば、次は皐月賞になるのか?」

「ええ。アナタと同じ」

「お前は? 出ようと思えば出られるだろ」

「私の目標は三冠ではありませんから。日本ダービーにだけは出走しようと思っていますが」

「ふーん」

 

 退屈そうに声を伸ばしながら、ゴールドシップがターフへと視線を戻す。

 展開はちょうど第一コーナーを抜けて、向こうの直線に入るところ。トウカイテイオーの位置はそこまで変わっておらず、よく言えば安定した、悪く言えば退屈なレース運びだった。くぁ、と欠伸を嚙み殺すと、ゴールドシップはだらけたように頬杖をつきながら、他にすることもないのでマンハッタンカフェとの話を続けた。

 

「ダービーってことは……青葉かプリンシパル、どっち出んだよ?」

「青葉賞であれば、二着でも出走権が獲得できるようなので、そこで」

「お前だったら余裕で勝てるだろ」

「卑屈になっているわけではありませんよ。ただ、盤石を期したいというだけで」

「そこまでして出たいのか?」

「ええ」

 

 首を縦に振る彼女へ、ゴールドシップが問いかけを重ねる。

 

「けどよ、なんでダービーなんだ? いや、確かに一番の大舞台なのはそうだし、出走するだけでも戦績になるけどよ。でも、それが目当てだったら皐月賞も菊花賞でもいいんじゃねーのか?」

「そうですね。確かにアナタの言う通り、出走するだけならその二つでもいいのかもしれません」

「だろ?」

「……ですが、私には速さも強さもありませんから」

 

 クラシック級を代表する三つのレースには、こんな言い伝えが存在する。 

 皐月賞は、最も速いウマ娘が。菊花賞は、最も強いウマ娘が。

 ならば、日本ダービーは――最も運のあるウマ娘が。

 それぞれのレースを制するのだと。

 

「自分に運があるとでも思ってんのか?」

「私にはそれしかないでしょう」

 

 励ましの言葉をかけることすらも、億劫だった。

 レースは中盤に入り、後方の集団がちょうど第二コーナーに差し掛かったところだった。トウカイテイオーの位置は先程と少し変わって、先行集団の中ほど。若干バ群に埋もれている位置取りではあるが、彼女自身もそれに気づいているらしく、じわじわと外側にコースを修正している。

 

「思っているよりも苦戦していますね」

「負けはしねーだろうけどな」

 

 何なら居眠りでもかましそうな具合の伸びた声色で、ゴールドシップが返す。

 

「あのバカ、焦りすぎなんだよ」

「仕方ないとは思いますが」

「けどよ、今後のレースもあの調子じゃ、いずれ問題になるだろ。それこそ、皐月賞なんかであんな風に走ってみろよ。取り返しのつかねーことになる。そうなる前に、何とかするべきだって思うぜ」

「……ですが、私たちが声をかけて解決できることではないでしょう。あれは、あの子が自分自身で解決しなければ意味がない。分かっているとは思いますが……私たちには、見守ることしか」

 

 並べられる言葉に、ゴールドシップは苛立ちながら息を吐いて、

 

「それで負けたらどーすんだよ?」

「あの子はそれまでだった、というだけのことですよ」

「ひでーな」

「その方があの子のためだと、私は思っています」

 

 向けられる厭らしい視線へ、マンハッタンカフェは淡々と答えるだけだった。

 レースは第三コーナーを抜けて、中盤というところ。いつの間にか先行集団の最前列に躍り出たトウカイテイオーは、最後方の逃げウマを悠々と追い越していく。足取りは軽くフォームも安定しており、形だけ見ればかなり落ちついた走りではあるが、その顔にはやはりどこか焦りの色が見え隠れしていた。

 

「……かなりゆっくり仕掛けてますね」

「悪いってわけじゃねーんだけどな。ただまあ、アイツらしくねーよ」

 

「だな。いったい、何にビビってんだ? もっとスパっと行っちまえばいいのに」

 

「ホントだよ。あんなカッコじゃ、見てるこっちが……」

 

 そうやって呆れたようにゴールドシップが肩をすくめたところで、ふと。

 

「よっす」

「………………」

「………………」

 

 ………………。

 

「誰だお前」

「何ですかアナタは」

 

 果たして、振り返った二人の視線の先に立っていたのは、一人の男性だった。

 背格好はいたって普通の、それこそ背後の観客に紛れてしまえばすぐに埋もれてしまうくらいのもの。だが、何よりも一番に目を惹くのは、首の後ろで纏められた長い金髪だった。顔立ちもかなり整っているもので、声さえ聴かなければ出会った人間の半分は女性と見紛うような、そんな中性的な印象を与える人物だった。

 服装はオーバーサイズのパーカーに、ジーンズ生地のパンツといった、至って素朴なもの。ただ、そんな垢抜けない衣装をもってしても有り余るほどの良質な顔であった。そんな彼は一度、きょとんと呆けたような表情を浮かべたかと思うと、ああ、と大袈裟に手を叩いてから、

 

「そっか、顔合わせんのはこれが初めてか。悪い、いつもアイツから話を聞いてたから、つい」

「アイツって?」

「おたくらのトレーナー」

 

 告げられたその返答に、マンハッタンカフェが目を見開いて、

 

「……あの人とは、どういった?」

「同僚。一番仲が良かった自信あるぜ。何せ、同じ内容の自慢話にあんだけ付き合わされたんだからな」

「というと、アナタはもしかして……」

「ちょっとトレーナー! 勝手に行くなし!」

 

 何かに気づいたようなマンハッタンカフェの言葉を遮ったのは、歓声に紛れて飛んできた彼に対する怒号で。

 

「……ジョーダン?」

「げ、ゴルシ!?」

 

 訝し気なゴールドシップの呟きに、観客をかき分けてこちらへ歩いてきたウマ娘――トーセンジョーダンは、どこかばつの悪そうに顔を逸らした。

 

「どーしてアンタがここに……」

「そりゃこっちの台詞だ」

「なんだ、お前ら知り合いだったのか?」

「向こうが勝手に突っかかってくるだけ」

 

 不機嫌そうに答えると、トーセンジョーダンはまた彼の方へと向き直って、

 

「てか、勝手にどっか行くなって! その放浪癖、何とかならないの?」

「別に無理して着いてこなくてもよかっただろ? レースはちゃんと向こうで見られるし」

「そういうことじゃないでしょ! ホント、何考えて……」

「つーかお前、あのエンジン娘は? こっち来るならちゃんと連れてきたよな?」

「当たり前……って、あれ?」

 

 そこで初めて、トーセンジョーダンは自らが手を引いて連れてきた誰かが居なくなっていたことに気が付いたらしい。思わず慌てた表情で周囲を見回すが、その特徴的な姿はすぐに見つかった。

 蛍光塗料で染めたかのような眩しい青色の髪と、もしかしたら自分が出るかもしれない、とよく分からない理由で着てきた勝負服。それぞれ違う色に染まっている瞳は、何故かマンハッタンカフェのことを見上げていて。

 

「……アナタのデビュー戦以来ですね、ツインターボさん」

「うん、久しぶりだなカフェ! 元気してたか?」

「それなりに。ツインターボさんの方は?」

「ターボはいつだって元気だぞ!」

 

 むふん、と胸を張るツインターボに、マンハッタンカフェはくすりと笑う。そこでふと、彼女は向けられる訝し気な視線に気づいたようで、首を小さく傾げながら、

 

「……どうかしましたか?」

「一番接点ないヤツらが喋ってたから、ビビってる」

「はあ」

 

 確かに、マンハッタンカフェのデビュー戦で彼女の姿を目にしたし、その豪快な逃げっぷりはまだ記憶に残っている。だが、その彼女が予想以上にマンハッタンカフェへ懐いていること、それ以上にマンハッタンカフェ自身が彼女と良好な関係を築いていることに、ゴールドシップは驚いていた。

 

「少なくともアナタよりは仲良しですよ。ねえ?」

「そうだぞ! カフェとはゴルシより仲いいもんね!」

「うぜー」

 

 口を尖らせるゴールドシップに、ツインターボはにしし、と悪戯めいた笑みを浮かべてから、

 

「それより、ネイチャは? 今どこだ?」

「うちのネイちゃんならあそこ。ほら、見えねーなら抱っこしてやろうか?」

「してして!」

 

 そう言って駆け寄ってきたツインターボを、彼が後ろから抱き上げる。見方によっては兄と妹のようなやり取りを眺めてから、ゴールドシップは彼らと同じようにターフへと視線を向けた。

 レースはちょうど第四コーナーを抜けて、最終局面に突入したところだった。先頭は未だに序盤からレースを引導していた逃げウマだったが、流石にスタミナも限界らしく、そのすぐ後ろのトウカイテイオーに徐々に抜かされる。

 そうして先頭に躍り出たトウカイテイオーは、強く大地を踏みしめた。

 

「おー、伸びる伸びる。無駄に足温めてたお蔭だな、ありゃ」

「……まるで私たちみたいなやり方ですね」

 

 呆れたように呟いたマンハッタンカフェが、ふと後続へと目を向ける。すると沈んでいく――あるいは、トウカイテイオーが早すぎてそう見えているだけか――集団の中でただ一人、彼女の背中を追いかけるナイスネイチャの姿が見えて。

 

「うおー! ネイチャ、いけー! まだ追いつけるぞ!」

「そうだ走れ走れ! 足千切れるぐらいの勢いで行けって、おい!」

「がんばれー!」

 

 隣からそんな彼らの声援が聞こえてくる。だが、それでもトウカイテイオーが勢いを殺すことはなく、湧き上がる歓声を背中に受けながら悠々とゴールを抜けていった。それから一秒と経たないうちにナイスネイチャもゴールを切る。見上げた電光掲示板には、三と二分の一の文字が表示されていた。

 

「ネイチャぁ~~!!」

「惜しかったね」

「ああ。ま、二着なら上々だ」

 

 そこでターボを下ろした彼がふと、ゴールドシップとマンハッタンカフェの方へと向き直って、

 

「皐月賞は、テイオーともう一人、どっちが出るんだ?」

 

 唐突にそんなことを聞いてきた。

 

「……アタシだよ」

「うげ、マジ?」

「んだよジョーダン、何か文句……って、まさか」

「そ、うちからはコイツ」

 

 呟きながら頭を撫でようとした彼の手を、トーセンジョーダンが払いのける。

 

「あっ、お前」

「勝手に撫でんなって。てか、マジでアタシだけなの?」

「間に合うか分かんねーからな。本音を言えば、全員出してやりたいんだが」

「じゃあ、ターボも頑張れば出られるの?」

「おう、勿論! 頑張ってエンジン吹かせよ!」

 

 軽く背中を叩かれたツインターボが、こくりと大きく首を縦に振る。

 

「これから、長い付き合いになると思う。特に、この一年はな」

「……宣戦布告のつもりですか?」

「いや? 普通に挨拶のつもりだし、別に敵視するつもりはねーけど……そうだな、そっちの方が恰好つくか」

 

 そうやって手を叩くと彼は今一度、二人の目をそれぞれ見つめてから、

 

「改めて、トレーナーの槻谷(つきたに)だ。んで、コイツらはチーム『―― 」

 

 

「セレスティア?」

 

 無事にレースが終わり、控え室へと戻る道の途中で。

 ナイスネイチャの口から放たれたその言葉に、トウカイテイオーが首を傾げた。

 

「そ。聞いたことない?」

「えーっと……どっかで聞いたことあるような? どこだっけ」

「まあ、訳あってそういうチームに所属してるワケですよ」

 

 うんうんと唸るトウカイテイオーに、ナイスネイチャが肩をすくめながら答える。

 

「てかテイオー、他のチームのことほとんど知らないんじゃないの?」

「マックイーンのところは知ってるよ。確か……『アリストクラット』、だったっけ?」

「それ以外は」

「……『セレスティア』。あと、『プライム』!」

「なるほど、会長さんの」

 

 呆れたように息を吐いたナイスネイチャへ、トウカイテイオーが頬を膨らませる。

 

「もー、いいじゃん他のチームのことなんて! ボクが勝てばいい話なんだし!」

「アンタねえ……それ言ってるのがアタシじゃなかったら多分、キレてるよ?」

「ネイチャだから言ってるんだよ。それこそ、こうやってレースの後も話せるんだし」

「ま、それはそうなんだけどさ」

 

 つくづく実りのない会話だと思う。トウカイテイオーの方はチームを覚える気もないし、ナイスネイチャにも他のチームのことを教える気など、さらさら無かった。ただ、こうした無為な会話ができるというのは、ある意味ではとても平和なことなのだろうと、ナイスネイチャは緩く納得した。そしてそれは、トウカイテイオーに降りかかった災難のことも考えれば、猶更のことだった。

 

「でも、よかったね。レース勝てて」

「まあね。このまま行けるところまでいけたらいいな」

「アタシも応援してる。ま、一応敵同士だからそこまで身入れはできないけど」

「言ってくれるだけでも嬉しいよ」

 

 そう言ってトウカイテイオーが微笑み、分かれ道に差し掛かったところで立ち止まる。

 

「じゃあ、ボクはこっちだから」

「はい、お疲れ。また学校でね」

「うん!」

 

 レース終わりだというのに、ぶんぶんと元気に手を振りながらトウカイテイオーが去っていく。

 その後ろ姿が見えなくなるのと、ナイスネイチャに声がかかったのは、ほとんど同時だった。

 

「おーっす、ネイちゃん」

「……トレーナー」

 

 振り返った先に立っていたのは、チームメイトの二人を連れた彼で。

 その姿を認めると、ナイスネイチャの顔には自然と申し訳ないような笑みが浮かんだ。

 

「ナイスだな、二着。ブロンズコレクターはもう止めたのか?」

「あはは……まあ、ホントならトロフィーとか欲しかったんですけど」

「だな。次は一着だ」

 

 ぽん、と優しく肩を軽く叩かれる。

 彼の言葉がどこまで本気かは分からないが、それだけで少し救われた気がした。

 

「それに、役割は果たしてくれた。テイオーの走りを間近で見て、どうだった?」

「……やっぱり早かったよ。でも、いつものテイオーみたいな走り方じゃなかった」

「だよなあ。……メンタルの問題だとは思うし、心配するところもなくはないが。あの調子じゃ、少なくとも皐月賞まではあの走りになる。また、帰る途中で詳しく話して作戦会議だな」

 

 真剣な顔つきで言葉を並べると、彼は後ろに控えていたトーセンジョーダンの方へ振り返って、

 

「で、どうだジョーダン? 勝てそうか?」

「えーっと……今のテイオーは、いつもよりスパートが遅いんでしょ? でも、結局加速しきったら……」

「だからー、深く考えんなって。苦手だろ?」

「うぐ」

「アイツより早く走れるか、そうじゃないか。ほら、答えてみろ」

「……走れるよ。でも、スパートになったら抜かされると思う」

「それでいい」

 

 まっすぐとこちらを見つめるトーセンジョーダンに、彼は満足げに笑って答えた。

 

「とにかく、この後はウイニングライブして、そしたら今日はネイちゃんのお疲れ会だ。どっか店でも取るか?」

「肉! ターボ、焼肉がいい!」

「お、じゃあいつもの店に連絡してみるか! 多分空いてるだろうしな!」

「わーい!」

 

 嬉しそうに声を上げながら飛んでくるツインターボを、槻谷がしっかりと受け止める。

 そんないつも通りになった光景を眺めながら、ナイスネイチャは小さく息を吐いた。

 

 

「……ところで、トレーナーさんや」

「ん? どうしたネイちゃん」

「なんでうちのチーム名、『セレスティア(天界)』なんて仰々しい名前なんですか?」

「あ、それアタシも気になる。何でそんな難しい名前にしたん?」

「あー、別に特別な意味があるわけじゃないんだが……そんなに気になるか?」

「いやまあ……さっきちょっとテイオーと話した時に、少しだけですけど」

「なるほどな。じゃ、特別に教えてやる」

「ほいほい」

「まずお前ら全員、何故かツインテールなんだよ。別にオレの好みでもないのに」

「いや、トレーナーの好みは知らんけど」

「だから、ほら」

 

 すると彼はツインターボの髪を手に取ると、それをふさふさと揺らしながら、

 

「こうすると、天使の翼みたいに見えるだろ?」

「……………………」

「……………………」

 

 改めて。

 ナイスネイチャとトーセンジョーダンは、どうしてこんな適当な男をトレーナーに選んだのだろうと、翼の生えた頭を抱えた。

 

 





【挿絵表示】


フォロワーにメチャ良な支援絵をいただきました~

【挿絵表示】

それと「せめて天皇賞秋までは逃げるな」と言われたので匿名も外しました。
他にもあらすじ等、色々整えたので今後もよろしくお願いします。
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