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「適当なところに座ってくれ」
言い渡されたトウカイテイオーは、向かい合って並ぶ六つのパイプ椅子のうち、いちばん扉に近いところへと腰を落ち着かせた。窓から差し込んでくる陽光は、気づけば赤く染まりはじめている。床に反射するそれが眩しくて、思わず目を擦ると、何とも言えない微睡が彼女を襲った。
くぁ、と小さな欠伸をしながら、眠気を覚ますようにトウカイテイオーが男へと呼びかける。
「チーム部屋、あったんだね」
「一応メンバーはいる。お前を含めても、たった三人だが」
「その娘たちは?」
「さあな。大方、どこかで時間でも潰してるんじゃないか?」
部屋の隅に積まれた段ボールを漁りながら、男は適当に答えた。
「本当は紹介してやりたかったんだが、二人とも自由人でな。一応、連絡はしたんだが……ああ、やっぱり未読のままか。ああいう年頃の女子って、ほとんど携帯見てるんじゃなかったのか?」
「な、なんだか大変そうだね……」
「……確かに、俺も人のことは言えないけどな。嫌なヤツのメッセージとか、平気で無視するし」
「もしかしてだけど、嫌われてない?」
「鬱陶しいとは思われてるかもな。けど、トレーナーなんてそんなもんだ」
後ろ手で頭を搔きながら、男は退屈そうに息を吐いた。
「というわけで、うちのチームの連絡は携帯でもそうだが、基本的にはそこのホワイトボードに書いてくれると助かる。俺も毎日、練習メニューを書くために目にするし、あいつらもそれだけは確認してるみたいだからな。俺かあいつらに伝えたいことがあったら、そこに書いておくといい」
「なんか、アレみたいだね。昔の駅の伝言板」
「言えてるな。まあ、急ぎの要件があったら電話しろ。俺はもちろん、さすがにあの二人も出るだろうし、わざわざ電話するってことはそれだけ急いでるって分かってくれるはずだ」
なんて会話を交わしているうちに、いくつかの資料を纏めた男がトウカイテイオーの対面へと座る。そのまま胸に差してあったペンを書類へ少し走らせると、書類をくるりと回してから彼女の方へ滑らせた。
両手で取ったそれは、いくらか質のいいコピー用紙だった。上の方にはトレーナー契約という文字が、真っ黒なインクで刻まれている。そのすぐ下にはいくつかの文章が続いていて、一番下には小さな記入欄があった。その片方は既に薄いインクで埋められていて、そこに刻まれた文字を、トウカイテイオーがぽつりと口にした。
「……きゅうじゅう、きゅう?」
「
短く答えて、男が立ち上がる。視線の先にはドリップ式のコーヒーメーカーがあった。苦いものが好きなのだろうか、なんて適当なことを考えながら、トウカイテイオーは改めて書類の一行目を目で追い始めた。
違和感に気づいたのは、それからすぐのことだった。コーヒーを挽いているにはあまりにも静かすぎる。思わずトウカイテイオーが視線を投げたそこには、窓の傍で立ち尽くす彼と、うんともすんともいわないコーヒーメーカーがあった。どこか哀愁の漂う背中に、何かトウカイテイオーが声をかけようとする前に、彼は振り返って、気まずそうに聞いてきた。
「……なあ、悪いがコレの使い方、分かるか?」
「触ったことないよ、そんなの。それにボク、コーヒー飲めないし」
「そうか」
短く答えると、彼は少しだけ携帯を操作して、それを懐に仕舞う。
荒々しい、けれどどこか大人しいという複雑な足音が聞こえてきたのは、それからしばらくしてのことだった。
「トレーナー……!」
「来たな」
果たして、扉を強く開けたのは、一人のウマ娘であった。
声の落ち着いた雰囲気からして、おそらく高等部のウマ娘であろう。何よりもまず目に入ったのは、顔がほぼ隠れてしまうのではないか、というほどの漆黒の髪で、そこから覗く黄色い双眸が、夜そのものを想起させた。
何か挨拶を交わそうとトウカイテイオーが思い立ったも束の間、そのウマ娘はずんずんと彼の方へ近づいていく。そうして、コーヒーメーカーの様子を確認すると、肩をぷるぷると震わせながら、静かに問いかけた。
「動かないと聞きましたが、もしかして壊したんですか……!?」
「いや。動かないんじゃなくて、動かせないんだ。だから呼んだ方が早いと思って」
「………………」
きょとん、と目を丸くすると、彼女は疲れたように頭を抱えて、深く息を吐いた。
「あの、そもそも担当の私物を勝手に使わないでください」
「そもそもお前の私物をココに置いてやってんのは俺だろ。じゃあ、何だ。俺がコーヒー飲みたくなったら、毎回お前を呼べってことか?」
「それでダメなんですか?」
「お前が呼んだらちゃんと来てくれるようなヤツだったら、それでよかったんだがな」
今度は彼の方が、頭を抱えて息を吐く。立ち姿と言い、どこか似ているなとトウカイテイオーは思った。
「……それにしても、どうしてまたこれを使おうと?」
「お前、ホントにメッセージ見てないのな。ほら、アイツ」
「アイツ……」
ゆっくりと振り返る彼女に、トウカイテイオーが初めて視線を合わせる。
妙に長い沈黙があった後、彼女は再びトウカイテイオーに背を向けてから、小さく問いかけた。
「……いったい、どんな弱みを握ったんですか?」
「何の話だ」
「こんな弱小チームにあの娘が来る理由なんて、それくらいしか思いつきませんから」
「なんだ、アイツのこと知ってるのか」
「結構、有名な人ですよ。逆に、ご存知なかったんですか?」
「俺はお前らの世話で手一杯なんだよ」
「はあ……。それで、どんな手を使ってチームに勧誘を?」
「……ま、その、何だ。弱みというか、話を聞いたには聞いたが」
「最低……」
ぼそりと呟くと、少女がコーヒーメーカーのスイッチを入れる。そうして横に置いてあったカップを二つ取ると、それを受取ろうとした男を無視して、トウカイテイオーの方へと近づいてきた。
ことり、と白いカップが机の上に置かれる。白い煙が立つそれからは、独特の苦い香りが漂ってきた。
「トウカイテイオーさん、ですよね」
「うん。……キミは?」
「マンハッタンカフェです……長いですから、カフェ、で構いません」
それよりも、と少女――マンハッタンカフェは、机の上にある一枚の紙を見つめながら、話を続けた。
「あの人に何を言われたんですか?」
「特に何も言われてないけど……強いて言うなら、絆されたから、かな?」
「…………」
じとり、とマンハッタンカフェが湿った視線を彼へ送る。
「他人に頼る前に、まず自分から動いたらどうだ、って言ったんだ。そしたら、後先考えずに俺について来るだの言い始めて……言っておくが、俺は最初から引き込むつもりはなかったからな。ただでさえお前ら二人で手を焼いてるのに」
「……信じます。アナタが真正面からスカウトしても、確実に無理でしょうから」
「バカにしてるだろ」
「アナタのことを理解してるんです」
冷たく言い放ち、彼女は手にしたカップを静かに傾ける。それを見たトウカイテイオーも、カップを両手で持って呷ったが、口には小さじほどしか含めなかった。下の奥にひりつくように残る香りに思わず口を押えていると、隣のマンハッタンカフェがじっとこちらのことを見つめていることに気が付いた。
「……今度から、砂糖とミルクも用意しましょうか。多めに」
「また部屋を狭くするつもりか?」
眉間の当たりを押さえながら、彼は疲れたようにぼやいた。
「えっと……カフェセンパイ? はどうしてこのチームに?」
「センパイ……ですか」
じろり、と金の瞳をこちらに向けながら、マンハッタンカフェはひとつ息を吐いてから答えた。
「何というか、隠れ蓑に丁度よかったので」
「隠れ蓑?」
それ以上の答えを避けるように、マンハッタンカフェはカップに口をつける。それ以上、彼女からの言葉はなかった。やがて書類を読み終えたトウカイテイオーは、傍らに置かれたペンを手に取って、自分の名前を記す。ことり、とペンを置く音に気づいた彼は、窓の外を眺めるのをやめてこちらへ振り返った。
「終わったか?」
「うん」
「受け取っておく」
ざっと目を流すと、彼はひとつ頷いてから、その書類を纏められた資料のいちばん上へ置いた。
「じゃあ、明日からよろしく頼む。カフェも先輩として色々と教えてやってくれよ」
「私が教えるようなことは何もないと思いますが」
「案外、そうでもないと思うけどな」
「はあ……」
「頑張れ」
曖昧に頷くマンハッタンカフェの肩を、彼がぽん、と軽く叩く。
「よろしく。……えと、その、カフェセンパイ?」
「……その呼び方はやめてください」
「でも、センパイだよね?」
「…………そうですね」
気恥ずかしそうに眼を逸らしながら、マンハッタンカフェは空になったカップと既に冷めきったカップの二つを持って、逃げるようにコーヒーメーカーの方へ向かっていった。同じようにその背中を見ていた彼が、ふと思い出したように声を上げる。
「それで、アイツは?」
「アナタが知らなければ、誰も知らないと思いますが」
交わされる二人の言葉に、トウカイテイオーもそういえば、と言葉を漏らす。
「もう一人、いるんだよね?」
「手のつけようのないヤツがな」
「それって誰なの? 名前だけでも教えてよ」
問いかけに彼が口を開いたのと、チームルームのドアが強く開かれたのは、ほとんど同時で。
「いよーっす! ヒマだから遊びにきてやったぜ!」
果たして、扉の向こうに立っていたのは葦毛のウマ娘であった。
見上げるほどに高い背丈に、それに見合った堂々とした表情。いつも身に着けている頭の飾りは得意先の特注品だと、トウカイテイオーは彼女の口から聞いたことがあった。どうせいつものデタラメだと信じてはいないが。
そうして彼女は強張った表情のトウカイテイオーを見つけると、ずかずかと近づいてくる。その顔には、まるで新しいイジメ先を見つけたかのような、にたにたとした笑みが浮かんでいた。
「なーんだ、テイオーじゃん! こんなところに何しに来たんだよ?」
「……まさか、そのもう一人って」
「ああ」
眉間のあたりを指先で抑えると、彼は今日何度目か分からない深い息を吐いて、
「ゴールドシップ、そいつは今日からウチのメンバーだ」
「えぇ、マジかよ!? テイオー、何言われたんだ!? モノか!? 金か!?」
「そんなんじゃないって!」
ずいずいと迫ってくる彼女――ゴールドシップを手で退けながら、トウカイテイオーが強く答えた。
「知り合い、なんですか?」
「いつからだっけ? 確か、最初の模擬レースで一緒に走って以来だったよね。そこからよく併走とかするようになって……最近はあんまりしてないけど。って、そっか! もしかして、チームに入ったから?」
「おっ、アタシが説明すること全部言ってくれたじゃねーか。えらいぞ~」
「ちょっと、それやめてってば! いつも子ども扱いしてくるけど、結局ゴルシっていくつなのさ!」
「……顔合わせは必要なさそうだな」
ふと呟いた彼の言葉には、安心と呆れが半々に混ざっていた。そしてそれは、トウカイテイオーにとっても同じことであった。見知らぬウマ娘よりは、少々鬱陶しいがゴールドシップが居てくれた方が、いくらか気は晴れた。それ以上に、彼女との付き合いに精神を割かなければいけないが、それが嫌というわけでもなかった。
なんて考えているトウカイテイオーの頭をぐしゃぐしゃと撫でていたゴールドシップが、ふと思い立ったように口を開く。
「そういえば、アレって決まったのか?」
「……ああ。話だけして終わってたな、確か。お前らとの連絡がつかないせいで!」
「ふぅ……」
怒鳴る彼から逃れるように、マンハッタンカフェは冷めたコーヒーが淹れられたカップを傾けた。
「アレって?」
「名前だよ。アタシたちのチームの」
「え、決まってなかったの?」
「まあ、まだ三人ともデビュー前ですから……差し迫って必要ではなかったというか」
「ついでだ、今決めるぞ。メンバーも全員揃ってるし、何より六月のデビュー戦には全員出てもらうからな」
手を鳴らすと、彼はホワイトボードをテーブルの傍へと滑らせて、水性マジックの蓋を開けた。端の方でインクが切れていないかを確認すると、大きく筆を走らせる。名前候補、と少し汚い字で書かれたその傍でペン先を叩くと、今一度彼は、トウカイテイオーの方へと振り返った。
「どっちか考えてきたか?」
「アタシはあるぜ。とびっきりのが」
「……一応言ってみろ」
「『ゴルシちゃんと愉快な仲間たち』」
「イヤです」
誰よりも先に、マンハッタンカフェがぴしゃりと言い切った。
「むしろ、よくそれで通ると思ったよね」
「じゃあなんだ? 反対するってことはなんか考えてきたのかよ、カフェ?」
「そうですね……『セブンスター』とかなら収まりがいいと思いますけど」
「不健全すぎるだろ。却下だ、却下」
「……せぶんすたー?」
「アイツが吸ってる煙草の銘柄だよ」
なるほど、という理解と同時、つい先ほどまで感じていた香りをトウカイテイオーが思い出す。
あの廃れた香りは、セブンスターというものらしい。
「てか、みんなどんな名前つけてんだよ? アタシ、このチーム以外のこと何も知らないんだけどよ」
「思っているよりもみんな短いですよ。現状、最強と言われている『プライム』とか、そこに唯一対抗できる『アリストクラット』……最近は、『セレスティア』というチームの話題もよく耳にしますね」
「あ、『プライム』は知ってるよ! カイチョーがいるチームだよね!」
「どいつもこいつも洒落てんな。どっからそういう単語って引っ張ってくるんだ?」
両手を後ろに回しながら、ゴールドシップは感心したように呟いた。
それからいくつか言葉を交わしたが、どうにも話が前に進まない。気づけばマンハッタンカフェは新しいコーヒーを淹れ始めているし、ゴールドシップに至ってはどこからか取り出したルービックキューブを弄りだした始末である。
流れ始めた退屈な時間に頬杖をついていたトウカイテイオーは、ふと彼が先程から自分のことを見つめていることに気が付いた。改めて思うに、切れた目をしている。ぎらぎらとしたものではないが、その瞳には鈍い光が宿っており、対して手入れもしていないであろう堅い黒髪から、トウカイテイオーは彼にどこか退廃的な印象を抱いていた。
なんてことをぼんやりと考えていると、ふと彼が思い出したように口を開いて、
「……モナーク」
「え?」
続いたのは、完成したルービックキューブを机に置いたゴールドシップだった。
「トウカイテイオーだからか?」
「それもあるし、収まりもいい。何より、箔がつきそうだろ?」
「ふーん。お前はどう思うよ、テイオー」
なんて乱暴に振られたテイオーが、目を泳がせる。
「えっと……モナーク、ってどういう意味?」
「帝王」
短く答えた彼は、マンハッタンカフェから受け取ったカップをくい、と一気に傾けた。
「異論もないようだし、これで決めようと思うが……どうだ?」
「アタシらのことが殆ど無視されて、テイオーのチームみたいになってること以外はオッケーだぞ」
「前々から居た私たちよりも、新しい女の方がいいんですね」
「面倒な……じゃあ、これでどうだ?」
そうしてホワイトボードへ向かうと、乱暴にマジックを走らせる。刻まれたその文字列を見ると、小さく頷いてから、再びトウカイテイオーたちの方へと振り向いてから、口を開いた。
「『モナークス』……帝王は一人に非ず、ってか。まあ、いいんじゃねえか?」
「私も構いません。それで、チームとしての目標はどうされるつもりで?」
「特に決めてはない。ま、標語として『一人は皆のために、皆は一人のために』、ってところでどうだ?」
「……ああ、アタシらが三人のチームだからか」
「安直か?」
「それくらい適当なくらいが丁度いいんじゃねーの?」
「……えっと、どういうこと?」
「ダルタニアン物語。三銃士、って言った方が分かりやすいか」
交わされる会話に首を傾げていたテイオーがカフェへと視線を投げるが、彼女も諦めたように首を横に振っていた。つまるところ、これがこのチームのいつもの雰囲気らしい。意外だったのは、普段よりもいくらか落ち着いて話をするゴールドシップもそうだが、何よりもそんな彼女に置いて行かれずに会話を続けられる彼だった。その崩れるような微笑みを、トウカイテイオーは頬杖をつきながら、ただじっと見つめていた。
やがて開いたままのマジックの蓋を閉じて、彼が咳払いをしてから、続けた。
「とにかく、今後はチーム『モナークス』として活動していく。六月のメイクデビューにもそれで登録しておくから、明日からはそれに向けてのトレーニングだ。各自、午前の授業が終わったらホワイトボードを確認しておけよ」
「あいよ」
「分かりました」
「テイオーもそれでいいな?」
彼の言葉と共に、ゴールドシップ、マンハッタンカフェの二人がこちらへ視線を送る。そこにあったのは不安や憧憬ではなく、共に同じ道を歩く者に対する敬意があったような気がした。そしてそれは、トウカイテイオーにとって初めて感じたものであった。胸の奥で曖昧に燻ぶっていた彼の言葉が、初めて理解できたような気がした。
心の内でひっそりと感じていた昂ぶりを噛み締めるように、トウカイテイオーはこくり、と頷いて、
「うん! これからよろしくね、チーム『モナークス』のみんな!」
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