Absolute One   作:宇宮 祐樹

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04 One Night Stand / ふたりだけのヨル

 

 チームに所属してから一ヶ月が経った、ある日。

 

「はぁ」

「……どうしたんですの、テイオー。あなたらしくない」

 

 食堂で一人、もそもそとカレーを掬いながら肩を落とす彼女の対面に、一人のウマ娘が腰を下ろす。

 

「ああ、マックイーン?」

「いったい何がありましたの? よほど傷心していらっしゃるようですけど」

「色々あってさあ……」

 

 短く答えてから、トウカイテイオーがスプーンでカレーを口へ運ぶ。カレーの味がよく分からないのは、体に不調が出ているのか、それともそれ以上に考えることがあるのか、今の彼女には判別できなかった。

 よぼよぼと咀嚼してから、次の一口をよそう彼女の顔を、メジロマックイーンが覗き込む。

 

「私でよければ、お聞きしますわよ?」

「いいよ。自分で何とかしなきゃいけないことだと思うし」

「……では、そんなやつれた顔の方と一緒に食事はしたくない、と言えば話してくださいますか?」

 

 そこで初めて、トウカイテイオーはメジロマックイーンと目を合わせた。淡い藤の瞳には明らかに不安そうな色が灯っている。こんな風に他人ごとに首を突っ込みたがる性質(たち)だということは、彼女とつるんでから一番初めに気づいたことだった。そして、それを無視し続けると意地でも聞きたがってくる、ということも。

 まあ、確かに自分から食事を誘っておいてこんな顔を合わせるのも失礼な話である。そうして自責が二割、彼女の性質に付き合うのが八割くらいの比率で、トウカイテイオーは観念して話を始めた。

 

「前に話したじゃん。チームに所属した、って」

「ああ……確か、『モナークス』でしたっけ。ゴールドシップさんと、マンハッタンカフェさんと一緒の」

「そうそう。だけど……何ていうのかな。チームの雰囲気が分かんなくって」

「というと?」

「んー……」

 

 スポークを咥えながら、トウカイテイオーが頭の中で言葉を探す。

 

「仲が悪いわけじゃないと思う。カフェセンパイとは世間話とか、趣味の話とかするようになった。コーヒーはまだニガテなんだけどね。ゴールドシップとも、前より話すようになったよ。ま、言ってることはほとんど分かんないけど」

「いいことではありませんの。会話が全くないよりはマシですわ」

「でもさー、練習の足並みが合わないんだよね。みんな、今日のやることが終わったらすぐに帰っちゃう。別にサボってるわけじゃないんだよ。不真面目だとも思ってない。だけど……いつも、残ってるのはボクだけなんだ」

 

 寂しい、というのも少し違うと思う。もしもそうなら、もう少し感傷的になっているはずだから。強いて言うなら、このままでいいのか、という不安なのだろう。そんなもやもやとした心情を抱えていると、ふとメジロマックイーンがきょとん、とした瞳でこちらを見つめていることに気がついた。

 

「……マックイーン? どうしたのさ」

「いえ、その……テイオー? よろしければ、普段の練習がどんなものか教えてくださいません?」

「え? 別に普通だよ? だいたい四時半とかに集合して、そっから基礎練とか前日に教わったことやってたら、五時くらいにトレーナーが来るでしょ? そこからタイムの測定と、それぞれの指導……ボクの場合だったらフォームの確認してもらって、全員のを見終わったらトレーナーが帰るでしょ? そしたら各自か全員でトレーニングして、適当に時間が経ったらそのまま各自で解散……って感じ?」

「……ええと」

 

 頭を抱えながら、メジロマックイーンが黙り込む。次に言葉が飛んできたのは、三口ほどカレーを口に運んでからのことだった。

 

「それはチーム練習というより、サークル活動ではなくて?」

「……もしかして、かなり変だったりする?」

「私のところとは大違いです」

 

 肩をすくめる彼女に、そういえば、とトウカイテイオーが思い出す。

 

「マックイーンって、どこのチームに入ったんだっけ?」

「チーム『アリストクラット』です。あなたの顔見知りだと……そうですわね、スカーレットさんとか」

「えーっと……どこかで聞いたことあるような?」

「あなたもチームに所属したなら、他のチームのことをもっと勉強するべきではなくて?」

「じゃあ、マックイーンたちがいつもどんなトレーニングしてるか教えてよ。勉強するからさ」

「私はその代わり身の早さの秘訣を教えてほしいくらいですわ」

 

 ひとしきり呆れてから、メジロマックイーンは話し始めた。

 

「午後三時には集合と点呼、そこからウォームアップと基礎練を終えて、だいたい三時半からはランメニューですわね。それが終わって四時頃になったら、それぞれ個人だったりペアで分かれて併走や筋力トレーニングをして……五時になったら模擬レースを何本かして、いつも六時に全員で解散してますわ」

「……その間、トレーナーはつきっきり?」

「はい。三時から六時までずっと、私たちの面倒を見てくれていますわ」

 

 その時点で、何が違うのかは明らかだった。思えばこの一ヶ月で彼と会話をした時間は、かき集めても三時間――それこそ、メジロマックイーンが一日で彼女のトレーナーと話す時間に満たないくらいだった。正確に計ればそんなことはないはずだが、そう思えるほどに彼と言葉を交わしたのは少なかった。

 

「放任主義なのかなあ」

「まあ、やり方は人それぞれですから。会話が少ないとはいえ、しっかり見てくださっているんでしょう?」

「うん……」

 

 この一ヶ月で、トウカイテイオーの走行フォームはかなり洗練された。以前より疲れにくく、なおかつ速く走れるようになったのは、毎日記録されているタイムからも明らかだった。正直なところ、もっと時間がかかると思っていた。フォームの矯正というタスクもそうだし、何よりあれだけの教えですぐに変わるとは想像もできなかった。

 

「いいヒトだと思う。ボクのこと、ちゃんと大事にしてくれてるし。でも……」

「……でも?」

「やっぱり、もっといろいろ話とかしたいよ。せっかく、ボクを選んでくれたトレーナーなんだからさ」

 

 くすり、とメジロマックイーンが笑うのを見て、トウカイテイオーは不思議そうに首を傾げる。

 

「どうしたのさ、マックイーン」

「いえ、ごめんなさい。テイオーも、そういう表情ができるんだな、と思って……」

「……え? ボク、いま変なカオしてた?」

「こちらの話ですわ」

 

 口元を上品に抑えながら笑う彼女を、トウカイテイオーは不思議そうに眺めているだけだった。

 

「まあ、何らかのきっかけが欲しいところですわね」

「きっかけ、かあ……」

「トレーナーさんの好きなものとかは知りませんの? そうしたものから会話を広げていくのが一番だと思いますが」

「好きなもの、かあ」

 

 そうしてトウカイテイオーは、ちらり、と横目で窓の外に広がる青空を見上げながら、

 

「きっと、今のボクにその話はできないよ」

 

 

 眠れない。

 

「……どうしよう」

 

 ごろん、と寝返りを打った先にある目覚まし時計は、深夜の零時半を指していた。

 昼間の授業はちゃんと起きていた。トレーニング中はもってのほか。寮に帰ってから、確かにベッドの上で少しゴロゴロはしたが、瞼を閉じた覚えはない。つまるところ、たまにある眠れない日らしい。充電ケーブルに繋がった携帯を手に取って液晶を点けると、白い画面が目の奥をじんじんと滾らせた。

 

「んー……」

 

 乾いた目を擦る。そろそろ、痛くなってきたころだった。

 明日もしっかり一時間目から授業である。だからしっかりと睡眠をとらなくてはならないのだが、いかんせんトウカイテイオーの目は冴え切っていた。これが朝の四時とか五時とかであれば、ゲームや動画を見たりして時間を潰せたが、日を回ってそれほど時間が経っていない今では何もできなかった。

 

「……お水でも飲もうかな」

 

 そう思い立ったトウカイテイオーは、同室のマヤノトップガンが起きないよう、静かに部屋を後にした。暗くなった廊下に、人の気配は微塵もない。流石にこの時間となると、寮長であるフジキセキも眠っているようだった。今の彼女にとっては、その方が好都合であるが。

 やがて難なくキッチンへとたどり着いたトウカイテイオーが、コップへ水道水を注ぐ。気持ち多めに淹れたそれをぐい、と呷ると、深夜のキッチンに自分の喉の音だけが響いているのが分かった。

 空になったコップから口を離し、ふぅ、と息を吐く。

 

「なんか、逆に起きちゃった気がする……!」

 

 わなわなと震えながら、トウカイテイオーは両手で頭を抱えた。

 こうなってしまうと、もう何をしても逆に目が冴えてくる気がする。であれば、大人しく布団の中で目を瞑っているのが正解なのだろうが、ここまで来ると逆にそれも辛い。このまま部屋に戻るのか、あるいは他の何かを試すのか、とうんうん唸っていた彼女は、やがて諦めたように深く息を吐いた。

 

「……散歩でもしよっと」

 

 眠れないのなら仕方ない。観念して適当に時間を潰すだけである。

 そう考えた彼女が向かったのは、キッチンのすぐ隣にある寮の裏口だった。

 ここ栗東寮の正面玄関は当然、夜間は防犯のために二重でロックがかかっている。それを開ければ、誰かに見られたらバレてしまうし、もしかすると不審者の侵入を許してしまうかもしれない。しかしながら裏口のカギはついこの前に故障してしまい、今だけダイヤル式の南京錠がその代わりとなっていた。

 その番号は本来であれば、フジキセキしか知らないはずだが、

 

「確か、四月十五日だったはず」

 

 ぱちり、と軽い音がトウカイテイオーの手の中で響いた。

 

「フジ先輩、携帯の暗証番号も誕生日だったし。もう少し気を付けた方がいいんじゃないかな」

 

 だらしなく開いた南京錠をくるくると指先で回しながら、トウカイテイオーは静かに裏口の扉を開けた。

 五月に入り、季節も初夏になったとはいえ、夜はまだ少しだけ肌寒かった。何か羽織ってくるべきだったかな、なんてことを考えながら、トウカイテイオーが裏口の扉に南京錠をかける。そうして一度、扉が開かないことを確認してから、彼女はあてもなくふらふらと歩き始めた。

 闇夜のトレセン学園は予想以上に暗く、空に瞬く星が見えるほどであった。普段であればウマ娘たちの姿が見られるコース場にも、今は誰一人として見当たらない。まるで、異世界に迷い込んだようであった。取り残されたような孤独は、しかし今のトウカイテイオーにとってはどこか心地のよいものであった。

 やがて脚を止めた彼女が、呆れたように息を吐く。

 

「結局、ここしかないか」

 

 立ち入り禁止の看板を通り過ぎて、トウカイテイオーは喫煙所の椅子へ腰を下ろした。

 校外に出ようとも考えたが、何か問題を起こしたら退学になりかねない。とはいえ、校内のベンチで呑気に座っていたら、万が一残業をしていた職員や用務員などに見つかりかねない。となると、目的地は最初から決まっていたようなものであった。取り出した携帯の液晶には、00:40の文字が映し出されている。まあ、そうだろうな、なんて諦めながら、トウカイテイオーはぼんやりと夜空を眺めていた。

 

「……なにしてるんだろ、ボク」

 

 こんな禁則事項を平気で破るような性格ではなかった気がする。真面目にやってきた、とは自信を持って言えないかもしれないが、自分なりに真摯にやってきたはずだ。努力すれば、誰かが見てくれるはず。勝ち続ければ、皆が称えてくれるはず。そう素直に思えなくなかったのは、いつからだろう。

 椅子の上で膝を抱えながら、トウカイテイオーがそこに顔を埋める。

 誰かの足音が聞こえてきたのは、それからすぐのことだった。

 

「え」

 

 がばり、と顔を上げたトウカイテイオーが、そんな声を上げる。足音はそのまま迷いなくここへ近づいてきた。隠れる時間はない。逃げようにもすぐにバレてしまう。誤魔化そうにも策はない。ぐるぐると思考を巡らせるが、しかしどうしてか焦りはなかった。きっと、心のどこかでその足音の主を理解していたのだろう。

 やがて姿を現したその人物に、トウカイテイオーが力のない笑みを浮かべる。

 

「……テイオー?」

 

 果たして、困惑しながらなんとか言葉を紡いだのは、彼のトレーナーであった。

 

「お前、テイオーだよな?」

「……何、それ。担当の顔くらい、ちゃんと覚えといてよ」

「いや、だってお前、いつも髪纏めてるだろ」

「あ……」

 

 そこで初めて、トウカイテイオーは自分の髪を下ろしていることに気が付いた。

 

「それよりもお前、何してるんだ。完全に校則違反だろ」

「眠れなくてさ、つい」

「つい、じゃないだろ……」

 

 言いながら、彼は呆れたように右手で顔を覆う。反対の手には、煙草と銀のライターが握られていた。

 

「トレーナーは? こんな時間まで残業?」

「野暮用があってな、ちょうど終わって今から帰ろうとしてたところだよ」

「じゃあ、一服したら行っちゃうの?」

 

 口にしてから、トウカイテイオーは少し後悔した。

 確かに昼、メジロマックイーンと話したこともあり、彼ともう少し何か話したい気分ではあった。しかしながら、日を跨いでも仕事を続けていた彼に対してそんなことを言うのは、あまりにも気が引ける。そして何より、彼から向けられた退屈そうな視線もあって、トウカイテイオーはわたわたと焦りながら言葉を繋げた。

 

「あ、いや、えっと……ごめんね、眠いよね。ボクもそろそろ戻ろうと思ってたところだから、いいよ」

「…………」

「それと、このことは二人だけのヒミツってことで。それじゃあね、トレーナー。また明日――」

「おい」

 

 言葉を遮るような彼の呼びかけに、トウカイテイオーがびくりと肩を震わせる。

 

「……な、何?」

「眠れないんだろ。なら、ちょっと付き合え」

「付き合う、って……どこに?」

「いいから黙ってついてこい。でないと理事長に報告するからな」

 

 煙草とライターを懐に仕舞い、トレーナーが歩き出す。ぽかんと口を開けていたトウカイテイオーは、彼の影が闇に消えてしまいそうなところで、急いで脚を踏み出した。

 

 

「助手席でいい」

 

 彼に言われるがまま、トウカイテイオーは扉を開いて車の助手席へと乗り込んだ。思っていたよりも小奇麗に整っているそこは、しかし煙草の枯れた香りが強く残っている。自分で気にならないのかな、なんてことを思いつつ、トウカイテイオーが扉を締める。しばらくすると、彼も運転席に乗り込んだ。

 

「悪いな、ヤニ臭くて」

「慣れたよ」

 

 そんな言葉を交わしたところで、彼がふと思い出したように後部座席へと手を伸ばす。

 

「これならいいだだろ。着とけ」

「……コート?」

「あと、これも。できるだけ深めに被っとけよ。バレたら俺も面倒だからな」

 

 そうやって渡されたのは、やつれた茶色のコートとくたびれたキャスケットだった。明らかにサイズの違うそれへ袖を通すと、煙草の香りがより強く鼻に漂ってくる。抱きしめられてるみたいだな、なんてひょんな考えを押しつぶすように、トウカイテイオーは耳を強く圧しつけながらキャスケットを頭の上に乗せた。

 シートベルトをつけると、彼がアクセルを踏みつける。鈍いエンジン音を立てて、二人を乗せた車は走り出した。

 

「……ねえ、トレーナー」

「なんだ」

「いったい、どこ行くつもりなの?」

「夕飯、まだなんだよ。だから近くのファミレスで済ませる」

 

 驚きと同時に、心配があった。不安そうな瞳で、トウカイテイオーが彼の横顔を見つめる。

 

「安心しろ、奢ってやるから。好きなモン食べな」

「え、いや、そうじゃなくて……えっと、いいの?」

「食ったら眠くなるだろ、多分」

「でも……トレーニングとかに支障、出るんじゃないの?」

「習慣にならなきゃいい」

 

 暗にもう二度とこんな真似はするな、と言われているような気がして、トウカイテイオーはそれ以上の言葉を続けられなかった。学園を出てから走り続けていた車が、そこで初めて信号の前で止まる。赤い光に照らされる彼の横顔を、トウカイテイオーはじっと見つめていた。

 そこで彼も手持ち無沙汰になったのか、彼は携帯を胸から取り出した。そうして短く操作をすると、足元から微かに音楽が流れ始める。それはどこか懐かしさを感じさせるロックだった。英語で流れる歌詞の意味は分からないが、それはどこか勇気づけられるようなものであった。

 信号の灯りが青くなると共に、すぐ車が走り出す。

 

「ロック、好きなの?」

 

 中身のないトウカイテイオーの問いかけに、けれど彼は答えてくれた。

 

「まあ、な。子供の頃……それこそ、お前くらいの年からよく聴いてたよ」

「ふぅん……」

「……お前は? こういう曲、聴いたりするのか?」

「全然。こんなしっかり聴いたの、今日が初めてかも」

 

 口にしたところで、トウカイテイオーは自分にそういった趣味と呼べるものがほとんどないということに今、気が付いた。確かに流行りの漫画も読むし、スマホでのゲームもそこそこしたりはするが、それらは趣味と言うよりは暇潰しの意味が強い。レースも好きには好きだが、それを趣味と言うには少しだけ違う気がした。

 もやもやとした悩みはどんどん大きくなってゆき、やがて口から漏れ出していく。

 

「趣味ってさ、どうやって見つければいいの?」

 

 その問いかけに彼は小さな、小馬鹿にするような笑みを零してから、答えた。

 

「何をそんなに焦ってんだよ」

「トレーナーみたいに、好きな音楽とかあった方がいいのかな、って思っただけ。でも、ボクって今までレースのことしか考えたことなかったから……見つけるにはどうすればいいのかな、って」

「別に、それでいいだろ。無趣味は悪いことじゃない。隣の芝生が青く見えるのは分かるが」

「そうかな……」

「……ま、強いて言うならきっかけを見つけることだな。たとえば俺がこのバンドを初めて聞いたのは、子供のころ母親に連れてかれた古着屋だ。だから、そうしたきっかけっていうのは案外、どこにでも落ちてるモンだよ。そいつをゆっくり探していけばいい。お前にはまだ、余るほど時間があるんだから」

「……うん。そうする」

 

 そんなやり取りをしているうちにも、車は走り続ける。窓の外でぽつぽつと灯る看板を、トウカイテイオーはぼんやりと眺めていた。思えば、こんな夜に外に出かけることは産まれて初めてのことだった。どこか特別な気持ちになりながら、彼女は流れていく景色を目に焼き付けていた。

 やがてファミリーレストランの前で彼はウインカーを灯し、ハンドルを大きく右に切る。がらがらに空いた駐車場に車を乱暴に止めると、彼は勢いよく扉を開けた。

 

「行くぞ」

「あ、うん!」

 

 慌ててトウカイテイオーも扉を開けて、車の外に出る。そして鍵を締める彼の少し後ろで、今一度帽子を深く被り直しながら、トウカイテイオーは自動ドアをくぐった。

 店の中は、意外にもちらほらと客の姿が見えていた。それがこの時間だからなのか、あるいは今日だけのことなのか、初めてこんな深夜に入店したトウカイテイオーに判別できるはずもなかった。そうやって物珍しそうにあたりを見回す彼女を無視して、彼が店員と言葉を交わす。

 

「二名さまですね。喫煙席と禁煙席がありますが……」

「喫煙で」

「では、向こうの方のお好きな席へどうぞ」

 

 一瞬、アルバイトらしき店員から訝し気な視線を向けられたが、それ以上の言及はされなかった。

 そのまま案内された通り、店の奥へと進む彼にトウカイテイオーが続く。彼が喫煙席と禁煙席を隔てる扉を開けると、それが自然に閉じる前に彼女が足を踏み入れた。そうして一番近い席へ、机を挟んで二人が座る。初めて喫煙席に入ったトウカイテイオーががぼんやりと辺りを見回しているうちに、彼はメニュー表と灰皿を自分の前へ広げた。

 

「何が食べたい?」

「……トレーナーは何にするの?」

「パスタ」

 

 どうやら、ここに来る前に決めていたらしい。短く答えながら、彼は開いたメニューをトウカイテイオーの方へ向けて差し出した。

 

「どれでもいいぞ。ピザとかカレーとか、にんじんハンバーグでも」

「さすがにそこまでお腹は空いてないって!」

「ま、ゆっくり決めな」

 

 煙草に火を点けながら、彼はそう返して携帯を操作し始めた。

 正直なところ、結構な空腹ではあるが、さすがに彼が言ったようなメニューを頼むような気概はなかった。変に食べてしまえばトレーニングに支障が出るだろうし、何より太る。であればサイドメニューあたりで適度に空腹を満たすのがいいのだろうが、この系列の店に来たのが初めてということもあって、特に目を惹かれるようなものもない。

 結局、メニュー表の最後のページまで到達してしまったが、そこでトウカイテイオーがふと気づいた。デザートであればハズレはないし、そこそこ空腹も紛れるだろう。カロリーが気になるところではあるが、それはトレーニングで消費すればいい。そう考えたトウカイテイオーが、メニューと睨みあう。

 やがてしびれを切らしたのか、携帯を机に置いた彼から声が飛んできた。

 

「何をそんなに迷ってるんだ」

「えっとね、プリンとアイスケーキ。好きなのはプリンなんだけど、でも気になってるのはアイスケーキで……」

「だったらどっちも頼めばいいだろ」

「え」

 

 呆けた声を上げる彼女を無視して、彼が机の上のボタンへ手をかける。

 店員がテーブルに近づいてきたのは、それからすぐだった。

 

「ご注文は?」

「カルボナーラ一つと、このプリンとアイスケーキ」

「かしこまりました」

 

 口を挟む間もなく、店員がその場を後にする。そのままメニューを棚へ戻す彼へ、トウカイテイオーがいてもたってもいられなくて、声をかけた。

 

「いいの? 二つとも頼んじゃって」

「別にいいだろ。それとも、二つは食べれなかったか? じゃあ片方俺が食べてやるから、それで」

「……ううん。どっちも食べる」

「そうか」

 

 答えてから、彼は灰を落とした。

 

「思ってたよりも優しいんだね、トレーナーって」

「……ちょっと待て。お前らに悪くした覚えはないぞ?」

「でも、今までこんなに話したことなかったからさ。優しいのか怖いのかも、正直分かんなかったよ」

「それは……まあ、そうだな」

 

 どうやら、彼にも自覚はあるらしかった。申し訳なさそうに眉を下げながら、彼は天井に昇る白い煙をぼんやりと見つめていた。そうして語りを続けたのは、少し時間が経ってからだった。

 

「避けてるつもりはなかった。ただ、干渉しすぎるのも違うと思った。そういう意味では、お前らと関わることを意図的に避けてたのかもしれない。その方がお前らのためになると考えてた」

「それは、どうして?」

「……多分、お前が俺の知り合いの中で一番、この言葉を伝えたらダメなヤツだと思うんだが、それでもいいか?」

「うん」

 

 軽く頷くトウカイテイオーに、彼は緊張を紛らわすよう煙を吐いてから、口を開いた。

 

「レースのためだけに生きてほしくないんだよ」

「……どういうこと?」

「確かに、お前らは走るためにここに来たんだと思う。それを否定するわけじゃないし、何なら俺はトレーナーだ。できる限りその力になろうと思ってる。ただな、それとは別に、もっとレース以外のことを知ってほしいとも思ってる。本能だか運命だか知らないが、ただレースのためだけに生きるなんて……そんなの、哀しいだろ」

 

 吐き出すような彼の言葉に、トウカイテイオーは首を横にも縦にも振れなかった。自分たちのことを尊重してくれているのは分かる。ただ、それを通してしまうのはウマ娘に対してある意味での冒涜だとも思う。

 トウカイテイオー自身は、今までレースに捧げてきた自分の人生を哀しいと思ったことは、一度もない。ただ、この先もそうして生きていったとして、後悔しないという保証もできなかった。

 きっと、だから彼はこの話を自分にすることを躊躇ったのだろう。自分がこの先で後悔することになるかもしれない、と。ただ不安を膨れ上がらせるだけの、つまらない言葉になると。そう思ったのだろう。

 そうしてトウカイテイオーは、どこか怯えているように煙草を咥える彼へ、告げる。

 

「やっぱりトレーナーって優しいんだね」

「……どこがだよ。下手したらトレーナーとしてとんでもないこと言ってるんだぞ、俺」

「でも、それってボクたちのことを考えてくれてるからでしょ?」

「当然だろ」

 

 間を置かずに答えた彼に、トウカイテイオーはくしゃりと笑った。

 

「ならさ、もっとボクたち……ううん、ボクといっぱい話してよ」

「どうしてそうなる」

「だってボク、トレーナーが言ってるウマ娘そのものだもん。今までレースのためだけに生きてきたから、他のことは何にも知らないんだ。それこそカフェセンパイはいっぱいコーヒーのこと知ってるし、ゴールドシップはそれ以上のことを知ってるけど……ボクにはそういうの、ないからさ。トレーナーが教えてくれないと、分かんないよ」

 

 口にして初めて、二人がこのトレーナーを選んだ理由が分かった。メジロマックイーンが所属しているような、スケジュールでしっかりと管理されたチームでは、彼女たちはあんなに趣味に没頭することはできなかっただろう。だからこそマンハッタンカフェもゴールドシップは、自由なこのチームを選んだのだ。

 やがて灰皿に煙草を押しつけた彼が口を開いたのは、しばらくの時間が経ってのことだった。

 

「明日は会議もないから、早めに顔は出せると思う」

「ほんと?」

「……たまには、アイツらがサボってないか見とかないとな」

 

 トウカイテイオーの顔に笑顔が浮かぶのと、注文がテーブルに運ばれるのはほとんど同じだった。並ぶプリンとアイスケーキを前に、彼女がスプーンを迷わせる。そうしてふと気付いたように手を叩くと、トウカイテイオーは少し掬ったプリンをアイスケーキの上に乗せた。

 

「二つ頼んでよかっただろ」

「うん!」

 

 元気に頷きながら、トウカイテイオーがスプーンを口に運ぶ。

 枯れた煙草の香りと冷たさの中に、少しだけ甘さが感じられた。

 

 

 駐車場に車を停めた彼が、煙草に火を点けながら聞いて来る。

 

「最後に聞いておくが、本当に寮長にはバレてないんだろうな」

「うん、大丈夫。まだみんなぐっすり寝てる時間だし」

 

 車内の時計は、午前の二時十五分を示している。夜更かしをしている人ですら、さすがに明日のためにベッドで目を瞑っている頃合いだった。それこそ、トウカイテイオーのような物好きでない限りは。

 

「今日はありがとね、トレーナー」

「……やめろ。担当を夜中に連れ出してモノを食わせるなんて、礼を言われるようなことじゃない」

「でも、色んなことを話してくれたじゃん。ボクは嬉しかったよ」 

 

 身に纏っていたコートと帽子を手渡しながら、トウカイテイオーが微笑む。彼は視線を手元の煙草へ向けたまま、渡されたその二つを後部座席へと放り投げた。淡い灯にかすかに照らされている横顔は、何かを考えているようだった。

 そんな彼を少しだけ見つめてから、トウカイテイオーが扉を開ける。

 

「ちょっと待て」

 

 呼び止めた彼は、CDプレーヤーを操作すると、そこから出てきたディスクをケースに閉じた。

 

「ほら」

「えっと……いいの?」

「教えてほしい、って言ったのはお前だろ」

 

 咥えた煙草を小さく上下に揺らしながら、彼はトウカイテイオーのことをじっと見つめ続ける。やがて遠慮がちに彼女がケースを受け取ると、彼はすぐに煙草の灰を落として、出したままのCDプレイヤーを閉じた。

 

「今なら簡単に携帯に入れれるんだろ? それが終わったら返してくれればいい。飽きたら消していいし、また聞きたくなったら言ってくれればいい。お前の好きにしろ」

「……うん。ありがと」

「ああ、だけど割るのはやめろよ。それ、今だとあまり手に入らない貴重品だからな」

 

 そんなものを自分に預けていいのだろうか、と疑問に思うのは野暮な話なのだろう。

 小さなケースを胸に抱えながら、トウカイテイオーが頷いた。

 

「じゃあ、俺は帰る。お前もさっさと寝ろよ」

 

 そう言って扉を閉じる彼に、トウカイテイオーは小さく、

 

「また明日ね、トレーナー」

 

 返事はない。当然だろう。扉に彼女の声は阻まれて、向こうには届いていないはず。

 それでも。

 窓ガラスの向こうの彼は、こちらを見て小さく、手を振ってくれていた。

 

 

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