ウイニングファーム興亡記   作:おたま

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ウイニングポストDLCは秘書衣装以外すべて入っています。
エディットは活躍の割にステータスが少ない馬や、成長度が正しくないと思った馬だけやっております。
難易度はノーマルです。


1984年 第1章 二頭の七冠馬
1977~1981 プロローグ


父は競馬が好きだ。

物心ついた時には競馬を見ていた覚えがある。母さんが言うには、結婚する前からハマっていたらしい。

 

当時の俺は競馬に興味はなく、日曜にやることがない時はボケーっとしながら見ていたくらいだった。

父は基本的に週6出勤で、休みである日曜はリビングに居座り競馬番組を無言でみていた。

 

俺が中学生のころ、年末も近い日曜日の朝。父からぶっきらぼうに少し照れ臭く「競馬、見に行かないか。」と言われたのを今もよく覚えている。

当時は競馬に興味がなかったので、当日のレースがなにかも知らなかった。

多分父は俺が競馬を見ていた姿を見て少し競馬に興味があると思ったのかもしれない。

 

父とともに品川、東京駅から西船橋までの電車。運良く座れたのは運がよかった。

家族との小旅行の際に電車に乗る時よりも今日はなぜか人が多かった。

 

座ってからの沈黙は少し痛かった。何か話そうかと考えていた時に父がなぜ競馬にハマったかをぽつりぽつりと話し始めたのを回想していこう。

 

父がまだ若い22,3の頃父が勤めている会社の上司に誘われたらしい。

今も父が仲良くしている人で今は会社の会長を務めている人と以前に母に聞いた。

後に会長に聞いた所、当時はあんまり競馬の社会的地位が低く同好の士を探していたところまだ独身の父を誘った。父は上司に誘われこの電車で共に東京競馬場に赴いたそうだ。

車を使わず電車で行くのは会長から「電車に乗ってるときに何が来るのかを熟考する時間が一番楽しいから」と言われたからとのこと。

 

親父が初めて見たレースは、皐月賞のトライアルであったスプリングステークス。当時は5着以内の馬に優先出走権を付与していた。

その時の有力馬は弥生賞を勝っているトキノパレード、阪神三歳ステークス二位のアスカ、そして朝日杯3歳ステークスを制して1963年最優秀3歳牡馬に選出されたウメノチカラ等クラシック戦線の有力馬が揃っていたレースであったという。

 

会長の賭けた馬はウメノチカラ。一番人気ではなかったがこの中で最有力と言われていたからだ。

だが、親父はウメノチカラなど眼中になく、ただの少し小さいなんの変哲もない人気薄の馬に惹かれ目が離せなくなったという。

その馬の名前はシンザン。後の3冠にして神馬と讃えられる大名馬である。

このスプリングステークスを見た親父はこのシンザンと、主戦騎手の栗原優(くりはらまさる)騎手のファンになったという。

関東圏のレースにシンザンが出るのならOPだろうが八大競走だろうが会長とともに競馬場まで赴き、勝利を見届けてきた。

それとともにシンザンのライバルであるカネケヤキやウメノチカラも追いかけ、シンザンが引退する頃には毎週のように競馬場に赴く競馬オタクが出来上がった。

 

結婚してからは自制してたらしいが最近は良い馬が多いらしくまた熱が灯ったそう。

電車に揺られながら、過去にいた様々な名馬のことをずっと聞いていた。快速キーストン、老雄スピードシンボリ、怪物タケシバオー、三本足アサデンコウ、高速道路トウメイ、狂気カブラヤオー。

そして今日行われるレース、有馬記念もそんな名馬が2頭争うのだという。

 

そのレースは俺が本格的に競馬にハマったレースであり、そして後世まで語り継がれるとなった。

 

戯れにも見えた。死闘にも見えた。

そう77年の有馬記念。TTG対決のラストランである。

 

初めて競馬場でみたそのレースには度肝を抜かれた。

パドックの緊張感。本馬場入場のワクワク感。そしてファンファーレの音が鳴り、ゲートに入り出た時の馬という生物の雄大なこと。

天馬トウショウボーイと貴公子テンポイントの一騎打ち。そして外からやはり来た刺客グリーングラス。

流星が駆けていったレースで当時の俺は競馬に呑まれた。

 

その後は父とともに、週末にはテレビに釘付けになった。

悲しいこともあったが心のなかに熱い想いが競馬を見ていると灯った。

 

そんなことをしていたら俺も中学どころか高校の先の進路を決めなくなるときまでときは流れていた。

 

自らの競馬歴は最早3年。あっという間であった。

 

元々良い役職はついていたようだが、この3年で父も出世コースを駆け上がり、常務という役職になったのだという

このコネを活かし父の会社にも入れるし、大学にも行けるかという学力を持ってはいたが、愚かなことに当時の私は進路を一ミリも考えていなかった。

 

その理由は去年の秋。父と共に競馬場に行った際、馬主になれるのくらいの収入を得たと相談されたのだ。いや俺に相談されても。そうとう酔っぱらってたと思う。プリティキャストが大当たりしてたし。

 

親父は相馬眼がとてもあった。前述のプリティキャストもそうだし、初めてみたレースで人気薄であったシンザンを見出した、ほかにもトウメイ、カブトシロー、エリモジョージなど。新馬戦の時に「この馬は絶対八大競争を取る!」と息巻いていた馬は大体とっている。

 

多分成功するとは思うのだが、父は如何せん度胸がない。

穴馬党であり、大企業、若年40歳で常務まで登り詰めているのに。

なぜか本腰がつかないのだ。まあ、馬主はギャンブルにも程があるし。手を出せないのも無理はないが、だが、俺に相談してきたのが気になるのである。後押ししてほしいのか、それとも敢えてやめておくのか。

 

そんなことを考えていたのだが、父のウイスキーを飲ませてもらったときにタガが外れたのか父が引く程に薦めてしまった。怒涛の勢いで差してしまったのだ。

 

その翌日には俺はすっかりダウンしてしまった。どうやら俺は酒は飲めないらしい。

 

気持ち悪く正露丸でも飲もうかというとき、父が俺の部屋の扉を大きく開けた。父が入った早々「馬見に行くぞ。」と言われ車に放り投げられた。車なので競馬場にはいかないのだろう。

 

俺は当時思いもしなかった。俺が差し、酔いつぶれた時。この時点で馬主申請をしていたことを。

 

そして父は細々と一頭くらいにしておこうと思っていたのに俺が説得しまくってしまったせいで、本気で馬主を成功させようと重い腰を上げたのだ。いや、心に火が灯ったのだと思う。

 

そして、俺と父は千葉、群馬、そして北海道を3日に渡り一歳馬を三頭。0歳馬を1頭購入した。

 

1歳馬はシービークインの80、ニホンピロエバートの80、タニノベンチヤの80。

0歳馬はスイートルナの81である。

 

父と共に寝る間も惜しんで選出した4頭。皆ほかの馬に比べて圧倒的に雰囲気が傑出していた。

 

そしてその後、NRA(日本中央競馬協会)に打診をし、馬主に許可と賞金の3割を進呈することを条件に、我々が特有の勝負服並びに、冠名をつけることができるようになった。

なぜそれができたのかは今でもわからない。

 

父は途轍もない縦横家だったと今になって戦慄する。

 

 

この時は彼ら四頭初めての期待もあったので重賞を勝ってくれればいいなあとは思ってはいたが、正直あんなに活躍するとは思わなかった。

 

そしてこの出来事が俺の人生を変えることになっちゃったのである。

 

 




最初からこの4頭と手に入れられたのは、DLCミスターシービーと皇帝ルドルフ 購入権セット 全2頭と昭和の快速馬たち 購入権セット 全4頭のおかげです。
最初からこの6頭がいるのは本当にありがたいです。
ありがとうございました。
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