この話は慶應四年旧歴五月五日、
佐幕派に占拠された結城城がいよいよ新政府軍と衝突し戦が始まる頃、
一人の少女が戦場に向かっていった話である。
原作は昭和初期、まだ存命であった老婆が孫の小学生へ話したであろう作文を現代文に起こしたものである

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結城城下の不敵の少女

一 戦の幕開け

 

結城の城が戦争で焼かれてしまったのは慶應四年の夏であります。

丁度五月五日の御節句の朝

「女、子供は皆避難せよー・・・」と言う御布告が出ると

「さァ!いよいよ官軍が攻めてくるぞ!!」

「戦争だ!戦争だ!城下は今に焼き払われる!!」と口々にわめき叫んで

大変な騒ぎになりました。

織物で名高い結城、ここは水野日向守の城下でした。

水野城主は江戸の住居で、御隠居がいつも留守にしておられました。

この御隠居はどこまでも幕府を護り立てようという意見で、会津と示し合い

最後まで幕臣として官軍に刃向かおうとした人です。

 それに結城には会津藩の御宝庫があって、

全て薩長などのやり方に反対の会津藩の若武者達が大勢集まっていたのです。

 ですから東北を鎮定のために向かわれる官軍がこの結城を素通りするはずはありません。

雨か風か、気遣われたその日がとうとうやって来たのです。

「はやくしなさい!ケガしてはならん!」

「どこへ逃げたらいいのかしら」

「なんでも構わん!人の行く方へ急いでいきなさい!!」

我先にと皆々は避難しましたから、一時(いっとき)を過ぎた城下には女子供の影はなく

街道は人っ子一人通るものがありません。ひっそり、閑散として、実に嵐の前の静けさでした

 その空っぽのような街の薄気味悪い街道を実は一人・・・・それは、それは美しい少女が通ります。

逃げ遅れたのではないことは、まるで散歩でもするように落ち着き払った足の運びでわかります。

城下外(はず)れに出ると遥か向こうにもう官軍の一隊が見え始めました。

ドッドーン!! ドッドーン!

轟然たる大砲(おおづつ)の響きが草木を揺るがして物凄く鳴り出しました

大抵のものはすくんでしまいますが、奇怪にもこの少女は道端に佇んだまま

珍しそうで眺めておりました。

大胆といおうか、不敵といおうか、人が見たら正気の沙汰とは思わないでしょう。

 

二 一人の少女

 

一体この少女は何者でしょう。簡単にその素性を紹介いたしましょう。

結城の街から南に五里、下総の古賀藩がありました。

ここの藩士、関戸鉄五郎という方は男一人、女子十人の子持ちでした。

そして常に

「女は戦場に出ないが、武士を生み育てる大役があるから、身心を清めるには男と同様でなければならない」と言ってとくに厳しく躾(しつけ)ました。

十番目のいく女も、やっぱり六、七歳の頃からは冬でも午前三時には起こされ、足袋か跣(はだし)で霜柱をサクサク踏んだりして、体躯や精神を鍛える様に慣らされました。

少しでも手に息をかけたり「冷たい」なんて言おうものなら容赦なく折檻されたものです。

 生まれつき勝ち気で明朗な上に、こうした躾方(しつけかた)されましたから「男勝り」にならずにはいません。その負けじ魂と才知には皆、舌を巻かぬものはありませんでした。

いく女が十二歳の時でした。親戚の叔母が訪ねてきて母に

「これは、私が時折、溜めておいたので家の者に内密で土産にもってきました・・・」

と一梱(ひとこうり)の糸を差し出しました。すると母の傍(そば)にいたいく女が

「おばさん、それは頂戴できません」と母を差し置いてきっぱりと断りました。

あまりの出し矢張りに母親も顔色を変え

「これっ!なんです! おばさんと母さんのお話に、子供が口を出すことはなりません!」

とたしなめましたが、いく女は

「いえ!いけません!物をもらいながらその家へ礼をいうことが出来ないじゃありませんか、内証というのは盗みと同じです!それをもらえば母さんも同罪になります!」

こうして、頑として聞き入れず。叔母様も道理には克です。赤面(あかめつら)をしながらとうとうまた糸梱を持って戻ったということがございました。

こうして育ったいく女が十五歳になった時でした、筑波山詣りに誘われて結城の叔母の家に逗留しているうちに戦争騒ぎがもちあがったのです。

 人のまねが嫌いないく女は、わざと避難する連れと離れて

ただ一人今にも恐ろしい戦乱がまき起ころうという城下のはずれに出て見たのでした。

もう御察しでしょう前に言った不敵の少女とは、このいく女なのであります。

 

 

三 戦火の中で

 

 さて、結城城に集まっておりました会津方も敵が攻めてくるのを空しく待ち受けてはおりません。

城下外に迎へ討つ準備をしていたのです。

ドドン!ドドン!

官軍に向って、応戦の火ぶたを切りました。

そして両軍がここに激戦を孕んで対陣しておりました。時に水戸藩の一隊がこれは検分といった立場で東の方(下館方面)から繰込んでまいりました。

官軍の服装は一様に例のダンブクロ。会津方はまだこの時は義経袴に白鉢巻。

水戸藩はというとこれはまた甲冑で身を固め、隊長は猩猩緋(じょうじょうひ:鮮やかな赤みの強い赤紫色のこと)の陣羽織という三方めいめいの恰好ですから見事でした。

この光景(ありさま)を小気味良さそうに眺めてましたいく女も

戦争が始まってはジッとしていられません。

地理の分からない裏道をグルグル回って城下内に戻って参りました

すると偶然にもみむらや(旅篭屋)の前に出ました。

いく女はホッとしました。

みむらやは叔母が懇意している家でいく女も来なれて、よく知り合っていました。

ふと見ると、いつもと違いました。部屋という部屋はみんな開け放されガランとなっております。帳場の傍の居間には女将さんが一人叉脱ぎになって、それでなくとも暑い日だったのに爐(いろり)にカンカンに火を焚いておりました。この女将さんはお由(およし)と言って年は二十八、これがまた肝の据わった名のある女傑でした。

「みんなとはぐれちまった・・・・」といく女が言葉をかけますと

「あぁお嬢さんですか、お入んなさいましよ。なァに何でもありゃしませんさ・・・」

とにっこり落ち着き払った物腰は普段とちっとも変わりません。

だが外の気配が悠々と話をすることを許しません。

火花が散るか血の雨か激戦の音鳴りが耳を傾けずにおられません。

折からドヤドヤっと人の駈ける足音がして、血みどろの負傷者が戸板で

担ぎこまれました、続いてまた一人、二人・・・・

傷口の手当は焼酎で洗って晒布で包帯するほかに方法はなかったのです。

どちらからも要害の位置にありましたみむらやは両軍の為に解放されすっかり野戦病院に

変わってしまいました。戦争は三日三晩続いたのです。

いく女は女将を助けて順次担がれて来る負傷者を手当てするのに寝食を忘れるほど熱心でありました。ちょっと見てさえ飄々とする鮮血にまみれた負傷者たちの中を物ともしないで

立ち働く少女の存在を皆不思議に思ったでしょう。

 

四 出会い

 

いく女が一人の偉丈夫の二の腕の傷を始末して居た時です。その偉丈夫が不審そうに見つめておりましたが、ついに

「あんた誰か・・・・・ここの娘さんか?」

と尋ねました。その態度が傲慢に見えたのか、いく女はムッとした顔で答えません。

女将が変わって申しました

「どういたしまして、手前どもの娘じゃございません。別然にいたしております。古河の関戸さんのおカシ女(お嬢さんの事)で、一昨日、城下先まで見物に行って戻りしな、宅がこの騒ぎだったものですからずっと続いて御手程くださいます。気丈者でござんす」

「ほう、よか娘じゃ、見物しおったか、芝居とちごうて見ごたいがあったろうのう」と

微笑を浮かべて「やはりあんたじゃな、皇軍の向かうところ敵なし、われ等の行手には鳥虫を影をひそめる。しかるにここに来た初手に大砲を撃ってもひるまず突っ立っておる少女を遠目鏡に見たときはヒヤリといたした。敵にどんな計画が秘められているか、読めぬので気味悪るう思った。ハッハッハッお陰で結城城は倍も手強く見えたわい!」

こういいながら腰の革袋を取るなり御礼のつもりかザらりと二歩金を棒薪にしました。

そしていく女がそれを見て余計ムッとした容姿でしたが、気にもとめず

「いない、お世話になり申した」とあいさつして出て行きました。

女将はいく女の耳にささやいたのです

「誰だか分かりますかね、お国風がちょっと横柄にみられますが西郷さんですよ」

「エッあの方が西郷吉之助(西郷隆盛の別名)さんですか!?」

いく女は今更消え去った偉丈夫の後ろ姿を見てやりました

ワーッ!!

戸外に出て見れば結城城から出た炎は天に上り、燃えているのでした。

 

五 その後

 

英雄の肝を寒からしめたいく女は、明治最初の教職につかれ

後々東京に出て教育界や公共事業で活躍されました。

今年は八十歳と高齢になりましたが少女のような健気さで

海に山に四季折々の自然を親しみながら鎌倉鶴岡八幡宮の傍で

余生を楽しんでおられます。

 

 

 



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