由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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第一章 由比ヶ浜の恋
プロローグ


 俺の、いや、俺たちの新しい人生が始った。新しいというよりも一回切断されたあと、強引に接続されてしまったような感じだが……。あれは、ふうせんかずらのシミュレーション世界の記憶を、今の俺である実体に移植されたのだと思う。それ以外にありえない。

 

 とりあえず、俺はまた総武高校に通い始めた。それも新入生として。

 

 入学早々に、俺は「あの雪ノ下さんと付き合っているんだって!」という感嘆符付きの噂まみれになってしまった。特に学校では彼女と頻繁に接触していたわけではない。会話ですら周囲の目を気にして相変わらず「雪ノ下」「比企谷くん」と呼び合っていた。

 しかし、微妙で些細な雰囲気を拡大して視認することが可能な電子顕微鏡付きの目、つまり好奇の目は、微細な差異を決して見逃さない。また、噂には加速装置がセットされているらしい。俺の名前は、雪ノ下とセットで入学後一週間のうちに全校に知れ渡ってしまったようだ。

 

 その一方で、メリットもあった。それは、俺の周囲に数メートルにわたって霞のようにたちこめていたぼっちオーラが、どうやら完全に払拭されてしまったことだ。別に、自分はそれほど変化していないように思えるのだが……。

 こうした変化のおかげで、俺は昔の1000倍は注目され、男子女子に関係なく頻繁に話しかけられるようになった。

 

 ……正直ウザイ。

 

 普通に話しかけられるようになって初めて気がついたが、俺はやっぱりそれほど同級生やクラスメイトとのコミュニケーションを求めていないのだ。ありきたりの、オバサン・オジサンが顔を合わせたときのような「今日も暑いですねぇ」「そうですねぇ」みたいな表面的で無意味なコミュニケーションに限っては。

 だから、5月中旬ごろには、俺はものぐさでニヒルな性格、かっこよくいえば変わった目つきをしている孤高の人とみなされるようになっていた。

 

 実際、そんなつもりはないんだけどな。かったるいものはかったるい。まだ社会人じゃあるまいし、義務的な会話は未来の苦難として大切にとっておきたい。学生時代はせめて遠慮させてもらう。とはいっても、昼休みに2~3人集まって一緒にメシを食う表面的な友人のようなものは俺にもできていた。みんながみんなぼっちを避けるためにキョロキョロしていると悟ってしまうと、メシ友を作る事くらい簡単だった。

 

 こうして進化だか退化だか知らないが、適当に流されているうちに、俺の中には社会人になるという覚悟が自然に培われていくものだろうか。いや、おそらくそれはない。というよりも考えたくない。できれば働かないで生きて行きたいとは思うが……。

 

 まあ、平塚先生にこれから書かされる作文で、単独行動する孤高の生物=クマを絶賛したり、青春とは悪である、とか、働いたら負けなので専業主夫を希望する、などとは書かないことは確かだけれど。

 雪ノ下のほうも、昔の話しかけるなオーラも消え、国際教養科の同じクラスに数人の友人ができているらしい。入学したての頃は、一緒に昼飯を食ったりしていたが、最近では友人と昼休みを過ごすようになっていた。

 

 その点、俺もぼっちメシに陥ることはなくなっていたので別に構わないが、昼休みに会うことを断ってきたメールがこんな感じだった。

 

「私を拘束して楽しもうとするなんて、あなたの性癖もずいぶん進化したものね。脳のレベルは相変わらずなのだけれど。

 校内であなたとばっかり付き合っていると友達ができないわ。

 今日も『どうしてあんな人と付き合っているの?』と哀れむような目つきで聞かれたのよ。どうしてくれるの? 校内ではまったく接触しないほうがお互いのためかも知れないわね。

 それでも会いたいというのなら、本所吾妻橋の鰻の名店、『鰻善』の特上うな丼(4800円)を3つ、今すぐ持ってきて頂戴。

 あなたとは放課後付き合ってあげるから待ってて」

 

 やれやれ、と思わず呟いてしまうような脱力感に襲われた。雪ノ下は、最近になって色々と漫画やアニメなどを研究しているに違いない。そんな様子をおくびにも出さないが、急にツンデレっぽい口調を叩くようになったのは、それ以外に考えられないのだ。ツンデレを装うことがサービスのつもりらしい。

 

 昔の彼女も、見かたによればツンデレといえないこともなかったが、俺に言わせればあれはただの毒舌だった。このメールの最後にあるデレの一行が付け加わるかどうかで意味が大きく違う。

 そういう遊び心みたいなものが彼女の中に芽生えたのは歓迎したかったが、度を越して姉貴のようになって欲しくない。もっとも姉貴はツンデレとは違うのだが。あの性格はとても定義不可能なアモルファス( 非定形)なものだ。できれば一生遭遇したくない。

 ただ、雪ノ下にとって、素ではなくツンデレを演技することは、かなり難しいことなのではないかと思う。カンのいい彼女なら、ずっとやりおおせるかもしれないが。

 

 

 最近の俺たちの課題は、どういう部活を作るかということだった。由比ヶ浜が入れて、昔の奉仕部のようにボランティアや人助けをしない部活。

 条件はそれだけだったが、これが意外に難しかった。活動内容の設定が、少なくとも俺には思いつかないのだ。俺は無趣味だし、雪ノ下の趣味といえば飼ってもいない猫と、俺には理解不可能な物理学みたいなものだし……。二人、いや三人の共通点は少ない。

 そんなこんなで色々と考えているうちに、名前だけは決まった。

 

「創発部」だ。

 

「創発」という言葉には、何やら科学的な意味があるらしい。たとえば、約140億個の神経細胞が集合しているのが人間の脳だ。脳細胞一個一個では、何の働きをしているかわからない。形式的には、あるいは要素還元的というか科学的な分析では140億の細胞が集合しているとしかいいようがないのに、そこには実体的なもの以上の価値や新次元の意味が発生している。それは人間の意識だ。

 つまり、俺たちの部活動に創発というネーミングをしたのは、ただメンバーが集合しているだけではなく、それ以上の価値やら新次元やらを切り拓く、という意味を込めたらしい。

 

 しかし……。

 

 たかが高校生の部活動にそんな重大で崇高な意味を求められても困る。時々雪ノ下は ぶっ飛んだこと( エキセントリックなこと ) をする。だいたい俺にはそんな高尚な活動をする意欲がない。

 俺がそんなことを言うと、

 

「あら? ネーミングに何か意味があるのかしら。八幡というのは、日本神道の八百万(やおよろず)の神の名前だけれど、あなたにそんな神聖(ホーリネス)なイメージや神々しさがまつわっているとでも? 実体と乖離しすぎた名前も罪深いものね。

 私はただ放課後に居心地よく読書ができる場所が欲しいだけよ」

 

 そういって、雪ノ下は創発部の活動内容を箇条書きにし始めた。ネーミングが決まってしまえば、次々と活動内容が捏造されていった。

 

一、コンテンポラリー(同時代的)な文化の調査・研究。

二、校内の人的資源の調査および開発、ならびに交流の促進。

三、ボランティア活動、援助を希望する人への知識および能力的資源の貸与。

四、高校生の余暇活動ないしレジャー形態の調査・研究・開発・提案。

五、上記の成果の各種媒体における発表。

 

 よくもこれだけの立派なハッタリを思いつくものだった。一なんてただ読書をしていても言い訳が成り立つし、四なんてディズニーランドやイオンモールに遊びに行ってもかまわないことになる。さらに、三なんて昔の奉仕部そのものだろ。由比ヶ浜にこの箇条書きを見せても理解不能だぞ。

 俺が文句をブツブツ言っているのいは一切お構いなしに、雪ノ下は、

 

「まず最初の活動は、二番の校内の人的資源の調査および開発にしましょう。具体的には、先生や目だった生徒数人にインタビューしてどんな人かを紹介する記事を数ページにまとめて配布。楽しそうよね」

 

 と目を輝かせている。いつの間にかそんな具体案まで練っているとは。おそれいった。

 確かに俺たちは新入生で、校内の生徒や先生のすべてを知っているわけじゃない。少なくとも一年生には興味を持ってもらえるだろう。二年生以上には、新入生の自己紹介にもなる。

 

「新聞部の活動と重ならないか?」

 

「いいえ。新聞部は校内の人間の記事を書いたことはないわ。とっくに調べてあるのよ」

 

「そうですか。ずいぶん行動が素早いですね……。

 でも、面白いと思う。新入生で一番目立っているやつといえば、やっぱりお前とか葉山だろ」

 

「私はともかく、葉山君の記事は飛ぶように売れるかもしれないわね。まず最初のターゲットは彼にしましょうか」

 

 いや、俺としては違うクラスの戸塚と早く知り合いになりたい。……が。違うことを言った。

 

「俺は現在の三浦がすでにオラオラと周囲を威嚇しているのかどうかも知りたい」

 

「あれ以来、彼女にずいぶん興味持っているのね」

 

 そう言いながら、彼女はプイと立ち上がって創部届けを出しに行ってしまった。顧問はやはり平塚先生をアテにしているようだった。

 

 ★   ★   ★

 

 翌日の土曜日、俺と雪ノ下はショッピングモールに出かけた。

 買い物に付き合ってというので最寄の駅前で昼過ぎに待ち合わせた。

 

 天候に恵まれ、気温は23℃くらい。海が近いので、風が爽やかだった。俺は短パンに草履、Tシャツといった軽装で来ていた。雪ノ下はというと、ライトブルー地に花柄のワンピース姿だった。ウエストには紺色のリボンがつき、白いカーディガンを羽織っている。髪は後ろにまとまって、つば広の帽子をかぶっていた。手には濃紺のバッグが下がっている。

 

 俺の姿を認めると、雪ノ下は一瞬ニコリとしたあと、すぐに冷たい目になり、足先から首のあたりまでを眺める。そして、ふぅと溜息を吐いた。

 

「しかし……。私もなめられたものね。せっかくのデートなのにもう少しまともな恰好できないのかしら。まるで近所の空き地で泥まみれになって遊んでいる小学生みたいよ。でもまあ、いいわ。そんなあなたを選んでしまった私の自業自得ね」

 

「わかったよ。いいとこのお嬢様につりあうような服を一揃え買うよ。今日は親から金もらってきた」

 

「そう、どんな風に変身するか楽しみだわ」

 

 ツカツカと歩き出した彼女を追いかけるように、俺も歩き始めた。歩道が狭いために、二人並んで歩けない。

 目的地は、かつて由比ヶ浜の誕生プレゼントを買ったショッピングモールだった。そういえば、このあたりは由比ヶ浜の家が近く、犬の散歩コースになっているはずだ。あの時もモールの中で由比ヶ浜に出会った……。

 そんなことを思い出していると、歩道の向こうから犬連れの女の子が歩いてきた。

 

 やっぱり由比ヶ浜だ……。そんな気がしていた……。

 

 前を歩く雪ノ下も気づき、振り向いた。その目が「どうする?」と問いかけている。俺は「任せておけ」と小声で言いながら歩き続けた。

 

 

 

 

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