翌日の部活に茅ヶ崎は来なかった。来たところで原稿を書いてくれるとは思えないのだが。
長机の廊下側の席に並んで、さっきから俺と由比ヶ浜が昨日のまとめを作っていた。目黒と東雲はノートパソコンに何かを打ち込んでおり、雪ノ下はぶ厚い本を読んでは、紙に何か書き込んでいた。
由比ヶ浜はインタビューの内容を箇条書きにしたり、試合運びのメモを作ったりしている。それを茅ヶ崎に渡すためだ。だが、それも無駄になりそうだった。
「由比ヶ浜、昨日はバイクで送ってもらったんだろ?」
「あ、近くの駅までね」
俺は昨日気がついたことをみんなに話しておこうと思った。
「みんな聞いてくれないか。鬼の居ぬ間の洗濯じゃないが、茅ヶ崎対策のヒントを見つけた」
全員が顔を上げて俺のほうを向く。由比ヶ浜が「あ~、なんかそんなこと言ってたね~電車の中で」と、目の前の散らかった紙をまとめ始めた。
「なにかしら、ヒントって」
一番遠いところから雪ノ下が問いかけて、本をパタンと閉じる。
「茅ヶ崎は女が弱点だと思う」
みんなピンと来ないのか、次の言葉を待っている。
「ヒッキー、それはないと思うよ。っていうより、女嫌いなんじゃないかな~。あ、女というより、わたしが嫌われているだけなのかも!? 昨日だってひどい言葉でからかわれたし」
「由比ヶ浜、それは表面的なだけだ。あいつの表面的な態度と内面は違っていると思う。昨日、バイクで送ってもらったとき、怖かった? すごいスピードで飛ばされた?」
「ううん。全然……」
「クルマをぬうように追い抜いたり、すっ飛ばしたりしなかった?」
「うん。他のクルマと同じようなスピードだったと思うよ。怖くなかったし」
「やっぱり……。思った通りだ」
「何が??」
「俺が乗せられたときは、二車線を行ったり来たりしてジグザグに車を追い抜いたり、爆音を轟かせながら中央分離帯を爆走されたんだぞ。生きた心地がしなかった」
「そんな運転されたの~!?急いでいたんじゃないの~?」
「気がつけ。ヤツはお前を乗せていたから安全運転をしていたんだ」
「そうなんだ!?」
「俺と雪ノ下が犬連れのお前と、ショッピングモールの近くで会った日、そのあとに茅ヶ崎たちの喧嘩に遭遇した。
そのとき、タチの悪い男に引っかかっているらしき幼馴染の女を助けていた。それは雪ノ下も目撃している」
「そうよね。私もそれは見たわ。ということは、彼は基本的に女には優しいということ? あの罵詈雑言の嵐に巻き込まれると、そうは思えないけれど。それに、弱点と言えるのかしらね」
雪ノ下がボールペンを指でいじっている。その隣では、東雲と目黒も興味深そうに俺に視線を合わせていた。
「昨日、由比ヶ浜がバイクに乗せてと頼んでいた。俺はてっきり拒否するのかと思っていた」
「あれは、ヒッキーが茅ヶ崎君とコミュニケーションしてみろって言ってたからだよ。実行してみただけだよ~?」
「バイクに乗ってみたかったんじゃないのか?」
「乗ってみたいのが半分くらいかな~?」
「……まあ、それはいいけど、由比ヶ浜が、乗せてよ~としつこく頼むと、茅ヶ崎は折れた。俺は意外だった。あいつは女の頼みごとをなかなか断れない性格なんだよ、たぶん」
「そうかな~」と由比ヶ浜がボールペンを鼻と口の間に挟んで考えている。雪ノ下が「それで?」と先を促す。
「ここから、ヤツの対応法というか操縦法が導き出せる。すなわち、女性がお願いという形で仕事をさせる。これやってくれると助かるんだけどなぁ~みたいに。そうして誘導するしかないだろ」
「うまくいくかしらね」
「この作戦に一番向いていないのは雪ノ下だろう。お前は男女限らず、人に頭を下げて頼む、ということは不得手だからな」
「そのとおりね。恥ずかしながら」
「お前は人に頼まないでも一人で全部できてしまうからな。そして、一番向いているのは、おそらく由比ヶ浜だ。昨日の実績もあるし」
「ええ~? わたし~?」
由比ヶ浜が自分を指でさしている。
「次に向いているのは東雲だ」
「まあ、このメンバーだったら、そうかもね」
「目黒もできると思うんだが」
「人にものを頼むぐらいのことはできるよ」と、目黒が笑っている。
「そんなに甘くないはずだ。ひと言頼んで聞いてくれるんだったらいいんだが、ヤツには由比ヶ浜が昨日やったみたいにしつこく懇願する必要があるかもしれん」
「なるほどね~」と目黒が納得する。
「これ以外に、何か妙案はあるか?」
4人の女性陣があれこれ考えていた。しかし、何も出てこない。その沈黙を由比ヶ浜が破った。
「わかった、やってみるよ。その代わり、ヒッキーもフォローしてよ? 昨日みたいにおっぱいがどうのこうのとか言われると、わたし、ムカツクし」
「お前もか」
思わすフフフッと笑いが漏れてしまった。鋭い視線を左方向から感じていたが、俺は務めて無視した。
「平塚先生も難題を押し付けてきたものね……。私も高圧的な物の言い方を改めて柔和な態度を心がけるとして……」
雪ノ下の発言に東雲が割って入る。
「ゆきのんが茅ヶ崎君に仕事を割り振ったら教えてくれる? 私とか結衣ちゃんとかめぐみんが彼に言えばいいんでしょ? お願いするような感じで。できると思うよ」
「ごめんなさいね。とりあえず、そういう形にするしかないようね」
「あいつは、するどいヤツだから、そういう方針だとわかってしまうと裏をかいてくる可能性がある。できるだけ自然にな。俺もヤツをうまく誘導するようにしてみるわ」
実際に有効かどうかわからない結論が出たあと、議題はこれからの具体的な活動内容に移った。
レギュラーの仕事の一つとして、新聞部のアウトソーシングが定着しそうだという。先日のような他校との交流試合の取材だ。ということは、休日が潰れることになる。
「それから、夏前に発行する新聞の企画を一本考えてくれって言われているの。総武新聞はタブロイド版。1/2ページほどのスペースに収まるもの。何かあるかしらね」
雪ノ下が新しい仕事内容を告げるが、いきなり企画と言われても。
「それって、まるで俺たちが新聞部の別働部隊みたいじゃないか。子会社みたい。舎弟企業みたい。イニシアチブ取られているじゃん。そんなんでいいのか?」
俺が問いかけると、雪ノ下も困った顔をした。
「まず最初のとっかかりよ。模索段階。そのうち、自主性のある活動にシフトしていくための。企画は何かある? 1/2ページ何をやってもいいと言われているの」
確かに俺たち5人の趣味も興味の方向性もバラバラだ。したがって、一つの方向性を持った活動や研究対象を見つけるのは至難の業だろう。そのへんを、雪ノ下も悩んでいるのかもしれない。
「そうだなぁ~。なんでもいいんだったら、千葉県のパワースポット探訪とか?」
目黒が提案すると、由比ヶ浜が「それ面白いかも、恋愛成就のパワースポットとか!」と目を輝かせる。
「夏だから、千葉県のローカルな怪談を集めるっていうのも面白いかな~、私、そういうの好きで。京極夏彦の大ファンだから」
また目黒が提案する。プライベートではカラフルな恰好している割には、そういう怪奇ネタが好きなんだな。
京極夏彦の本だったら何冊か読んだことがある。雪深い冬山の奥にある寺に閉じ込められる話と、少女を箱に詰めて生かす話だった。あとは何だっけ、変なキノコをくんはう様とかいって信仰する話。
「それもいいかも!」と由比ヶ浜が加勢する。要するに何でもいいんだな。こいつ。
「わたし、取材して何か書くの好きになってきた。面白いし。色々と参加できるし」
「じゃあ、由比ヶ浜は交流試合の取材担当確定な」
「ええ~! ヒッキーもだよ!」
「俺の昨日の取材はあくまでイレギュラーだ! 俺は怪談の調査や文献の発掘のほうが向いている!」
「では、千葉県内限定ということで、有名な怪談からローカルなものまで調べてみましょう。今の段階ではそんなに詳しく調べる必要はないから。箇条書きに出来る程度で大丈夫ね。まだ時間もあるし、企画変更も可能。
担当は、そうね……、比企谷君と恵ちゃん、私かしらね。
結衣ちゃんと志乃ちゃんは千葉県内のパワースポットを調べてくれる? それでいいかしらね」
「で? もしもの話だが、茅ヶ崎はどっち担当にすんの?」
「彼がやってくれるなら、パワースポット班がいいと思うのだけれど、まあ、未定ということにしておきましょう」
この割り振りにみんな納得したようだった。
部活が終わって下駄箱の前にいるとき、東雲が「はぁ~」とため息をついた。その場には俺と雪ノ下がいた。由比ヶ浜と目黒は「じゃあね~」と声をかけて乳繰り合うようにエントランスを先に出ていた。
「どうしたの?」と雪ノ下が声をかけると、東雲が下駄箱に入っていた紙を見せた。
「なにこれ、ストーカー行為じゃない!」
びっしりと小さな文字で書かれた紙を読んで、雪ノ下が目を丸くする。俺もその紙を読んでみたが、そこには今日一日の東雲の行動が詳細に書かれていた。非常に気持ち悪い。
「ここ一週間くらい、こんな紙が入っているの。メールも一日に三〇通くらい来るし」
「きっとあれだな、あの人どんな人新聞に出たから、目立ってしまったんだろうな。余計なもん呼び寄せちまったな」
「誰か心当たりはあるの?」
「ない。最近、それとは違う人から、告白の手紙を三つももらっているし」
「告白してきた人にはどう対応したんだ?」
「断った。私、当分はそういう付き合いする気がないから」
「これは明らかに迷惑行為になるわね。メール三〇通と毎日の手紙。どうしたものかしらね」
「雪ノ下はそういうことないのか? この学校に来てから」
「私は最初から比企谷菌に感染しているから、それほどでもないけど……」
東雲がクスクス笑い出した。雪ノ下は思案顔でアゴをいじっている。
「……それでも、志乃ちゃんと同じように二通の手紙が下駄箱に入っていたわね。読まずに捨てたけど」
「そうだったのか? ……まあ、そりゃそうだよな。お前ら目立つもんな。こんぐらいのこと当たり前のように起こるよな」
「そんなことより、ストーカーをどうしましょうか」
「一応、先生には言っておいたほうがいいな。その手紙を見せて」
「でも、そんなことしたら、逆上されない? 最近のストーカー事件は、警察が警告すると却って被害者が危険に晒されることが多いし」
「そうなると私、マジで怖いかも……」
「そうだな。……。閃いた! 雪ノ下のように彼氏を作って噂を広めればいいんだよ。それもすっげぇコワモテの彼氏。そいつに睨まれたら小便ちびっちまうような彼氏」
「あなたの閃きが読めたわ。茅ヶ崎君ね? 彼が彼氏ってどういう意味なの?」
「私が茅ヶ崎君と付き合うってこと?」
東雲が目をパチクリさせている。
「いや、もちろん、ニセ彼氏だ。なんかそういう展開、最近多いだろ。色々なところで。あいつが彼氏だとわかったら、ストーカーのやつ、一発で消滅するぞ」
俺がニヤケた顔をしていると、二人の女が顔を見合わせていた。マジ? ありえない! この人何を言い出すの? みたいな無言の会話が聞こえた。
★ ★ ★
翌日の部活に、茅ヶ崎は手錠をかけられて登場した。手錠の主はもちろん、平塚先生だ。テレビでよく見るように、前に手錠をかけられているのではなく、後ろ手にかけれられていた。
「どういうプレイなんだよ、しずかちゃんよう~、すげぇ趣味してんな。三十路になるとこんなことしないと刺激が足りなくなるのかよ」
「うるさい! つべこべ言うな!」
先生が手錠を外して長机の上にガチャリと置く。茅ヶ崎のカバンもその隣りに置いた。
「君たちも、この男が暴れそうになったら手錠を使っていいぞ」
「でも先生、そいつに手錠をかけるまでが、まず無理難題なんですけど……」
俺がそう指摘すると、先生は女のくせに後頭部をかいた。
「そうだな。まあ、頭を使って対抗してくれ。それじゃ、よろしく」
先生が出て行く。長机の一番端の俺の指定席で、茅ヶ崎がすでに突っ伏して寝ていた。
窓に近いほうの長机には、「日本の怪談」とか「千葉県風土気」とか「日本の風俗変遷」とか「伝説と伝承の日本」とか、そういった類の本が山と積まれていた。図書館から借りてきたのだ。
先ほどから、俺と雪ノ下と目黒がホコリ臭いそれらの本をめくっていた。
目黒と由比ヶ浜は、女性雑誌やオカルト関係の本、旅行ガイドなどを当たっていた。
茅ヶ崎が来ても、しばらく沈黙が続いた。寝ているトラを起こす必要はない。しばらく大人しくしてもらって、こっちも作業を進めたい。と思ったら、由比ヶ浜が茅ヶ崎を起こしていた。余計なことをしなくていいのに……。
「ねぇねぇ、茅ヶ崎君、一昨日は送ってくれてありがとう。でね、サッカーの原稿なんだけど……」
机に右側の顔を付けたまま、茅ヶ崎が眠そうに目を開けた。
「なんだよ、サッカーの原稿なんてあったっけ……」
「そう言うと思って、もう書いちゃったよ!」
「だったらいちいち言うな。パイヶ浜。今日の乳絞りは終わったのか? そっちのほうが大事だろ」
「まだ言うか~! そういうこと!」
由比ヶ浜も、もう慣れている。あんまり怒っていない。
「でも、茅ヶ崎君って本当は優しいんだね~!」
「なんで?」
「だって安全運転してくれたじゃん?」
「あ? そうだった?」
「みんなに話しちゃったよ、それ!」
「ふ~ん。じゃあ、その認識をブチ壊さないとな!」
茅ヶ崎が体を起こして、カバンに手を突っ込んで動かしている。すぐに握りこぶしを出して、由比ヶ浜を呼び寄せた。
「原稿書いてくれたお礼だ。受け取ってくれ」
茅ヶ崎がゲンコツを由比ガ浜に差し出す。由比ヶ浜が両手のひらを上にして、ゲンコツの下に差し出す。何かを受けようとする。そのとき、黒いものが由比ヶ浜の手のひらの上に落ちた。
そして……。
もの凄い速さで由比ヶ浜の手のひらや手首を走り回った。
「ぎゃああああああああ!」という耳を劈く悲鳴。由比ヶ浜が腕を振って黒い昆虫を振り落とす。すると、床の上に落ちたゴキブリが高速で窓側に走った。
「きゃあ~!」という複数の悲鳴が上がり、目黒と東雲が飛び上がる。俺もゴキブリは大の苦手だ。一緒になって扉の方へ逃げた。由比ヶ浜は手を掻いたり首を掻いたりしていた。
相変わらずその場に座り続けていたのは雪ノ下だけだった。
「あははははははっ」と響き渡る茅ヶ崎の笑い。
「茅ヶ崎君、ふざけた真似しないでくれる? 子供のいたずらね。あなた何歳なの?」
「お、B子にはゴキブリが通じないか。これでどうだ?」
茅ヶ崎がまたカバンに手を突っ込んでコンビニ袋を取り出した。そこには、黒い点々が……。
バサバサと袋を振るう。すると、そこからは二〇匹くらいのゴキブリが巻き散らかされた。
「お前! それこそテロ行為だろ! ふざけんな!」
俺はそう叫びながら、ドアを開けて廊下に逃げた。由比ヶ浜、東雲、目黒も続いた。
開かれた扉からは、部室の床にゴキブリが数匹走り回っているのが見えた。中には飛び始めたのもいる。俺はゴキブリに飛ばれると体が痒くなる。どうしてもあれだけは無理だ。
「あははははははは。ざまあみろ」という笑い声が室内から聞こえた。
俺、東雲、目黒、由比ヶ浜の4人は、怖くて部屋に入れなかった。しばらくすると、雪ノ下が廊下に出てきた。
「もう、ゴキブリは隅の方へ隠れたから。入っても大丈夫よ。この部屋には食べ物がないから、自然に外に出て行くでしょ」
「ゆきのんてゴキブリ大丈夫なの?」
東雲がそう訊ねながら、部屋の中を覗いている。
「ただの昆虫でしょ? そんなに怖がる必要はないんじゃないかしら。それにしても、バカな悪戯をするものね、あの問題児は。あまり過剰に反応すると、返って敵の思う壺よ」
俺たちが中に入ると、確かにゴキブリは見えなかった。しかし、どこかにいると思うと、気が気ではない。調査に集中できなかった。
見ると、茅ヶ崎はまた突っ伏して寝ていた。しかし、今度は右頬を机につけて目を開けていた。
「茅ヶ崎、さっきのゴキブリはどうやって調達したんだ?」
「ゴキブリ気に入ったか?」
「アホか。あんだけ集めるのに苦労したんだろうなと思っただけだ。悪戯も大変だな」
「ゴキブリを何匹かとっつかまえて瓶に入れてエサやってたら増えた。変なサヤみたいな卵産んで、そこからうじゃうじゃちっこい子供が出てきた。面白かったぞ」
「いやあ~~~!」
由比ヶ浜が耳を押さえている。確かに想像しただけで気持ち悪い。
「あら、意外に科学者なのね。まだ小学生レベルだけど。今度の原稿は、茅ヶ崎君のゴキブリ飼育記にしようかしら」
「冗談にしてはつまんねぇぞ。Bカップ部長の豊胸奮闘記にしたらどうだ?」
「あなたのだって非常につまらないじゃない」
げっ。今のはつまらないとかつまるとかじゃなくて、相当雪ノ下に深く突き刺さったぞ。
「次はどんなんでお前らからかってやろうか。毛虫? でっかい蛾とか?」
「やめて! もうお願いだから!」
由比ヶ浜が叫ぶのを茅ヶ崎がニヤニヤして見ている。これでは、昨日の帰りに俺が提案した、東雲のストーカー撃退用ニセ彼氏を頼める雰囲気ではない。しかし、茅ヶ崎はヒマそうなので、俺は切り出すことにした。
「茅ヶ崎、一つ、頼みがあるんだが」
「んだよ。もう頼まれねぇから。その前に金払え」
「そう言わずにさ、この中に一人、ストーカーに遭っている女性がいる。それを解決してくれないかな」
「バカか、そんなのは千葉西署に頼めよ。なんだったら紹介すんぞ」
「警察の警告に逆上するアホが多いだろ。まあ聞いてくれよ」
俺は、東雲が気持ちの悪い手紙や大量のメールに悩んでいることを話した。それで、お前みたいなコワモテが彼氏だと噂が流れたら、ストーカーもびびるはず。だから、一瞬でいいからニセ彼氏になってくれないか?
「ふ~ん。エロ姉ちゃんが? そうだろうな。エロイからな。猫にまたたびみたいなフェロモン分泌しまくってっからな。でも、やだ。面倒くさい」
茅ヶ崎が興味なさそうにそう言って顔を反対にしたとき、なんと、4人の女が茅ヶ崎の周囲に集合して、頭を下げた。
「茅ヶ崎君、お願いします。力を貸してあげてくれないかな~」
目黒の声だった。
そして、「茅ヶ崎君だった協力してくれるよね~」と由比ヶ浜。
「ニセ彼氏だったら茅ヶ崎君が一番強力なんだけど、助けてくれないかな~」と東雲。
なんと、雪ノ下までが「さっきのゴキブリは大目に見るから、協力してくれないかしら」と頭を下げた。
はっきり言って、信じられない光景だった。
体を起こした茅ヶ崎が、女4人に囲まれて呆気にとられていた。
「お前ら頭狂ったのか?」
「まったく正気よ。合理的に考えて、比企谷君みたいな弱々しい男がニセ彼氏になっても、正直いって効果は望めない。あなたみたいな極道が必要なのよ」
「比企谷も散々だな。よく言うわ、こんなときだけ」
「俺は基本的に見返りがなければ引き受けないぞ、そんなこと。だが、大仰に引き受けるっていうほどのことでもないよな、そんなん」
「そうでしょ~!」由比ヶ浜がパチンと手を叩く。
「具体的に何やんの?」
「ただ、東雲と校内を仲良さそうに歩いたり、階段に二人で座っていたりするところを、できるだけ多くの生徒に見せつけるだけだ。あとは、由比ヶ浜のネットワークを使って、あの二人が付き合っているという噂を広める」
「お前らな、どうせ知っているだんろうが、噂でおまえが俺にやり捨てられたってことになるんだぞ」
茅ヶ崎が東雲を睨みつけるようにして言い放つ。
「知っている。そのほうが都合いいでしょ? できるだけ汚い手垢がついて。もうそんな女誰も気にしないでしょ。私は当分誰とも付き合うつもりはないし」
「なるほどな。そんな程度のことならやってやんよ。しかし、アホ臭いほどやり甲斐がないな。どうせなら、もっと手ごたえのあることやりてぇな」
「じゃあ、パワースポット探し手伝ってよ!」
由比ヶ浜が便乗する。しかし、茅ヶ崎が手を振って断る。
「パワースポットだ? くだらねぇ。お前の胸のほうがよっぽどパワースポットじゃねぇかよ」
「まだ言うか! もういい加減にしろ~!」
「とりあえず、ストーカー撃退のほうは手を貸してくれるのよね。だったら、さっそくやってきてくれないかしら」
雪ノ下が東雲の腕を取っている。
「今から?」
「そう。校内を仲良さそうに何周かしてきて」
そんな年齢でもないのに、よっこらしょと、茅ヶ崎が面倒臭そうに立ち上がった。
「じゃあ、行くか、エロ姉ちゃん」
「東雲よ。ちゃんと名前があるんだから」
「なんかうまく乗せられたな」
茅ヶ崎と東雲が廊下を並んで歩いて行った。さすがに東雲はうまい。露骨に見えない程度にそっと寄り添っている。
残った4人は、その様子をしばらく眺めた。
俺は振り返って親指を立てた。部室に入ると、再び仕事を再開したが、しばらくして目黒が「大丈夫かなぁ~」と心配そうな顔をした。
「何が?」と由比ヶ浜が問う。
「茅ヶ崎君、変なことしないかな。二人きりになったとき」
「大丈夫だろ、校内だったら」
俺はそんなこと言ったが、あとから東雲から聞いた話では「お前、やっぱり俺のセフレになれ」としつこく言われたという。
ポトンという軽い音がした。その音のほうを見ると、由比ヶ浜が恐怖の表情をして固まっていた。目の前に広げた紙の上に、黒いものがある。
「ぎゃああああああああ!」という絶叫が再び響いた。イスが倒れる音や机が床を引っかく音で、室内に騒音がわき起こった。