由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

16 / 46
創発部女子の泥レスと茅ヶ崎のバイト

 しばらく、重い沈黙が部室を支配していた。どっぷりとグレーの粘液に満たされ、この部屋にいる人間の体から、暗い情念を滲み出させる媒質のような静寂。

 窓にはいつの間にか雨が吹き付けていた。水がガラスを伝い、幾筋もの輝く線を描いている。外はすでに薄暗く、室内光の反射の向こうに、積乱雲の流れがかすかに見えた。

 

 由比ヶ浜のうなだれた顔にも、幾筋かの線が描かれていた。それが滴り落ちて、ひざの上のスカートの生地に黒い点をいくつか作っている。

 すっと音もなく近づいてきたのは雪ノ下。由比ヶ浜の後ろに立ち、両手を肩にかけた。

 

「ごめんなさいね。あなたばかりにこんな思いさせて」

 

 しばらく無言だった由比ヶ浜が顔をあげた。その顔を雪ノ下がハンカチで拭う。

 

「大丈夫だよ。もう慣れたし。私が一番こういうの向いているみたいだし……」

 

「でも、もう我慢できない」

 

 そういうと、雪ノ下が扉を開けて出て行った。その背中にただならぬ雰囲気を感じて、俺と目黒、東雲も立ち上がる。

 

 校庭には大粒の雨が落ちてきていた。俺は時々想像する。こんなシャワーみたいな雨の中、真っ裸になり石鹸で体を洗ったら気持ちいいだろうと。

 しかし、そんな無人島での夢とは関係がないのが、この総武高の校庭。地面はぬかるんで、すでに水溜りになっている。そこを歩いているのは茅ヶ崎。裏口から出るつもりなのだろう。雨の中、バイクで帰るつもりなのか。

 やがて、雪ノ下が追いつく。

 

「茅ヶ崎君、いい加減にしなさい。もう絶対に許さない! 由比ヶ浜さんに謝りなさい」

 

 茅ヶ崎が振り返ると、その右腕がつかまれた。

 

「バカ言うなって。何で謝る必要があるんだ。可笑しくてお尻ペンペンだな」

 

 もう言葉が役に立たないことは明白だった。雪ノ下が茅ヶ崎の右頬を右手で平手打ちする。少し水気の混じったパシンという音があたりに響く。

 

 雨が水の張った地面を叩く騒音の中、それを上回る暑苦しい静寂。二人の衣服がどんどん濡れ、髪の毛も水を含んで重くなっていく。

 

 茅ヶ崎と雪ノ下は睨みあったまま微動だにしない。そして平手打ちの第二弾。

 

 パシン……。

 

 打たれた男は瞬きすらせずに打った女を見据えている。

 くだらねぇ、という表情のまま、男は動かない。俺と東雲、目黒もそのまわりを取り囲む。

 

「で?」

 

 平手打ちをメッセージととらえたのか、茅ヶ崎がそう問いかける。

 

「謝るの謝らないの?」

 

「答える必要があるか?」

 

「ふざけるな!」

 

 今まで聞いたこともない声を発した女が、地面に足でも埋まっているんじゃないかと思える不動の男の襟首を両手でつかみ、その体を校舎の方向へ移動させようとする。

 しかし、意に反する結果しか生まれない。重そうに濡れた髪が、時々二人の体を打ち、そのたびに水しぶきが飛散する。

 やがて面倒臭そうに、男も応戦して、女の襟首を両手でつかむ。二人はしばらく揉み合うが、所詮、力に差がありすぎる。

 男が腕に力を入れて、女を振り回し、足を払った。女はバランスを崩すが、襟首をつかんだ手が離れないために、地面に倒れることはなかった。

 

「おい、もうやめとけ!」

 

 俺が二人を引き離すために茅ヶ崎に手をかけようとしたとき、腹にパンチを食らった。やはり、男には容赦がないらしい。俺は苦しさのあまりひざをついてうずくまり、地面に手をついた。呼吸をするのがやっとの状態だった。

 

「やめて!」

 

 東雲と目黒も茅ヶ崎ともみ合い始めた。俺はそれを横目で見るのが精一杯だ。

 すぐに、男一人と女三人のもみ合いは、地面に転がりながらの泥レスと化した。

 スカートやブラウスが汚れたり、まくれるのを女性たちは意に介さない。抵抗する男を地面に押さえつけるために力を合わせていた。いや、男は本気で抵抗してはいなかったに違いないのだが。

 茅ヶ崎は雪ノ下のブラウスをつかんだままだったので、そのうち、ビリッと音がしてやぶけた。目黒の大腿が顕わになったので、俺は目をそらした。それでも、泥がついている太ももが見えてしまった。東雲は左腕やシャツをつかんで押さえつけようとするが、すぐに外される。

 みっともなく、どうしようもなく、くだらなくて醜い修羅場だった。

 

「みんなやめてよ!」

 

 由比ヶ浜の声がした。気がつくとすぐ近くに立って、茫然としていた。見れば、東雲は茅ヶ崎の左腕にしがみつき、目黒は右足に抱きつき、雪ノ下は右腕をつかんで地面に座っていた。茅ヶ崎以外はみんな息が荒い。

 

「由比ヶ浜さん……結衣ちゃんが来た。さあ、謝りなさい」

 

「しつこい!」

 

「ゆきのん……、私ならいいから、別に……。っていうか、みんな気がついたでしょ? 女子には暴力振るわないんだよ、この人。殴られたのはヒッキーだけでしょ」

 

 確かにそのとおりだった。3人の女を一撃で沈黙させて悠々と帰宅することも可能だったのに、茅ヶ崎はされるがままになっていた。いや、泥レスに付き合ってやっていたといっていい。

 

「どうやらそのようね」

 

 雪ノ下が右腕を離すと、東雲や目黒も茅ヶ崎の体の一部を解放した。

 

「茅ヶ崎君は、今日あんなことがあったから、気が立っていただけだよ」

 

 遅れてきた由比ヶ浜も雨に打たれて、すでにズブ濡れになっている。

 

「でも……、どうしてわざと嫌われるようなことを言うの? ……どうして嫌われようとしているの?」

 

 由比ヶ浜が茅ヶ崎に問いかけるが、答えは返ってこない。

 目黒が足についた泥を払っているかたわらで、東雲が濡れた髪を後ろへまとめながらいう。

 

「私もそう思うな。茅ヶ崎君は壁を作ろうとしている。ちょっと異常な感じ」

 

「私……、気づいてたよ……。茅ヶ崎君がわざとひどいこと言って嫌われようとしていたこと。……それってどうしてなの?」

 

 やっと茅ヶ崎が言葉を発した。

 

「それは住んでいる世界が違うからだ」

 

「どういうこと? 私たちは同じ高校に通っていて、同じ街に住んでいるじゃない」

 

 雪ノ下の発言には耳も貸さず、茅ヶ崎は由比ヶ浜を指差した。

 

「由比ヶ浜、お前、今日これから時間あるか? 遅くなっても大丈夫だろ。今日は金曜日だ」

 

「え? 時間?」

 

 予想もしない誘いに由比ヶ浜がうろたえている。

 

「そうだな、由比ヶ浜一人だと危険だから、一応男の比企谷、お前は今日ヒマか?」

 

「は? 俺? イミフだな」

 

 突然の指名に俺は驚いて答えた。

 

「時間はあるかと聞いているんだ。由比ヶ浜は? 一回家に帰って着替えて、また出てくる気はあるか」

 

「私は大丈夫だけど、ヒッキーは?」

 

「俺も行ける」

 

「だったら午後8時に千葉駅に来い。面白いものを見せてやる。ただし、もう戻れなくなるぞ。怖いならやめとけ」

 

「それって私は行ってはいけないのかしら」

 

 茅ヶ崎が雪ノ下を見据える。

 

「お前はダメだ、根性がありすぎる」

 

「意味不明なことを言うのね」

 

「しかし、お前、やっぱりあのチンコロ女の妹だけはあるな。笑ったぜ。お前、ぜってぇ面白いわ。希少種だわ。敬意を表してこれからはチチナシと呼んでやろう」

 

「どういうことかしらね、根性があるとダメというのは。それに戻れなくなるというのも……」

 

 あれ。チチナシはスルーですか。雪ノ下さんおっとな~!

 

「あとでカウガールとダメ夫に聞け」

 

 カウガールだ? 牧場で乳搾りしているという意味か? それともウシみたいな、という意味? どうせ俺はお前から見ればダメ夫ですよ! はいはい。

 

「やっぱり8時に千葉駅はキャンセルだ。じゃじゃ馬根性丸出しでチチナシが来るかもしれん。おまえら携帯の番号を言え」

 

 茅ヶ崎が転がっていたスクールバックから、グチャグチャに濡れた紙とペンを出した。俺たちはそれぞれの番号を書き取らせた。その様子を雪ノ下が不服そうな顔で見ている。

 

「カウガールとダメ夫、チチナシが現れたらこの話はご破算だ。わかったか?」

 

「そんな言いかたされれば行くわけないでしょ。それから、今度チチナシって言ったら絶対殺す」

 

「おまえ、面白れぇな。実は一番からかい甲斐があるんじゃねぇの? 面白そうでもっと言いたくなるんじゃん。あ、そこの地味ロリとエロノメも来るなよ。来ないとは思うが」

 

「行きません!」と二人が声を合わせた。

 

 雪ノ下がきっかけを作った泥レスの乱闘で、降りしきる雨の中、ドロドロになりながらも、俺たちはある程度打ち解けたような気がしていた。

 

 だが、それは勘違いだった。住んでいる世界が違う。それはこの上なく正確な言葉だったのだ。

 

 

 ★    ★    ★

 

 

 家に帰って着替えると、すぐに携帯が鳴った。8時半に千葉駅。それだけ告げると、電話はあっさりと切れた。由比ヶ浜にも同じ情報が伝わっているはずだった。

 メシを食う時間があったので、急いでかきこんだ。その様子を見て、小町が「フフーン」とニヤケてくる。さしずめ、俺がデートにでも出かけると思っているのだろう。

 

 「ハズレ!」とテーブルの対面にいる小町に無言で言った。すると、小町も無言で「ん? じゃあどこ行くの?」と聞き返してきたから、目を動かしたりして「男の同級生に呼び出された」と答えた。

 小町は「ふ~ん」と納得した声を出す。伝わったのかよ!

 

 家を出ると、一応由比ヶ浜に電話した。すると、ちょうど彼女も家を出るところだった。千葉駅のホームで待ち合わせることにして、ライト付きの自転車を駅まで走らせた。雨はやんでいた。

 

 千葉駅のホームには由比ヶ浜が突っ立っていた。いつものようにデニムのショートパンツ姿。珍しく、貝殻の絵の描かれたショルダーバッグをかけていた。

 

「一体何を見せるというんだろうな。あいつ。しかもこんな時間に」

 

「さあ……、なんだろうね」

 

 千葉駅の改札を出ると、狙い済ましたように携帯に着信。出ると、道順を指示された。向かっている方角は、栄町のほうだ。しばらくモノレールの高架下を歩いた。

 栄町といえば、繁華街だ。そんなところに俺たちを誘導するというのか。ウロウロしていたら補導されるかもしれない。

 川を渡って直進すると、茅ヶ崎が立っていた。無言で俺たち二人をみつめている。近づくと、彼は身を翻して向こうへ歩き始めた。

 

「茅ヶ崎、どこへ行くんだ」

 

「まあいいから、ついてきな。ビビるなよ。見たものを漏らしたら、文字通りお前たちの命の保証はない。冗談じゃないんだぜ」

 

 由比ヶ浜が俺のシャツを後ろから引っ張る。

 

「ヒッキー……。なんか怖い。場所が場所だけに」

 

 街の雰囲気が明らかに変わってきた。豪勢なファサードに、西洋風な造りの建物。ラブホかと思いきやソープランドだった。その前にオッサンが立ち、サラリーマンに向けて何かを叫び、手をポンポン叩いている。

 道の四辻には、呼び込みらしき男や、小型のプレートを抱えた女の子が立っている。俺たちにも時々声がかかる。しかし、茅ヶ崎を見ると、すぐに態度を変化させる。

 

 目的の建物に到着したようだった。見ると、幅7~8メートル程度の5階建て雑居ビル。上には、ラウンジとかガールズバーとかの煌びやかな看板が多数出ていた。

 そのビルの前に35歳くらいの男が立っていた。

 

「お、まさき君。その子紹介しに来たの? 可愛いじゃない」

 

「ちがいますよ~。この子はまだ高校生だから。ちょっと用事があって連れてきただけですって」

 

「たまにはウチにも紹介してねぇ。ここんところ、結構客入りがいいから。よろしく~」

 

 そういいながら、男はビルの前から去っていった。

 

「お前ら、どうするんだ。ここからなら引き返せるぞ」

 

 俺は正直言って、帰りたかった。こういう場所にかかわりたくない。それは由比ヶ浜も同じだろう。しかし、ヤツの実体を知ることのできる絶好のチャンスだ。()と己を知れば百戦危うからず。

 

「由比ヶ浜、どうする。俺はお前の判断に任せる」

 

「ヒッキー、そんなこと言われても……。茅ヶ崎君、危ないことはないんでしょう?」

 

「さあな。まあ、お前らに危害が加わることはないだろうがな」

 

 茅ヶ崎がニヤケ顔をする。俺は、由比ヶ浜に「行こう」と促す。「ここまで来たんだから」と。

 

 俺たちはエレベータでビルの地下へ連れて行かれた。地下には一個の扉しかなく、重そうなスチール製の扉が立ち塞がっていた。

 茅ヶ崎がポケットから黄色いタグのついたカギを出し開錠する。扉はギイィと音を立てて開いた。

 中は暗い。照明が点く。コンクリむき出しの壁。天井を走る、アルミホイルのような包装材で包まれた管。

 床にはイスが数脚と小汚い黄色のソファ。丸型の小型テーブルがあった。

 テーブルの上には無造作に置かれたペットボトルや、空き缶がある。雑然として不潔だった。匂いも異様で、油や腐敗臭の混じった重苦しい空気が充満していた。

 扉を閉めると、茅ヶ崎は内側から鍵をかけた。

 

 この部屋の主がテーブルの上に置かれていたタバコを吸い始める。すると、淀んでいた空気がさらに息苦しくなった。スポットライトのような形の照明に当たり、紫煙が渦を巻いて踊った。

 

「さて、どうするかな」

 

「どうするって? 茅ヶ崎君、こんなところで何やっているの?」

 

 由比ヶ浜が不安そうに訊ねる。ふうと煙を吐き出しながら、茅ヶ崎が二つ並んだ小部屋の方向に歩き始めた。

 

「来い」

 

 俺たちも小部屋のドアのほうへ近づく。すると、ドアにはあとから設置したらしき鍵があった。ドアノブのすぐ下には大きなかんぬきが付き、南京錠で施錠されていた。

 

 背の高さに外から開閉可能の覗き窓がある。その窓には鉄格子がはまり、さらに金網が張ってあった。

 窓をあけて、茅ヶ崎が覗き込む。脇のスイッチを入れて、内部の照明が点される。

 

「見てみろ」

 

 俺は小窓から中を覗いた。

 そこには……。 

 

 小部屋は大きめのトイレだった。一番奥に、洋式の便座があり、そこに顔が干からびた老人が座っていた。髪は黒いが、ボサボサで、そのうつろな目が俺の目と合った。しかし、ほとんど反応を示さなかった。

 老人は上半身をせわしなく揺すっている。白いシャツはボロボロで、グレーのスラックスらしきズボンも、所々に穴が開いていた。

 その脇にはゴザが敷かれ、毛布があった。よく見ると、部屋の壁には黒い点が移動していた。

 ゴキブリだ。

 それも無数にいる。また、白い壁には引っかいたような血痕がたくさんついていた。

 何匹かのゴキブリが老人の胸や腕、足を歩いていた。だが、老人はまったくそんなことを意に介さない。狂っている。それが俺の偽らざる印象だった。

 

「おい! これは監禁か!」

 

「早まるな、いま説明する。次は由比ヶ浜、お前が見ろ」

 

 由比ヶ浜が覗き窓に背伸びして顔を近づける。そのとたんに「きゃあ~!」と悲鳴を上げた。背伸びをやめた足がガタンと接地し、「何これ~」と青い顔をする。

 

「見たな? もう後戻りできないぞ。いや、させない」

 

「茅ヶ崎! これは犯罪だ! とてもじゃないが、これを黙っておくわけには行かない!」

 

「そうか? 中にいる本人は誰にも喋らないで欲しいと言うはずだぞ?」

 

「どういうことだ!」

 

 俺は興奮していた。こんな犯罪を同級生が、それも同じ部活仲間が犯しているなんて、信じられない話だ。こんなことに由比ヶ浜を巻き込んだ茅ヶ崎に対して、俺は怒りを感じた。あまりに異常だ、高校生の、いや、人間のやることではない。

 

「ねぇ、茅ヶ崎君は犯罪者なの? これって犯罪だよね。どうしてこんなことするの?」

 

 由比ヶ浜が青い顔をしている。ブルブルと肩を震わせながら。

 

「まず、目に見えたものから説明しよう。あの男は35歳の元キャバクラ店員だ。もしかすると年齢は違うかもしれないが。

 あいつはこのビルの5階にある店の金をパクッた。金額は教えてもらえなかった。相当な額だろうな。とっつかまえて調べると、なんと、こいつは殺人事件の指名手配犯だったんだ。

 警察に突き出しても損害金は戻ってこない。そこで、オーナーは俺たちに依頼して、働く気を取り戻させようとしているのさ」

 

「だから、警察がここを発見しても、あいつは監禁を否定するというんだな?」

 

「その通りだ。殺人に横領。てめぇの犯罪のほうが大きいからな。確かにこれは逮捕監禁罪だ。犯罪だ。しかし、俺はまだ18歳未満だろ。大事にはならない。最悪の場合は、俺は頼まれて見張っていたと言う」

 

「くっ。こんな監禁して、働く気になるとでもいうのか?」

 

「なるさ。こんな苦痛が続くなら、働いたほうがマシだと、そろそろ思い始めているはずだぞ。あと1ヶ月くらいだな」

 

「バカな……」

 

「ただ単に、法的に有効な借用書にサインや拇印を強制しても、バックレるからな。こういうクズ野郎は。だから、精神的に改造しているのさ」

 

 由比ヶ浜の体の震えが止まっていた。そして、悲しそうな顔になり、体中の力が抜けているように見える。近くのイスにドサリと座った。

 

「………ということは、そういう店のケツ持ちなのか。それってヤクザということじゃないのか。お前はヤクザなのか?」

 

「いや、違うよ。俺たちはヤクザに属していない。店のオーナーだってヤクザとは関係ない人も多いんだぜ。

 ヤクザにこういう後始末を一回でも頼むと、後々まで縁が切れないからな。しゃぶりつかれる。それにヤクザに利益を提供するとパクられるようになったし。だから、俺たちみたいな始末屋が重宝されるのさ」

 

「俺たち? 仲間がいるのか?」

 

「俺は相棒と組んでこの仕事をしている。相棒といっても10歳も年上だがな。

 相棒は本物だぞ。すぐそこの第一空挺出身だ。不祥事で追い出されたらしいが。

 あいつらは表情一つ変えずに、人を簡単に殺す連中だぞ。エリート殺人マシンだ。俺はその相棒に色々教わった」

 

 茅ヶ崎の話を総合すると、彼は、栄町周辺のキャバクラやソープランド、違法カジノ店などから依頼され、クレーム客や態度の悪い客の対応、店員の不祥事の始末、客の不払いの回収、などを相棒と一緒に請け負っているのだという。

 確かに住んでいる世界が違う。同じ街に住み、同じ学校に通っていながら、俺たちと彼は遠く離れた世界に住んでいた。

 

「だから、お前はゴキブリをあんなに大量に持っていたのか」

 

「そうだ。ゴキブリなんか増やして遊ぶか。普通。あっちの部屋でゴキブリ飼ってるぞ。見るか?」

 

「遠慮しておく」

 

「ははは。なら、ドブネズミなら見たいか? あっちにいるぞ。ドブネズミと一緒に閉じ込めることもあるからな。ドブネズミがいるとロクに寝れない。寝入ると、腹減ったドブネズミが体を齧るのさ」

 

 茅ヶ崎が悪魔のような笑みを浮かべてそう言い放つ。

 

「やめて! もうやめて!」

 

 由比ヶ浜がイスに座りつつ、耳を押さえて叫んだ。

 

「茅ヶ崎君、そんなことやってたらいつか殺されちゃうよ……。まだ高校生なんだよ?」

 

「ある程度カネが貯まったら辞めるさ」

 

「そしてどうするの?」

 

「フランスの外人部隊に入る。俺も実戦で鍛えられたいからな。そのあとは、コントロールリスク社みたいな戦争請負い民間企業で稼ぐ。そんだけ修行すれば、こんな国で破壊活動するのはいとも簡単だろ」

 

「フランスの外人部隊は、アフリカの旧植民地の内戦とかによく派遣されているからな。自衛隊よりも実戦が積めるというわけか。

 それに、イラク戦争後に、一部地域の治安維持や、要人警護なんかを請け負っていたのがコントロールリスク社みたいな民間企業だったよな。

 いまや戦争もアウトソーシングの時代だ。イラクでその手の会社で働くと、1日に10万円もらえたらしいな」

 

「詳しいんだな」

 

「でも、そこで死んじゃったらどうするの? 茅ヶ崎君のお母さんとかも悲しむよ。今も、こんなことしているって言えるの?」

 

「とりあえず、俺は高校に入るという母親との約束を果たした。卒業するという約束はしていないんだな、これが」

 

「お前は本気で破壊活動をするつもりなのか」

 

「このままだとやるだろうな。しかし、カネを大量に稼いだら気が変わるかもしれない。テロリストになるなんてのは自分を鼓舞しているだけだよ」

 

「茅ヶ崎、一つ質問がある。今日はどうして由比ヶ浜にこんなことを見せたんだ」

 

「由比ヶ浜が一番ウザかったから。俺にからみすぎだろ。これで俺が関係のない人物だとわかっただろ」

 

「ああ、わかった。十分過ぎるほどわかった。俺はもう、かかわりたくない。お前に」

 

「由比ヶ浜はわかったのか?」

 

「ううん。わからない。やっぱりこんなことはすぐに止めるべきだよ」

 

 驚いたことに、由比ヶ浜の目つきが強い。しっかりした意思を表現しているのが伝わってくる。

 

「なんだと? 由比ヶ浜、このことを漏らしたら、悪いけど比企谷をバラすぞ? いいな?」

 

「なんで俺なんだよ!」

 

「もう戻れないと言ったはずだぞ。ただで済むと思っているのか。これが漏れたら、俺だって危うい」

 

「じゃあ、もう、止めようよ、こんなこと! 早くあの人を解放して、茅ヶ崎君もこの仕事辞めようよ!」

 

「まったく……。逆効果だったかもな。まいったな。意外に頑固だし」

 

「茅ヶ崎、このことは創発部のメンバーと共有していいんだろ?」

 

「お前ら5人ならいい。しかし、もしそれ以外の人間が知っていることがわかったら、比企谷、お前に責任とってもらう」

 

「なんで俺なんだよ!」

 

「運命だと思って諦めろ。嫌だったら秘密保持に努めることだな」

 

「茅ヶ崎君、このことは誰にも言わないよ。だから、誰にも知られないうちに、止めようよ」

 

 茅ヶ崎は答えず、苦笑するだけだった。

 

 俺と由比ヶ浜は帰途についた。来た道を並んで駅まで戻っていくが、彼女はひと言も発しなかった。

 俺は茅ヶ崎が監禁されていた男を35歳だと言ったことを思い出し、体が震えた。老人にしか見えなかったからだ。あんな残酷なことをやれる人間が茅ヶ崎なのだ。いち早く何か問題を起こすなりして、学校からいなくなって欲しいと切実に思った。

 だが、由比ヶ浜は違う思いを抱いたようだ。

 

「ヒッキー、どうしたら茅ヶ崎君が、あれを止めると思う?」

 

 すごく悲しそうな顔で問われた。

 

「まったくわからん。金を稼いだら止めると言っていたよな」

 

「そうだね……。でも、茅ヶ崎君はいつか殺されちゃうよ」

 

「だから、もう、あんまりかかわるな。確かにあいつの言うとおりだ」

 

「それでいいのかな……」

 

 由比ヶ浜の目が涙ぐんでいた。

 こいつは……。

 

 それっきり言葉が途絶えた。電車のシートに並んで座っても、うつむき、肩が震えていた。こんなに落ち込んでいる彼女を見たのは初めてだった。いつもの弾けるような明るさが消え、まるで体のどこかにある痛みに耐えているかのようだった。

 

「大丈夫か?」

 

思わず、声をかけた。

 

「うん。でも、私どうしよう」

 

「というと?」

 

「茅ヶ崎君に部の活動させなくちゃダメでしょ?」

 

「お前……。まだ言うか、それ。とりあえず、茅ヶ崎のことは雪ノ下たちと相談しよう。それから対応を決めよう。それまではお前は何もしなくていい」

 

「わかった……」

 

 由比ヶ浜が顔を伏せたまま答える。

 

「ねぇ、ヒッキー……、わたし、本当に悲しい……」

 

「あんまり思いつめるな。そうだ。雪ノ下の家にでも寄ってみるか? 明日学校ないし」

 

「え? ゆきのんの家?」

 

 由比ヶ浜が顔を上げる。やはりその目には涙がたまっていた。

 俺は時計を見た。午後10時ちょっと過ぎだった。周囲にあまり人はいない。俺はマナーを無視して、雪ノ下に電話した。これから行くというと「来て」と言ってくれた。彼女は、東雲と目黒にも声かけてみるそうだ。

 

「来てくれって。行こう」

 

「わかった」

 

 目的の駅を降りると、俺たちは、また無言で歩いた。俺は茅ヶ崎なんかよりも由比ヶ浜のほうが心配だった。茅ヶ崎に深入りしすぎている。

 

 関係が、ではない。その感情が。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。