由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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由比ヶ浜のパンチと守護天使小町の降臨

 

 

 雪ノ下の家につくと、リビングのテーブルでお茶をすすりながら、俺は見たものを全部話した。さすがに雪ノ下もその内容に驚いていた。

 

「甘かった。俺たちは犯罪者を仲間にしようとしていたんだ」

 

 見てきたものをもとにして率直に表現した。

 

「そのようね。裏でそこまでやっているとは思いもしなかった」

 

「しかし、監禁されている男にも、俺は同情できなかったけどな。それなりのことをやっている。そうはいってもヤツのやっていることは犯罪だ。確かに住んでいる世界は違う。もう、お手上げだろ」

 

 由比ヶ浜が依然としてうつむいている。出されたお茶にも口をつけていない。だが、苦しそうな表情でやっと言葉を吐き出す。

 

「平塚先生にもこのことは言えないよね……。漏らしたらヒッキーをバラすって言ってたから……」

 

 暗い雰囲気に包まれた。

 茅ヶ崎はいつ学校を辞めてもいいと言っていたが、俺たちと秘密を共有して縛りつけたのは、壁を作って学校や部室に居やすくするためだ。ということは、さしあたってヤツは学校を辞める気はない。

 創発部にかけられたとんでもない呪いのおかげで、俺はこの先の展開を考えるのが嫌になった。しかし、当分のあいだは逃れることができない。

 

「私は茅ヶ崎君にあれを止めさせる方法を考えるべきだと思う……」

 

 由比ヶ浜がポツリと弱々しい声で漏らす。

 

「どうやったらいい? 何か案はあるのか」

 

 由比ヶ浜を慮って、俺はできるだけ優しい声で聞き返した。

 

「ううん。わからない。でも、今ならまだ戻れるでしょ。普通の人に……。警察に言うのもダメだよ……」

 

 口元にあったティーカップをテーブルに戻しながら雪ノ下が相槌を打つ。

 

「そうよね。今ならまだ間に合うかもしれない。それさえなければ、ひどいセクハラ発言はするものの、暴力を振るうわけでもないし……。でも、茅ヶ崎君が元に戻れるように働きかける方法がわからないのよね」

 

「元に戻すか……。力で押さえつけることは無理だし。言葉で説得できるとも思えない。ヤツの経験した過去を癒す方法さえわからない。平塚先生は愛だろ、愛、とか言っていたが。そんなものが通じる相手じゃないだろ」

 

 平塚先生がこの話を聞いたら、どんな顔をするだろうか。

 

 インターホンのブザーが鳴った。リビングで雪ノ下が応答すると、目黒と東雲が来ていた。時刻は11時近い。

 東雲はスリムのジーンズに両肩深くまで露出しているトップス姿だった。俺はすぐに東雲から目をそらした。スタイル良すぎで見とれてしまいそうだから。

 目黒は白いソックスにオレンジ色の比較的長めのスカート、上はモコモコした生地の薄青のセーターを着ていた。頭にはパステルカラーの訳のわからない帽子。目黒の私服を初めて見るが、確かにファッションセンスが少し違っている。地味ロリとは誤解もはなはだしい。

 

「こんな夜遅くにごめんなさいね」

 

 雪ノ下がに声をかけると、二人は手を振って「大丈夫だよ~」と答える。

 

 4人がテーブルにつくと、俺ははじき出された。イスが4つしかない。

 だが、そろそろ帰る時間だ。テーブルでは、すでに千葉市栄町で何があったか2人への説明が始っている。

 

「帰るわ」と俺が言うと、みんな意外そうな顔をしていた。

 玄関のほうへ向かうと、雪ノ下がついてくる。俺は振り返った。

 

「由比ヶ浜が危ういぞ。あいつ……」

 

 廊下の暗がりの中で、雪ノ下が何かに思い当たった顔をする。

 

「私も気がついてた。困ったわね」

 

「なんとかならんか。危険すぎる」

 

「見回せば、なんとかならないことばかりになっているわね。たまには得意の謀略を働かせなさい」

 

 二人の口から、はぁ、とため息が漏れる。

 

「何か考えてみるよ。無駄な感じがするが」

 

「ところで、なぜ帰るの? まだいればいいのに。どうせ明け方まで寝ないし、始発でも帰れるでしょ」

 

「俺、女子会、やっぱり嫌い」

 

 俺はそう言って、彼女に近づき、頬に軽くキスしてみた。

 

「珍しいことするのね」

 

「こうでもしないとやってらんないだろ? この状況」

 

 ニコリとした顔に送られて帰途についた。

 

 

 

 ★    ★    ★

 

 

 

 月曜日の放課後、部室に茅ヶ崎が無言で入ってきた。部屋の中を見回して、雰囲気を確かめている。俺たちはいつもと変わらないつもりだったが、何か変化を感じ取ったらしく、一人で納得したようにうなずき、机に突っ伏した。これでヤツにとっては過ごしやすい環境になったということだろう。

 二つある長机の一番廊下側の席で眠り始めた彼には、誰も声をかけなかった。

 

 茅ヶ崎に一番近い席に座っていたのは俺だった。

 その左隣に由比ヶ浜、順に目黒、東雲、雪ノ下という布陣。由比ヶ浜は、最初、チラチラと茅ヶ崎を見ていたが、そのうちパワースポットの検索に熱中し始めた。

 

 プリントアウトされたリストが斜め左にあったので、見せてもらうと、○○神社とかが多かった。ただのパワースポットならたくさんあるが、確かな効き目があると噂になっている場所を取りあげたい。とはいっても、パワースポットの口コミを検証するのは面倒くさそうだった。飲食店の口コミサイトがアテにならないのと一緒で、書き込みが信用ならないからだ。

 

 俺は、千葉県の怪談や、妖怪伝説に片っ端から当たってみていた。困ったことに、それらしい話が何百件もあった。最初はそんなにないだろうと勝手に決めつけていたが、甘かった。おかげでディスプレイの文字を追いすぎて目がショボショボする。

 千葉県はその昔、中央政府だった京都へ反旗を翻した平将門の領地だったという。その史跡や伝説、怪談がかなり存在する。

 また、一本足の妖怪とか、河童伝説、海坊主、やまんばならぬ「うみんば」、樹木のお化け、人を迷わせて永遠に閉じ込める森、首のない幽霊集団、船の舳先にいつの間にか乗っている全裸の少年、津田沼にあった旧日本陸軍駐屯地での怪異など、数えればきりがない。

 そういった多様な怪談の中で、特に目に止まり、知らず知らずに引き込まれていたものがある。それは、外房のとある海岸で、たびたび学生の集団が大量に溺死する場所があるというのだ。古くは明治時代に女学生10名、大正時代や戦前の昭和時代にも、女学生の集団溺死事件が数回起こっている。

 これは怪談というよりは連続する怪事件だ。事件は新聞記事にもなっていて、現実性があるだけにすごく興味をそそられる。

 

 昔は水泳教練があり、プールなどの施設がない学校では、先生が海に生徒を連れて行ったという。

 何故か犠牲者は女子生徒ばかりで、助かった生徒は口々に「海の上に手がたくさん出ていた」と証言している。

 最近では、今から17年前の夏に、4人の女学生が同時に溺死している。もっとも、それは学校の授業中ではなく、4人で夏休み中に遊びにきていての惨劇だったらしいのだが。

 

 その場所は、勿来(なこそ)海岸と呼ばれているらしかった。

 勿来という地名は、福島県の南部、茨城県との境界近くにある。勿来と聞けば、ほとんどの人はその場所を想起するはずだ。

 しかし、千葉外房の勝浦市の東1~2キロにも、勿来海岸が存在する。地図で検索しても、勿来海岸と書き込まれていないばかりか、「海水浴場」と記されてもいない。

 ノートパソコンのマップを拡大して見ると、地形的には小ぢんまりした弯のようになっていて、東には小さな岬まである。

 地元住民が行政区分で通用する地名とは別に、勿来海岸と呼び、数回の溺死事件と共に語りついでいるようだ。この海は、異常に強いカレントや、変則的な水流が発生しやすい地形をしているという。そのため、漁師以外の地元の人は決して海に入らないらしい。

 勿来とは「()(なか)れ」の意味だ。標識がなかった昔は、地名で警戒シグナルを表したのかもしれない。山に行くと「熊出没注意」という看板があるように。

 勿来海岸の西、つまり勝浦弯の東には、弯の一番深い部分から1キロほど突き出した八幡岬があり、その小高い岬の上には八幡神社がある。行ったことがないにもかかわらず、勿来海岸周辺は既視感にあふれていた。

 俺は、一度勿来海岸へ行ってみたくなった。

 

 資料やパソコン画面に没頭していると、ツカツカと微かな足音が聞こえた。顔を起こすと、雪ノ下が机の上に上半身を乗せて眠っている茅ヶ崎を見下ろしていた。

 

「茅ヶ崎君、起きてくれないかしら。少し話があるのだけれど」

 

 返事がないので、肩を揺する。顔を上げると、目が赤い。茅ヶ崎は本気で寝ていたようだ。

 

「俺は用事ないよ」

 

 茅ヶ崎がまた机に顔を伏せようとする。

 

「待って。あなたはしばらくこの学校にいるつもりなのよね?」

 

「そうだな。それが?」

 

「あなたが犯罪者であることはよくわかった。それを他言しないことも約束する。だからといって、ここに来て寝てばかりいられても困るのよ」

 

「なんでだよ。寝てりゃお前らに害はないだろ」

 

「その通りだけれど、平塚先生がこの様子を見たら不審に思うでしょ。却って深入りしてくるはず」

 

「まあな。それはいえるな」

 

「だったら、少しは部活動しているフリをして。嫌々ながらも適当に活動している様子を見せておいたほうが賢いはずよ。そうすれば、先生もうまく行っていると思って関心をなくしていく。ここにも来なくなる。私たちもあなたが犯罪者だと先生に打ち明けるリスクも低くなる」

 

「なるほどな。呉越同舟の提案か?」

 

「しばらくしたら、あなたは学校辞めるんでしょ? それまでは適当に調子を合わせたらどう?」

 

「わかった。りょ~かい。で、さしあたって何やりゃいい?」

 

 茅ヶ崎が眠そうな顔で鼻くそをほじる。

 

「あなたノートパソコンとか持ってる?」

 

「あるよ。学校に持ってくるの面倒だが」

 

「だったらこの部室に置いておけば? カギのかかる棚もある。何かやっているように見えるでしょ」

 

「ぷっ。それだけでいいのか」

 

「もちろん、やることはあるけど、どうせやらないでしょ? こっちはギリギリの提案をしているのよ。少しは感謝しなさい」

 

「あ~ウゼ。その言い方。でもお前はツンツンして命令口調でムカついたらビンタするほうが似合っているかもな。そのほうが刺激的で面白い」

 

 茅ヶ崎が足を机の上に投げ出して、イスの背にもたれた。

 

「お望みならそうするけれど。とりあえず、今日はこの本でもめくっていて。先生が来たときだけでいいから」

 

 雪ノ下が棚の中から分厚い本を出してきた。それから一枚の紙も茅ヶ崎の近くに置く。本をめくって何かを書き写しているフリをしろということだろう。

 

「はいはい。ご丁寧にどうも。俺が金曜日にダメ夫たちに見せたものは、一応効果があったようだな」

 

「あまり調子に乗らないでちょうだい。あんなくだらない犯罪程度のことで大物ぶられても困る」

 

「うっせチチナシ、別に俺は小物で結構だよ!」

 

 くっ……と息が漏れ、雪ノ下のこめかみや首すじに力が入った。

 

「茅ヶ崎、そのセクハラ発言もそろそろ止めてくれ。頼むわ」

 

 俺が横からそう言うと、茅ヶ崎は不思議そうな顔をした。

 

「そういえば、お前らがくっついているのも変だよな。それに、お前ら本当に高1なのか? 俺には大学生くらいに感じるんだが。比企谷、お前ダブってない? 留年しただろ」

 

「してない!」

 

 声に力を込めて反駁すると、茅ヶ崎が首をかしげる。

 

「本当かよ。なんかお前、ジジ臭いぞ。お前の彼女もババ臭い。雪谷(ゆきがや)夫妻は二人揃ってなんか変だな」

 

「どこの学校にも一人くらいはいるだろ。オヤジとかオッサンとか言われているやつが。そんな程度の話だろ」

 

「これからお前を先輩と呼ぶわ。いいだろ? 先輩」

 

 茅ヶ崎がニヤケるが、ババァと言われた雪ノ下は、きつい顔をしている。

 俺の隣りの由比ヶ浜は、無言でパソコン操作に熱中しているふりをしているが、明からに俺たちの会話を気にしている。それは目黒も東雲も同様だった。

 

「お前は言葉遊びが好きだな。お前みたいなヤツはいわゆるダークヒーローっていうんだろうが、饒舌なダークヒーローなんて見たことない」

 

「言葉遊びね……。特に人の悪口は自然に頭の中に浮かんできて、言いたくてウズウズしちゃうもんでね。傑作だろ?」

 

「ちっとも傑作じゃないわね。くだらないことこの上ない。品もないし、汚い。ゴキブリ好きなあなたらしい言葉だらけね。自信過剰もほどほどにしたほうがいい。

 こうしてあなたの相手をしているのは、平塚先生に頼まれたからに過ぎないし、犯罪者とわかった以上、相手する義務は消えた。でも、脅迫されているから仕方なしに相手をしている。その情けない状況をよく理解しなさい」

 

 毒舌だったら負けていない雪ノ下がとうとう反撃に出た。

 

「ババァと言われたのがマジで気に障ったようだな。そんなわかりきったこと今さらくり返されても返答に困るわ。まあ、でも、少しは言うこと聞いてやるよ。また平手打ち喰らいたくないもんな」

 

 茅ヶ崎がバカにしたような笑みを浮かべる。

 

「そう。わかったんだったらいい」

 

 雪ノ下が自分の席に戻っていくと、茅ヶ崎は俺の方へ体を寄せてきた。小声で話しかけてくる。

 

「先輩。奥さんについて教えて欲しいことがあるんですけど」

 

「なんだよ。その口のききかたは」

 

 悪魔のようなニヤケ顔で質問してくる。小声だが、当然、みんなに聞こえている。

 

「先輩。奥さんて、どんなプレイが好きなの? ノーマル? それともやっぱり女王様プレイ? いたぶるのが好きなの?」

 

「お前、いい加減にしろよ。そんなことに答えると思っているのか」

 

 だが、茅ヶ崎はお構いなしだ。さらに声がコソコソしてくるが、これもみんなに聞こえている。

 

「ちゃんとフェラしてくれんの? どんな顔して? 奥さんのほうはどんな声出すの? 早いほう? それとも時間かかるほう? 乳首の感度は? 噛んだりする? 下半身はいじってあげんの? 愛してるとかちゃんと言うの?」

 

 俺は怖くなって彼女のほうを見たが、なんか…、もう…、体が慄えている……。ペンを握りしめてわなわなと、体が揺れている。黒々としたオーラが煙のようにメラメラと立ち昇っている。

 俺は茅ヶ崎を部屋の外へ連れ出そうと思い、腕をつかんで立ち上がった。そのとき、俺の左から体が素早く動く圧力を感じ、同時に絶叫が聞こえた。

 

「だぁ~~!! もう~! おまえは死ね~!! もうわたしも我慢できない!!」

 

 由比ヶ浜が、わっと茅ヶ崎に飛びかかったかと思うと、信じられないことに、目をつぶりながらヤケクソでゲンコツのパンチを顔に見舞った。

 俺の体のかげから飛び出してきた由比ヶ浜に、茅ヶ崎といえども不意をつかれて、避け切れなかった。

 その勢いで、茅ヶ崎は仰向けに床に転がり、由比ヶ浜がその上に乗っかる形になった。

 

 一瞬のことだったが、全員がそれを目撃した。由比ヶ浜は、息を荒げながら、ハッと気がついて我に返った。

 見れば、由比ヶ浜の下で、茅ヶ崎が目をパチクリさせて驚き、その鼻からは血が出ていた。手で鼻を触って、血が出ていることを確かめている。

 

 その現場に全員で駆け寄る。

 危険だ。

 目黒が由比ヶ浜の腕をとって、横たわる男の上からどかせる。東雲と目黒が由比ヶ浜を抱きかかえる。

 

 

「大丈夫か」

 

 俺は声をかけて、茅ヶ崎の近くにしゃがみこむが、その体がガバッと起き上がる。

 

「お前、よせよ!」

 

 俺は報復を予期した。しかし「何が?」と返答された。落ちついた様子で茅ヶ崎はイスに座りなおす。

 凍りついた空気の中、しばらくすると、おどおどした挙動をしながら、由比ヶ浜が近づき、ハンカチを差し出した。

 

「ごめんなさい………」

 

「ハンカチじゃなくてティッシュない?」

 

 茅ヶ崎のリクエストに応じて、由比ヶ浜がカバンの中からポケットティッシュを差し出す。

 

「悪いな。使わせてもらう」

 

 そういって茅ヶ崎は鼻の周囲を拭き、鼻の穴にティッシュを詰めた。

 

「怒らないの?」

 

 由比ヶ浜が上目づかいで問いかけるが、茅ヶ崎が平然と答える。

 

「別に? どうってことないだろ、こんなの」

 

「そうなの? でも、もうやめて、人をからかうのは……、ゆきのんとかそういうこと言われる人じゃないから」

 

「いや、やめない。そういうこと言われる人じゃないから面白いんだろ」

 

 俺は驚愕した。由比ヶ浜の渾身のパンチを食らっても怒らないばかりか、心境に何の変化もないというのか。

 

「はぁ、もういいわ、私なんか何言われても、怒らないようにする。反応すればそれだけ彼の思う壺。聞き流すことにするから、みんなも気にしないで」

 

 事態を見守っていた雪ノ下が嘆くように言う。由比ヶ浜に近づいて、その手をとる。

 

「ありがとう。もう何言われてもいいから。あなたが怒る必要はないのよ。彼の言葉は全部聞き流すようにしてね。何もしなくていいいから」

 

「わかった……」

 

 だが、由比ヶ浜はわかってなどいなかった。雪ノ下にもう何もしないでね、と諭されていたが、由比ヶ浜はこの時からすでに決意していたのだろう。

 

 茅ヶ崎の悪行を止めるための、彼女なりの勇気を振り絞った行動を……。

 

 

 ★    ★    ★

 

 

 それから数日、創発部と茅ヶ崎の小競り合いは時々発生した。そのすべてにおいて、大事にならなかった。というのも、由比ヶ浜に顔面殴打されたときのように、茅ヶ崎が手加減しているからだ。

 こいつは、そういったバランスを取るのがうまい。他人との駆け引きにおいて、変幻自在に攻めたり引いたりしている。人を操るのに巧妙だ。人間心理も心得ている。

 その様子を観察しているうちに、俺は惜しくなった。もっとまともな人間であれば、確実にリーダー格といえるのだ。度胸もあれば腕っ節も強い。頭の回転も早い。この男を観察して知れば知るほど実に惜しい。

 

 ある放課後、部室ではいつものように、俺の右側には寝ている茅ヶ崎がいた。そのうち、ふと、上半身を起こして立ち上がり、トイレに出て行った。

 俺は、パソコンで資料検索したり、女学生集団溺死事件を箇条書きにまとめたりしていた。それに熱中していると、由比ヶ浜が俺の右隣、つまり茅ヶ崎の席に座った。

 

「ヒッキー、それってあの事件まとめているんでしょ? 例の、女の子たちが溺れたやつ」

 

「そうだよ。あ、プリントアウトしたものがあるから読んでみろよ」

 

 この事件を取材するために、一人でも賛同者を増やしておきたかった。この事件は取り上げる価値があるし、個人的にも興味がある。目の前の紙の束から、事件の梗概を書いた紙を何枚か渡した。

 

 今から思い出してみると、梗概を読んでいる間、由比ヶ浜は不自然に体を動かしていた。左手で紙を持ち、右肩をゆらゆらとさせていた。

 

「ふ~ん、怖いね~」

 

「そうだろ? 17年前にも女の子が4人、溺れている」

 

 由比ヶ浜が紙を俺の前に置き、自分の席に戻った。そこには雑誌がうず高く積まれている。

 

 

「あ、そうだ。わたし、家で用事があったんだ。今日はちょっと先に帰るね。ゆきのん、いい?」

 

 早退を申し出ることは珍しいことだった。もちろん、雪ノ下は「いいよ」と答える。すると、由比ヶ浜はリュックサックをかついで、「じゃあね~」と手を振って出て行った。

 

「じゃあね~結衣ちゃん、また明日ね~」

 

 目黒たちも答えて手を振った。時計を見ると、午後4時ちょっと過ぎだった。

 入れ替わりに茅ヶ崎が入ってきた。ノートパソコンの上に腕組みして顔をつけて寝始める。

 

 30分くらい経過したころだったろうか。操作していたパソコン画面に見慣れない文字が突然表示された。呆気にとられて見つめた。

 

Dear my brother !!

 

I poured into your brain the images of simulation within 10 hours from now.

 

which generated by approximately 1000 trillion parameters of your real world. 

 

There would be little concussion. don't mind that.

 

your guardian angel KOMACHI

 

 なんだこれ? 最後に「守護天使小町」とある。小町なのか? 俺の守護天使……。なんで英語なんだよ。

 そういえば、小町が夢の中で俺に話しかけてきたのを覚えている。いつも俺を見守っていると。

 これはシミュレーション世界の小町からのメッセージだというのか? これから俺たちの世界のシミュレーションを脳に流し込むだと?? 意味がわからん。しかし、きっと何かの意図があるのだろう。

 俺は、キムの屋敷に潜入したバトーのようだな。守護天使がついているなんて。

 

 俺は、焦って大きな声を出し、雪ノ下を呼んだ。手招きすると、彼女もPCを覗き込んだ。すぐに意味を理解したようだ。

 

「小町さん? この世界のじゃないわよね」

 

「そのようだ。この前、夢に現れた。俺をいつも見守っていると言ってた」

 

「今後10時間のシミュレーションを見せると書いてあるわよ」

 

「ん?」

 

 画面に変化があった。カウントダウンだ。

 

Here we go

5

4

3

2

1

GO!!

 

 一瞬、脳内に閃光が走り、ピキーンと音がした。しかし、起こったのはそれだけだった。

 目の前の状況、部室にいる俺たちは同じだった。何も変化がない。

 

 一体、このメッセージとは何だったのか? 画面からは小町からの英文のメッセージは消滅していた。元どおり、俺が使っていたワープロソフトの画面が表示されているだけだった。

 俺と雪ノ下は顔を見合わせた。目黒と東雲も不思議そうに俺たちを見ていた。茅ヶ崎はいつものように寝ていたが、眠そうな目つきで顔を上げた。

 

 

 

 

 

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