由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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由比ヶ浜結衣は空を見上げて考える

 20メートルくらいの距離まで近づいたとき、ジーンズのショートパンツとピンク色のTシャツ姿の由比ヶ浜が、俺たちに「こんにちは!」と手を振ってきた。俺もそれに応えて手を振る。

 

 連れている犬はミニチュアダックスフンド。飼い主に似て人懐っこい性格らしく、リードの許す限り、こっちに走り寄ってくる。

 

「また会ったな。ワンちゃん元気? どれどれ」

 

「うん、元気だよ。毎日の散歩が面倒だけどね~」

 

 しゃがんで犬のアゴを撫でてやる。すると、尻尾を振って俺のひざ頭に両足をかけてよじ登ろうとする。背後ではちょっと引き気味の雪ノ下。こいつは犬が苦手だったんだよな。

 

「首輪同じじゃん。また外れるぞ」

 

「え? 直してくれたから大丈夫じゃない? またおかしくなってる?」

 

 由比ヶ浜もしゃがんで首輪を点検する。すると、リードと首輪をつなぐ金属製の輪が少し開きかけていた。

 

「あ、ところで、名前はなんていうの?」

 

「そうだな。まだ名前も名乗ってなかったな。でも俺はお前の名前知ってるぞ。由比ヶ浜結衣だろ」

 

「どうして知ってんの?」

 

 若干の怪訝そうな表情が混じっている。属しているクラスが違うし、まだ学校ではチラホラお互いの姿を見る程度だから、名前を知っているのは変かもしれない。だが、俺は休み時間に「由比ヶ浜さ~ん!」とか「結衣ちゃ~ん」と呼ばれている由比ヶ浜を何回か見ていた。実際のところ、名前を覚えていてもおかしくはない。

 

「お前は友達が多いだろ。名前を呼ばれているところを何度も見た。それで名前を覚えた。俺は比企谷八幡。後ろのは雪ノ下雪乃。犬が苦手。だから若干怯えている」

 

「比企谷くんだね。それから雪ノ下さん。二人とも名前を聞いたことあるよ。有名人じゃん? みんな知ってるかも」

 

 由比ヶ浜につられて俺も立ち上がる。

 

「はじめまして、由比ヶ浜さん」

 

 少し離れたところに立っている雪ノ下のほうに目を向けると、由比ヶ浜の表情がほころんだ。リードの先では犬がせわしなく走り回っている。それを手で制するのが面倒くさそうだ。

 

「こんにちは。やっぱり噂どおり綺麗な人だね~」

 

「ちょっと変わり者だけどな」

 

 俺たちは近くの小さな公園のベンチに腰をおろした。久しぶりの三人の邂逅だった。

 一番右に由比ヶ浜、真ん中に俺、左に犬の苦手な雪ノ下。犬が邪魔になって雪ノ下は由比ヶ浜とあまり喋れる状況ではないので、俺が話をすすめる恰好になっていた。

 

「ところで由比ヶ浜、部活は何か入る予定あんの?」

 

 由比ヶ浜が空を見上げるように考える。

 

「うーん。ない。面倒だし」

 

「そうか。だったらいい部活があるんだが……」

 

「どういうの?」

 

 雪ノ下が割って入る。

 

「由比ヶ浜さん、16歳から18歳までの貴重な時間にただ登校下校を繰り返すだけで終わるのはよくないと思うの。学校の教育内容なんてたかが知れているし、居心地のいい友人に囲まれるのは楽しいけれど、それだけでは知りえない世界というのもあるのよ」

 

 

 俺は思わず苦笑してしまった。あまりに直截な言い方が性格を反映しているから。まだまだ不器用だ。下手をすると宗教の勧誘にも聞こえかねない。だが、不器用なのは俺も同じなのだが。 

 

「まあ、それはそうだけど……」

 

 

「なあ、由比ヶ浜、お前のことだから、クラスに親しい友達がもう何人もできただろ」

 

「うん。何人かいるよ」

 

「実は俺たち、といっても俺と雪ノ下だけなんだが、部活を作ろうと思っているんだ。俺にも何をやるのかわからないんだけど。それに参加しない? その友達を連れて」

 

「どんな部活? わたし、運動するのしんどいし、とりえってあんまりないけど……」

 

「由比ヶ浜さん。私たちは運動部をつくろうとしているわけじゃないの。放課後に適当に集まって適当に話をして……、活動内容にはプランがいくつかあるのだけれど、とりあえず最初にやろうと思っているのは……」

 

 由比ヶ浜の顔が曇ってきた。予想通りだ。こんな抽象的なことを言われてもピンと来ないのは理解できる。俺は助け舟を出した。すこぶる適当な。

 

「あのさ、難しく考えることはないんだ。最初は校内の有名人とかにインタビューしてそれをプリントする。要するに『あの人どんな人新聞』だな。それから、レジャー活動の研究。つまりみんなでゲーセン行ったりディズニーランド行ったり、遊んじまうわけ」

 

「みんなで遊んじゃうんだ~~? それって面白そうだね!」

 

 由比ヶ浜の顔が明るくなった。それと同時に雪ノ下がおれの肘をつねってきた。

 

「それ以外にも入部する特典があるぞ。雪ノ下は学年一位どころか超高校級の成績だ。信じられないことに、たぶん今、三年生のテストを受けてもトップだぞ。授業なんて受ける必要がないくらい。だから、そんな人にテスト対策してもらえるぞ。定期試験前の3日前にちょこちょこっと教えてもらえば成績アップ。遊んで成績もアップする夢のような部活ときたもんだ」

 

「ちょっと比企谷君」

 

「すごいね。それ本当? わたし、ギリギリで合格だから、すっごく助かるかも! でも……どうしてわたしなんか誘うの?」

 

「それはな、俺も雪ノ下もあまりコミュニケーション能力が高くないから。不器用なんだよ。だから、お前みたいなやつに仲間になって欲しい」

 

「ほよ? コミュニケーション能力? 二人とも無いようには見えないけど?」

 

「私ね、一年くらい前まで友達が一人もいなかったの。性格も歪んでいたのよ。どうしてそうなったのかは興味があれば話すけれど。

 比企谷君も同じような状況だった。彼の場合はコミュニケーション能力というよりは捻くれていただけだとは思うけれど。治りつつあるとはいえ、まだまだあなたには遠く及ばないわ」

 

「え~~! 全然そんなふうには見えない! だって二人は付き合っているんでしょ?」

 

「まあ、そうだけれど。捻くれ者同士くっつかざるを得なかったって感じかしらね。というよりも私が引き取ってあげたというべきかしら」

 

「お前な……」

 

 改めて由比ヶ浜が俺と雪ノ下を眺める。俺は話を進めるために質問した。すでに由比ヶ浜が入部を決めたという前提で。

 

「それで、誰か一緒に入ってくれそうなやつの心当たりはあるのか?」

 

 由比ヶ浜がまた顔を上に向け、雲が流れる空を眺めた。

 

「そうだなぁ~。立川千佳子ちゃんとか、目黒(めぐみ)ちゃんあたりかなぁ。っていうか、わたし、すでに入部するの決まってんだ?」

 

「あはは。よく考えてみてくれ。楽しいと思うぞ」

 

 由比ヶ浜とはその公園で別れた。時刻は2時過ぎになっている。俺たちはショッピングモールへの道を歩き始めた。

 その途中で、さっき由比ヶ浜が挙げた名前を反芻する。立川千佳子とか目黒恵とか、どうしてこの高校にはこういう名前の人間が多いのだろう。雪ノ下雪乃とか由比ヶ浜結衣とか、葉山隼人とか川崎沙希とか。仲間はずれにされているのは俺くらいのものだ。

 

 変な疎外感にとり憑かれていると、ショッピングモールと球場が見えてきた。最短距離をとるなら海に面した公園の中を通り抜ける必要がある。この公園は雪ノ下とファーストキスをしたところだった。思い出してみると、むずがゆいというか、恥ずかしいものだ。あの頃は、ニセモノの世界に住んでいたとは夢にも思わなかった。

 

 ……と、そのとき、海風に乗って男の言い争う声が聞こえてきた。生垣を抜けて声のする方向の視界が開けると、三人の男と一人の女がもみ合っていた。全員私服だが高校生に見える。背が高くGジャンを着た男が、激情にかられた様子でアロハシャツを着た男の胸倉をつかんでいた。俺たちは思わず立ち止まった。

 

「てめえ、関係ねぇだろが。首突っ込んでくんじゃねぇ」

 

 

 背の高いGジャンがアロハに凄んでいた。胸倉をつかむ相手の手を握りながら、アロハも言い返す。

 

「あ? 関係だったら大有りだね。そいつは俺の幼馴染なんだからな。てめえこそ痛い目にあいたくなかったら手を引いたほうがいいぞ」

 

「なんだと? 面白いじゃん。痛い目に会うのはてめえだろが」

 

 Gジャンがアロハの髪の毛をつかんだ。仲間と思しき赤いTシャツの男がアロハの後ろに回って羽交い絞めにしようとする。

 

「やめて! 今度こそ退学になる! 警察呼ぶよ!」

 

 化粧っ気のない白い顔をした黒いジャージ姿の女が、Gジャンの腕を取って、喧嘩を止めさせようとしている。

 

「うるせえ。女は引っ込んでろ。だいたいこいつがからんできたんじゃねえかよ」

 

 すさまじい形相で、Gジャンが女を振り払った。女は芝生の上に転がる。その様子を見たアロハシャツがGジャンを見据える。

 

「女に暴力をふるうんじゃねえ、クズ野郎が。あと十秒待ってやる。俺から手を離せ。そして、大人しくこの女と別れろ。そうすればお前たちは今日、無事におうちに帰れる」

 

「この糞野郎! なめた口叩きやがって」

 

 Gジャンが胸倉をつかんでいた手を離し、アロハの顔面に向かって殴りかかる。赤シャツが後ろから羽交い絞めにしているので、アロハは逃げられないはずだ。

 

 ところが……。

 

 二対一の喧嘩の勝敗は、ものの五秒で決した。Gジャンの拳が飛んでくる前に、アロハが腹に蹴りを入れ、肘で赤シャツのみぞおちを打つ。ひるんだ二人は、さらに腹にパンチを立て続けに受けることになった。

 その早業は、喧嘩慣れしているというより、明らかに何かの格闘技に習熟しているような感じだった。打撲痕の残りやすい顔を狙わないところも手馴れている。

 Gジャンはうずくまり、赤シャツは背中を丸めて芝生にしばらく転がっていた。

 

「いいか、こいつにはもうかかわるなよ」と、アロハが言い捨てる。そして、「さ、帰ろう」とアロハが女の手を引く。

 

「でも………」

 

 女は喧嘩の行われた現場を去りがたい様子だった。Gジャンがよろけながら立ち上がった。その手にはナイフが握られていた。こちらからは光って見えたが、背を向けているアロハシャツは気がついていない。

 

「おい! そこのアロハシャツ! そいつ、ナイフ持っているぞ!」

 

 思わず、俺はそう叫んでいた。振り返ったアロハがGジャンに気がつき、身構えた。振りかざされたナイフをひょいと避けると、間髪を入れずにアロハは再び腹にパンチを入れた。

 

 それで終わりだった。

 

 アロハは俺に向かって軽く手を上げ、女を引っ張って行った。近くに停めてある中型バイクからヘルメットを取ると女に渡した。

 周囲に響き渡る改造マフラーの爆音。アロハはノーへルで女を後ろに乗せ、去って行った。ここはバイク侵入禁止のはずだが。

 

「すごい大立ち回りを見てしまったわね」

 

「そうだな。俺はあいつに加勢してしまったから、早いとこずらかろう」

 

 俺たちも早足でその場を去った。振り返ると二人の男がモゾモゾと芝生の上で動いていた。

 この立ち回りをやってのけたあのアロハシャツの男が、このあと俺たちの目の前に意外な形で現れることを、誰が想像できただろう。

 

 

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