由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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雪ノ下陽乃の憂鬱①

 由比ヶ浜が、千葉市栄町の雑居ビルから救出された翌日も学校だった。昼休みになると、意外なことに、茅ヶ崎が入り口に立って俺を手招きした。

 

 その様子に気がついた秋川が俺の耳元でささやく。

 

「今度は女子じゃないんだな。それに、おまえ、あいつと友達なの?」

 

「部活仲間だ。なんか用事でもあるんだろ。色々あったし」

 

「ヤキ入れに来たのかと思ったぞ。助かったな」

 

 扉に近づくと、「ちょっと来てくれ、話がある」と、茅ヶ崎が歩き始めた。

 

「どこへ行くんだ」

 

「まず最初は、おまえの奥さんのところ」

 

「奥さんというのはよせ」

 

「じゃあ、これ」と言って、右手の小指を立てた。

 

 国際教養科の教室に入ると、俺たちの姿を目にした雪ノ下が意外な顔をした。俺たちが連れ立ってこの教室に入るのは珍しい。

 

「ちょっとつき合ってくれ。二人に聞きたいことがある」

 

茅ヶ崎が雪ノ下に話しかける。そこへ東雲が近づいてきた。

 

「志乃ちゃん。昼休み、カギを取りに行って、先に行ってて。なんか男子二人が用事があるんだって」

 

「うん。わかった」

 

 三人で屋上に上がった。生徒の姿は疎らで、いつものように、声が聞こえないほどの距離がある。茅ヶ崎が振り返る。俺と雪ノ下が並び、それに向かい合う形になる。

 

「おまえたち、一体、何者?」

 

「やっぱりそれか」

 

 予想通りだった。茅ヶ崎が、いま一番疑問に思っていることはそれ以外にない。

 

「それから、由比ヶ浜を救出する前に見た、おまえたちがシミュレーションと呼んでいるものは何だったんだ?」

 

「では、まずシミュレーションから説明しましょうか」

 

 雪ノ下がそう言う。だが……。

 

「たもどこまちながしせかみゅしおす(注1)?たれょなんいかか?らきこれーとはすではの」

 

「ぜでしていようぶしうょ。ううひもだ(注2)いをつそはないとおんじょぶはなもう」

 

「まのいしいゃがあとをぶがそこうだきて(注3)も、だないれもしんじろうな、こだろう」

 

 俺たちの会話を聞きながら、茅ヶ崎は目を白黒させていた。

 

「おまえら、やっぱり宇宙人だろ。スペースインベーダーか! いい加減に正体を現せ。変身しろ!」

 

 茅ヶ崎は真面目な顔をして言っている。

 

「ふふふ。宇宙人じゃないけれど、それに近いかも知れないわね」

 

 雪ノ下が楽しそうに話し始める。

 

「私たちは、人格シミュレーションだったの。といっても、今地球上に存在しているデジタルコンピュータで走るようなシミュレーションではない。自然に発生した量子コンピュータ上のシミュレーション。それは、私たち人間の脳内で起こっている量子的プロセスもすべてシミュレーション可能。だから、実際の人間とほとんど変わらない思考や閃き、あいまいさ、人格が再現されていた。

 私たちはある日、私たちの実体であるこの体に、転送された。シミュレーション世界の記憶がこの体に植えつけられた」

 

 茅ヶ崎が真剣に聞いている。しかし、半分程度しか理解できていないようだ。それもそうだろう。信じられるわけがないし、素直に頭に入ってくる話ではない。

 

「自然にできた量子コンピュータだ? さっぱりだ……。だが、続けてくれ」

 

 一応、茅ヶ崎には今までの経緯をすべて話した。ふうせんかずらのこと。ヤツに操られて殺し合いをしたこと。

 さらに、昨日見たシミュレーションは、99・999%その通りになるはずであったこと。守護天使小町が、常にシミュレーションを働かせて、未来を予測していること。あの異変は、危険を察知した小町が、介入してきた結果であること。

 

「正直言って、半信半疑だ。だが、昨日のシミュレーションは俺も確かに体験した。あれがなかったら、おまえたちに病院行きを勧めただろうな」

 

「信じようが信じまいが、どちらでもかまわないのよ。お好きにどうぞ」

 

「驚いたな。そんなことがありうるのか………」

 

「最初は俺だって信じられなかったさ。自分がシミュレーションだったなんて。それに、現実世界に転生することも………。この学校で、三年生になるまで過ごした記憶があるんだぞ。おまえよりも二歳は年上ということになる」

 

 茅ヶ崎が俺をみつめる。

 

「だからか……、ジジ臭いのは。俺が先輩とか言っていたのは、あながち間違いじゃなかったんだな」

 

「でも先輩というのはやめてくれ」

 

「で、どうするんだ? このことはあとの三人にも言うのか?」

 

「隠す必要はない。信じようが信じまいが勝手だ。だが、別におおっぴらに言いふらすつもりもないが」

 

「そうだろうな。わざわざ好んで電波と思われる必要もない」

 

「ところで、茅ヶ崎。由比ヶ浜を傷つけるようなことをしたら、俺は絶対許さない。わかっているだろうな」

 

「そうよ。彼女に何かしたら、必ずあなたに天罰を下す」

 

「本当に天罰がありそうで怖いわ。シミュレーション世界での仲良し三人組の名残か。由比ヶ浜は知らないというのに」

 

「わかったのか?」

 

「おまえらちょっと待て! 俺だって別に由比ヶ浜をいじめようと思っているわけじゃない。わざと傷つけるようなことをする理由もなくなった。しかし、キャラが急変したらおかしいだろ。最初は少しからかったりするぞ。天罰はやめてくれ」

 

 クスクスと雪ノ下が笑った。

 

「そんなに可笑しいか?」

 

「今までが今までだったから……、それに細かい」

 

「そうだ。雪ノ下には言っておくことがある」

 

「ん? 何かしらね。改まって」

 

「おまえの姉貴と会ったとき、ウチを潰してとか言ってただろ? だから潰してやろうと思って情報収集していた」

 

「それで?」

 

 雪ノ下の表情がちょっとだけ引き締まった。茅ヶ崎も行動していたというわけか。

 

「色々と当たってみた。ツテをたどっておまえの家のライバル会社とかのヤツに。そしたら、おまえの親父、かなりカネばらまいているらしいじゃないか」

 

 茅ヶ崎の話では、雪ノ下の父親が公共事業の談合の音頭を取っているという。そのためには、役所が計算する公共工事の予定価格を知る必要がある。

 予定価格とは、工事の品質を落とさないために役所が設定するものだ。予定価格の70~80%以下で入札した業者は落とされる。また、予定価格よりも高い入札額を提示した業者も落とされる。業者の競争が正当に行われているのであれば、この70~80%近くで入札されるはずだ。

 しかし、業者は予定価格がわかっていれば、最大限の利益が得られる。そこで談合が自然発生的に行われる。入札する権利を何社かで順番に回すのだ。

 役所も毎回予定価格を少し下回る価格て落札されるのを不審がることはない。だいたい、自分のカネではないのだから。民間企業では考えられない。

 その予定価格を知るために、雪ノ下の父親は政治家を経由して役人に裏ガネを渡しているという。千葉県界隈では、知る人ぞ知る話ということらしい。

 

「もう、雪ノ下の家を攻撃しようなんて気もなくなったから話すが、ヤバイんじゃないのか?」

 

「う~ん」と、俺は唸った。

 

「茅ヶ崎、雪ノ下の父親は、おそらく、今から一年半後の冬、クリスマスあたりに逮捕される。すでに向こうの世界では経験しているんだ」

 

「そうよ。こうした話は除々に世間に浸透して行くから……、もうすでに、誰かか告発するために証拠を集めているかもしれない。相当前からやっているはずだから」

 

「ということは、すでに問題発覚は不可避な段階なのか?」

 

 茅ヶ崎が雪ノ下をみつめている。

 

「おそらくそう……。こういう事件って、世間に噂が流れ始めてから、逮捕までに数年とかかかるケースってザラでしょ」

 

「逮捕されたあと、雪ノ下家はどうなったんだ?」

 

「うちは、母親が強力だから、潰れることはなかった。逮捕されてから母と娘二人は、一時期、忙しかったけれど」

 

「そうか。他人ごとだからもう首は突っ込まないが。カネ持ちってそんな程度のことじゃ、潰れないんだな」

 

「実は、姉さんがそういった裏活動に関わっているのよ。信用できる親族だから。私よりも姉さんのほうがウチに潰れて欲しがっているのかもしれない。顔には出さないけど、時々嫌な顔をしているから」

 

「この前、姉妹で現れたときもそういった関係先に行っていたのか?」

 

「あれは違うわね。遠縁の結婚式よ。顔も見たことない人たちの」

 

 俺は意外に思った。あの陽乃さんが嫌な顔をして何かをやることがあるのか? 傍若無人・自由奔放に振舞っているようにしか見えないのだが。

 

 その放課後は、茅ヶ崎に話したことを東雲、目黒、由比ヶ浜にも話した。やはり、三人ともシミュレーションを体験していなかったら、信じられなかっただろうと思う。

 

「そういうことだったんだ」と一番先に声を出したのは目黒だった。そういえば、俺と雪ノ下の仲を疑うようなことを以前に言っていた。

 

「信じにくいだろうが、事実だ」

 

「そうだよね。結衣ちゃんが危ないから、小町さん? が助けてくれたんだね」

 

「助けるために送ってきたのがあのシミュレーションだったわけだ」

 

「じゃあヒッキー、小町さんに会わせて? お礼言いたいから。あ、でも関係なかったんだっけ!? そうか、関係ないんだ!?」

 

 由比ヶ浜が珍しく自分の疑問を自分で解決した。

 

「俺の守護天使小町は16歳で、この世界の小町は14歳だ。関係ないといえば関係ないが、関係ないこともない。難しい……。そのうち遊んでやってくれよ。だが、このことはまだ小町には話していないんだ」

 

「守護天使とか言ってる! ヒッキーってシスコン?!」

 

 由比ヶ浜がポーンと弾ける顔をした。そのとき、ガラガラと扉が開いて、茅ヶ崎が入ってきた。

 

「う~す」と珍しく挨拶までする。それまでの会話が途切れて、全員が沈黙した。

 

「なんだ? やっぱり俺は来ちゃいけなかったのか?」

 

 気まずそうな顔をする茅ヶ崎に、由比ヶ浜が答える。

 

「そんなことないって。いつも通りにやれば?」

 

「そうか。いつも通りというと寝てていいのか?」

 

「少しは何か手伝ってくれると嬉しいんだけど……」

 

「悪いけど、今日は寝かしてくれ。昨日、ほとんど寝ていないんだ。明日からは手伝うよ」

 

 茅ヶ崎が机に突っ伏した。そういえばヤツは残務整理があると言っていた。色々とやることがあったのだろう。図太い神経を裏づけるかのように、すぐに寝息を立て始めた。本格的に寝ている。

 明日からは手伝うよ? その言葉を聞いて、みんな「信じられない!」とでもいうような顔をした。が、誰もそれを言葉にしなかった。不思議な沈黙がしばらく流れた。

 

 

 俺たちの話題は、期末試験に移った。すでにカレンダーの日付は7月に突入している。そろそろ期末試験のシーズンだ。すでに対策を始めている生徒もいるはずだが、居眠りばかりしている俺には悩ましいばかりだった。

 一応、進学校であるわが校では、教師が「ここ試験に出すぞ!」と注意を喚起することが増える。居眠りしていた俺はそれをことごとく聞き逃していた。

 

 試験といえば、すでに中間試験は終わっていた。その当時は部活がなかったので、俺は理科系の科目に関しては、散々な点数をとってしまった。

 しかし、今回は違う。雪ノ下が、絶対に試験に出る部分を箇条書きにまとめてくれていたのだ。これは、由比ヶ浜を部活に誘ったときの約束でもあった。

 各教科すべてにおいて作られた箇条書きは、いつの間にか「雪ノ下ペーパー」と名づけられて一年生全員が噂することになる。なぜなら、実際のテストの内容を80%の確率で当てていたからだ。

 二学期になると、雪ノ下ペーパーを求めて、創発部には知らない生徒まで訪れるようになった。

 職員会議でもこのペーパーが問題になったらしい。テスト内容がズバリと予言されているため、事前にペーパーを入手した教師が、裏をかく問題を出すようにさえなった。

 しかし、その学期において習得するべき内容は意外に狭いし、どうしても問わなければならない部分もある。教師たちは、ペーパーに預言されていると知りつつも、忸怩たる思いで問題を作らざるを得なかったようだ。

 

 試験のかなり前に、俺たち創発部のメンバーは雪ノ下ペーパーを手にした。これで期末試験対策はバッチリだった。

 それでも、由比ヶ浜はペーパーの内容について教えてもらっていた。数学は目黒が、それ以外は雪ノ下が家庭教師のように教えていた。あそこまでやってもらったら、成績アップは間違いなしだろう。

 意外なことに、雪ノ下ペーパーは茅ヶ崎も受け取った。「ありがとう」とさえ言ったのだ。雪ノ下も目をパチクリさせていた。

 

 そんなある日の夜、食事の直前になってメールが着信した。開いてみると、なんと陽乃さんからだった。

 

『比企谷君、今、近くの駅前にいる。20分で来て。謎をすべて解いてもらいます。来てくれないと人類史上最悪の意地悪をします』

 

 うわっ。怖っ。そして、少し微笑んでしまった。陽乃さんだったら人類史上最悪の意地悪を本当にしかねない。俺はメシを急いでかっ喰らった。

 

 テーブルの対面に座る小町が「今日こそはデートだな?」と無言のままニヤニヤして問いかけてきたので、目だけで「違う」と答えた。

 すると、小町は鼻を動かして「じゃあ、どこ行くの」と訊いてくる。

 俺は、目と鼻を動かして「同級生の関係者から呼び出された」と答えた。

 小町は、また「ふ~ん」と鼻を鳴らした。今回も無言の会話が成立しちゃったよ! 

 

 駅前に行くと、携帯が鳴った。出ると陽乃さんだった。そういえばメアドと番号教えた記憶がないのだが………。

 

「比企谷君、見えてるよ。そこから右を見て。ビルの三階。私が手を振っているから」

 

 言われたとおりのビルの三階の窓を見ると、色つきガラスの向こうで手を振っている女性が見えた。

 ビルの三階はカフェバーになっていた。ドアには木の看板に焼き目の文字が『SEYCHELLES』と刻まれていた。インド洋にあるセーシェル諸島のことか。

 中に入ると、暗い照明に、バンガロー風の内装。南国の植物で席が仕切られている。俺には完全に場違いな感じだ。

 カウンター席の奥が大きな窓に面していて、そこに陽乃さんがいた。こちらを見て手を振っている。テーブルの上にはビールのジョッキと小型バッグ。カーキ色のパンツに、襟口が大きく開いた水色のカットソーという軽装。こういう場所にいると、さすがに大人に見える。

 俺はその隣りに座った。

 大量に並んだカラフルな酒瓶を背にして、バーテンが注文を聞いてくる。俺は戸惑った。

 どうすればいい? こんなところで注文したことはない。見たところ、酒しか置いてないんじゃないか?

 

「アイスティかアイスコーヒーだね」

 

 機転を利かせて、陽乃さんがヒントをくれる。俺は「じゃあ、アイスコーヒーで」と答えた。

 

 うっすらとジャズっぽい音楽が聞こえてくる。その中で陽乃さんのグロスを塗った唇がほんのりと光っていた。顔が動くと、その光もわずかに移動する。

 こういう雰囲気の場所で陽乃さんと二人きりになるのは初めてだったので、ドキリとする。それに、横に並ぶと、タンクトップのように開いた襟口から……、そう、富士山のなだらかな裾野部分に該当する傾斜が……。

 いかん。心の中で、自分の頬をひっぱたいた。どうしても目がそこに行ってしまう。いや、目をそらしていても、空間識がそこに張り付いてしまう。

 

「ふふふ」

 

 笑われた! この人の前で何かを考えてはいけない! しかし、そんな青少年の葛藤を無視して陽乃さんは言葉を発する。

 

「比企谷君、今日こそ教えてもらうから」

 

 右に顔を向けると、目と目が合った。照明が暗いので、大きな瞳が潤んで見える。

 

「もちろん、全部話しますけど、信じられるかどうか」

 

陽乃さんの聞きたいことはだいたいわかっていた。俺はその疑問に答えるべく、時間をかけて話していった。

 今日一日、言い訳ばかりしているような気がしていた。

 

 

 




注1
「どこまで話す? 俺たちがシミュレーション世界から来たことも話すのか?」

注2
「全部話しても大丈夫でしょ。ウソを言う必要はないと思う」

注3
「まあそうだろうな、このことを部外者が聞いても、誰も信じないだろう」

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