由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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雪ノ下陽乃の憂鬱②

 一通りのことを話し終えると、陽乃さんが体をこちらに向け、その手が俺の右腕をつかむ。

 

「比企谷君、こっち向いてくれる?」

 

 顔を右に向けた。すると、陽乃さんの体がどんどん近づいてくる。目と目が合ったままその顔が20センチほどまで近づき、止まった。

 うわ……。正直言ってすげぇ可愛い。いい匂いを含んだ空気の流れが俺の皮膚に覆いかぶさってくる。思わずゴクリと喉が鳴る。脈拍数が急上昇して首すじのあたりでピクリ、ピクリと脈打つのがわかる。

 

 そのまま10秒ほどジッと見つめられた。20センチ離れた両目がわずかに動き、俺の右目、左目を交互に見比べている。

 

「う~ん。ウソはついていないなぁ」

 

 陽乃さんが体を元の位置に戻す。俺は、はぁ~と、止まっていた呼吸を再開した。

 

 陽乃さんも「はぁ~」と、ため息をついた。

 

「そんな話、普通は信じられるわけがないよね」

 

「そうでしょうね。でも事実です」

 

「宇宙に存在する物質粒子が別次元でからみ合いを維持して? それが量子コンピュータ? 宇宙は一つの意識で統合されているってこと? まるで安っぽい電波宗教だね」

 

「そう聞こえますよね。確かに」

 

「でも、信じることにする。きっとそういうこともあるんだよ。雪乃ちゃんに聞いても同じことを話すんだよね?」

 

「そう思います。妹さんのほうが詳しいですから、もっとよくわかると思います」

 

「ということは、私はまだ19歳だから、比企谷君たちは一個下になるわけ? なんかおかしい。ほとんど年齢変わらないじゃない」

 

「そういうことになりますね。ところで、未成年なのに酒飲んでいいんですかね」

 

「大学生になればそんなの誰もとやかく言わないよ」

 

 ふふふと微笑んで、陽乃さんは少し残っていたビールを飲み干した。すぐにバーテンに合図して、ジントニックを注文する。

 

「それで、ガハマちゃんを助けたのがあの小町ちゃんの人格シミュレーションなんでしょ? 私もそれ、一回見てみたい。小町ちゃんが送ってくるシミュレーション」

 

「そんなことより、今から一年半後にお父さんが逮捕されます」

 

「え? どういうこと?」

 

 陽乃さんがまた体をこちらに向けた。思い当たることがあるのか、表情が固まっている。

 

「俺たちはあっちの世界で、お父さんの逮捕騒動を経験しています。談合。政治家経由での役人への裏ガネ。それが、すでに人の知るところになっていますね。

 このまえ、茅ヶ崎を挑発しましたよね、運動公園で。そしたら、茅ヶ崎はマジで雪ノ下家を攻撃しようとしてネタ調べをしたらしいんです。すると、その話が出てきた。あいつがつついて出てくるくらいですから、結構知る人は多いのかもしれません」

 

 陽乃さんがしばらく沈黙する。ジントニックを小さな唇でチビリとすすって、グラスをテーブルに置いた。グラスの淵が赤くなっていた。

 

「あのテロリスト君か……、で、君たちが経験したことってどんなの? 私たちの家は潰れてしまうの?」

 

「潰れていませんでしたよ。お母さんが不動産とかの資産をかき集めて、なんとかしていました。で、あの億ションも売り飛ばしていました。今、妹さんが住んでいる2DKじゃなく、最初に住もうとしていた豪華マンションです。だから、2DKにしておいたのかな、そこんとこ聞いてないな……」

 

「ふ~ん。で、逮捕後はどうなったの?」

 

「逮捕から5ヶ月くらいで俺たちはこの世界に飛んできましたんで、わかりません。釈放はされて、色々大変なようでしたが」

 

「そうなんだ……」

 

「陽乃さんが色々裏でやっているんでしょ? その件に関しては」

 

 ジントニックを呷って、グラスが空になった。バーテンにまた同じものを注文している。

 

「そうだよ。だから私……、ショック大きいよ。自分のやっていることがすべて無駄になるんだから」

 

「今から談合やめても間に合いそうもないんでしょ?」

 

「そう思う。もう何十年もの慣行だから。この業界の。今から止めてももう、遅いでしょ。

 逮捕は不可避か……。それにしても誰が、どの社が告発するんだろう」

 

 陽乃さんの顔がほんのりと赤い。表情がだんだんと崩れてきた。こういう姿を見せるのは珍しい。いつでも陽乃さんは溌剌として、自分のやりたいように周囲の人間に刺激を与える。それが、今日はアルコールのもたらす麻痺に逃げ込むかのように、どんどんと杯を重ねている。

 そのうち、陽乃さんの目つきが変わってきた。

 

「比企谷くん、聞いてくれる? わたしがどんなことをやってきたか、うちの会社のために。政治家のクソオヤジのところへ呼び出されて、くだらない自慢話聞いて、セクハラされてさ、それもこれも我慢してきたよ。でも、それもあと一年半で無駄になるんでしょ? 気持ちが今、切れたよ。ふっきれた!

 あのクソオヤジの野郎。こっちの弱い立場につけこんで、あたりまえのように酒やゴルフに付き合わせやがって。ホステス、いやホステス以下の扱いでさ、そういうこと思い出したら、もうなんだか……。

 県議会のジジイ共もひどい! あの号泣県議みたいにセコセコ金作って愛人抱えてさ。そりゃ毎月50万円お小遣いもらえるんだったらできるでしょ。腐ってる。わたしにも愛人になれって言ってくるんだよ? 早く死ねよ! クソジジイが。役立たずのクセに。

 ……わたし、何やってるんだろう。雪乃ちゃんがうらやましい。ちゃんと彼氏つくって高校生活を謳歌しているし」

 

 陽乃さんが急にうつむく。上半身が小刻みにふるえている。

 

「あの、陽乃さん? 大丈夫ですかね」

 

 ガバッと顔を上げて、俺の肩に手をかける。まるで噛みつきそうな勢いでまくしたてる。

 

「大丈夫じゃないよ! もうやめた! わたしも雪乃ちゃんみたいに家出する! そして男遊びする!」

 

 陽乃さんが大きな声を出した。うつむいたり元気になったり、感情の起伏が激しい。それに、ずいぶんと荒れたことを言い始めた。

 

「男遊びって……」

 

「だってそうじゃない! 雪乃ちゃんだけずるいよ! 一人暮らししてさ、比企谷くんといちゃついてさ……」

 

 うわ~、かなり荒れてきた。明らかに壊れかかっている。それに怒りの矛先が妹に向かっている。矛先をどこか違う方向へ向けるにはどうすればいい?

 陽乃さんはバーテンを呼んで、「ソルティドッグのダブル!」と注文した。

 

「陽乃さん、言動をしっかりしましょうよ。レディじゃないですか。それにお酒はもう止めときましょう。飲みすぎです」

 

「レディ? ふふふ。なかなか言うじゃない。ふふふ。今日はレディを思い存分楽しませてくれたまえ。今日は朝まで飲もう! 君がいるから安心だね~。潰れたら介抱してくれるもんね~」

 

 陽乃さんの腕が俺の右肩を通り越して左肩まで届く。なんでこんなバーで陽乃さんと肩組みしなきゃならないのか。

 だが、俺はそんな陽乃さんが好きになってきていた。以前は得体の知れない不気味な存在に見えていたが、こうして崩れてしまうと、普通の人だった。そう思うと、陽乃さんが身近に感じられた。

 

「そうだ。しずちゃんを呼ぼう!」

 

 俺は時計を見た。午後9時半。こんな時間に呼び出されたらたまったもんじゃない。最近の教師はやることが多くてなかなかの激務だという。

 

「それはダメでしょ? さあ、もういい時間だから帰りましょう」

 

「なに言ってんだか。まだ夕方じゃん。こんな時間におうちに帰るなんて小学生みたいだね」

 

 陽乃さんが一気にソルティドッグを飲み干した。いや、飲み干してしまった。知らねぇぞ。どうなっても。

 

「じゃあ、次行こう! 次!」

 

 立ち上がってバッグから財布を出す陽乃さん。クレジットカードを「払っといて」と俺に渡す。

 

 仕方なしに、バーテンにカードを渡すと、折り返しに伝票を持ってきた。サインが欲しいという。

 

「ん?」と陽乃さんは伝票にサインして、出口へ歩き始める。小ぶりのバッグをカウンターの上に忘れていたので、俺はそれをつかんで追った。

 

 路上に出ると、陽乃さんは意外にしっかりした足取りで歩いた。しかし、どこへ行くというのか。

 

「さ、帰りましょ」

 

 俺がそういっても、まったく聞こえないフリをして、陽乃さんは駅前の交番へ向かった。立っている警官に向かって「やあ、やあ、お勤めご苦労!」と敬礼をした。もう完全に大トラだった。

 俺がその後ろで、おろおろしていると、警官が笑みを浮かべるが、「ん?」と何かに気がついた。警官は交番の奥から年配の警官を呼び出した。

 出てきた年配の警官は、陽乃さんを見てすかさず声をかけてきた。

 

「あ、雪ノ下さんのお嬢さんじゃないですか。いいご気分のようで。ご家族が心配してますから、そろそろ帰りましょうか」

 

「うむ。いい気分であるぞ。でもそのうち、警察のお世話になるみたいなんで、そのときはよろしく~!」

 

 陽乃さんはまた敬礼して、スタスタと歩き始めた。振り返ると二人の警官が怪訝そうな顔で何かを話していた。

 

「いい加減にしてください! 迷惑ですよ。あれじゃあ」

 

 だが、陽乃さんの鼻歌混じりの歩行は続く。俺にバッグを持たせたまま。どこか行くアテでもあるのか。

 この大トラを放置しておくわけにはいかないので、俺は後ろをつけながら雪ノ下に電話した。5コール目につながった。

 

「俺だけど、今、おまえの姉さんと一緒だ。完全に酔っ払っている。助けてくれ。おまえのところへタクシーで行くぞ?」

 

「酔っ払っている? 非常に珍しいわね。姉さんはそれほどお酒に強くないはずだけれど」

 

「急に電話がかかってきて呼び出された。俺たちのことについて全部話したぞ。それに、例の逮捕のことも。そしたら急に酒飲み始めて、大トラ状態だ。警官にからんだりする。すごく困っている」

 

「そうなの……。やはり自分のやっていることが否定されたようで、ショックだったのね。タクシーでこっち来なさいよ。保護するから」

 

「わかった、そのうち到着すると思う」

 

 電話を切ると、俺は陽乃さんに追いつき、その肩に手をかけた。

 

「さあ、妹さんのところへ行きましょう! こっちです」

 

 俺はタクシー乗り場のほうへ誘導しようとした。しかし、明後日の方へ向かう足は止まらない。ずんずんと歩き続け、角を曲がり、細い路地に入っていった。

 仕方なしに並んで歩くと、その横顔が見えた。さっきとは打って変わって、深刻な表情をしている。一心不乱に前方を見て、ロボットのように歩いている。言葉も出ない。

 

「あの、陽乃さん?」

 

 返事がない。さらに近づくと、異変に気づいた。その大きな両目からは水滴が滴っていたのだ。

 

「陽乃さん、ストップ!」

 

 ようやく足が止まった。そして陽乃さんは俺のほうを向く。

 

「比企谷くん、私、誰にも相談できないんだよ。君は軽く逮捕されるなんて言ってくれたけど、そのことについて、誰にも相談できない。私は誰にも言えないことを一人でやってきたんだよ。だから、一人で耐えるしかないんだよ。誰にも助けてもらえない。どうしてこんなことになったの? わたしのせい? 家のせい? わたしが悪いの? どうすればいいの?」

 

 強烈に思いつめている。突然、一年半後に破局が訪れることを知らされ、それを回避する方法もなく、虚しさのあまりプッツリと切れてしまった心。切れた紐の結び直し方を陽乃さんでも知らないらしい。

 

「誰のせいでもないですよ。しいて言えば、談合なんて許容しているこの社会が悪い。あなたのお父さんにしても、政治家や官僚にいいように使われているとも言えるでしょ。なあなあでズブズブで、済し崩し的に物事が運んでいくこの社会の一員として、避けられないことだったんですよ。誰が悪いわけじゃない」

 

 俺は、「バッグ開けますよ」と言って、中からハンカチを取り出し、陽乃さんに渡した。

 

「わかったらしいこと言うんだね」といいながら、涙を拭き始める陽乃さん。まさか、この人のこんな姿を目の当たりにするとは思わなかった。

 

「タクシー乗りましょう」

 

 そう言って、手を取る。しかし、ヨロヨロとしているので、手を肩に回して支えた。

 だが、バランスを崩して、二人で歩道に倒れてしまった。

 仰向けに倒れた俺の上に、陽乃さんが覆いかぶさっている。一気に力が抜けたのか、陽乃さんは俺の胸に横顔をつけて目を閉じてしまった。

 まるで路上でコトを開始した破廉恥な酔っ払いカップルだった。通行人も珍しそうな顔をして傍らを過ぎる。中には目を反らして歩くオバサンもいた。

 なんとか起き上がって、陽乃さんを立ち上がらせる。そのまま肩を抱いて、タクシー乗り場まで歩いた。もう、なんだかわからなかった。陽乃さんの体を支えるうちに、色々な場所を触っていたはずだ。

 

 タクシー内で吐きやしないかと心配だったが、杞憂に終わった。大トラから泣き上戸になった末に、寝てしまったからだ。

 その寝顔は、やはり妹に似ていた。目をつぶって無表情になると、どこかに平和なやすらぎを感じさせるのはこの姉妹の特徴らしかった。

 

 目的地についても、予想通り、起きてくれなかった。体を揺すると、むずがる子供のようにうんうん言うだけ。

 仕方なしに車外に引っ張り出し、おぶる。やれやれ。むかし、妹もこうしておぶったことを思い出した。姉までおぶってエレベータに乗ることになるとは。

 

 呼び鈴を押すと、すぐにガチャンと扉が開いた。姉をおぶった俺に、その妹が驚いた表情を見せる。 

 ソファに寝かせると、今までうそ寝でもしていたかのように、陽乃さんが目を開けた。

 

「ここどこ?」

 

「ここは私の家よ、姉さん」

 

「そうなの? 比企谷君ずるいよ。一緒に朝まで飲むって言ってたじゃん!」

 

「高校生に向かって朝まで飲もうとか言わないでくださいよ」

 

 俺は苦笑した。陽乃さんはソファに座りなおして、妹が持ってきた氷入りの水をゴクゴクと飲んだ。俺ももらった。喉が渇いているので、すこぶる美味かった。

 

「で、飲んで暴れて迷惑かけて気が済んだのかしら」

 

 テーブルの椅子に座った雪ノ下が呆れた顔をする。

 

「ぜんぜん! わたしもここに家出してこようかな~」

 

 今度はニコニコし始めた。コロコロ変わる態度が俺には面白かった。だが、陽乃さんの怒りの矛先は妹に向いていた。

 

「あ~あ、いいね。雪乃ちゃんは、こうして気ままに一人暮らしして、彼氏も作って、不公平じゃない?」

 

「姉さんだってやろうと思えばできたことじゃない。姉さんが自分で選択したことでしょ」

 

「じゃあ、選択しなおす。私もここに住んで、さっきみたいに比企谷君と仲良くする」

 

「あ?」

 

 思わず口を開けた。妹もなんか変な目で俺を見ている。

 

「だって、比企谷君、すっごく優しかったんだよ。ハンカチ出してくれたり、肩を支えてくれたり、おんぶしてくれたり~」

 

 出た。そんな言葉を吐き出す陽乃さんの顔がすごくニコニコしていて恐ろしい。

 

「それは酔っ払っていたからでしょうに!」

 

「姉さん、からかうのは止めて。介抱してもらっていたのに恩を仇で返そうというの?」

 

「ふふふ。比企谷君の顔って10センチくらい近づいて見ると、キモ可愛いかったよ~」

 

「え?」

 

 俺はうろたえた。妹の顔がだんだんと穏やかではなくなってきている。

 

「それに、路上で寝転がって抱擁されちゃった。彼女の姉なのにね~。どさくさにまぎれて色々なところ触られちゃった~」

 

 姉がてへっ、みたいに舌を出す。その様子を見て、妹がとうとう……。

 

「最低!」

 

「あ~あ、雪乃ちゃんが怒っちゃった。比企谷君も罪なことするなぁ~」

 

「悪質な冗談はやめてください!」

 

 俺は立って、自分の部屋に戻ろうとする妹を追った。しかし、目の前でストン! と戸が閉まった。妹の持っている姉アレルギーを知っているらしい陽乃さんの、妹イジメがヒットした瞬間だった。

 

 俺はテーブルの椅子に戻っって残っていた冷水を飲んだ。

 

「陽乃さん、どうしてあなたはそうやって……」

 

「だってずるいじゃん。雪乃ちゃんだけ」

 

「あなたは美人だし、頭もいいし、いくらだってこれから幸せな人生を送れるじゃないですか。こんなことをしてセコくないですか」

 

「私たちだけにしか理解できない確執だってあるんだよ。でも少しは気が晴れたかな~」

 

「残酷な気晴らしですね!」

 

 結局、俺は陽乃さんが嫌いになってしまった。さっきは親しみを感じていたのに。閉じこもってしまった妹が出てくる気配はない。

 

「ねえ、比企谷君、ちょっとこっち来て」

 

 ソファに座っている陽乃さんが呼ぶ。近づくと、俺の手を思い切り引っ張る。当然、俺は陽乃さんに覆いかぶさるように倒れる。

 

「え~、そんなことするの~!」

 

 意図が理解できた。常軌を逸している。

 

「陽乃さん、いい加減怒りますよ。俺だって。まだ酔っ払っているようですね」

 

「今クルマ運転したら免許取り消しだね」

 

 そういってクスクス笑っている。

 戸が開いた。妹が暗がりの中から手招きしている。俺は招かれるままにその部屋に入った。

 

「せっかく送ってきてもらったけど、もう帰って。手に負えないでしょ。これ以上いてもオモチャにされるだけ。悪いけど演技するわよ。私が怒ったように見せかけるための。それが姉の目的だから。いい? 痛いけど我慢して」

 

 小声でそう言われたあと、思い切りビンタされた。

 

「痛っ!」

 

 演技ではなかった。本当に痛かった。そして、リビングに押し出される俺。

 

「帰って! スケベ男! 最低!」

 

 雪ノ下がすごい剣幕で俺を玄関に押していく。

 

「わかったよ! 帰ればいいんだろ!」

 

 靴を履くと、廊下に出された。ガチャンと扉が閉まる。ビンタされて一人でエレベータホールに向かう俺の姿がガラスに映っていた。

 

 姉の怒りは妹に伝わり、妹の怒りはビンタと化して俺に伝わった。演技とは言っていたものの、結局最後に割を食ったのは俺だった。

 だが、俺は今日、陽乃さんの憂鬱な顔や、泣き顔を初めて見た。感情の起伏を制御できないほどの動揺も。それは普通の人そのものだった。

 俺がかつて雪ノ下を普通の女の子だと思えた瞬間と同様に、貴重な経験だったような気がする。

 

 

 

 

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