由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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雪ノ下雪乃はすんなり助けるのが癪らしい

 

 

 

 しばらく部室には変な静寂が満ちていた。茅ヶ崎は死んだほうがいい? 雪ノ下はそう言ってのけるが……。

 茅ヶ崎がどこへ呼び出されたのかわからないが、そろそろ警察に通報しないと乱闘が始まってしまう。俺は小町に場所を聞こうと思ってPCの前に座った。由比ヶ浜は、ちょっと離れた場所に座って紅茶のカップを口に運んでいる。その目の縁には涙がたまっていた。

 目黒と東雲は、どうしたらいいかわからないという感じで悄然と立ち尽くしてた。

 

 そのとき、閃いた。

 

「わかった! 茅ヶ崎は死ねばいい! そうか、そういうことか!」

 

 大声を出してしまった。俺の横に立った雪ノ下が「そうでしょ?」とPC画面を覗き込んでくる。何事かと東雲と目黒も俺の後ろへ立ってかがみこむ。

 

「早くしないと間に合わないわよ」

 

「わかった」

 

 PCのテキストエディタで小町に呼びかける。

 

『小町! いるな?』

 

『は~い! 何か名案が浮かんだ?』

 

『浮かんだ。小町、大至急だ。茅ヶ崎と十三人のシミュレーションを作れ』

 

『それはもう、作ってあるよ~』

 

『ちがう。そうだな、なんといえばいいか……。茅ヶ崎のパラメータが何個あるか知らないが、いじって変えてくれ。ゲームでたとえたら、戦闘力とか生命力に該当する部分を五〇%に抑えろ。乱闘のシミュレーションを作ったら、半グレ集団全員に介入して見せてやってくれ。急げ。時間がない』

 

『なるほどね。茅ヶ崎さんをボコボコにして(ほふ)る偽の体験をさせてやるんだ~』

 

『そうだ。茅ヶ崎に介入する必要はないと思う。シミュレーションを作るのにどれくらい時間がかかる?』

 

『パラメータいじるのに少し時間がかかるけど、あとは瞬間的にできるよ』

 

『やってくれ。シミュレーションは乱闘直前に送信してくれ。たのむ』

 

 このやりとりを見ていた東雲の「そうか~。その手があったんだね~」という声が聞こえた。

 だが、雪ノ下から注文が一つ加わった。

 

「ちょと待って。茅ヶ崎君にもシミュレーションを送って」

 

「どうしてだ? 必要ないと思うが」

 

「たまには、負ける気分を味わったほうがいいでしょ。というか、初めてじゃないのかしらね、負けるのって。初体験させてあげましょう」

 

 その横顔が少しだけ意地悪そうに見えた。

 

「だが、そうすると、現場の十四人がシミュレーションから覚めたとき、茅ヶ崎が生きているのを目撃されるかもしれない。あいつはカンがいいだろうから、十三人が勝手に動いて空気相手に戦っているのを見たら、俺たちの仕業だと思って身を隠すはずだ」

 

「では、茅ヶ崎君と十三人が顔を合わせる前からのシミュレーションにしたらいいのよ。十三人は現場で待っているはずだから、茅ヶ崎君はまだ着いていない。そこから始めましょう」

 

「ずいぶんと茅ヶ崎に負けの体験をさせたいんだな」

 

「今まで散々悪口を言われたお返しよ。それに、すんなりと助けるのも癪じゃない」

 

 やっぱり根に持つ性格は少し残っているらしい。この程度で済ますのは、かなり進化したといえるが。俺は小町に、乱闘が始る二十分前からのシミュレーションを作り、茅ヶ崎にも同時に送信しろと伝えた。

 

『りょ~かい! 乱闘が始まるのは今から二〇分後だから余裕で間に合うよ』

 

『頼むぜ』

 

『小町におまかせ~!』

 

 ふう~と息を吐いた。これで急場はしのげる。しかし、屠った茅ヶ崎が無傷で生きているのを後日に目撃したら、連中はどのように反応するだろうか。しつこく追いかけてくるのか、それとも化け物に見えて諦めるのだろうか。

 

「ありがとう」という声がした。顔をPC画面から上げると、机の向こうに由比ヶ浜が立っていた。さきほどの青白い顔とは違っている。いつもの明るい表情を取り戻しつつある。

 

「由比ヶ浜、聞いていいか?」

 

「なに?」

 

「どうしてお前がお礼を言うんだ?」

 

 ハッと何かに気づいたような表情を見せたあと、その顔が下を向いた。若干、肩が揺れている。

 

「それは、その………。やっぱり部活の仲間だし? 助けたほうがいいし? それに……」

 

 由比ヶ浜がモジモジし始めてしまったので、俺は「わかった、わかった。確かに平塚先生が最初に言ってたように、あいつには助けが必要だったんだな」と言葉を引き取った。

 

 

 出て行ってから一時間もたたないうちに、茅ヶ崎が帰ってきた。部室の扉を開けるなり、「お前ら、また何かやったな!」と、俺に詰め寄ってくる。

 

「どうして俺が負けなきゃならないんだ? 俺はあんなに弱くない! 殴ってもまったく効果がない。腹パン入れても平気な顔される気持ち悪さがわかるか。

 それに、俺はボコボコにされて海に投げ込まれたんだぞ! 水をゴボゴボ飲んで沈んでいった。悔しいわ情けないわで、俺こそ復讐の鬼、いや、復讐の悪霊になっちまった気分だぜ。あいつら見かけたら一人ずつ海に投げ込んでやる。呪ってやる!」

 

 茅ヶ崎が俺の隣りに座って一気にまくしたてる。由比ヶ浜が真っ先に茅ヶ崎を出迎えそうだが、さっき俺が余計なことを言ってしまったためか、珍しく冷静に話を聞いていた。

 

「おまえ、たまには負けてもいいじゃないか」

 

 俺がそういうと、横から雪ノ下が口を出してきた。

 

「そうよ。昔の比企谷君のように負け犬の気持ちも理解できるようになったでしょ。少しは成長したかもしれないわね」

 

 なんで俺が引き合いに出されるんでしょうね。今は関係ない話なのに。

 

「昔の比企谷が負け犬とか関係ねぇだろ。アホか! 俺の家なんざ社会的には負け組だろうが。負け犬の悔しさなんかとっくにわかってるわ!」

 

「その負け犬の悔しさを暴力だけで克服したのがあなたでしょ。お得意の暴力で色々成功してきて今のあなたがある。はたから見たら、成功なんてものじゃないのだけれど。

 だから、その延長線上でしか未来を考えることができない。テロリストになるとか社会を破壊するみたいなことしか考えられないのよ。くだらない。

 次は暴力以外で負け犬の悔しさを克服する手段を身につけたらどう? 比企谷君みたいに。世の中にはあなたお得意の暴力だけじゃどうにもならないこともあるのよ。暴力でいい気になって突っ走ったって、やがて暴力で潰されるだけ。あなたみたいな一人のテロリストなんて、国家の管理する自衛隊みたいな暴力装置にとってみれば、ただのアリみたいなもんでしょ。あなたの持ちうる暴力なんて蟷螂(とうろう)(おの)に過ぎない」

 

「くっ」と息を漏らして茅ヶ崎が沈黙した。

 

「俺もおまえが世の中を憎む気持ちはわからないこともない。さっきも言ったが、暴力じゃ社会は破壊できないぞ。あれだけ空襲で焼け野原になっても、戦前と同じような官僚の支配するくだらんシステムが復活したじゃないか。

 お前の場合はカネの支配する社会をブチ壊したいんだよな。それだって暴力じゃなく、地道に人の心を変えていくしかないんだ。それ以外の方法はありえない」

 

「うるせぇ、お前ら二人揃って説教かよ」

 

 茅ヶ崎が顔をそむける。

 

「説教なんてするつもりはないぞ。ただ本当のことを言っているだけだ」

 

「そうかも知れないな。お前らと知り合ってから、そんな気がしてきた。お前ら二人、ありえねぇだろ。超常現象だろ。お前らの存在自体が怪奇現象だわ。パソコンの中にいるお前の妹もな!

 とにかく、今回のことに関してはお礼は言わないからな。余計なお世話だ。救ったつもりなんだったら的ハズレだ。俺は自分で自分を救う!」

 

「お前の言っていることも間違っていない」

 

「そうか」

 

 茅ヶ崎が立ち上がってカバンをつかんだ。少し気まずそうな雰囲気で部室を出て行く。

 そのすぐ後に、由比ヶ浜もカバンをつかんで出て行った。

 

 

 

 ★    ★    ★

 

 

 

 期末試験が終わった。色々なことがあって、勉強時間があまり取れなかったにしても、雪ノ下ペーパーのおかげで短時間で効率的な試験対策ができていた。数学に関しても赤点はとらずに済んだはずだ。

 部室では今日行われた数学の答え合わせが行われていた。あの由比ヶ浜でさえ、六〇点以上取ったようだ。そのことが判明すると、室内には拍手が起こった。たぶん、俺もそれくらいは取ったはずだ。たぶん……。

 

「えへへ。みんな、どうもありがとう」

 

 由比ヶ浜が満面の笑みで喜んでいる。

 

「やっぱりこの部に入ってよかった!」

 

「まだゲーセンとかカラオケは行ってないのだけれど」

 

 二ヶ月ほど前、ショッピングモールの公園で会話した内容を、雪ノ下が思い出していた。

 

「あ、それも約束だったよね!」

 

「そんな約束していたの? おかしい」

 

 ふんわりした声で東雲がふふふと笑う。そういえば東雲は試験はどうだったのだろうか。雪ノ下と同じクラスに入るくらいだから、おそらく心配ないのだろう。

 

「結衣ちゃんは、最初、一緒にカラオケ毎日行こうとか言って、私を誘ったんだよ」

 

 そう打ち明けるのは目黒だった。カラオケ行かなくたってほぼ毎日女子会やってるでしょうに。この女子たちに混じってカラオケ行きたくねぇ~。っていうかカラオケ自体行きたくねえ。ゲーセンならともかく。

 

「あ、一つ問題があるの。問題といっても小さいのだけれど」

 

 おそらく、それまでの会話は、今日は試験も終わったし、打ち上げにカラオケに行こう! となるのが自然な流れだったが、雪ノ下が突然話題を変えた。グッジョブ!

 

「合宿に行くとき、姉が車出してくれるのだけれど、定員が五名。茅ヶ崎君は自分の足があるから心配ないとして、二人乗れなくなるのよ。二人は電車ということになるの」

 

「そうだよね。それにあの車の後部座席、かなり狭かったよね」

 

 陽乃さんの車に乗ったことのある東雲が、狭い後部座席を思い出している。

 

「そうすると、まず電車組の第一候補は比企谷君ね」

 

 やはり、そうですか。第一候補という雪ノ下の言葉が聞こえ終わる直前に察しましたよ。それ。

 

「それでいいよ。俺はあの狭いところに女子二人と突っ込まって数時間我慢できるとは思えない」

 

「ぷっ。おまえ、仕方ない状況でセクハラできるチャンスをみすみす逃すのか。カーブでキャアという声と一緒におっぱいが飛んでくるんだぞ? 妻帯者はつれぇな」

 

 寝ていたはずの茅ヶ崎がクスクス笑い始めた。

 

「おっぱいなんか飛んでこねぇって! 助手席ならともかく、後部座席はマジで狭かったんだって」

 

「まあ、たてまえ的にはそう言っておかないとな。だったらお前がバイク運転して行け。バイクなんか一日で運転できるようになるぞ。そしたら俺が車に乗せてもらうから」

 

「ま~たそういうこと言ってるし。ば~か!」

 

 由比ヶ浜が呆れた顔をする。

 

「初日だけ俺の後ろに一人乗れるけど、そうしても一人電車だよな。三人乗りのバイクなんて珍走団だしな」

 

「はいはい。俺一人でいいですよ。電車で」

 

 なんか、気分的に不貞腐(ふてくさ)れてきた。ぼっちから脱出したつもりだったのに、予想外のところでぼっちになりそうだった。ぼっちポイントが満タンになってたりして。

 

「小町ちゃんと二人で電車で来れば?」

 

 いい提案を由比ヶ浜がしてくれた。兄妹でちょっとした二人旅ってのもいい。不貞腐れた気分が一気に飛んだ。

 

「でも、小町ちゃんはこの前一回会っただけでしょ? 海に着く前に車の中で一緒に過ごせば、仲良くなりやすいと思う」

 

 東雲が小町を俺から奪おうとしている。許せん!

 

「そういえばうだよね。この部室に来て、三〇分くらいしか話をしてなかったような気がする」

 

 東雲の援軍は目黒だった。こいつも許せん!

 

「なるほど。ではこうしましょう。車で行くのは、小町ちゃん、志乃ちゃん、めぐみちゃん、結衣ちゃん、運転手は姉さん」

 

「ん? するとゆきのんは?」

 

 由比ヶ浜が不思議そうな顔をして訊いている。

 

「私はすでに小町ちゃんと仲良くなっているから、車で行く必要ないでしょ。だから電車で行く」

 

 ううっ。なんと。やっぱり一緒に行く人ができて嬉しい。

 

 クスっと軽い笑い声が聞こえて、俺の肩が叩かれた。その手の主は茅ヶ崎だった。

 

「茅ヶ崎君、どうするの? 姉さんの車と一緒に出発するの?」

 

「いや、やめとく。あおられそうそうだから。なんかスピードレースしちゃいそうだし。昼すぎに海に着くように単独行動させてもらうわ」

 

「そう。では、以上のようにしましょう。当日の朝は一〇時に集合して出発でいいと思うけれど、どうかしらね」

 

「異議な~し!」

 

 全員で話がまとまった。すると、どこからともなく出てきた声は「カラオケ行こうよ!」だった。やっぱりあの声は由比ヶ浜だろう。女子たちはすでに決定事項だったかのような雰囲気を見せている。

 

「あ、俺はパス」

 

 すかさず反応したらすかさず反応が返ってきた。

 

「ええ~、ヒッキーも行こうよ~!」

 

「前から言ってるじゃん。俺、女子会嫌なんだって」

 

「お前、本当に身持ちが固いのな。頭かてぇよ」

 

 また茅ヶ崎がクスクス笑っている。

 

「身持ちが硬いとかいう問題じゃない! カラオケ自体が嫌いなんだ!」

 

「そういう茅ヶ崎君は行くんだよね?」

 

 由比ヶ浜の誘いに茅ヶ崎がニコリとする。

 

「行っていいんだな? 本当にいいんだな? 酒飲んでタバコ吸って調子に乗ってセクハラしまくるぞ? 一〇連続で予約してマイク離さないぞ? それでもいいんだな?」

 

 複数の「パス!」という声が聞こえた。由比ヶ浜が残念そうな顔をしていたが、残りの三人の女子に押し切られている。

 

「おまえ、斬新な断り方するんだな。おまえこそ実は身持ち固いんじゃないのか?」

 

「今日はバイトの前に行くところがある。例の残務整理だ」

 

「なるほど。大変だな」

 

 こうして一学期最後の部活が終了した。

 女子四人が固まってて校門を出て行く。それを見送る男二人。茅ヶ崎と途中まで帰るのは初めてかもしれない。

 バイクを置いてある住宅街まで歩く。俺にはどうしても訊いておきたいことがあった。 由比ヶ浜の件だ。俺は歩きを止めて、茅ヶ崎の腕をつかんだ。

 

「茅ヶ崎、話がある。少し乱暴だが、前提なし、確認なしでいきなり言わせてもらう。

 由比ヶ浜をやり捨てたら絶対に許さん。覚えておけ」

 

 茅ヶ崎の体が少し緊張するのがわかった。振り向いた顔はいつもどおり飄々としていたが。

 

「いきなりなんだ? そんなことはわかっているつもりだがな」

 

「言いたいことはそれだけだ。雪ノ下も許さないと思うぞ。俺なんかより、あいつのほうが怖い」

 

「確かにな。おまえより根性があるからな」

 

 その顔が少し笑っていた。

 

「おまえは由比ヶ浜のことはどう思っているんだ?」

 

 ちょっとだけ間があった。

 

「可愛いし、明るいし、性格もいいし、楽しいし。一緒にいて飽きない」

 

「おまえ、今付き合っている女がいるのか?」

 

「ふっ。いるわけないだろ。付き合い、なんてしたいと思ったことはない」

 

「そうか……。由比ヶ浜は、どうしたことかおまえと付き合いたいと思っているようだな」

 

「はっきり言うんだな」

 

「わかりやすいヤツだからな。誰でもわかるだろ」

 

「それをかなえてやるには、もう少し時間がかかりそうだぞ。つい先日のようなこともあったし」

 

「そのようだな。すんなりと行かないのがおまえの悪業の深さを示している」

 

「その口調だと反対はしていないようだな」

 

「何に反対する?」

 

「俺と由比ヶ浜が付き合うことになったとしたら」

 

「反対できる立場か? 由比ヶ浜が望んでいるのに。できれば反対したいがな。

 とにかくおまえは悪因縁を断ち切るしかない。だが、たぶん、由比ヶ浜はそのときを待っていると思うぞ」

 

「言ってくれるじゃねぇか。その時まで由比ヶ浜には何もしねぇよ。安心しろ」

 

「それに、由比ヶ浜を守れるのはおまえだけのようだ」

 

「それは違うだろ、由比ヶ浜を守っているのはおまえと雪ノ下だろ」

 

「違う、心の問題を言っている。最終的に俺と雪ノ下は由比ヶ浜に関する責任を取ることはできない。結局のところ、由比ヶ浜にとって俺たちは他人だからだ。おまえなら責任が取れる」

 

「なんか言っている意味がわからんが」

 

「あいつは全身全霊でぶつかってくる。そのとき、おまえだったら由比ヶ浜のすべてを受け止められるということだ」

 

「俺を買いかぶってないか?」

 

「買いかぶっていないことを祈るばかりだな」

 

「変なヤツだな、おまえ」

 

「それから、なるべく校内では由比ヶ浜と一緒にいるところを見られないようにしてくれ。東雲みたいな目に会う可能性があるだろ」

 

 少し茅ヶ崎が考え込んだあと「りょ~かい」と答えた。

 

 茅ヶ崎が細い路地の方向へ歩いて行った。俺も駅への道をたどり始めた。途中で、茅ヶ崎と今のような会話をしてよかったのだろうかと思う。しかし、最近の俺の一番の懸念事項は、この問題だった。

 すんなりとは行かないことばかりだ。考えてみれば、自分の思ったとおりに、願望通りに、物事や人間関係が進んでいく幸運な人は、この世にどれくらいの割合で存在するのだろう。

 そういえば、わざとすんなりと行かせない人もいたな。さっきの雪ノ下のように。それを思い出すと、一人笑いしてしまった。

 

 

 家に帰ると、いつものように小町がソファに座っていた。いつもと違うのは、水着姿だったことだ。オレンジ色のビキニを着て、ゲームをやっている。

 

「あ、お帰り~! この水着どお? 可愛い? ほれほれ~、セクシー?」

 

 小町が立ちあがって俺の前で腰を振る。しかし、どうしても妹の体には興味が湧かない。うん。これが普通だよ。

 

「はいはい、セクシーセクシー。可愛いくって~ど~しよう~、富士~サファリパーク! あの歌って和田アキ子の声に聞こえるけど、違う人なのねん」

 

 

「つまんね~!」

 

 そういったくせに小町が手でパンパンとソファを叩いて笑っている。

 

「早く十日たたないかな! 待ちきれないよ! うみうみ~!」

 

「そうだ。おまえは陽乃さんの車で行くことになったぞ。知ってた?」

 

「あ、さっき、ゆきねぇからメール来たよ。五人乗りの車で行くんだね」

 

「さすが手回しに怠りがないな」

 

「お兄ちゃんとゆきねぇが電車で行くんでしょ? いいじゃん」

 

「最初はおまえと兄妹で電車? っていう感じんだたんだがな」

 

「ふ~ん。あ、明日色々な小物買いに行こうよ! 日焼け止めとか、ビーチサンダルとか、浮き袋とか、蚊取り線香も!」

 

 兄妹で小旅行という件はスルーですか。

 

「そうだな。俺も水着持ってないしな」

 

「でしょ? お兄ちゃんが海行くなんてびっくりドンキーだよ!」

 

「でも、明日じゃなくてもいいような気がする。せっかくの夏休みの初日だぜ? ハンバーグ食いたくなってきた」

 

「善は急げだよ! あ、ゆきねぇにもメールして誘ってみよう! ねえ、いいでしょ?」

 

「別にいいけど」

 

 夕食中も小町のテンションが異様に高かった。

 

「その調子であと十日間過ごしたら、行く前に夏バテするぞ」と注意すると、「小町はまだ若いからね~」とニンマリする。

 その後も小町は隣りの部屋でゴソゴソ、ガタガタやっていた。時々どすん、と大きな音もしてくる。遠足前の幼稚園児じゃないんだから、もう少し落ち着け! と言いに行こうと思っていたら、小町が部屋に入ってきた。

 

「お兄ちゃん、明日ゆきねぇも買い物行くって! 東雲さんも来るって! あのホテルに入って行った人」

 

「そのことはもう忘れろ。本人の前でも言うなよ!」

 

「わかってるって。そんぐらい。それで、明日午後一時にショッピングモールだって。あそこならほとんどのものがあるだろうって」

 

「わかったよ。行くから。一時だったら余裕で起きれる」

 

「ぷっ。起こしに来ないとお兄ちゃん、午後三時まで寝ているもんね~」

 

「おまえこそ興奮して眠れないんだろ、今晩」

 

 小町がちょっと不安そうな顔をする。

 

「そうなったらどうしよう。ミルク飲んで寝よう」

 

「ミルクで寝れるなんて小学生みたいだな」

 

「べ~だ!」と舌を出して小町がガチャンと扉を閉める。試験で頭を使ったせいか疲れていた。俺は午後十時に寝てしまった。

 

 

 

 

 

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