由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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夏休みのショッピングモールは子供がウゼェ

 

 

 

 この二~三ヵ月、色々なことがありすぎた。落ち着いてじっくりと何事かを考えた記憶がない。俺には静かな時間が必要だ。

 昔は孤独で静かな時間がたくさんあった。一人で物思いに耽っていると、物事の本質がレントゲン写真のように見えてくることがある。本質観取どころか霊感すら生まれてくるのだ。煩雑な因果関係が三次元的にからまり合う複雑なシステムを、一気に鳥瞰的に理解する超理性的な状態。

 そんなときは、清澄な自分の意識や明晰な理性の素晴らしさに全身が震えた。それは一種の官能的な体験とさえいえた。

 だが、最近はほとんどそれがない。

 

 夏休み初日の朝、午前八時に目が覚めると、俺はしばらく何もしないで天井を見つめていた。このまま何時間でも過ごしていたかった。

 近ごろの席の暖まる暇も無いような精神の多忙は、もちろん、あの男が部室に入ってきたことに始まる。そんな状況から解放され、正直ほっとしている。やはり忙しさとは精神を粗雑にし、認識の解像度を著しく下げる。

 雨滴が枯れれば不毛な荒地が幅を利かせるように、精妙さの慈雨に洗われなければ俺の心も枯死するだろう。静寂な時間こそが俺の慈雨だ。

 

 

 今日は出かける予定があるが、明日からはしばらく、できるだけ家に引きこもるつもりだった。九日後には合宿もある。その間、俺は調べてみたいことがあった。

 それは、勿来ヶ崎周辺に関する時系列的な情報だ。この前、学校で文献に当たったとき、勿来ヶ崎にほど近い村には変な風習があったという。明治時代に、あのあたりの住民は、子供を折檻するために勿来ヶ崎の伝説を利用したのだという。

 勿来ヶ崎は勿来海岸の北にある数十メートル突き出した部分で、地図に「岬」と表記されるほどの規模を持たない。突き出した方向へ、一直線に四つの岩が並び、伝説によると先に行くほど地獄に近づいていくという。

 要するに、子供が悪さをするとそこに一晩置いてくるぞ、と脅かすための物語があったらしい。悪さの度合いに応じて四つの岩があり、一番罪が重いと一番先に連れて行くというシステムだった。その一番沖にある岩は地獄岩と呼ばれていたそうだ。

 学校の文献でわかったことはこれだけだった。俺は、もっと詳しく知りたくなった。現地に行く前に、できるだけ知識を得ておきたいので、明後日からは市立図書館で調べようと思っている。明治時代から続く、溺死事件を報じる新聞の縮尺版もあるだろう。確か今は紙ではなく、マイクロフィルム化されているのではなかったか。

 

 それに……、由比ヶ浜が無意識で呟いたあのメチャグラム。

 『暗い、寒い、水が入ってくる』という言葉は、なにがしか洞窟の中を想起させる。しかし、勿来ヶ崎周辺に洞窟はないと思われる。

 戦争中は、切通しみたいな壁面に穴を空けて防空壕をたくさん造った。田舎に行けば、今でも見ることができる。それに、『たくさんの人が助けを待っている』という言葉は戦争中に洞窟内で焼き殺された人たちの怨念を感じさせる。

 ただ、『水が入ってくる』状況は防空壕とは違うはずだ。そんな危険な場所に防空壕を作るほど、当時の人に知恵がなかったわけではない。

 ここで、はた、と気がついた。俺はあのメチャグラムと勿来海岸を、当然のように結びつけてしまっている。由比ヶ浜が意識を失ったのはいずれも獄釜旅館のホームページを見ていたときだったからだ。これは大きな間違いかもしれない。しかし、俺はメチャグラムと勿来海岸に何かの関係があると直感している。

 新聞部から半ページのスペースを与えられたときから、目黒が『京極夏彦の大ファンだから』といって千葉県の会談特集を提案したときから、俺たちは勿来海岸に誘導されているような気さえする。俺たちというより、俺が一人で誘導されているようなものだが。

 それを解き明かすためにも情報収集と調査をしなければならない。

 

 

 正午に俺と小町でのんびりとメシを食った。午前中にゆっくりと過ごしたためか、体のうごきが鈍い。テーブルにつく前にノビをすると、立ちくらみした。

 メニューはクロワッサン三つとコーヒー。これはいい。体を動かしたりしていないので腹がぜんぜん減っていないから。

 しかし、トマトがどっさり入ったサラダはやめて欲しい。トマトの乱切りが皿の上に山盛り。その周りにほんの少しレタスやキュウリがあるだけ。食材のバランス悪すぎだ。

 

「またトマトかよ。残すぞ」

 

 対面に座る小町がフォークでトマトを一切れ、二切れ、三切れと、次々に口に運んでいる。

 

「うまい~! さすが地元、房総トマト!! やっぱり夏のトマトは味が濃いね」

 

 言葉を喋るのももったいないような雰囲気で、小町がまた次々とトマトを口に運ぶ。口と胃の中が、すでに真っ赤ッ赤だな。

 

「お兄ちゃん、トマトの赤い成分はリコプンっていうんだって」

 

「違う、リコピンだ」

 

「そだっけ? リコピンって紫外線から肌を守ってくれるんだよ。知ってた? 海行く前にたくさん摂っておいたほうがいいよ」

 

「俺たちの年頃でお肌なんか気にする必要ないと思うぞ。それにしてもあちぃな~」

 

「いまどきのJCはみんな気にしているも~ん」

 

 ホットコーヒーを啜ったら、頭と胸に汗が滲んできた。Tシャツをまくってテーブルの上に置いてあった団扇であおいだ。

 

「野菜は体を冷やす効果があるんだよ」

 

 そう言いながらまだトマトを食っている。

 

「いくらなんでもそんなに食うと腹壊すぞ」

 

「大丈夫だよ~、トマトは小町の味方だから」

 

「そうかもな。キモイおやじに食われるくらいなら、小町に食われたほうがトマトも喜ぶかもな」

 

「へんな想像力だね~」

 

「で、今日は何を買うんだ?」

 

「ビーチサンダルと日焼け止めくらいかな~。浮き輪は押し入れにあったし。蚊取り線香もあったし~」

 

「着替えてくるわ」

 

 そういって二階へ上がり、いっちょうらの七分丈パンツにポロシャツを着た。

 窓から外を見ると、太陽の光がギンギラギンと音を立てて隣りの家の壁を照らしていた。眼球の奥がチカチカする。相当暑そうだ。自転車で行くのは真っ平ごめんなので、ちょっと歩いてバスに乗ることにした。

 

 ショッピングモールの待ち合わせ場所に行くと、すでに二人の女がベンチに座っていた。

 雪ノ下はいつものようにワンピース姿だったが、白地に斜めの紺色の線が入った、珍しく派手な柄だった。それに、胸の上から肩までが露出し、二本の紐で吊り下げられている。白いつば広の帽子はこの前見たのと同じだ。

 東雲はデニムの浅いショートパンツだった。脚がスラリとしていい形をしている。その上は、胸や肩にかけてヒラヒラになっている薄青のトップス。足元は、少し厚底のサンダル。皮のベルトが足首に巻きついている。

 目立つ。

 この二人が並ぶと制服でも目立つのに、私服になったら千倍目立つ。それに、東雲のショートパンツ姿は怖い。腰のくびれと形のいい小ぶりのお尻。男だったら絶対に見とれる。

 小町が「ゆきねぇ、こんにちは」とか「東雲さん、スタイルいいですねぇ」とか言っている。

 頑張れ俺の眼筋。煩悩を催すものの反対方向へ眼球を向け続けろ。頑張れ俺の空間識。東雲という女は確率的にしか存在しない。この前、陽乃さんが言ってた確率波なんたらによれば……。

 マーカーハンニャーハラーミーター、この世は空だ。色即是空だ。色気なんて空虚な幻想だ。フェロモンなんて下等動物を機械的に生殖行動に導く薬だ。そう、風邪薬みたいなもんだ。そうだろ? そうだよね……。ああ、俺ってやっぱりドスケベなんだな。すげぇ自己嫌悪……。

 

 ポンポンと肩を叩かれた。

 

「お兄ちゃん、何ボケっとしてんの? 天井見上げて何かブツブツ言ってるし。すごくキモイよ」

 

「あ、すまん。ちょっと考え事していた」

 

「たぶん、今のはロクなことを考えていなかったはずよ。内容はだいたいわかる」

 

 姉のような洞察力をいつの間にか覚醒させているらしい雪ノ下が、クスクス笑いながら立ち上がった。

 東雲も立ち上がると、小町が雪ノ下の隣りにひっついて、腕に手をからめる。そのため、歩き始めると、俺と東雲が並んだ。

 小町がずんずん目的地に雪ノ下を引っ張っていく。散歩に狂喜する犬みたいに。「ちょっと小町ちゃん」と犬をたしなめている。それでも俺と東雲が少し離れてしまう。

 

「小町ちゃんはゆきのんが大好きなんだね」

 

「そうみたいだな。でも、あいつはクラス内でも人気あるんだろ? 特に女子から」

 

 俺は、雪ノ下が女生徒から崇拝されていることを知っている。男子生徒は手が届かないことを悟って、最初から諦めている。

 

「そうだよ。なんか別格扱いされてるよ」

 

 東雲の顔がこちらを向いている、が、前を見続けた。厚底のサンダルを履いているためか、ほとんど同じ高さに顔があった。

 

「ところで、何買いに行くんだ?」

 

「うん? ビーチ用のテント。アウトドア用のテントだったらあるみたいだけど、それだと炎天下で暑いんだって。ビーチ用のは前後が空いていて、風通しがいいみたい」

 

「そんなのわざわざ買うのか」

 

「だって、日焼けしたくないもん」

 

 雪ノ下の肌が白いことは知っていたが……、俺は東雲の腕を見た。やっぱり同じように白い。

 

 夏休み中のこうしたレジャー施設は混んでいる。目立つのが幼稚園から小学生くらいの子供。床の模様に合わせてギャアギャア叫びながら飛んだり走ったり、ソフトクリームを落としたりして泣く。

 歩いているうちに、何回かこちらに突進してくる子供を避けた。走り過ぎていくガキが転ぶ。ふふ。ざまぁ。

 見れば東雲の露出した太ももにおでこをぶつけたガキが茫然としている。「あぶないよ~、気をつけてね~」と東雲が声をかける。

 子供ウゼェ~!

 ベビーカーに乗っている乳幼児だったらともかく、モール内は突き刺さるような子供の甲高い声に溢れている。その雑音が空気にトゲを生やし、俺の肌がチクチクする。

 

 何回かエスカレータに乗るとアウトドア用品店に到着した。

 テントが数個展示されていて、さっそく三人の女が見てまわる。

 俺はサッサと自分の海パンを買ってしまおうと思って、水着コーナーに行った。競泳用の特殊な素材を使ったブリーフ型から、トランクス型まで色とりどり選べた。俺は当然、トランクス型に決めていた。もっこりを見せつけたい変態ならともかく、ブリーフ型なんて気持ち悪いでしょうに。

 

 だが、スポーツ用品店に来たのが間違いだった。どうせこの夏、一回程度しか着ない海パンなのに、有名メーカー製のロゴが入ったものばかりで、値段が高い。

 今回ばっかりは中国製の安物でよかった。選ぶ基準をデザインではなく値段にして、いくつかの購入候補を見つけた。

 そこへ、女三人もやってきた。すでにテントを選んで買い、宅配の手続きも済ませたようだ。

 

「終わった?」と雪ノ下が声をかけてくる。

 

「だいたい」

 

「私たちもここで水着を買っちゃいましょうか」

 

 後ろを振り返って、東雲に言っている。うなずき合う東雲と雪ノ下は女性もののコーナーへ歩いていった。その後ろを小町がついていく。

 俺は一番安い紺色のトランクスを買った。三千八百円ナリ。なんかたっけぇな~。

 で、女子たちのほうへ行ってみると、二人ともワンピースタイプの水着を選んでいた。

 ん? 雪ノ下なら理解できるが、東雲はビキニ選びそうな感じなんだが。

 ラックに懸架されているハンガーを一番ガチャガチャ熱心に動かしているのは、買う予定のない小町だった。

 

 

「これどうかしらね」

 

「いいかも。でもこっちの色のほうが明るくていいね」

 

 みたいな会話を延々と続ける二人。ちょっと気になって訊いてみた。

 

「どうしてビキニにしないんだ? 文句を言いそうなヤツが一人思い浮かぶんだが」

 

 答えたのは東雲だった。

 

「私、おなかに傷があるから。ビキニだとみっともないんだよ」

 

 東雲が俺のほうを向いて、腹部ををめくる。すると、ピンク色の線が数本見えた。

 

「みっともないんだったら見せることないだろ」

 

「ヒッキーは事情知っているからね~」

 

 その傷跡を見せられると、不思議な気分になった。ふわふわとした雰囲気の東雲が、過去にそんな厳しい行為をしていたことをあらためて意外に感じた。

 

 結局、東雲は水色で、腰の側面からわき腹にかけてにピンク色の線が入った競泳用の水着を買った。背中にX字の紐が走っているやつだ。

 雪ノ下もほとんど同じ形のものを買った。色はライトグレーで側面にはオレンジの線。どちらもスポーツメーカーのロゴが小さく入っていた。

 

 次は靴屋へ行った。俺も含めて四人ともビーチサンダルを買った。例によって俺は一番安いやつ。四百五十円ナリ。小町はヒマワリの花がついたのを買っていた。

 全員が買い物をほぼ済ませると、それぞれ数個の紙袋を手に下げていた。少し疲れたので、以前雪ノ下と入ったおいしいお茶の店に向かった。

 丸いテーブルに四人で着席する。足元に紙袋を置くと、やっと一息つく。女三人はホットの紅茶、俺だけアイスティーを注文し終わると、東雲が雪ノ下に話しかける。

 

「ゆきのん、ヒッキーと小町ちゃんにはさっきの話してもいいんだよね?」

 

「ええ、いいんじゃないかしら」

 

 改まって話とは何だろう。こういう状況でいい話が出てくることは少ないような気がするのだが。

 

「なんですか? 話って」

 

 小町が雪ノ下と東雲を交互に見る。

 

「結衣ちゃんの誕生日。私たち全員忘れてた」

 

 東雲にそう言われて俺も忘れていることに気がついた。あいつの誕生日は六月だ。雪ノ下でさえ忘れていたのか。

 

「そうなの。すっかり忘れてた」

 

 申し訳なさそうな顔をした雪ノ下がコトリとカップを皿の上に置いた。

 

「俺もだ。ちょうど由比ヶ浜の誕生日だったころは、茅ヶ崎に部を引っ掻き回されて、それどころじゃなかったからな」

 

「とても誕生日祝いなんてやる雰囲気じゃなかったもんね~」

 

 東雲が耳のあたりの髪を手で漉き下ろしている。

 

「へぇ~。大変だったんですねぇ。兄は何も教えてくれなかったので知りませんでした」

 

 小町が出された紅茶を啜った。こいつミルク入れないんだったっけ。ストレートで飲んでいる。

 

「それを言い出すってことは、何か回復措置を考えているんだろ?」

 

「合宿でやったらいいと思っているのよ。二ヶ月遅れの誕生日祝いを」

 

「なるほど。ということは、結衣さんには内緒ということですね~」

 

「いっそのこと、今日プレゼント買っちゃえばよくない?」

 

 東雲の提案に小町が賛成~! と手を上げる。

 

「しかし、例によって、俺は女の子に何をプレゼントしたらいいのかわからんぞ。今でも」

 

「ここに三人も女子がいるんだからアドバイスしてもらえるでしょ?」

 

 雪ノ下のこの発言に異議を唱えたくなった。

 

「由比ヶ浜が何をもらって喜ぶのか、未だにおまえが知っているとは思えないんだが」

 

「もうちゃんと知っているわよ」

 

「例えばなに?」

 

「わんちゃん用の首輪」

 

 雪ノ下さん、顔がニコニコし過ぎているんですけど。

 

「おまえ、それは反則だぞ!」

 

「私はそれに決まり。首輪を確保したから」

 

「ずるいぞ。せめて首輪じゃなくてハーネスにしたほうがいい」

 

「ハーネス? それはなに?」

 

「首輪だとロープを引っ張ると首が絞まって苦しいだろ。ハーネスは肩や胴体に取り付けるから苦しくないんだ。思いやりのある飼い主は、最近ハーネスを使っているぞ」

 

「じゃあ、そうする」

 

「小町は何にしようかな~。う~ん」

 

「女子だろ、女子が喜ぶものを思い出せ。っていうか俺にも教えてくれ。そうだ東雲も教えてくれよ」

 

「結衣ちゃんはね~。カラオケ回数券? 一時間単位のチケットがあるよ? 昨日久しぶりに行って楽しそうだったもんね」

 

「そうか。それいただき! どこで売ってんの?」

 

「カラオケ屋のフロント」

 

「あとで行くわ」

 

「そうだ、東雲は誕生日いつなんだよ」

 

「わたしは十一月だよ。あ、めぐみんは十月」

 

「じゃあ、まだまだだな」

 

「雪ノ下は一月で、小町は三月か」

 

「あ、お兄ちゃん、八月八日だ!」

 

「近いんだね」と東雲が言う。

 

「比企谷君は、誕生日祝いとかされるの嫌な人だったと記憶しているけれど」

 

「うちの兄は変人ですからね~。家でもいつの間にか誕生日スルーになってます。中学生になった頃から」

 

「じゃあ、今回もスルーにしましょう」

 

 俺の誕生日は軽く流されてしまった。雪ノ下がニコリとしている。なんか複雑……。

 

「あ、茅ヶ崎を忘れているぞ」

 

 こういうとき忘れられるのは俺と同じらしい。あいつとはちょっとだけキャラがかぶっている。いや、ほんのちょっとだけ。

 

「茅ヶ崎君の誕生日は、すでに終わっているはずよ」

 

 自信に満ちた顔をして雪ノ下が言う。

 

「なんでだ?」

 

「だってバイクの免許って十六歳からでしょ? すでに誕生日が来てなきゃ乗れないはず」

 

「そうだな。でも無免許ってことはないだろうな」

 

「ええ~! 無免許だったらすごい。大胆すぎるよね」

 

 東雲が驚いている。確かに免許証を見せてもらったことはない。

 

「もう、本当に無免許だったらそれこそ彼はアンタッチャブルよ。こっちまで迷惑をこうむりそう」

 

「それで、結衣ちゃんのプレゼント決まっていない人は、わたしと小町ちゃん?」

 

「そのようですね~。どうしましょう」

 

 小町と東雲が見つめ合っている。だが、小町が何か思いついた。

 

「あれだ! 犬の名前や住所、電話番号を入れておくアクセサリー。首輪につくようになっているやつ」

 

「犬に集中するんだな」

 

「ヒッキー、わたしもカラオケ券でいいかな。それ以外思いつかなかった」

 

 東雲が懇願するような顔をしている。

 

「いいんじゃない? それぞれ十時間ずつ贈れば、二十時間もカラオケできて、あいつ喜んじゃうぞ」

 

「じゃあ、それにする」

 

「決まったわね。さっそく買いに行きましょうか」

 

 店を出ると、モール内にあるカラオケチェーン店に向かう俺と東雲、ペットショップに向かう雪ノ下と小町の二グループに別れた。

「じゃあ、あとでね」と声をかけて歩いていく雪ノ下の腕に、また小町がからみついている。

 いざ東雲と二人で歩くと緊張してきた。考えてみれば、俺は雪ノ下以外の女とこうして二人で歩く経験はすごく少ない。体の動きがぎこちなくなっているような気がする。

 それを意識するとさらにぎこちない歩き方になってしまう。

 さすがに俺の変な雰囲気を察したのか、東雲に聞かれてしまった。

 

「どうしたの?」

 

「いや、なんでもない」

 

「なんか緊張してる?」

 

「してない!」

 

「ヒッキー面白い」

 

 ふふふ、とふんわりした笑い声が聞こえてきた。東雲は巧い。まるで俺の腕に手をからめているかのように、つかず離れずの距離を保ってくる。歩きながらそれをやるのは難しいはずだが、自然にやっている。

 

「聞いていい?」

 

「何を?」

 

「もしかして、私を女として意識してくれているの?」

 

 ドキンと胸の中で跳ねるものがあった。それにしても、ふんわりしている声に反するこの率直さには恐れ入る。

 

「あたりまえだろ、おまえは女だ。オカマには見えない」

 

「おかしい。意味が通じているか通じていないのかわからないよね」

 

「何が言いたいんだ?」

 

「特になにも?」

 

「なんだよ。それ」

 

「ただ、緊張されているんだったら、少し悲しいかなって思っただけ」

 

「正直に言うと少し緊張してる」

 

「どうして?」

 

「どうしてって……。じゃあ、正直ついでに言うと、おまえは色気がありすぎて怖い」

 

「怖いなんて言われたの初めてだよ。あんなに美人のゆきのんと一緒に歩いて楽しそうに言い合っているのに、私なんかが怖いとか緊張するとか、不思議だな~」

 

「それを説明するとなると時間がかかるぞ。っていうかおまえだったらそんな男のサガなんか知ってるだろうに」

 

「男のサガって」

 

 東雲が身をかがめて笑っている。立ち止まってしまったので、俺は身を翻してしばらく待った。

 

「おまえ、からかっているんだろ」

 

「そんなことないよ。ヒッキーと話すと面白いんだね。絶対ウケる」

 

 しばらく東雲は口に手を当てて笑い、また歩き始める。

 

「正直に言ってくれたから正直に言うね。私、ヒッキーのこと好きだよ」

 

 ズガ~ン! 来た。俺の脆い心を深いところから揺るがす核爆弾が。

 

「おまえ、変なこと言ってんなよ! やっぱり怖いじゃないか。完璧にからかってんな?」

 

「そんなことないって。続きがあるから」

 

「どんな続きだよ」

 

「ヒッキーのことは好きだけど、それ以上にゆきのんが好きだから、私」

 

「なるほど」

 

「わかったでしょ?」

 

「わかった。安心した」

 

「そう」

 

「緊張が一気に吹っ飛んだ」

 

「よかった」

 

「おまえとは気兼ねなく話ができそうだ」

 

「やっぱり言ってよかった」

 

 こんな会話しているうちに、カラオケ屋を通り過ぎていたらしい。地図を見ると、少し戻る必要があった。

 カラオケ屋でチケットを買った。プレゼント用と言うと、ちゃんとデコレーションラッピングをしてくれた。最近はこういうプレゼントをする人が増えているらしい。

 二人で店を出るとき、東雲のケータイに着信があった。俺はゲーセンの中を覗いて、東雲の会話が終わるのを待っていた。

 

「ごめん」と東雲が歩いてくる。「行きましょう」と言って俺の隣りに並んで歩く。

 

「今の面白い電話だったよ」

 

「どんな?」

 

「それは内緒。細かいことだから忘れそうだけど、今、私が電話受けたこと覚えておいて。ゆきのんからだよ」

 

「意味がわからないな。覚えておいてと言われれば、もう忘れないとは思うが」

 

「うん。覚えておいて。あとでわかるから」

 

「ふ~ん。何だろうな」

 

 その答えはなかった。東雲は黙って歩いていた。

 

 小町と雪ノ下と合流すると、俺たちは円形になっているソファに座った。円の中心には、天井近くまで届きそうな熱帯植物がそそり立っていた。

 

「お兄ちゃん、合宿楽しみだね!」と小町が右隣りでニヤニヤしている。なんか違和感があるなと思いつつ、俺は左隣の雪ノ下に小声で話しかけた。

 

「勿来ヶ崎とか、メチャグラムとか、明日から本格的に調べ始めるぞ。市立や県立図書館で資料を漁る。何かわかったら連絡するわ」

 

「そう。私も手伝える日があったら手伝う。ちょうど今、また実家が騒がしくなっているの。あの姉さんが母親と対立し始めているのよ。信じられないでしょ」

 

「へぇ~。それは驚きだ。反抗期はマジだったんだな」

 

「家のことやらないって、言い張っているのよ。それで、家族会議みたいなのをちょくちょくやると思う。姉さんと私が実家に呼び出されて」

 

「大変だな。そうだ。おまえも小町に相談してみろ。守護天使のほうに。何か決定的にまずい状況になりそうだったらシミュレーションして未来予測してみればいい。対策を思いつくかもしれない」

 

「ありがとう。パソコンに話しかけてみる。でも相手にしてくれるかしらね」

 

「おまえの頼みだったら喜んで聞くだろうよ」

 

 俺は苦笑した。二人の小町も東雲も、おそらく由比ヶ浜も目黒も、みんな雪ノ下が好きなんだな。

 

 

 

 

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