ショッピングモールで買い物をした翌日、俺は午前中から図書館にでかけた。ネットで調べる限り近傍の図書館はいくつかあるが、蔵書の多さでは市立図書館が一番だった。
新聞の縮刷版についていえば、昭和三十年代より以前は蔵書扱いになっている。フロントで閲覧の申し込みをしないと見ることができないようだ。
市立中央図書館は、千葉駅まで電車で行き、モノレールに乗り換え、市役所前駅で降りたところにある。何回か来たことがあり、すでに図書貸し出しカードは作ってある。
図書館というのは、新刊しか置いていない書店とちがって、古い蔵書がたくさん揃っている。これが非常にありがたい。
さっそくズラリと並ぶ縮刷版の中から平成九年の電話帳のように重い一冊を取り出した。そこには、必ず溺死事件の記事があるはずだ。
フロアを見回せば、学生が閲覧台や閲覧席を占拠し、どこも空いていなかった。市立中央図書館は、中央という名前の通りかなり規模が大きく、閲覧席も数百席あるはずだが、一席も空きがなかった。
机のようになっている閲覧席を諦め、壁際にあるベンチの方向へ行ってみたが、ここも満席。ベンチには机がなく勉強するに適していないため、学生ではなくオヤジとかお爺さんが占拠している。その大方がひざの上に本を載せた状態で居眠りしている。空いているベンチがあると思えば、そこには何かの荷物や本が置いてある。
くっ、と自然に喉が鳴る。寝たいんだったら家で寝ればいいじゃないか。ったく。
仕方なしに、壁際に後退してフロアにあぐらをかいて座った。チラホラと俺と同じように本を読んでいる人もいる。
目的の記事は、八月二日に見つかった。
『八月一日午後二時ごろ、千葉県勝浦市川津1036付近の海岸で、女子高校生四人が遊泳中に溺れ、二時間後に三名が病院に搬送されたが死亡が確認された。現在も残る一名の捜索が続けられている。四人は、いずれも千葉県立幕張高校の一年生で、
やはり、魔の海と言えそうだ。しかし「把握されている」とは誰が把握しているんだ? それがわかれば調べる苦労がなくなるのだが。
それに、いきなり気になる点が出てきた。千葉県立幕張高校だ? 似たような名称の高校ならある。それは千葉県立幕張総合高校だ。
「総合」という文字がついている高校なら総武高のお隣さんで、こちらも偏差値が高い。もっとも総武高は市立だが。
それにしても、近い。幕張なんてほとんど俺の、あるいは総武高に通う生徒の地元といえる。千葉県立幕張高校に通う友達同士で夏休みに海に遊びに行き、事故に遭ったということだろう。
コピー機が三台並んでいたが、三台とも塞がっていた。しばらく待って記事のコピーを二枚とる。次は昭和十七年の事件について知りたい。これは蔵書になっているのでフロントで申し込みした。
最近の図書館は、利用者の色々なニーズに答えてくれるコンシェルジェがいる。利用者相談コーナーでは、資料の検索や案内をしてくれる係員が三人もいる。ところが、このコーナーだけはヒマそうだ。誰も相談していない。
さっそく中年のオバサン職員の前に行って、昭和十七年、大正一〇年、明治四十三年のそれぞれ八月の新聞記事閲覧を申し込んだ。すると、昭和十七年の新聞は本の形になっている縮刷版があるが、それより古いものはマイクロフィルムでの閲覧となるという。
まず最初に倉庫につながるエレベータから出てきたのは昭和十七年の縮刷版だった。
蔵書専用の閲覧席で探すと、やはり八月二日に記事があった。
戦争中の新聞には読点の「、」はあるけど句点の「。」がない。読みづらくてかなわない。
『一日午後、勝浦近傍海岸に
こちらは犠牲者十一人に行方不明八人だとすると、十九人が溺死したことになる。それに、この事件も八月一日に起こっている。
読んでいるうちに総毛立ったのは、「猶、水面に数多の手の突出を目撃せりと訴へる女學生多数と云ふ」という部分だ。これは強烈だ。水面から多数の手が出ていたのを女学生たちが目撃したというのだから。
次はマイクロフィルムに記録されている大正時代の新聞を当たってみた。大正一〇年といえば、確か第一次世界大戦が終わった二年後で、関東大震災の二年前のはずだ。意外に平和な時代だったのかもしれない。
マイクロフィルム専用の機械は、前面にモニタがあり、その下に映画フィルムのような形状のマイクロフィルムをセットし、それに光を当てるとモニタに映像が映るようになっていた。フィルムを送ったり戻したりの操作ができるうえ、画面をコピーすることもできた。
記事の載っているのは八月二日に違いない。フィルムを早送りしてその日付に合わせると、やはり載っていた。
この時代の新聞にも句点がない。それに、段落の一番最初を一文字下げることもしていない。
『八月一日午後、千葉縣白網郡
ここにも手が出てきた。これは本当なのか。海に入っているときに幽霊だか怪物だかの手に引っ張られれば溺れるに決まっているが……、とても信じられない。だが、女学生はそう証言したのだろう。それも大正時代と戦前の二つの事件において二回とも。
これが現在の新聞であれば、そんな証言は載るとは思えないが、当時はまだ、新聞の校閲が厳しくなく、非科学的なことも載せることができたのかもしれない。
もう一つ気がついたことは、行方不明者が多いことだ。昭和の事件では一人だが、戦前のは八名、大正時代のは九名となっている。それだけの人が勿来海岸から流され、消滅してしまった。地元漁師の証言なども載っている。周辺はとても潮流が激しく、漁師のような専門家にとっても難所らしい。遺体は遠くに流され、沈んだままなのかもしれない。
ふと、あの言葉がまた思い浮かんだ。「寒い、冷たい、成仏させて……」
海の底のことだろうか。
「たくさんの人が助けを待っている……」
何十人もの遺骨が、潮流と地形が原因で一ヶ所に集まっているのだろうか。
だが、これらの推測は「水が入ってくる」という言葉と矛盾する。いったいどういうことなのか……。
気がつくと、午後二時に近くになっていた。腹が減っているのに気がつく。俺はいったん図書館を出て、市役所一階にある食堂に入った。
メニューを見ると、ラーメン四百円とあったので、自動販売機で食券を買った。食堂内はすいていて、テーブルの上にコピーを広げることができた。それを見ながらラーメンを啜る。シンプルな味でうまい。喉が渇いていたのでつゆまで飲み干して早々に食堂を出た。
図書館に戻ると、次は明治時代の新聞を当たりたかったのだが、何年に事件が発生したのかわからない。コンシェルジェによると、明治十九年からマイクロフィルム化されているというから、全部見るとなると大変だ。
明治時代の記事は諦めた。
おそらく明治時代よりも以前から、勿来海岸近辺では水難事故が頻発して、相当数の犠牲者が出ているのだろう。あの海にはたくさんの未回収の遺骨が沈んでいるはずだ。
腹ごしらえできたことだし、次は勿来近辺の伝承について調べることにした。だが、地域の民俗学的な伝承を記録する文献はなかった。学校で見た古臭い本と同じものだった。 しかたなく、コピー用紙を手に持って帰途についた。ショルダーバッグでも持ってくれば良かったような気がするが、俺は持ち物は極力少なくする主義だ。丸めて筒状にした紙をポンポンと手のひらに叩きながら歩いた。
まだ午後三時なので、ギラギラした直射光が顔や手にまとわりついてくる。駅までの五分ですっかり汗をかいた。
家につくと、ダメもとでネットで検索してみた。キーワードを「勿来海岸」「伝承」にしてみると予想以上のヒットがあったが、宮城県の勿来に関する情報だけだった。
そこで「勿来ヶ崎」「伝承」で再検索すると、たくさんヒットしたが、目的の情報は限られていた。ところが、その数少ないヒットの中に、貴重な記事を載せたブログがあった。
『勿来ヶ崎というのは、昔は地名としてあったようですが、現在では地元民だけが時々使う呼称です。勿来ヶ崎には昔から民話や伝承がたくさんあり、その主なものは、勿来ヶ崎の地獄岩には鬼火(人魂)が飛び交い、地獄の入り口だというものです』
この文章の要点をまとめると、勿来ヶ崎と呼ばれる小さな岬から続く四つの岩は、一つ岩、二つ岩、三つ目岩、地獄岩と呼ぶそうだ。そして、悪さをした子供を折檻するために歌われた民謡がある。
一つ、
二つ、
三つ、
四つ、
この歌を聞かせながら、勿来海岸で舟に乗せようとしただけで、子供は驚愕して「助けて、もうしません、許してください」と泣きつく。これが昭和初期あたりまで行われたいたという。
また、勿来ヶ崎の根元には標高五〇メートルほどの急峻な小山があり、
この
その少女を見た人は、なぜか意に反してついて行ってしまう。そして、崖下で遺体となって発見されるという。そんなとき、村では「また瓦山の
このブログを書いた人は、地元の人から聞いた話を書いているのだが、とても怖くて瓦山に登ることができなかったと記している。
夏休み二日目に調べることができた内容は、ざっとこんな感じだった。これらの事実や伝承と、俺や俺たちがどんな関係を持っているのか、サッパリわからない。ただ、直感的にはわかっていることがある。
『成仏させて……』
おそらくこれだ。何かが呼んでいる。
★ ★ ★
翌日は、また午前中から一番近くの歩いていける図書館へ行った。ここは区立の図書館で、地域と密着している。そのため、昨日出てきた県立幕張高校の資料も置いてあるはずだ。
区の資料として、行政史などのコーナーがあり、その中には区内の教育史をまとめたものがあった。小中学校や高校の沿革が記録されている。普通ならこんな本は誰も手に取らない。
しかし、その本をめくっていると、確かに十五年前までは県立幕張高校があった。県立幕張総合高校ではない。
そして、県立幕張高校は周辺の宅地開発による人口の急増から、生徒数が増加し、二校に分裂した。それが十五年前のことだった。
一つは市立総武高校になり、もう一つは県立幕張総合高校になっていた。そんな話は初耳だった。迂闊といえば迂闊だが、自分の通っている高校の歴史なんか気にする者は少ない。由緒と歴史を強調したがる私立学校だったらともかく、公立学校の沿革なんてどうでもいい。
だが、しかし、なんと……。
溺死した四人の女生徒は、俺の先輩ということになるのだ。思いがけない発見にゾクリとする。
その部分を数ページコピーした。その紙を見ながらぼんやりと考えていると、記憶の底に、なにやら煌めくものを感じた。煌めくなんて素晴らしい表現はやめたほうがいい。不気味な符合と暗合を感じたのだ。
俺は昨日コピーした紙をポケットから引っ張り出した。平成九年の新聞記事だ。
溺死者の名前を確認する。
皆川
再びゾッとする。
変遷があったとはいえ、同じ高校の先輩と後輩。そして名前の類似。ここまでの暗合は偶然では考えられない。
俺は立ち上がった。一瞬、めまいがした。そして考え直してまた座った。隣の席に座っているオヤジが迷惑そうな顔をしている。おそらく無意識にブツブツと何かを呟いていたらしい。
これは危険かもしれない。八月一日……。溺死事件が起こった日……。この日に、あの四人が勿来海岸にいることになる。
いや、そんなことは……。ありえない。この時代に……。
そうだ、小町、危険があったら知らせてくれるんだよな? 大丈夫だろうな?
俺はこのことを洗いざらい雪ノ下に話すことにした。