台風が関東を通過していた。空がゴーゴーと鳴り、雨がジャカジャカ窓にぶち当たり、少しばかり家も振動していた。
こんな日はカーテンを閉め切って照明をつけ、ヘッドホン着用で録り貯めたビデオを片っ端から見たり、ipodで適当な音楽を聴きながら漫画や本を読むに限る。小町も自分の部屋にこもって宿題と格闘している。海に行く前に少しでも片付けておきたいらしい。
海といえば、台風一過の数日後に訪れたとき、波がおさまっていればいいが。
色々なメディアの情報を脳に吸収しながら、俺は昨日の東雲との約束を思い出していた。
どうもわけがわからない。
あいつは雪ノ下に秘密を作りたくない、と言っていたのに、結局秘密を作る羽目になった。
魔法に白魔術と黒魔術があるように、秘密にも白い秘密と黒い秘密がある。もちろん、誰かを裏切ったりする内容が黒い秘密だ。
そして白い秘密。
たとえば、由比ヶ浜以外の人間は誕生プレゼントを買ってお祝いをしようという秘密を共有している。これは白い秘密だ。
たぶん、東雲は俺との約束が、雪ノ下を裏切る黒い秘密だと思っていない。黒い秘密をあいつが持つわけがない。あくまで白い秘密だ。だとすると、東雲は俺と雪ノ下のためを思ってあの約束を提案したことになる。
一瞬、東雲が俺をLOVEしているのかと思ったが、それはないと思いたい。とはいっても、たとえば仮に東雲が俺にLOVEで、その一方で雪ノ下との関係も壊したくないと思っていたとすれば、あの約束で現状の人間関係や自分の心を固定することができる。その可能性だってありうるかもしれない。
考えると泥沼にはまって、訳がわからなくなってしまいそうだった。
俺は……。二人の小町と東雲からメッセージを受けとった。綺麗なお花に水をあげること。俺もその通りだと思っている。はっきり言って、俺は彼女をほったらかしにしているに近い。だが、彼女のほうも案外、それが心地いいのかもしれないが。
なんとかして改めて気持ちを伝える機会が欲しい。しかし、どうすればいい? 俺にどんなことができる。プレゼント? 困った。プレゼントほど何を贈ったらいいかわからないものはない。ほかに俺にできることと言えば……。
しばらくあれこれ考えていると、一つのパフォーマンスが思い浮かんだ。それも、手の混んだものではなく、ちょっとした小道具は必要だが、体一つで表現でき、西洋では昔から行われてきた珍しくもない普通のパフォーマンス。
それで行くか……。
おそらく、真剣に、恥ずかしがらずに、心をこめて行なわなくてはならない。
彼女とは電車で勿来海岸まで行く。その途中にチャンスがあるはずだ。最寄の駅から海岸までの二キロ近い道のり。地図で見ると、林や畑の中を細い道が続いていた。
そこでなら……。
そんなことをする俺を見て、彼女はどう思うだろうか。
俺は思い立って、パフォーマンスに必要な小道具を買いに行くことにした。外は暴風雨だったが、濡れてもいいような短パンにTシャツ姿になり、傘をさして家を出た。国道沿いにあるドンキホーテにたどり着くと、台風でも店は開いていて、車で来たらしき客も結構いた。
目的のものを探した。すると手品のコーナーに、それがあった。
★ ★ ★
翌日は晴れた。強風と雨で空気中の塵芥が払拭されたのか、秋に見られるような群青色の空だった。西から東へ、入道雲の切れはしが続々と流れていく。太陽が隠れては出て、下界の明度の激しい変化が音として聞こえてくるようだ。
俺は、午前中に雪ノ下にメールしてみた。『元気?』とだけ、超短いのを。すると、超短い返事が数分後に来た。
『元気よ』
すかさず返信した。
『俺ヒマ』
『こっちは忙しいの』
忙しいというのに、なぜかチャットのようなやり取りが始まった。
『御前会議ノ気配ハ如何デアルカ』
『母激怒ニツキ猶モ姉ガ闘争中、予断許サズ』
『合宿の予定は変更なし?』
『大丈夫』
このとき、メールが着信した。茅ヶ崎からだった。彼とはかなりご無沙汰している。
『おい、比企谷、由比ヶ浜がどっか行こうよってマジウザだから、今日、富津崎まで連れて行くぞ。お前らに言っておかないと天罰が怖いからな。夜は相変わらずバイトだ。約束どおりあいつには手を出さないからな! わかったか、カス!』
ぷっと吹き出した。この気の使い方。ヘンチクリンなシミュレーションをまた脳にぶち込まれたくないもんな。
それにしても由比ヶ浜らしい。どっか行こうよと、散々アプローチしたんだろう。余計なことを考えずに行動できるところがすごい。この点では東雲も同じだった。
俺は『了解。合宿は予定通りだ』と返信し、雪ノ下とのメールを再開した。
『今茅ヶ崎からメール来た。由比ヶ浜とデートのようだ』
『ん? デート?』
『富津崎までバイクで行くんだって』
『大丈夫かしら』
『茅ヶ崎はこのまえ、由比ヶ浜には手を出さないと約束した。悪因縁が解けるまでは』
『そう』
『俺たちの天罰を怖れて報告してきやがった』
『なんか、そういうところあるのね。彼は』
『それより、俺はお前に会いたい』
これを送信したとたんに電話がかかってきた。慌てて通話ボタンを押した。
「どうしたの? またこの前みたいに何かあったでしょ?」
「いや、何も?」
「本当? また志乃ちゃんに何か言われた?」
いや、その……。すっとぼけるしかなかった。まさか雪ノ下に問われたら、東雲のやつ、例の約束をゲロしないだろうな。
「そんなことはないって」
「そうかしらね……」
「忙しいんだな」
「今日も明日も家の用事があるのよ。明日からは親戚が来るし。姉さんがあんなになっちゃったから、私が代わりを押し付けられそうになっているの」
「マジか。そうなったら大変だな」
「だって姉さん、ギャル化したのも、そういう用事を押し付けられないようにするためだし、勘当寸前の状態よ。本人は笑っているけれど。勘当されたら、本格的に働き始めるとか言っているし」
「いつぞやの誰かさんみたいだな。でも陽乃さんは要領がいいからな。心配ないだろ」
「勘当されたらあのマンションや車も取り上げられるのよ。そうしたら、結局私のところに居つくかもしれない」
「なんか、ゴタゴタ状態だな」
「ゴタゴタ状態からなかなか抜け出せなくて、困っているのよ」
「このさい、おまえも家出しちゃえ。ウチ来れば? ま、半分冗談だけど」
「はぁ~。できればそうしたいわね。これからお昼だから、また明日にでも連絡して」
「了解」
合宿までの数日間、俺はできるだけ彼女と話をした。
しかし……。リア充にはリア充なりの努力があるんだな。勿来海岸への道行きで俺が計画しているちょっとしたパフォーマンスだって。
こうした苦労を続けなければリア充にはなれない? やっとそんなことを理解し始めた俺だったが、やはり、何か間違っている。特に、俺と雪ノ下に関しては。
そんなことを考えながら、俺は勿来へ出発する日の朝を迎えた。