由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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真夏の告白

 ダダダダダッと階段を駆け上がる音で目が覚めた。時計を見るとまだ午前七時。あの足音は小町だ。きっと俺の部屋に怒涛のごとく入ってきて起こされる。俺は身構えた。

 ところがその予想は外れ、となりの部屋でガタガタ音が聞こえてきて、また階段をダダダダダと下りる音が聞こえた。これが何回かくり返された。

 あいつ……。

 朝っぱらから階段昇り降りなんてやって、目的地に着く前に疲れちまうだろうに。

 俺はうつ伏せになって二度寝した。あと一時間は確実に寝られる。用意はすでにリュックサックにまとめてあるので、二時間たっぷり惰眠を貪れるまである。

 

 小町と俺は、雪ノ下のマンション前に十時までに行くことになっていた。車で行く小町は当然として、俺も行くのはリュックサックを車で運んでもらうためだ。雪ノ下も自分の荷物を運んでもらう。こうして俺たちはほとんど手ぶらで旅行にでかけられるわけだ。

 

 カーテンのすき間から、窓枠に当たる強烈な太陽光線が反射して漏れていた。天気はいいようだ。そんなことを考えて二度寝、三度寝しているうちに九時になってしまった。

 着替えてリビングに下りると、小町がいなかった。テーブルには「待ってられないから先にゆきねぇのところへ行く!」という書置き。その横にはサンドイッチとトマトの山盛り。

 コーヒーを入れて、その朝食をとった。大量に残ったトマトはラップをかけて冷蔵庫へ入れた。

 

 家を出て五分歩くだけで汗が出てきた。リュックと背中の間がすでに気持ち悪い。それほど今日は暑い。

 

 創発部の女子、および陽乃さん、そして小町がいるであろうマンションの前に十時きっかりに到着すると、脇の駐車場が騒がしかった。赤いトヨタ86の周りに何人かいる。

「あ、ヒッキー!!」と言って手を振るのは、いつもどおりのデニムのショートパンツに白いタンクトップ姿の由比ヶ浜だった。元気そうでなによりだ。

 俺も手を振り返す。すると、由比ヶ浜の後ろから小町が出てきた。

 

「お兄ちゃん。早く早く!」

 

 そういって、俺のリュックをぶん取り、胸に抱く。そのまま車の後部座席に乗り込んだ。ニンジンを抱えて巣穴に逃げ込むウサギのように。これで俺は晴れて手ぶらだ。見れば、運転席にはまだ陽乃さんがいない。

 

 狭い後部座席にはすでに目黒と東雲が座っていた。ということは、助手席は由比ヶ浜ということになる。俺は覗き込んで「狭いだろ。ざまぁ~」と言ってやった。

 すると、「席は時々変わることになっているんだも~ん」と小町が言う。

「電車よりはマシですよ~」と目黒も反撃してくる。東雲は笑って「ヒッキー、あとでね~」と俺に手を振っていた。運転席が傾いたまま、ドアは開きっぱなしだった。

 

「おまえは一番ちっこいから後ろで我慢しとけ」

 

 俺は小町にそう言いながら、ドアを閉めてやった。すると、由比ヶ浜も助手席に乗り込んだ。

 この車はツードアだから、後部座席の人が最初に乗り込む必要がある。それに、後部座席からはドアを閉めることができない。

 

 そこへ、雪ノ下姉妹がマンション入り口から出てきた。

 

「ヒッキー君、おはよう!」

 

 見れば、さらに茶髪になり、肌の色も濃くなったギャル乃さんが歩いてきた。その後ろには妹も続いてくる。

 

「おはようございます。ゴタゴタの最中らしいですね。忙しくないんですか」

 

「忙しいというより、喧嘩中だね~。海行くのはいい息抜きになるよ」

 

 陽乃さんも由比ヶ浜と同じようなデニムのショートパンツ姿だった。しかし、陽乃さんのほうは穴が空いていたり、糸が垂れていたり、ポケットが見えていたり、丈が浅かったり、かなりきわどい。それに、見れば東雲も同じような恰好をしている。この三人のショートパンツ。鼻血ブーだな。悪いのはすべて夏。

 違うのはキュロットスカートをはいている小町と、縞柄のスカート姿の目黒だった。

 

「じゃ、さっそく出発しようか」

 

 陽乃さんが運転席に入り込んで前を向き、綺麗な足をしまい込む。すると、後部座席から「お~!」と声が上がった。はしゃぎすぎてゲロ吐くなよ、小町。

 

「あとでね~!」という声と共に、赤い車が駐車場を出て行った。残ったのは小型の黄色いバッグをひじにかけた雪ノ下と俺。

 

「私たちも行きましょうか」

 

 と声をかけられる。彼女の姿は、このまえショッピングセンターで見たのと同じだった。白地に紺色の斜めの線が入ったワンピース。それに、白いつば広の帽子。この暑さの中、彼女の周囲だけは涼しげな雰囲気が漂っていた。

 

 勿来海岸に向かうルートは頭に入っていた。まず千葉駅を経由して蘇我駅まで行き、そこから特急で勝浦へ。特急列車には小一時間しか乗らない小旅行だ。

 普通電車の中はやはり家族連れが多い。小さな虫取り網を持った子供もいるし、靴を脱いで窓の外を眺めている幼児もいる。

 そんな混雑ぶりだったから、特急の席に二人並んで落ち着くと、ほっと一息つく。走り出すと、彼女は途中で買ったお茶のペットボトルを開け、ひと口飲んだ。

 

「こういうふうにあなたとどこか行くのって、久しぶりよね」

 

 彼女は、帽子とバッグをひざの上に置いて窓の外を見ている。短めのワンピースなので、ひざの少し上までが見えていた。

 

「そうだな。あれからずいぶんと時間が過ぎたような気がするが」

 

「ところで……」

 

「ところではやめてくれ」

 

 ところでのあとに、ロクなことがないのは学習していた。彼女がこちらを向いて笑う。

 

「いいじゃない」

 

「言ってみ」

 

「ここ数日、あなたからの電話とかメールが多かったのはどうして? そういう行為が億劫な人だと思っていたのだけれど」

 

 やはり、気になっているようだった。彼女が気がつかないわけがないので、もしこれを問われたら、どう答えるかすでに決めていた。正直に言うしかない。ウソをついたって、どうせ見抜かれる。

 

「小町に言われた。綺麗なお花には毎日水をあげないと、枯れちゃうよ、って。そして、俺も真面目にそう思った」

 

「そう」

 

 意外に返事はシンプルだった。小町の気の効いた箴言にも無反応。だが、何か思うところがあるような雰囲気だ。

 

「ウザくなかったか?」

 

「そんなことはないけれど、あなたが面倒なんじゃないの?」

 

「まあ、俺はそういう性格なんだけど、それを曲げてみた。そしたら、リア充の奴らの努力がわかった」

 

 彼女に不思議そうな視線を投げかけられた。ふっ、という軽い風切り音が聞こえたような気がした。

 

 

「いまさら変ね。そんな努力、私たちに関係なかったんじゃないかしらね」

 

 確かにそのとおりだった。一番最初に、俺たちは俺たちなりの付き合いかたをすればいい、と話し合っていた。

 

「やっぱり何かあったのね……」

 

「それは……」

 

 当然言えなかった。あの約束のことは。

 

「まあいいわ。私はあなたから頻繁に連絡が来るのは、そんなに不快じゃないのよ」

 

 らしい言い方に少し笑ってしまう。俺は、ポケットにしまってあった携帯を取り出した。守護天使と会話したくなったのだ。

 携帯は防水パックに入れてある。それを見た彼女が「それなに?」と聞いてくる。

 

「海と言えば水だろ? 万が一のことを考えて防水仕様にしておいた」

 

「小町さんの様子はどう? 危険はないって言っているのかしらね」

 

「昨日の夜は大丈夫だと言っていた。これからまた聞こうと思って」

 

 携帯の面倒くさい文字入力を操作して、小町に再び危険の有無を確認してもらう。だが、答えは同じだった。いい加減、しつこくて無視されそうだ。

 

 そんなこんなですぐに勝浦駅についた。ここからはローカル線に乗りついてふた駅だ。目的の駅に着くと、小じんまりした駅舎には、人が誰もいなかった。ここは一応、勿来海岸に最寄なのだが、海水浴客らしき姿もなかった。

 駅前の鄙びたロータリーにもタクシーが見えず、建物といえばシャッターの閉まった二階建てのビルが数軒あるだけ。うら寂しいとはこういう風景をいうのだろう。

 だが、ここから二キロ先はもう海だった。徒歩二十分といったところか。深呼吸をすると、うっすらとした潮の香りが感じられ、意外に爽やかな風が吹いていた。

 雪ノ下が帽子をかぶる。それでも眩しそうな目をする。俺たちは海の方向へ歩き始めた。

 

 駅前から五分も歩くと、道は林の中に入った。途中で未舗装の部分もある道で、そこでは所々に(わだち)穿(うが)たれている。

 キャッと小声を出して、彼女がバランスを崩し、俺の肩につかまってくる。ローファーをはいているので、それほど歩きにくくはないはずだが、未舗装路に入ると歩調が緩んだ。

 林が切り開かれ、左手に畑が広がった。道ばたにスイカがこぼれてきている。スイカ割り用に一個拝借したかった。

 テクテクと二人並んで、しばらく無言で歩く。道に傾斜がついてきた。前方が海に向かって下がっている。林の切れ目から輝く海が見えてきた。

 

 (まぶ)しさに耐えながら見上げれば、蒼穹(そうきゅう)には積乱雲の群れ。その(おびただ)しい筋肉の盛り上がりがくっきりと見えた。

 あたりに充満する蝉の声。

 それが、疲れたときに聞こえる脳内の音のように感じられ、ひとときの眩暈(めまい)に襲われる。文字通りの蟬噪(せんそう)に慣れてくると、それが静謐に感じられてくる。

 

 大瀑布(だいばくふ)のように横溢(おういつ)する夏の光の震央(しんのう)碧天(へきてん)(かなめ)にある太陽は、地上のもの(すべ)てを威圧していた。豊穣に乱反射する光は、ここに存在するものを溶融させ、交感の宴(banquet of divine response)へ導いている。

 だが、地を這う植物はその横暴な威圧を嬉々として受け入れ、身にまとい、狂奔する光の渦の中で踊り、むっとするような草いきれを吐き、存在を主張していた。

 

 目に映るすべてのものが燃えていた。この世界が壊れてしまう一歩手前までエネルギーが充満し、強烈で美しい和音を奏でている。その遍満するシンフォニーの勢力圏内は、生物が生存可能なぎりぎりの環境には違いなかった。

 

 俺は、この美しい夏の中で立ち止まった。それを察して彼女も歩きを止める。

 ここだ。ここしかない。今しかない。どんなに恥ずかしくても、みっともなくても、不器用でも、失敗しても、笑われても、やると決心していた。前方にも後方にも人影はない。

 

 腰を落として、右足を立てるようにひざまずいた。左足はひざからつま先までが地面についている。

 俺の変な振る舞いを見下ろして、彼女が驚いたような表情になる。

 

「何をするの? どうしたの?」

 

 当然だ。いきなり一緒にいた男が目の前でひざまずくのだから。

 彼女の頭の上に太陽があった。俺の顔は熱い光に照らされて(あき)らかなはずだった。

 

 尻のポケットに入れていた造花を出した。初めは筒状になっているので、何だかわからないはずだが、キャップを取ると、花が広がった。赤、白、ピンク、オレンジ色の花が微かに風にふるえている。

 

 それを彼女のおなかのあたりに向けて差し出しながら、俺は一生懸命に言った。まるでバカだった。だが、そんなことは先刻承知だった。彼女に贈ろうとしている花だって安っぽい造花だ。それも手品用の。だが、それがどうしたというんだ! 

 

「雪ノ下雪乃さん! 俺は…俺は…、あなたのことが大好きです! これからも付き合ってください!」

 

 大声で一気に言った。今までこれほどクソ真面目な顔をしたことはないだろうと思いつつ。

 

 しばらく時間が止まっていた。彼女の目が大きく見開かれて、固まっている。強烈な夏の光の中で、俺たちは見つめあっていた。

 

 やがて、彼女の表情が和らいだ。その手が、俺の差し出す花に伸びてきて、しっかりとつかむ。花が俺の手を離れる。

 見上げると、彼女の髪の毛が太陽に透かされて赤っぽい金色に輝いていた。まるで後光のように。そして、彼女の顔が、今まで見たこともないような柔和でふんわりとした笑顔に変わっていた。

 

「ありがとう」

 

 そう言って、ニコリとした彼女の顔を、俺は一生忘れないだろう。

 

 美しかった。思わず、呼吸が止まる。

 その姿は、豊穣な夏の光の宴の中へ溶け込んでいた。だが、俺にとっては彼女こそがこの交感する世界(The universe of divine response)の主役であり、光の宴(The light of banquet)の根源だった。

 永遠に続いてほしいこの一瞬を心に刻んだ。俺と彼女を含むこの小さな時空間は、観測し交感し合うことをやめない粒子によって、絡み合う相互作用(Interaction)の中にも刻まれ続けるに違いない。

 

 

「立って」という声が聞こえた。しばらく意味がわからないほど、俺は没我状態だったらしい。再び「立って」と聞こえたので立ち上がった。

 

「私もあなたのことが大好きよ」

 

 そう言いながら、彼女が俺に体を寄せる。腕をからめて、頭を俺の肩に乗せてくる。

 そのまま、俺たちは残りの道をゆっくりと歩いた。

 

 

「驚いた。冷静になってみれば…………、何があなたにそんなことをさせたの?」

 

「気にしないでくれ」

 

「そうよね。たぶん、何かがあったのだと思うけれど、どうでもいいわね」

 

 彼女の白い帽子が紐で背中にぶらさがっていた。この角度で顔を傾けていると、しっかりと陽に当たっているはずだ。あんなに日焼けを嫌がっていたのに。

 俺が差し出した花は、彼女のバッグのふちに刺さっていた。

 

 

 

 

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