由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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お嫁に行けなくなっちゃうと小町が涙ぐむ

 茅ヶ崎と一緒に、海の家に向かう。店内にはイスとテーブルが並び、客がカレーやラーメンを食べていた。

 カウンターの上の壁には張り紙があった。ショートボード一日千五百円、ロングボード一日千五百円、ボディボード一日千円と書いてある。

 それを見上げながら、茅ヶ崎に聞いた。

 

「ショートボード、ロングボード、ボディボードってなんだよ。どれにしたらいいんだ?」

 

「ショートボードは坂口憲二、ロングボードはキムタク、ホンコン、ボディボードは女子供用ってとこかな」

 

「一番簡単なやつは?」

 

「ボディーボードだろうな。だがやめとけ。ロングボードもやめとけ、キムタクサーフィンとか言われて笑われちまうぞ」

 

「一番難しいショートボードかよ。どうせできっこないからどれでもいいか」

 

「まあ、確かに、海の上に浮いているだけだろうな。俺だって五~六回しかやったことないから、それほど上手いわけじゃない」

 

 茅ヶ崎がカウンターに首を突っ込んで、丸イスに座っている、Tシャツ姿の五十歳くらいのオッサンに声をかける。

 出てきた板には、わけのわからないコードみたいなものがぶら下がっていた。茅ヶ崎が黄色い板を裏返して観察している。

 

「一応、トライフィンなんだな。安物だけど……」

 

 俺も白いボードを持ってみた。大きさの割には意外に軽い。素材をよく見てみると、発泡スチロールを、硬い樹脂で固めて作られているようだった。

 

「オッサン。ワックスないの?」と茅ヶ崎が声をかけると、「ああ、これな」と言って缶を差し出してきた。

 茅ヶ崎が缶から白い塊を取り出して、板の表面にこすり始めた。

 

「なんだ。それ」

 

「蝋みたいなもんだ。これを塗っとかないと、立ったときに滑る」

 

「俺には関係ないな」

 

「一応塗っとけ」

 

 海の家の外に出て、砂の上に板を置き、見よう見真似でワックスを塗った。触ってみると、確かに蝋だった。手にこびりついてきたので、海パンにこすりつけて落とした。

 

 ボードを脇に抱えて、茅ヶ崎と一緒にみんなのいるパラソルのところへ戻った。すると、真っ先に目の前に飛び出てきたのは小町だった。

 

「お兄ちゃん! 何それ! また頭狂っちゃったの? お兄ちゃんがそんなもの抱えて海歩くなんて、小町は信じられないよ~!」

 

 驚愕の表情をして、小町が口を開け、右手の指で下唇を引っかいている。

 

「またそれかよ……」

 

 見れば、パラソルやテントにいた女子全員が近寄ってくる。

 ボードを脇に抱える俺の勇姿を見た東雲が「ヒッキーすご~い!」と言えば、「ヒッキーってやればできる子なんだね。頑張ってね~」と目黒が囃し立てる。

 雪ノ下姉妹は後ろのほうでクスクス笑っているだけだった。そんな中で、由比ヶ浜は「私もやりた~い!」と言っている。

 

「ヒッキー、私もそれ借りたい。やり方教えてよ」

 

「俺に聞くなって。茅ヶ崎に聞けよ。あいつはやったことあるみたいだぞ」

 

 俺の右後ろにいた茅ヶ崎が前に出てきた。

 

「由比ヶ浜、はっきり言ってサーフィンは無理だ。やりたいんだったらあそこの海の家に行ってボディーボードを借りて来い。あとで一緒にやろう。今は比企谷に根性を叩き込んでくるから」

 

 茅ヶ崎がニヤケ顔でそう言いやがった。俺だってサーフィンなんか無理なんだが。

 

「ええ~、やっぱり? 無理? じゃあ、二人がサーフィンしてるところ見に行くね。デジカメで撮影するし~!」

 

 由比ヶ浜の先を越して、小町がニヤニヤしながらデジカメを俺に向けてしきりにシャッターを押している。

 

「はい、お兄ちゃん! 動画モードに切り替え完了! 何か言い残すことは?」

 

「何もねぇよ!」

 

「う~ん。それじゃあつまらないな~。サーフィンするなんて、一生に一度しかないこの瞬間に、何かすっご~いお言葉を残しておくべきなので~す! お兄ちゃんはどうしてサーフィンなんてやる気になったのでしょうか~~?」

 

 しかたない、サービスしてやっか。俺はボードを右脇に抱えたまま、キリっと背すじを伸ばし、左手の親指を立てて流し目をカメラに向けた。

 

「ガイアが俺にもっと輝けと囁くのさ」

 

 小町の頬が瞬間的に膨張した。吹き上がる息を口で一瞬抑えたが、耐えられずにぶ~~っと噴いた。「ギャハハハハハ」と涙を流して、四つんばいになり、砂を手でパンパン叩き始めた。

 女子ども全員がくの字になり、腹を抱えて笑っていた。

 なんだこいつら。笑わせてやろうと思って言ったのに、これほど笑われるとマジでムカついてくる。

 

「行こうぜ」と茅ヶ崎に促された。

 

「小町、笑いすぎだ! その笑い方は人間の尊厳を踏みにじっている。あとで砂に埋めてやっからな。覚えておけ!」

 

 そういい残して、ボードを抱えた俺たちは、海岸の右側に向かった。

 遊泳ゾーン内ではサーフィンはできないが、その外では七~八人のサーファーが波間に浮いていた。サーフゾーンのさらに右は岩場になっている。サーフィンができる範囲はすごく狭い。

 俺たちの後からは、由比ヶ浜と小町がついてきていた。

 

 茅ヶ崎のサーフィン教室が始まった。

 二枚のボードを砂の上に置く。黄色と白。茅ヶ崎が「まず最初に、板の上にうつ伏せに寝ろ」というので、その通りにした。板の上でクロールのようにして、水の上を進むことをパドリングというらしかった。茅ヶ崎がそれを実演した。

 その様子を由比ヶ浜と小町も見ている。時々撮影している。

 

 次は、ボードの上に立ったとき、左右の足のどちらを前にするかを決める。それは、スケートボードをやったことがあればわかるという。

 俺は小学生のころに何回かやったことがあったが、どっちの足が前になっていたか思い出せなかった。

 

「まあ、いいか、どうせ立てないからな」

 

 そう言われた。だったら最初から聞かなきゃいいじゃん。

 

「あとはエントリーするときに波をやり過ごす方法とか、波待ちのときのポジションとかあるけど、無理だな。実践あるのみ。さっそく行くか」

 

 茅ヶ崎がマジックテープになっているコードを左足首につけた。おれも見よう見まねで装着した。

 ボードを再び脇にかかえて、海に入っていった。「いってらっしゃ~い!」と後ろから声がかかった。

 

 台風のうねりがまだ残っているらしく、波が結構荒い。波打ち際に押し寄せる白波は、足元でなんとか踏ん張れるが、背が立たない場所では押し戻されてしまう。

 サーファーが波待ちしているポイントは、四十メートルくらい沖だ。俺は、ボードの上に腹ばいになり必死にパドリングしているのだが、一向に沖に出れない。波が来るたびに押し戻され、巻き込まれてボードの上から落ちる。足がつかない場所で落ちると、かなり怖い。

 前を進む茅ヶ崎は、波が近づくと、腕立て伏せのような体勢になり、いよいよ波が覆い被さってくると、片足をできるだけ空に突き出し、ボードを両手で水中に押し下げる。そして、その波の麓に潜航していく。

 波の裏側に浮上すると、またパドリングを開始する。

 見事だった。

 ああやって波の圧力をうまくかわしている。

 その一方で、俺はいつまでも波に押し戻されていた。いい加減、腕が疲れてきた……。

 頭に来たので、俺は平泳ぎを始めた。ボードは浮いて後ろを付いて来る。そうして、やっと茅ヶ崎の近くにたどりつけたのだった。

 

「おい、もう疲れた。俺にはやっぱり無理だ」

 

「音を上げるのはまだ早い。これをやってみ」

 

 彼は、ボードにまたがるようにして浮いていた。ボードの後ろ半分が水中に沈み、前半分が胸の前に突き出し、その縁を両手でつかんでいる。

 真似をしようとした。だが、できない。ボードにまたがって、瞬間的に茅ヶ崎と同じ体勢が作れるのだが、それが続かない。すごく不安定なのだ。すぐにバランスを崩して海に落ちてしまう。

 

「どうしてそんなことができるんだ?」

 

 首から上を海面に出し、なんか、もう、俺は必死だった。

 

「足で水をかいて、バランスを取っているんだ。まずそれができるようにならないとな。慣れだな」

 

 いくらやってもできなかった。ボードに跨ってもすぐにひっくり返る。ここでも頭に来たので、俺はボードの上でゆらゆらと寝そべっていることにした。それを見た茅ヶ崎が「がはははは」と笑う。

 

 由比ヶ浜と小町がいる砂浜のほうに意識が向いていなかった。というより忘れていた。それほど海の上は厳しい別世界だった。

 砂浜を振り返ると、二人の女が見えたが、すごく小さい。

 沖のほうに目をやると、盛り上がったうねりが近づいてくる。かなり大きい。あれに巻き込まれたら大変かもしれない。

 彼がパドリングを開始した。波に対して最初は平行に、そして、次第に波に追われる体勢になる。盛り上がりが足に追いつくと、その腕が水を何回も引っかいて、茅ヶ崎の体がパッとボードの上に立ち上がった。

 やはり、並外れた身体能力の持ち主だった。右足を何回も踏みつけるようにして、ボードを安定させ、波と一緒に由比ヶ浜や小町のほうへ一気に滑っていく。

 俺はといえば、二メートルばかりグイと持ち上げられただけだった。

 その向こうからまた大きいうねりが来ていた。波と波の間の一番低いところで水面に寝そべっていると、うねりの高さがすごいものに見えて、とにかく怖い。

 だが……。ものは試しだ。俺は茅ヶ崎と同じように、うねりが来たとき、浜に向かってパドリングをした。そして滑り台を顔を先頭に腹ばいで滑り降りているような体勢になり……。

 立とうと思った瞬間に、波に揉みくちゃにされた。水中で体がグルグル回った。水面の明るい方向が何回も目の前を過ぎた。やがて、水面に顔を出して、プハッと息をする。

 やはり無謀だった。サーフィンなんてできるわけがない。

 

「やるじゃん。サーファーでリア充の比企谷くん!」

 

 茅ヶ崎が沖にスイスイと戻ってきた。そして、うねりに乗っかって、また、浜の方向へ滑って行った。

 それが何回もくり返された。その間、俺はボードの上に寝そべって、高くて怖い波をなんとかやり過ごし、適当な高さの波が来ると、また無謀な挑戦をしてワイプアウトした。

 それでも、なんだか楽しかった。砂浜に寝ているよりも涼しい。暑さを感じない。海の上を過ぎる風も涼しく、清清しい。インドアに慣れてしまっていた俺が、初めて外部の世界と接触できたような気がしていた。

 

 海の上で一時間以上は過ごしただろうか。パドリングする腕が疲労のために力が入らなくなってきた。こうなると、自分の位置を維持できなくなり、波に押されて浜に近づいていく。帰りは腕の力があまり必要なかった。白波に押されて浜に近づくと、小町と由比ヶ浜がまだいた。

 

「やったね! お兄ちゃん!」

 

 ニンマリする小町。その隣りでは、由比ヶ浜がデジカメを構えてまだ俺を撮影していた。

 

「どうだった?」と由比ヶ浜が聞くので、俺は素直に「すげぇ疲れた。もうゲロゲロ」と答えた。その会話も記録されているはずだ。

 沖を見れば、まだ茅ヶ崎が浮いて、波を待っている。すげぇ体力だよな。あいつは。

 しばらく砂浜に仰向けに寝てバテていると、茅ヶ崎の顔が覗き込んだ。

 

「なんだ、もう終わりか」

 

「腕が使い物にならん。もう無理」

 

「まあ、そうだろうな、あれだけ腕を使えばな。これから筋肉痛だぞ」

 

 すでに、腕や肩、腰に少し痛みがあった。俺の体は、いきなりこんなことをやるようにはできていない。

 

「由比ヶ浜、来いよ。浅いところでボードに乗ってみろよ」

 

 茅ヶ崎が由比ヶ浜を誘っている。

 

「ええ? 本当? やるやる~!」

 

 と言って、カメラを小町に渡している。

 俺と小町は遊泳ゾーンまで戻った。腕に力が入らないので、小町にボードの後ろを持ってもらいながら。

 ボードを海の家に返すと、俺はリクライニングチェアにドサッと倒れこんだ。そのまま目を閉じたかったが、「はい」とコーラが目の前に差し出された。この声はおそらく雪ノ下だった。

 

「どうだった? 面白かった?」

 

 目を閉じて、コーラを開ける。顔を少し立てて、液体を口に流し込むと、すごく渇いていたことに気がついた。

 ごくりごくりと一気に飲み終えてしまった。

 

「すげぇ激烈な体験だった。海の上にいると、何もかも忘れる。喉が渇いていることも気がつかなかった。だけど、面白かったな」

 

「ふ~ん」と声が聞こえた。これはたぶん陽乃さんだろう。

 

「おなかはすいていないの?」

 

 雪ノ下のこの言葉で、強烈に空腹であることに気がついた。考えてみれば、昼飯を食っていない。

 俺は目を開けた。

 

「みんな食ったのか?」

 

「食べたわよ。あそこの海の家で。食べてないのは小町さんとあなたと、結衣ちゃんと茅ヶ崎君かしらね」

 

「なんだ。食ってくるか。激烈に腹減ったわ」

 

 チェアから立ち上がった。テントのほうにいる小町に、メシ食いに行こうと声をかけた。

 

 海の家のテーブルに小町と一緒についた。俺はカレー、小町は焼きそばを注文した。テーブルの上で小町がデジカメをいじり始めた。あの部分を再生する。

 

『ガイアが俺にもっと輝けと囁くのさ』

 

 水を噴き出しそうになった。またクククククと笑う小町。

 

「その部分消してくれ。超ど級の暗黒映像だろ、それ」

 

「ダメだよ~! これは秘蔵映像としてDVDに焼きまくるから」

 

 ニヒヒと笑う俺の妹に軽い殺意を感じた。

 カレーの味は、たぶん、この場所以外で食べればありきたりだったろうけど、特別に美味かった。咀嚼しないで全部一気に飲み込んでしまいたくなるほど。

 

 食べ終わると、俺はボードを借りたオッサンに、スコップはありますか? と訊ねた。

 

「あれば借りたいんですけど」

 

「ああ、いいよ。裏にあるから。使い終わったら返してね」

 

 というので、裏にまわり、立てかけてあるスコップを取った。

 

「そんなので何すんの?」

 

 傍らの小町が聞いてくる。俺はニヤリとした表情で答えた。

 

 パラソルの前の砂浜で、俺は腕の筋肉をプルプルさせながら一メートルほどの穴を掘り、小町を呼んだ。何かな~? みたいな顔をした小町が穴の前に来た。

 

「この中に入れ」と俺は命令した。

 

「なんで?」

 

「砂風呂だよ。海のミネラルをたっぷり含んだ砂に全身をうずめると、お肌がきれいになるんだぞ。知らなかったのか?」

 

「そうなの? なんか信じられないな~」

 

「アホだな。砂浜で砂をかけてくれるサービスが、鹿児島県の指宿であるだろ? 見たことないか?」

 

「あ、あるある~!」

 

 小町の顔が明るくなって、穴の中へ入った。しめた! バカなやつ。砂で埋めていくと、小町の肩から上が露出する状態になった。しっかりと砂をかためると、動けないはずだった。

 

「体動く?」

 

「ぜんぜん。手も動かせないよ?」

 

「そうか。しばらくそのままでいるといいぞ」

 

「うん。そうする」

 

 嬉しそうな顔をしている小町だったが、まだ俺の陰謀には気づいていない。俺のガイア発言に思いっきり笑ってくれたお返しを今するのだ。

 

「バカめ。ひっかりやがったな!」

 

「え? なに?」

 

「さっき俺を笑ってくれたお礼をしてやる!」

 

「何するの? お兄ちゃん!」

 

「さあ、何してやろうかな~」

 

 俺はしゃがんだ。尻を突き出して小町の顔に近づける。

 

「毒ガス攻撃を受けてみろ! ははは、ざまあ! 動けないだろ」

 

「勘弁してよ~! やめて~! お兄ちゃん、そんなことされたら、小町はお嫁に行けなくなっちゃう~ 謝るから~」

 

 涙声になっている。俺は腹に力を入れた。だが、こんなときに限って出ない。うんうんやっているのに、反応がない。

 

「やめなさい! ひどすぎるわよ」という声が聞こえた。

 

 

 

 

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