顔を上げると、バスタオルを羽織った雪ノ下が、俺を見下ろしていた。
「ふざけすぎよ」というので、俺はケツを小町の顔から離して立ち上がった。
「小町、助かったな! 運のいいやつめ」
「ゆきねぇ~、ありがとう」
「ほら、掘り出してあげなさいよ」というので、俺はスコップで、顔だけ出ている小町の周りの砂を掘り始めた。
やはり腕に力を入れるとプルプル震える。
ジャガイモのように掘り出された小町の体は砂だらけだった。穴を埋めていると、雪ノ下に連れられた小町が海の中へ入っていき、砂を落としている。
気がつけば、陽がかなり傾いていた。
テントの中にある俺のリュックから、防水仕様の携帯を出して、ボタンを押す。すると、小さい液晶に午後四時半と表示された。
このあたりの太平洋岸は、太陽が陸地に沈む。それに、勿来海岸は瓦山があるので、すぐに日陰になる。夏の午後四時半といえば、まだ太陽がギラギラしているはずだが、この場所には早く夕方が訪れるようだ。
海の方に目をやれば、空気を入れたビニールボールを使って、ビーチバレーが行われていた。雪ノ下、小町、東雲、目黒の四人だ。陽乃さんがいない。今日はずいぶんとおとなしい。
携帯を首にかけて、パラソルの下に移動すると、リクライニングチェアで陽乃さんがスースーと寝息を立てて寝ていた。チェアの脇にはビールの空き缶が六本。また酔って寝てしまったようだ。
俺もチェアの上でリクライニングした。すぐ近くに茅ヶ崎の双眼鏡が落ちていたので、それを使って海岸の右方向を眺めた。そこにはボードに跨って遊んでいる由比ヶ浜と茅ヶ崎がいた。
まだやってるし。
できないサーフィンをやらされたおかげで、体が異常にだるい。目を瞑ると俺も寝てしまいそうだった。
海岸全体が日陰になったせいで、風の温度が数度下がり、非常に爽やかだ。皮膚を擦過するそよ風と潮騒の音にまみれていると、こうした時間を過ごすことがすごく贅沢な気がしてきた。
隣りの陽乃さんはそうした贅沢を知っているんだろう。妹によく似た、平和な寝顔を見せている。口を少し開け、タンクトップに隠れた大きな胸が、わずかに上下動を繰り返している。しばらくその横顔に見とれてしまった。
が……。その顔がピクリと動いたので、慌てて目を反らす。「う~ん」と両手や両足が動き、猫のように念入りなノビをし始めた。
「あれ、ヒッキー君じゃん? 今何時?」
声の方向に目を向けると、眠そうな目をこすって、同時に欠伸をしている。
「今は四時半過ぎですね」
「寝たな~! 二時間くらい寝たな~。でも寝足りないなぁ~」
両腕を頭の上に伸ばして、欠伸を連発している。
「そっか、もうすぐ店じまいだね~。一泳ぎするかな~ 海で泳ぐのは超久しぶり」
「泳ぐ? 酔っ払って泳ぐと怒られますよ。お兄さんに」
「もうとっくに醒めてるよ」
陽乃さんがチェアの上でタンクトップを脱ぎ始めた。え? こんなところで脱ぐの? 慌てて目をそらした。
「ヒッキー君、何慌ててんのかな。下は水着なんだよ」
視線を戻すと、陽乃さんはショートパンツを脱いでいた。すると、赤と濃紺のストライプ柄のビキニ姿に変身する。
そして、自分の腕や足を眺め、「パラソルの下にいても少し日焼けしたみたい」と言う。
「そういえばずいぶん色黒になりましたね」
「日サロに行ってたんだよ。自然光だと焼け具合の調節ができない気がしたから、パラソルの下にずっといたんだけど」
「シミになっても知りませんよ」
「ヒッキー君も女の事情に詳しくなったんだね~。そんな警告してくれるなんて。シミになったらレーザーで焼きまくるから大丈夫だよ」
「そうですか」
「ヒッキー君、荷物見ててね。一人ここに残っていないとダメだよ」
そう言い残して陽乃さんはビーチバレーをしている女子たちの方向へ歩いていく。
しばらくバレーに参加したあと、陽乃さんは海に入って行った。波にバチンとブチ当たったかと思うと、沖に向かって平泳ぎを開始した。
右の方向から由比ヶ浜と茅ヶ崎が戻ってきた。茅ヶ崎はボードを抱えて、海の家の方へ歩く。
「あ~、疲れた~」
由比ヶ浜がパラソルの下に入ってきて、俺の後ろにあるクーラーボックスからペットボトルを取る。
「結構な時間遊んでたな。できた? サーフィン」
「できるわけないし! ボードの上で寝てただけだよ」
由比ヶ浜が喉をグリグリ動かして、午後の紅茶をゴクゴクと飲む。
「ああいうことやっていると喉渇くだろ」
「そうだね。いくら飲んでも喉渇いている感じだし」
「おまえら仲良くなったんだな」
紅茶を飲んでいた由比ヶ浜の喉の動きが止まる。
「え? そんなことないし……」
なぜか由比ヶ浜は、うつむいて少し暗い表情になった。もしかすると、茅ヶ崎は自分に関心はないと思い込んでいるのかもしれない。だが…、俺も茅ヶ崎が由比ヶ浜をどう思っているのかはっきりとは知らない。あのとき、学校帰りに問いただしたときは、楽しいとか一緒にいて飽きないという言葉しか聞かれなかった。
「あいつはいま、過去の悪因縁を断ち切っている最中だ。もう少し待ってやれよ」
ここ半日で由比ヶ浜の顔の色が濃くなっていた。うつむいていた顔が起こされると、それがよくわかった。
「うん……」
「おまえ、日焼けしたな。顔が少し焼けている。腕とかも」
由比ヶ浜が腕を上げてマジマジと見る。
「本当だ。海の上に出ているとすごいんだね。これでも日焼け止めすっごく塗っているんだよ!」
「日焼け止め?」
「あ、ヒッキーの顔も焼けているよ。赤いし、肩も!」
俺は顔を触ってみた。確かに少しだけヒリヒリして突っ張っている感じがする。
「やばいな、俺、日焼け止め塗ってないわ」
「明日あたり真っ赤になって痛くなるかも! でもヒッキーは男だからね~!」
海を見れば、女子全員でボールを打ったり水をかけ合ったりして歓声が飛んでいた。やがて、ずぶ濡れの女子が戻ってきて、次いで茅ヶ崎も海の家から帰ってきた。
全員が集合した。
すると、小町が場を仕切りだした。
「勿来海岸に集った我々を祝して、いっちょ記念写真と行きましょう!」
「賛成!」と由比ヶ浜がパチパチと手を叩く。小町がテントからデジカメを引っ張り出し、俺に押し付けてくる。
「はいはい、お兄ちゃん! 撮影よろしく~!」
海を背にして、全員が並ぶ。茅ヶ崎はしゃがんで一番前の中央に陣取った。みんながピースサインをしたところで、何回かシャッターを押した。
「はい、今度は茅ヶ崎さん!
撮影係お願いしま~す! はい、そこのなんちゃってサーファーのお兄ちゃん、入って入って!」
カメラを茅ヶ崎に渡して入れ替わりにみんな中央でしゃがんだ。俺の肩に小町が両手を置いてくる。そこでシャッターが何回か押された。
「は~い! みなさんお疲れさまでした~!」
どうしたわけか、みんなパチパチと手を叩いていた。
店じまいは意外に手間取った。テントの収納が難しかったり、借りていたリクライニングチェアを返したり、女子の荷物が多かったりしたためだ。その間、帰宅する予定の陽乃さんは海の家でシャワーを浴びていた。
クーラーボックスには、まだ飲み物が数本残っていたので、それは俺のリュックに入れた。リュックが突然重くなってしまった。
駐車場に停めてあるトヨタ86に、クーラーボックスや陽乃さんの荷物を運んだ。
みんな水着の上にTシャツやタオルを羽織った恰好だった。
まだ髪の毛が濡れたままの陽乃さんが到着する。持ち帰る荷物をすべて積み込むと、陽乃さんが運転席に座って「じゃあね~! みんな、またね~!」と手を振る。
残った女子たちも「気をつけてくださいね~」と応えた。
走り出した車の中からは「あ、テロリンもね~!」と聞こえた。俺の隣りで茅ヶ崎が「クッ」と漏らす。俺は思わず言葉を出していた。
「俺は驚いた、テロリンとギャル乃さんが仲良かったことに」
「俺も驚いたぜ。リア充で有名なリア谷君の見事なサーファーぶりが」
「ガイアが俺にもっと輝けと囁く」
絶対に二度と聞きたくないフレーズが聞こえた。すごくハスキーで一聞すると誰だかわかないが、この声は……。
「やっぱり許さん!」
小町がショルダーバッグとリュックを背負って、逃げていく。埋められたことを根に持っているようだ。
「小町、待て、おまえは絶対また埋めてやっからな!」
小町が二十メートル先で止まって振り返る。
「ゆきねぇに、また怒られるよ~! ガ・イ・ア・の・お・に・い・ちゃん!」
ククッと歯ぎしりした。後ろからもクスクスと複数の笑いが聞こえてきた。小町はいつからああやって兄をからかうキャラになったんだ? お兄ちゃんはすごく悲しい。
「さあ、旅館に行きましょうか」
雪ノ下が歩き出すと、「旅館ってオーシャンビューなんだって」とか「ちゃんと大きなお風呂もあるみたいだよ」とか「今日はバーベキューだったよね」とか聞こえてきた。
バーベキュー? そんなのするんだ。
「茅ヶ崎はどうすんの?」
「帰る。でも風呂入って帰りたいな。大きいんだったら。時間はまだ大丈夫だし」
「まあ、俺たちにまぎれて入っても大丈夫だろ」
「じゃあ、行くわ」
そう言って、茅ヶ崎はバイクのほうへ歩いて行った。
旅館に続く道の両側は林になっていて、木の種類は松が多いようだった。所々に、幹が斜めになっている赤松もある。オレンジ色の幹が、不思議な雰囲気を醸している。そのうち、茅ヶ崎のバイクが俺たちを追い越して行った。
旅館は普通の日本家屋調で、その背景ではのしかかるように瓦山が圧迫している。左側が駐車場で、車がチラホラ止まっている。左側には、さすがに海から歩いてこれるだけあって、シャワー施設があった。
正面入り口には、「入る前にシャワーをお使いください」という立て看板がある。砂を落とすためだろう。
俺たちは玄関の脇に荷物を置いて、シャワーを浴びた。ちゃんとお湯が出た。女子たちが水着を引っ張ったりして体にお湯を当てたりするので、目のやり場に困ってしまった。
ん? 茅ヶ崎は? 駐車場にはバイクがあるが、姿が見えない。
正面玄関を入ると、入り口の右側が小さなフロントになっていて、呼び鈴を押すと六十歳くらいの女将が出てきた。一応、和装をしている。
予約している名前を告げると、部屋に通された。一階の一番海側の部屋で、カーテンを開けると、松林の向こうに海が見えた。窓の前には一対のイスがあり、その真ん中には小さなガラステーブルがあった。ちゃんと灰皿も置いてある。
「お風呂入りたい。行こうよ」と東雲が提案すると、みんな賛成した。俺も、シャワーだけじゃ体に染み込んだ海のエキスが取れないような気がして、お湯に浸かりたかった。 さっそくタオルや着替えを用意し、部屋のカギをかけて、ゾロゾロと風呂場に向かった。木の廊下を歩くと、旅館の一番北側が風呂場になっていた。
入浴可と表示された木の看板があり、二つの暖簾には、それぞれ男、女という文字が染められていた。
さっそく俺は男湯に入り、脱衣所で木製のカゴに海パンを入れ、素っ裸になった。
曇りガラスのはまった戸を開けると、十二畳くらいの空間があった。その三分の一は湯船になっている。見れば、すでに茅ヶ崎が浸かっていた。
「よお」と声をかけられる。
「なんだ、勝手に入ってきて大丈夫だったのか?」
「誰にも会わなかったぞ」
「緩いもんだな」
湯船から桶でお湯をすくって何回か体にかけた。ドボンと足から湯に浸かると、はぁ~~とため息が漏れる。茅ヶ崎も温泉に浸かるサルのように目を瞑っていた。
風呂場をよく観察すると、壁のプレートには「この湯は温泉ではありません」と書かれていた。当然だろうな。こんなところで温泉が出るとは思えない。それに、一つの壁の上部が空いていて、銭湯みたいに女湯と仕切られていた。そのおかげで、女子たちの騒がしい声がまる聞こえだ。
「あ、広いよ!」「ドボン!」
「ちゃんと先に体にお湯かけないとダメだよ」「ここって温泉じゃないんだって」「銭湯みたい」「え? 銭湯って行ったことないな~」「修学旅行みたいね」「キャッ、お湯が出ない、水だよこれ」「やっぱり日焼けしているわね」「石鹸がふやけてるし」
そんな会話が延々と続いた。止まりそうにない。
茅ヶ崎が目を開け、大声を出す。
「ゴルァ! うっせーぞ、女子ども!」
一瞬静かになるが、「あ、茅ヶ崎君だ」「文句言ってきた。オヤジみたい」「シカトシカト」みたいな反応が聞こえた。
「おまえら、こっそりパイ比べしてんだろ。あ、私のより大きいわとか。私のより小さいわとか思ってんだろ」
「そんなことしてません!」
この厳然とした声はやはりあの人だろう。
「うそつけ! よし、俺がランキングしてやろう」
「なにそれ~!」「またバカなセクハラが始まった」「シカトだよ!」
「じゃんじゃじゃ~ん! 創発部女子、オッパイコンテスト結果発表~!」
「くだらないことはやめなさい! そこから先を続けたら、ひどい目に合わせるわよ」
「そうだし! 誰もそんなコンテストしてないし~」
「お、早くも予想一位と予想四位が小競り合いを演じております。これは熱い闘いが火花を散らしている。この状況をどう見ますか、おっぱい評論家の比企谷さん」
「その言い方はすでにヤバイだろ。ネタバレしてる」
「お言葉をいただきました。非常にヤバイそうです!」
だが、仕切り壁の向こうからはクスクスと笑い声も聞こえてくる。
「では、お時間がまいりました。いよいよはっぴょうで~す! 世紀のおっぱいコンテストの優勝を飾るのは~~~!」
女子たちが静まり返った。一応聞きたいらしい。俺はクククククと笑いを堪えるしか
なかった。ここで笑ったら、あとでどんな仕返しされるかわかんねーよ。
「一位は~!」
なんだか俺まで緊張してきた。女湯からも声が聞こえない。
「………っと、その前に、本コンテストの理念を紹介しましょう。本コンテストは、清く正しく美しく、日本の未来を担う大和撫子の育成を目的に開催されています。そのため、参加者は女子高生以上という条件が設定されました。したがって、今回どうしたわけか本コンテストに紛れ込んでしまった女子中学生の比企谷小町さんは、対象外となります。この点、観客席の皆様もご理解のほど、よろしくお願いします。では、はっっぴょう~しま~す!」
茅ヶ崎が間をためる。なぜか緊張してきた。だいたいこのコンテストのランキングは予想できる。だから怖い。
「……、っとその前に……」
「今度はなに? ふざけるのもいい加減にしてくれる?」
「茅ヶ崎君、趣味悪いよ~、誰もそんなこと気にしていないよ~」
珍しく東雲の声がした。
「おっ~~っと~! 誰も気にしていないという慰めの言葉をいただきました! いったいそれは、誰のために用意された言葉なのでしょうか! それでは、まいりましょう。ランキング発表です!」
また間をためている。こいつ、こういったしつこさは超一流だな。「どうせ言うんだったら早く言え~!」という声が響いた。いまのは小町?
「では、ご要望にお答えして、一位! ダッダーンと由比ヶ浜結衣、獲得票数、十三万八千三百五十五票!
おっと~! これは予想通りの展開だ。でも最初はランキング下位から発表するのが普通なのに、どうして一位からいきなり発表されたのでしょうか。この点についてはどうですか、比企谷さん?」
「知るか! それ以上続けるともっと知らんぞ!」
「どうやらおっぱい評論家の比企谷さんの予想通りのランキングになっているようです。
では、第二位です! ボヨヨーンと東雲志乃、獲得票数十万飛んで五百三十三票!
続いて第三位、目黒恵、ポヨーンと八万五千二百三十票!
ドベ! 雪ノ下雪乃! ポチポチスットーンと五万九千八百四十三票!」
「あ~あ、言っちゃった。なんだよ、ポチポチストンって」
ランキングを発表した茅ヶ崎のほうを見ると、ただ、ニヤニヤしているだけだった。
しばらく静寂が支配していた。非常に怖い静寂。やがて「許せない」という声がポツンと聞こえた。
「そうだし! ゆきのんが四位とか勝手に決めつけてるし! 見たこともないくせに!」
「由比ヶ浜は優しいんだな」
「ちがうし!」
仕切り壁をの上から水が落ちてきた。パラパラと俺たちの頭にかかる。それを見ていた茅ヶ崎が、湯船から出て、桶に水を入れた。そして、一つの方向へ水を飛ばす。
「ひゃあ~。冷たい!」
「今の声は由比ヶ浜だろ。ミサイルを打ったらすぐその場を移動しないと反撃されちまうんだぞ?」
「意味不明だし! こんの~!」
また水が大量に降ってきた。ザバンと湯船に飛沫が上がる。お湯に浸かっているから冷たくはないのだが。
そのあとは、しばらく水のかけ合いになった。どっかのお祭りみたいに。
俺は豪雨に襲われた湯船の中でひたすら唖然としていた。時々水の塊に頬をひっぱだかれた。台風に晒された露天風呂よりひでぇ。
水合戦が収まったところで、茅ヶ崎に小声で耳打ちされた。
「俺、そろそろ帰るわ。あと、よろしく」
そう言って、茅ヶ崎が風呂場を出て行った。