ゆしもせはるがいんにいろきのはをたはのいく⇒(注1)
「ごめんなさい、寝顔がキモ可愛かったからついつい……」
「なんだ、お前か。てっきり金縛りだと思って焦ったわ」
暗がりの中、俺の上に乗っていた長い髪のパジャマ姿の女の影が、掛け布団の中にもぐりこんできた。うちの風呂に置いてあるシャンプーだかトリートメントだかの匂いがした。
「起こしちゃってごめんなさい。疲れていたようね。少し話したいことがあったから」
「人生相談というか、話したいことだったら俺もあるかもしれん」
俺は、右隣に入ってきた彼女のほうへ向き直った。すると……、
「こいつやりに来たな。女なのに夜這いしにきやがった。顔に似合わずド淫乱。スケベ。痴女。メス犬。ビッチ。人の家に乗り込んできて何やってんだこいつ。こんなやつだとは思わなかった。とうとうここまて堕ちたか。夜這いなんて清楚なお嬢様のやるこっちゃないだろ。ギャップ萌えを狙っているなこいつ。ああ、俺の彼女に対するイメージがジワジワと破壊される。俺が大切に守ってきて大人になっても絶対隠そうと決意していた純真無垢な心が、いまこうして汚される、とか思っているんでしょ」
早口でまくしたてられたその内容に、思わず笑った。
「ぜんっぜん、そんなこと思ってもいないが。いつからそんな自傷系キャラになったんだよ」
「今のはただの前フリよ。あらかじめ言っておくけれど、今日はできない日だから。これが言いたかったのよ」
「え? あ? どうして?」
「はぁ、これだから女慣れしていない男というのは……」
「俺が女に慣れるなんてお前に慣れるしかないだろ。ずいぶん無責任だな」
「女には毎月、できない日が何日かあるのよ。厳密にはできないことはないのだけれど。それくらい、最初から気遣いできるようになりなさい」
「わかったよ。でも寝込みを襲われた挙句にそんなこと言い出される立場になってくれよ……」
「それはさっき謝ったじゃない」
すかさず身を起こして彼女の上に覆いかぶさった。両足で彼女の足を固定し、逃げられないようにして馬乗りになった。
「何するの? できないって言ってるじゃない」
暗がりの中でも、その両目が見つめてくるのがわかる。戸惑いの中に、好奇心の輝きが潜んでいる。
「それができなくても、これはやってもいいんだよな?」
10本の指で彼女の脇腹やあばら骨に指を突き立てて、ゴリゴリと動かした。そのとたん、ビクリビクリと全身に激しい反応が起こった。
「昼間、さんざん刺してくれたお返しだっ! くらえっ!」
「なんなの? んふっ、ちょっと、キャッ! やめて! あははははっ、苦しい。ごめ、んなっ、さっ、んふふふっ くっ、あっ、もうそろそろ許して」
両手であばら骨をつかんでゴリゴリし続けた。体をよじって逃げようとするが、上半身をひねるのが精一杯。身もだえしながら反撃しようとして俺の両わきに手を伸ばそうとするが、両肘でブロックしているので触れることができない。
ベッドがギシギシとうなり、声が大きくなってきたところで止めた。
彼女はハァハァと息を切らして、何かを言おうとしているが、思うように言葉が出ない。胸や肩が上下に動いている。スリルを楽しむような、妙に子供っぽく潤んだ瞳。そこには、無邪気で悪戯っぽい輪郭も滲んでいた。
乱れた髪が顔にまつわりつき、パジャマがはだけて細い鎖骨と肩が見えている。やべぇ。すげぇ色っぽい。欲情してきた……。
すぐそばの机の上の携帯がメール着信音を発して点滅した。手を伸ばして開いてみると、
『まる聞こえだよ。やばいよ。まさかこの状況でやるとは思わなかった(ジト目)』
と小町の警告があった。
俺はすぐに『やってない! 誤解だ! くすぐっていただけだ!』と返信した。
「まずい、小町に誤解された」
「自業自得でしょ。こんなことするから」
「ふざけすぎた……」
彼女の息がまだおさまっていない。大きな鼻息がかすかに聞こえる。都合の悪いことに、密着している部分の俺の体の変化に気づかれてしまったようだ。
「バカね。こんなになってしまって。もっとも馬の鼻先にニンジンぶらさげているような私にも責任があるかもしれないけれど」
「………」
「口でしてあげる? でもそんなことしたら、せっかくのあなたのお母さんのはからいを裏切ってしまうことになる。やっぱりしない」
「それもそうだ。律儀なニンジンだな」
「ん? もうこの話は終わり。で、女を押さえつけてくすぐっていたぶる世にも珍しい馬の話ってなに?」
その早すぎる切り替えについていけず、少しばかり戸惑いながらも、近ごろ蓄積していた心のわだかまりを言葉にした。
「ああ、俺のは大したことはない。ただの愚痴だ。最近クラスの連中と喋る気がしなくなってきた。またぼっちに戻りそうな気がする」
「喋る気がしないって。どうして?」
「あいつらアホだろ。昔の俺は、学校カーストの最底辺だったが、今の俺はそこから外れているらしい。それは、お前と付き合っているから。これってアホらしくない?」
「そもそも学校カーストっていうのが……」
彼女はいつものクスクス笑いをしていたが、俺にとってはこの問題は、結構重大な意味がある。
「どうしてあいつらは、そういうくだらん色眼鏡を通してしか人間を見れないんだろう。
何百年も続いた士・農・工・商・〇〇・〇〇がDNAに染み付いているんじゃねぇか? その惨めさに気づいていない。
空気に支配されまくり。カーストが下がらないように戦々恐々。ぼっちに陥ることを恐怖したり、キョロキョロしてつるむ仲間を常に求めている。こいつらバカだと思ったら喋る気がしなくなってきた」
「そういうのって同調圧力が原因でしょ。みんなが思っていることを察してとりあえず従ってしまう。従わない人は仲間外れ。その積み重ねが共同の幻想を作っていく。これは大人の世界にもある。バカげているわね。
でも、批判しているあなただって、そんな状況に支配されているといえないかしら。少なくとも影響はされている。そんなくだらないものは、右から左へ軽く受け流したら? 気にしすぎでしょ」
「そうかもしれない。というか、そうするしかないよな。
最近昼メシを一緒に食うやつに、
「それ、私も言われた。同じクラスの
「まあ、30過ぎ40過ぎの2年だったら差なんてないんだろうが、今の時期の2年は大きいだろうな。中学1年になったころ、2年3年なんて大人に見えたもんな。愚痴ってすまなかった。で、そっちの話って何なの?」
「家出のことよ」
「要するに姉貴にチクられたんだろ?」
「それはその通りだけれど、少し事情が違うのよ」
「どういうふうに?」
「姉は私たちが付き合うことに反対しているのではないみたい」
「え? 意味がわからん。反対していないのにどうしてチクる?」
「家に帰ったとき、姉に言われたのよ。せっかく彼氏ができたんだから、コソコソしないでちゃんと親に言いなさい。堂々と付き合いなさいって」
「そうか。確かに正論だな。案外まともなことを言うんだな」
「だから私もその通りだと思って母親に言いに行ったわけ。すると、あなたを家に連れてこい、連れてきたら身を引くように説得するっていうの。あなたとの交際を認める気がまったくなかった。だから頭に来て飛び出してきたわけ」
「陽乃さんって、あのときは意地悪そうなこと言ってたけど、ちゃんとそういうこと考えていたんだな」
「そう。だから、却って厄介なのよ。あの人の言う表面的なことって、裏が二重三重にあったりするから、複数の可能性を常に想定していないと、対応を間違える。あのあと、家の中でどうなったのかわからないけれど」
「本当によくわからん人だな。そういえば、最後にお茶しようねって言ってた。これって、もう会うことはないと思っていたら出てこないよな」
「私のカンだと、姉は今回のことで私たちに恩を売って、干渉してくるような気がする。こういうチャンスやイベントは絶対逃さずに利用しようとする人だから」
「それも怖いな。お前もとんでもない妖怪にとり憑かれているんだな」
「あら、人事みたいに言うのね。こうなるとあなたもすでに憑かれているのよ」
「うえ~~。また引っぱりまわされるのかよ。というか、陽乃さんと接触するとお前が怖い」
「もう大丈夫でしょ。
それと……、話は全然違うけれど、今から言うことよく聞いてて。
そうね……、頭の中で、一つの場所に聞こえた文字を折りたたんでいくようなイメージで」
「なんだかわからんが、やってみ」
「ゆっくりやってみる。
『きめわけてんでなょしましうはいくかいごえさためい』
……どう?」
「ん? ん? あれ?」
「わかった?」
「わかったような気がする……」
「言ってみて」
「きょうはいえでしましためいわくかけてごめんなさい」
「当たり。どうやら同じ能力があるようね」
「なんだこれ。どうしてわかる!」
「アナグラムに関する本を読んでいて気がついたの。アナグラムは元の文と変換した文の両方に意味を成していなければならないけれど。
でも、今のようなめちゃくちゃな長文を一瞬で並べ替えて理解できるのは異常な能力といえる。おそらく、こっちの世界に転送されるときに身についたのかも。面白いから色々やってみてね。これって暗号として使えると思わない?」
「そうか。今、あの変な感覚がよみがえっていた。あのときに……。もしかすると、もっと変な能力が身についているかもしれない。気がついていないだけで」
「一番最初に、自分のことをやりにきたとか淫乱とか長々と言ったでしょ? あの一連の言葉が全部一度に思い浮かぶのよ。試してみて。面白いから」
「うーむ……変な能力だな。おそろしく地味だし……」
「そろそろ私、あっちの部屋に帰る。おやすみなさい」
緑色の小さな照明に浮かぶ時計の盤面は、午前1時半を示していた。彼女は音を立てずに部屋を歩き、ドアに向かった。
「かさなおん
俺が試しに適当なことを言ってみると、彼女は振り向いてニコリと笑った。
注1)
雪ノ下陽乃は意外にも正論を吐く
注2)
「おつかれさん またあしたな おやすみ」