由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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この世に不思議な事など何もないのだよ、比企谷君

「これってタイムカプセルだよね」と由比ヶ浜が、缶の中から手紙を取り出しなが言う。小奇麗な縁取りのある封筒には、『未来の私へ~武田真結』と書かれていた。

 そのほかにも封筒がいくつかあり、プリントされた写真やプリクラ、香水の入っているらしきガラスの小瓶、ヘアバンド、猫のキャラクター人形、イチゴ柄のポシェットなどが入っていた。

 写真類はビニール袋に入れられ、いい状態で保存されている。十七年前といえば、まだ写真をプリントする習慣があったようだ。今ではデジカメや携帯で撮影した写真はそのままメモリに保存されっぱなしのことが多い。

「旅館に帰ろう」と俺は立ち上がった。変な催眠状態から解放され、気分がよくなった。

 瓦山から見る太平洋の景観は見事で、右の勿来海岸から正面に点々とつながる四つの岩がすべて見える。左側も海になっていて、瓦山を含むこのあたりが、おおきな岬になっていることがわかる。

 正面には、やや斜めの眩しい太陽があった。瓦山は、水平線から昇る太陽を仰ぐことのできる絶好の場所だ。

 

 旅館に帰ると、午前十一時近かった。錆びたスチール缶は、漢詩の掛け軸の垂れ下がる床の間に置かれた。これはれっきとした遺品なので、あとでこの旅館の女将に渡すことにした。

 だが、その前に女の子たちの手紙類を読みたい。そこに何かがあるはずだ。でなかったら松下佳乃がこの缶を俺たちに託すわけがない。

 その前に、中禅寺秋彦のいる部屋に行く用事があった。中禅寺秋彦とは、中野で京極堂という古書店を営み、同時に隣りの武蔵晴明神社の神主(陰陽師)も勤める男だ。数々の猟奇事件や難事件を憑き物落としで解決してきたが、古書店にいるときは本に埋もれて暮らしていると、京極夏彦の作品には記述されているが……。

 東雲と由比ヶ浜は興味がないらしく、部屋に残るという。結局、俺、雪ノ下、目黒、小町の四人で二階に上がり、目的のドアを叩いた。ドアを叩いたのは目黒。

「すみません」と声をかける。

 

「はい。どうそ」という反応があった。目黒が木製のドアを開ける。玄関には旅館専用のスリッパが一組。一人しかいないようだ。

 

 襖を開けると、八畳くらいの部屋。窓側に籐製のイスが、小さなテーブルを挟んで置かれていた。その一つに和装の老人が座っていた。

 老人は、瓦山の中腹が見える窓の外を眺めていた。ゾロゾロと入ると、視線を俺たちに向ける。

 表情が変わらない。

 だが、四人がどういう人間なのかを分析しているような目つきだった。

 当然、俺たちみたいな高校生や中学生を分析したって、たいしたことがわかるわけではないのだが。

 

「無理に押しかけてしまって、も、申し訳ありませんでした」と目黒が緊張気味に言うと、老人は立ち上がって迎えてくれた。座椅子を窓を背にするように置き、そこに座って「どうぞ。座ってください」と畳を手で示す。

 昨晩と同じくグレーの和装。そして、袖口には白抜きの五芒星が光っている。

 俺たち四人は、中禅寺老人に相対するように畳に座った。俺はあぐらをかいたが、女子三人は、両足を揃えて右か左に出す、いわゆる女の子座りをした。

 

「何か僕に聞きたいことがあるようですが。どんなことかな」

 

 さっそく中禅寺が切り出す。

窓から入る光を背にしているので、顔に陰が射す。おそらく八十歳以上になるはずだが、その目つきは鋭い。

 おそらく、先入観も手伝って、小説の描写そのものの雰囲気。一種の圧力。老年になればそんな雰囲気は霧消しそうだが、中禅寺秋彦の周囲には(おごそ)かなオーラが漂っている。

 

「あ、あの~、中禅寺さんは今でも古書店をやってらっしゃるんですか?」

 

 目黒が問いかけると、中禅寺の表情が少し柔らかくなった。

 

「やっていることはやっているが、もう誰も来ないよ。ところで君たちの名前は?」

 

 確かに一方的に名前を知っているのは俺たちだけで、不公平にちがいなかった。

 

「あ、失礼しました。私は目黒といいます。こちらが比企谷、その妹の小町、そして雪ノ下です」

 

 目黒が紹介するたびに、俺たちは頭を下げていった。聞きたいことがあるのか? と中禅寺は言った。もちろん聞きたいことはたくさんある。俺はさっそく言葉にした。

 

「中禅寺さん、はじめまして。比企谷といいます。お時間とらせてしまって申し訳ありません。小説のことなんですが、どの作品がノンフィクションなんでしょうか」

 

「それは僕にもわからないよ。あの作家の作品はひとつも読んでいないからね」

 

 だが、中禅寺はアゴに手を当てて記憶を検索し始めている。

 

「……確か、最初の作品、そう、久遠寺産科医院の事件は、ノンフィクションだったな。そこに乗り込んで事件を解決したのも僕だよ。結局悲劇的な最後になってしまったのだがね。

 その事件について書かせてくれと依頼してきたのがあの作家というわけだ。で、その後の僕がかかわった事件についても取材しに来た。だが、本は読んでいないから、どれがフィクションでどれがノンフィクションなのかわからないのだよ」

 

「久遠寺産科医院の事件は本当にあったわけですね。すごい。あんな事件が本当にあったなんて……」

 

 目黒がかすれた声で言う。続けて俺が質問した。

 

「昭和三十年代ごろまではああいう猟奇的な事件が度々あったようですが……。どうして最近は起こらないんでしょう」

 

「う~む」と中禅寺が息を溜める。そして、ズバリと結論を出したあと、延々と喋り始めた。

 

「乱暴に言ってしまえば、金が全ての世の中になったからだと思う。もちろん、これは僕の個人的な考えだが。

 最近はよく無縁社会と言われているだろう。人とのつながりが薄れて、コミュニケーション不全なんて言葉もある。今では人間同士のつながりのほとんどが金に置き換えられる。金の切れ目が縁の切れ目とはよく言ったものだ。一個人が取り結ぶ社会関係のうち、そう、家族関係以外に金に関係しないものがどれだけあるだろう。これを金縁社会と呼ぼう。

 僕はこの金縁社会の一番の犠牲者は女性だと思うな。好きな男、あるいは性愛関係を結びたい男ではなく、金と結婚しなければならないのだからね。つい最近も、人気女性アナウンサーが資産百億円と噂される会社社長と結婚すると発表された。これは偏見にすぎないのだが、僕にはどうしても三十代の女性が五十代の中肉中背のオジサンと性愛関係を本当に結びたがっているとは思えないのだよ。このことに本人も気づいていないフシがあるからたちが悪い。女性にとっても男性にとっても不幸な社会になったものだね……。とはいっても、昔も結婚の自由がなかった女性は多かったのだがね」

 

 中禅寺はそう言いながら、俺たちの反応を鋭い眼で見ていた。

 窓の外に吊り下がっている風鈴が…りん…と鳴った。

 昨晩聞いた風鈴の音は、この部屋の軒下にあったのか。しばし途切れた中禅寺の言葉が再開された。

 

「……昔は人間同士のつながりが非常に強かった。まだ完全に金縁社会になっていなかったわけだな。それだけに、人間同士の金に関係のない思想的・感情的なイザコザがたくさんあった。それがもつれて猟奇的な事件に発展しやすかったのだろうね。

 今は金がらみの事件がほとんどなのではないかな。もちろん、昔にも金がらみの事件はたくさんあったし、今でも感情的になって事件を起こすやからもたくさんいるが。最近の戦争や紛争だって利権争いみたいなことがほとんどだろう。昔は純粋にイデオロギー的な対立があったのだよ」

 

「昔と今では憑き物の種類が違うというわけですね。今は金という憑き物が主流になっていて……」

 

 俺の言葉の終わりを見計らったように、また風鈴が…りん…と鳴った。

 

「そういうことだよ、比企谷君」と中禅寺が答えたとき、「先生、軽いお食事お持ちしました」と女将が入ってきた。部屋に四人の高校生がいることが意外に思ったのか「おや、お客さんですか。ああ、あなたたちですね」と見回す。

 持っているトレイには、小さな握り飯二つとお新香、吸い物と箸が乗っていた。

 女将は窓際のテーブルに軽食を置くと部屋を出て行った。

 

「中禅寺さんが戦争中に陸軍の登戸研究所に勤めてらしたのは本当なんですか?」

 

 目黒が質問する。

 

「ああ、本当だよ。あそこはマッドサイエンティストの巣窟だった。戦争を有利にする研究というこじつけで、今では考えられないような実験、それも人体実験とか、一歩間違えればオカルトと笑われてしまうような研究も行われていた。

 僕が関わっていたのは主に洗脳と逆洗脳の方法を開発すること。今でいうマインドコントロールだな。当時は麻薬を使ったりして相当ひどいことをやっていたものだ。終戦直後からCIAが開始した『MKウルトラ計画』とほとんど同じ内容だった」

 

 ここで中禅寺秋彦の表情が変わった。右の眉毛が少し上がった。記憶の検索中に何かがひっかかったようだ。

 

「君は比企谷君といったな。君の、そう、祖父か曾祖父はどういった人だったのだろう」

 

 好奇心の強い視線が俺に注がれる。

 

「祖父か曾祖父ですか? 祖父はただの勤め人だったと思います。曾祖父は確か陸軍の中野学校を出て、従軍中に戦死したと聞いていますが。詳しいことはほとんど知りません」

 

「比企谷輝夫という名前かな?」

 

「そうだったと思います」

 

「奇遇だな。珍しい名前なのでよく覚えている。僕は登戸研究所で何回も比企谷大尉と顔を合わせているのだよ。彼は軍令部付けの情報将校だった。色々な極秘作戦のアドミニストレーターだった」

 

「なんですって? 曾祖父が?」

 

「たぶん間違いないだろう。君の顔つきと似ているところがある。その目つきといい」

 

「そうですか……」

 

 目黒が俺に顔を向けて「ヒッキーってやっぱりスパイみたいな仕事に向いているんじゃないの?」と笑っている。

 曾祖父が陸軍中野学校を出ていることは知っていたが……。本当にスパイみたいな諜報活動をしていたんだな。そんなドロドロした世界が身近にあったなんて思ってもみなかった。

 

「私は雪ノ下といいます。はじめまして。中禅寺さんは、こんなところで何をしていらっしゃるんでしょうか」

 

 それまで押し黙っていたが、雪ノ下が初めて口を開いた。中禅寺も発言者の方に視線を合わせる。

 

「老後の物好きってところかな。ここら辺には民話や伝説が多くてね。それに勿来海岸では度々集団溺死事件が起こっている。あまり知られていないが、こうした悪因縁の集まっているところに引き寄せられてね。時々来てしまうんだよ。この旅館には度々お世話になっている」

 

「では、瓦山の清子さんの話とかはご存じなんですね」

 

 雪ノ下がそう言うと、中禅寺は「ほう」と感心したような反応を示した。その目も若干大きくなっている。

 

「よく知っているね」

 

 その後は俺が引き継いだ。

 

「あとは、四つの岩の民話がありますよね。一番沖の地獄岩は地獄への入り口とか、あそこは子供を折檻するために利用されていたそうですね」

 

「君たちはそういうことを調べて来たのかね」

 

「そうです。というか、俺たちはここへ誘導されてきたような気がします。昨日の夜には、十七年前に勿来海岸で溺死した四人の女の子の一人、松下佳乃さんを俺たち全員が目撃しています。佳乃さんはこの旅館の娘らしいですね。

 それに、今日も、さきほど俺が佳乃さんに引っ張られるようにして、瓦山へ登りました。すると、四人の女の子の写真や手紙が入った、タイムカプセルを発見したんです」

 

 注意深く話を聞いていた中禅寺が質問してくる。

 

「それは瓦山の清子さんだったのだろうか」

 

「いや、違います、って本人が言っていました」

 

「そうか。話を続けてくれたまえ」

 

「不思議なことが度々身の回りで起こっています。溺死した四人の子の名前は、松下佳乃、皆川美由紀、藤木めぐ、武田真結ですが、ここに来ているのは東雲志乃、雪ノ下雪乃、目黒恵、由比ヶ浜結衣です。名前だけが酷似している。それに、ここにはいませんが、由比ヶ浜結衣という子が、度々幽霊を目撃し、催眠状態みたいになって海へ引っ張られています。また、溺死した四人の子は俺たちの高校の先輩ということになります」

 

「ふむふむ。確かに深い因縁を感じるね。そこまで調べているわけだ」

 

 しばらく中禅寺は考えていた。そして口を開く。

 風鈴が…りん…と鳴った。

 

「それで、君はなぜそういうことが起こっていると考える? もう推測は成立しているんだろう?」

 

「はい。おそらくいまだに遺骨が発見されていない武田真結という子が由比ヶ浜を引っ張っている。遺骨を発見して欲しいみたいなメッセージも受け取っています。しかし、どこにあるのかわかりません。そこへ引っ張ろうとしているのかもしれない。もしそうだったら危険です。海の中へ引きずりこまれるわけですから」

 

「君は、武田真結という子が幽霊となって君の友人を海に引き込もうとしているというのか」

 

「そうとしか思えないんです」

 

「僕にはとうていそんなことは信じられないのだが」

 

 しばらく間があった。その間、誰も喋らなかった。

 

「比企谷君、この世に不思議なことなど何もないのだよ」

 

 りんりん、と風鈴が風の動きを伝えた。

 

「では、中禅寺さん、これはどうですか」

 

 俺は隣りの雪ノ下の腕をつついた。そして次の滅茶苦茶な言葉を並べた。

 

「しぜんじうじだないよう(注1)ちてくんれさんはゅが」

 

 この言葉に雪ノ下が反応する。

 

「けれょしもううきしもゆうかおれいいだとじ(注2)はたがないとおしえもど、ないのって、わたよ」

 

「こに、かきおなまんすうりもか。ではてえ(注3)せつるごめいがきのけんきたい」

 

「てめきこまいないで(注4)いからがせつるっそれのよ」

 

 俺たちの会話を不思議そうな顔をして聞いていた中禅寺が、目を大きく開いた。

 

「君たち、そうやって会話ができるんだな? 僕もそれを知っているぞ。登戸研究所で、そういう会話をする夫婦を調べたことがある。一見滅茶苦茶な会話をしているように聞こえるが、本人たちは頭の中でその言葉を重ね合わせて、意味のある文に仕立てることができる。だが、その能力を持たない人間にとっては、その言葉の列を紙に筆記したとしても、意味のある文を導き出すには非常に手間がかかる」

 

「知っているんですか? 俺たちはメチャグラムって名付けてますけど」

 

 すごく意外だった。俺たちみたいなのが他にいたなんて。

 

「知っているとも。その能力を暗号に使えないかと研究していた。本人たちはそのメチャグラムを頭の中に積み重ねていくと、自然に文章がわかると言っていた。その能力はどういうものなのか、僕も必死に考えた記憶がある。結局結論は出ないまま、終戦を迎えたわけだが」

 

「そうですか」

 

「それから、その夫婦は、他の世界から来たと言っていたな」

 

 ということは、シミュレーション世界から飛ばされてきた人間は他にもいるということになる。それも複数。俺たちもそうだと言おうかどうか迷った。

 

「ということは、君たちも異世界から来たというのか?」

 

 依然として迷っていたが、雪ノ下が「そうです」と答えてしまった。それに続いて、雪ノ下が俺たちの境遇をすべて話した。宇宙に遍在する全物質が、異次元で絡み合いを維持し、それが量子コンピュータとして機能していること。人格シミュレーションだったこと。二年分の記憶が余計にあること、などなど。

 

「ふ~む。ずいぶんと根が深いようだね。宇宙の全物質による天然の量子コンピュータか……。それに、何かが複雑に絡み合っている。君たちはそれが解けずにいるようだな」

 

 また、しばらくの沈黙が続いた。その間、中禅寺は目を開けていたが、その目はこの世の光をではなく、頭の内部を見ていた。すでに冷めてしまったお吸い物に、握り飯。テーブルの上にあるものをすっかり忘れている。

 

 やがて、中禅寺が口を開いた。

 

「比企谷君、カントの『物自体』という概念は知っているかね。あるいはラカンの三界でもいい」

 

 突拍子もない質問に、俺はたじろいだ。

 

「物自体というのは何となく知っています。要するに、人間の脳は自分勝手な感覚世界に住んでいるということですよね」

 

「うむ、まあ、その通りだよ、比企谷君。君はひねくれ者のようだね」

 

 三人の女がクスッと笑った。

 また、しばらくの間があった。中禅寺が再び滔々と話し始めた。

 

「カントの物自体というのは、人間が決して触れること、感知することができない物や世界があるかもしれないということだな。

 たとえば、目の前に緑色の鉛筆があるとする。鉛筆を目視すればそれが鉛筆だとわかり、そこに実在することを疑う余地はない。だが、具体的なモノとしての鉛筆の視覚情報がどうやって発生するかを考えていくと、途方もない根源的な疑問が浮かんでくる。

 我々の視覚情報は、網膜の細胞に光子が当たり、微弱な電気信号に変換されることによって生まれる。網膜細胞は無数にあるものだから、発生する電気信号も無数にある。それらの電気信号が視神経を通って脳に達する。膨大な信号はナマのままでは使い物にならない。なぜなら、それは単なる電位差の刺激に過ぎないからだ。

 そこで、脳がそれらの無秩序な信号を我々の意識のフォーマットに合致するようにまとめあげる。都合のいい編集といっていい。悪い言い方をすればでっちあげだ。そうして初めて意味が生まれ、意識はそれを視覚情報として覚知できるわけだ。比企谷君、君が言ったのはこの部分だろう。

 そんな事情があるものだから、ナマの現実~この場合は鉛筆だが~を本当にとらえているのかどうかわからないのではないか。というのがカントの主張だな。要するに、我々の意識は現実世界と(ナマ)で接触することができない。これは、聴覚や触覚などの他の感覚も同様だ。そして、物自体の概念が理解できるかどうかで、その人に哲学的素質があるかどうかわかると言われている。

 今ではパソコンという文明の利器がある。これを使って、今の話を比喩的にパラフレーズしてみよう。つまり、パソコンのプログラム。これはソースコードと呼ばれている。ソースコードをメモ帳で開いてみればわかるが、何が書いてあるかわからない。だが、パソコンはそれを読むことができ、その結果プログラムを走らせ、画面に人間に理解のできる図形や文字を表示させる。

 もうわかったと思うが、物自体というのがソースコード。それを読むソフトウェアとハードウェアが感覚器と脳、そして、ディスプレイが我々の意識の世界ということになる」

 

 長い説明に流されながらも、俺はやっとのことでついていった。そして、「そうですね」というのがやっとだった。雪ノ下はうんうん、とうなずいていた。

 

「僕はね、テレパシーに代表されるような超感覚的な能力は、なんらかの理由で、物自体を直接読める能力なのではないか、という仮説を立てたことがある。かなり昔の話だが。今、君たちの話を聞いて思い出していたのだよ。

 全物質を構成する全素粒子が量子力学的な絡み合いを維持しているのならば、量子コンピュータとして機能することもありうるだろうし、量子テレポテーションによる情報の伝播~この場合は情報の伝播ではないのだが~もありうるだろう。

 その伝播による微細な物性の変化、つまり物自体の変化が我々の脳にも伝わってきているはずだ。なぜなら、我々の脳も物質、すなわち素粒子でできているわけだからね。

 その変化を読み取れるのであれば、君たちが幽霊らしきものや超自然的なものからメッセージを受けたり、勿来海岸に無意識的に誘導されたりするのも有り得るのかもしれない。人間の強い思念は、永遠にその絡み合い~相互作用の中に保存されるのかもしれない」

 

 中禅寺は後ろを振り返り、テーブルの上のコップを取って水を飲んだ。ずいぶんと喋らせてしまった。少し疲れたようだ。

 俺は気づかされた。俺の目撃した松下佳乃の霊は、なんらかの量子的な干渉が脳内に届いた結果なのではないのか。誰かの念が、残っていて……。守護天使小町による強力な意識への介入ほどではないにせよ、なんらかの干渉が起こっていたとすれば。

 

「それから、君たちのメチャグラムのことだが。これも、滅茶苦茶な言葉を量子的重ね合わせの状態に置いて、その最適解を瞬時に演算しているのかもしれない。つまり、君たち二人は、脳内の粒子を自在に重ね合わせの状態に導くことができる。また、その物性の変化を読み取ることができる。おそらく訓練すれば、テレパシーや透視などもできるようになるはずだ。興味がないようだから、訓練なんかする必要はないがね」

 

 俺たちは黙ってしまった。中禅寺の言うとおりかもしれない。

 

「以上が、君たちの話を聞いた結果出てきた、僕の考えうる限りの反応だ。これ以上はオカルト研究家に聞くしかないと思うよ。だがね、比企谷君、しつこいようだが、この世に不思議なことなど何もないのだよ。その点に注意したまえ」

 

「中禅寺さんの話を聞いて、納得する部分があります。どうして俺たちがここにいるのか……。すごく助かりました」

 

 後ろを振り返ると、小町がうたた寝をしていた。話の内容がほとんどわからなかったに違いない。クスリと笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 




注1)「中禅寺さんは信じてくれないようだが」

注2)「仕方がないと思うけれど、正直言って、私も幽霊だとは思えないのよ」

注3)「おまえもか。では、この件に関する合理的な説明が聞きたい」

注4)「それが説明できないから困っているのよ」

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