由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

43 / 46
真夏の昼の大異変~海に曳かれる女たち

 

 

 八月一日の朝も晴れていた。俺も女子たちも疲れがたまり、全員が起きたときは午前八時を過ぎていた。

 それでも腹は減っているので、朝飯を食堂で済ませる。食事から部屋に帰ったときには日が翳っていた。窓から外を見ると、雲が太陽にかかっている。雲は積乱雲ではなく、空全体を覆い、その中にぼんやりと光球が見える。すでに風が蒸し暑い。

 

 女子たちはタオルや服を折りたたんだり、部屋干ししていた水着を取り込んだり、ほんのりと焼けた肌に化粧水を塗りこんだりして、身の回りの世話に余念がない。

 俺は、例によって座布団を何枚も使ってリクライニングチェアを作り、そこにもたれてボーッとしていた。

 鏡を見ながら髪をお団子にしていた由比ヶ浜が、長い髪をまとめて前に出し、櫛を入れていた雪ノ下に声をかける。

 

「ゆきのん、その足どうしたの?」

 

「え?」と雪ノ下が後ろの由比ヶ浜を振り返る。

 

「足、足だよ~。すごく蚊に刺されてるし~」

 

 その両足を見ると、確かに蚊に食われた幾つかの赤い点が目立つ。俺の足や腕も蚊に刺されて痒みがひどい。これは油断した。足を座布団の下にもぐりこませて隠した。

 

「そ、そう? 気がつかなかったけれど」

 

「そんなに蚊に刺されているの、ゆきのんだけだし。美味しいのかな。網戸は閉めてたし」

 

「……なんでかしらね」

 

 雪ノ下がとぼけている。その向こうで東雲がニヤリと笑っていた。

 そこへ、どこかへ行っていた目黒が部屋に入ってきた。

 

「中禅寺さん、昨日の午後東京に帰ったって。女将さんが言ってた。残念だなぁ」

 

「今日も部屋におしかけるつもりだったのか?」

 

 畳にペタンコ座りした目黒に声をかけると、珍しくほっぺたをぷぅ~と膨らませた。

 

「迷惑だったのかなぁ~。一緒に写真とりたかったのに」

 

「気軽に写真撮っていい相手だとは思えないが。俺なんて京極堂へ訊ねて行ってもいいかどうか聞きたかったけど、やめたんだぞ。あれくらいで我慢しておけよ」

 

「そうだね~。でもいい思い出になった」

 

「夏の思い出が老人との出会いかよ」

 

 目黒の頬がさらにプクッと膨れた。

 

「だってしょうがないもん。ファンだもん。あ、ねぇねぇヒッキーってさ、御手洗潔って知ってる? 島田荘司の」

 

「知ってる。御手洗潔も数々の難事件を解決したんだよな。今は北欧のウプサラ大学の客員教授だか研究員になっているという。でも実在しないだろうな」

 

「そうそう。中禅寺さんと御手洗さんってどっちが天才なんだろう……」

 

 目黒の目が天上界のシャングリラでも眺めているようにうっとりしていた。その様子が微笑ましい。

 

「なんか、虚構と現実がごっちゃ混ぜになっているな」

 

「どうせ私たちの脳なんて、外界を勝手に解釈して自分の都合のいい世界にしか住めないんでしょ? だったら、別に虚構でも現実でもどうでもいいじゃない」

 

「まあ、そうだな。ただし、虚構と現実を区別できなくなって、犯罪をおかさない限りな」

 

「そんなの変態だけでしょ」と雪ノ下が割り込んでくる。

 

「そういえば、お兄ちゃんも犯罪者にならなくてよかったね」

 

 床の間の近くで荷物をガサガサといじっていた小町も割り込んできた。

 

「なんでだよ!」

 

 すごく抗議したい気分。

 

「だって、小学校から中学校時代のお兄ちゃんって、魔界日記とか、政府極秘通信とか、人類改造計画書とか、恨みを忘れないための備忘録とか、細かい字でたくさん書いていたじゃん?」

 

「なんでそんなこと知ってんだ、おまえ」

 

「お兄ちゃんのことなら何でも知っているよ」

 

 小町が、にひひひ、みたいな笑い方をする。なんで話がこんな方向へ飛ぶんだよ。関係ねぇだろ。それに、最近俺をなめまくってんな?

 

「忘れないための備忘録って、タイトルが被っているわね」

と言って雪ノ下がクスクスと笑っている。

 

「俺が被ったんじゃない! 適当なこと言う小町が被ったんだ」

 

「へぇ、そんな過去があったんだ。ヒッキーの過去ってあまり知らないから意外かも」と東雲が笑っている。

 

「でも、ヒッキーって今ではサーファーだし!」と由比ヶ浜が言えば、雪ノ下が「比企ガイア君ね」と合いの手を入れる。

 女子全員から袋叩きの状態。どうして中禅寺老人の話題からこうなる? お前らのことをこんなに心配してやっているのに……。

 

 多少のムカツキを覚えて、「うっせ」と捨て台詞を吐いた。そして、立ち上がって外へ出た。

 宿の裏庭を通って、松下佳乃に曳かれて行った道を歩く。左右には鬱蒼とした木々の群れと蝉の声。薄曇りなので、蝉の声も若干少ない。雑草がスネに当たる。そのせいなのか、はたまた蚊に食われているからなのかすごく痒い。時々止まって足を引っかいた。

 

 瓦山に登る道には入らなかった。そのまま直進すると、瓦山をバックにした遊歩道に出た。

 そこをしばらく歩くと眺望が拓けて、目の前が岩場になる。ギザギザの岩が点々と並んで、その上には夥しいフナムシが黒い群落を作っている。平らな岩の上には水溜りができて、ぼんやりとした太陽の光を反射している。

 海には一番近い島が見えた。一番罪の軽い岩……。あそこまでなら、なんとか泳いで行けそうな感じだ。三つ目や二つ目、地獄岩は、四つ目の島に遮られて、この位置からは見えなかった。

 海藻の香りに近い磯の空気。俺はベンチに座って、岩場を舞台にした波の戯れをしばらく眺めた。

 右手の勿来海岸から、前方の四つの岩までの海域をよく観察すると、潮の流れがわかってきた。砂浜のほうから岩のほうに流れがある。それもかなり早い流れが。

 その流れのあるあたりの海面の色が濃くなっている。濃い海水は、ここからは見えない地獄岩あたりに当たっているように思える。

 

 たっぷりと潮風に揺られたあと、俺は携帯をポケットから取り出した。小町に話しかけると返事があった。

 

『なんか携帯に文字を打って会話するのが面倒くさい。脳ハッキングして出て来いよ。できるんだろ?』

 

『わかった、やるよ……』

 

 総武高の制服姿の小町が現われた。午前中の少し斜めの太陽光線をまったく無視した姿で、どこにも影がない。やはり、実写映画の中にアニメが挿入されたような違和感があった。それに、現実の小町より、少しだけ大人びている。

 小町が俺の隣りに座る。

 

「久しぶりだね。こうして並ぶのって」

 

「そうだな。で、武田真結は見つかったのか?」

 

「それだよ、それ! 見つかったよ」

 

「マジか?」

 

「もうお兄ちゃんたちに干渉するの止めてくれって頼んだんだよ。そうしたら、やめますって言ってた」

 

「なんと。本当か。だったらもう危険はないわけだな」

 

「武田真結さんは、別にお兄ちゃんたちに恨みがあるわけじゃないし。溺れさせようなんて思ってないんだって」

 

「そりゃ、そうだろう、姪だからな。でも花火大会とか夜中に由比ヶ浜を操ったのはどうしてなんだ」

 

「練習してたんだって」と、小町が笑った。

 

「迷惑な練習だな」

 

「自分の遺骨を回収して欲しいみたいなこと言ってた。結衣さんがこの海岸に来る今日という日を待っていたんだって」

 

「海に引っ張り込んで遺骨を発見させようというのか。そんな危険なことをさせるわけにいかないだろう。だったら警察とか海上保安庁の人間を操って欲しいな」

 

「誰かが流されて行方不明にならない限り、探さないからね」

 

「武田真結の監視を続けてくれ」

 

「わかったよ~!」

 

 小町が消えた。なんとなくぎこちない動きだったし、違和感もありあり。もう少し練習したほうがいい。少なくともハッキングの技術は武田真結のほうが上手だった。

 

 

 ★    ★    ★

 

 

 午後、俺たちはやっぱり海にいた。同じようにパラソルを一つ借りて、その横にテントを作った。

 曇り空なので、紫外線が少ないことがわかるが、それでも肌に熱い圧力を感じる。軽く痛い。すでに日焼けしまくっているのでなおさらだ。

 武田真結はもう、干渉しないと言っているそうなので、俺は安心していた。それに、いざというときに心強い茅ヶ崎もいる。このまま日没を迎えれば、創発部の合宿は無事に終わるはずだ。

 

 だが、そうはいかなかった。

 

 南の空に黒い雲が湧いてきたのに気がついて、海岸の右方向を眺めているとき、「結衣ちゃん」という複数の声が聞こえた。

 正面に向き直ると、波打ち際で、由比ヶ浜が他の女子に腕をつかまれていた。

 

「結衣ちゃん、どうしたの?」と目黒と雪ノ下が由比ヶ浜の右腕をつかんでいる。

 その左側から茅ヶ崎が「どうした」と駆け寄ってくる。

 小町が由比ヶ浜の前に回り、手を突っ張って押しとどめている。

 東雲がチェアに凭れている俺に向かって走ってきた。

 

「ヒッキー! まただよ! 結衣ちゃんが海に入ろうとしてる。様子が変だし」

 

「なんだと!」

 

 俺はチェアがから飛び降りた。武田真結はもう干渉しないと言ったというが……。俺の中に満ちていた安心感が吹き飛んでしまった。

 

 由比ヶ浜に近づくと、「離して!」と、複数の手を振り払い、体をよじって拘束を逃れようとしている。

 茅ヶ崎が「どこへ行こうってんだ?」と声をかけると、由比ヶ浜は「海の中」と答えた。

 

「どうしても行かなきゃだし!」とでかい声を出して暴れる。

 

「どうして行かなきゃならないんだ?」と俺が問うと、「叔母さんの骨があるから~」と、ダダをこねる子供のように答える。

 明らかに武田真結にハッキングされている。要するに、小町はウソをつかれたのだ。

 

「行っちゃダメだから」「結衣ちゃん気を確かに持って」「海に入ったら溺れちゃうよ!」と次々に声をかけるが、由比ヶ浜は無表情で、上の空だった。

 

「小町、出て来い!」

 

 半分そう叫んだ。俺の隣りにさっきと同じ制服姿の小町が現われた。

 

「武田真結はどうしている? これを止めさせてくれ」

 

「今言ってる」

 

 小町の隣りに総武高の夏服姿の少女が現われた。黒髪の由比ヶ浜結衣。体つきもそっくりだった。

 

「君が武田真結か! 止めてくれ!」

 

 由比ヶ浜の周囲の五人は、小町や武田真結が見えないらしく、俺を不審そうに見てくる。俺は、五人に「由比ヶ浜を押さえていてくれ!」と頼んだ。

 

「武田真結、君はもう干渉しないんじゃなかったのか?」

 

 若干うつむいて、武田真結が口を開く。

 

「私はこの日を待っていたんです」

 

「それはさっき小町から聞いた。とにかく止めてくれ。こんなこと」

 

「やめません! 結衣ちゃんは絶対に溺れません。そのために茅ヶ崎君を用意したんですから」

 

「なんだと? 茅ヶ崎を用意した?」

 

「私が平塚先生を操って、茅ヶ崎君を創発部に連れて行ったんです」

 

「じゃあ、俺も操ったんだな? 勿来海岸に興味を持つように」

 

「そうです。新聞部の半ページの依頼も私が仕向けました」

 

「そんなことが許されると思っているのか!」

 

 俺は怒鳴った。おそらく、他の五人は空気に向かって怒鳴る変人を目の当たりにしているだろう。俺は続けた。

 

「由比ヶ浜に茅ヶ崎を付けることで溺れないって言ったって、わからんだろ、そんなことは。百パーセント保証できるのか?」

 

「でも………」武田真結がうつむいた。

 

「現実世界の武田真結の遺骨だったら公的機関の人に捜索するように頼んでみる」

 

 すると、武田真結は首をゆっくりと左右に振った。

 

「今まで何回もそういう操作をしてみました。でも、動いてくれませんでした」

 

「だからって、俺たちや由比ヶ浜が使われるのは迷惑だ!」

 

「助けて…、探しに来て…、寂しい…、という声が今でも聞こえているんです」と言って、完全に武田真結が下を向いてしまった。

 

「今回、結衣ちゃんが遭難することで、茅ヶ崎君と決定的なことが起こるはずだったんだけど………」

 

 そんなふうに武田真結の呟きが聞こえてきた。やがて、その顔が起き上がる。

 

「わかりました。止めます、こんなこと」

 

 そう言ったとたんに姿がふっと消えた。寂しそうな顔が印象に残った。

 同時に、由比ヶ浜の体の力が抜け、その場に崩れかかったので、みんなで支えた。

 

 これで一件落着か、と思って安堵したが、間違いだった。

 今度は創発部の女子四人と、小町が何かに憑かれたように、海に入って行くのだ。

 

「おい!」と声をかけるが無反応。茅ヶ崎も「みんなどうしたんだ!」と叫ぶが、これも無視された。

 女子たちの前に回りこんで、顔を見てみると、どの目も光を失っていた。

 

 なんだこれは!

 

 雪ノ下も目黒も小町も東雲も由比ヶ浜も、みんな無表情で歩いている。海面が、ひざ、太もも、腰、とだんだん高くなっていく。波がざぶんと胸にかかる。

 

 

「茅ヶ崎、こいつらを抑えろ!」

 

 そう叫んで、俺は女子の手を握れるだけ握った。茅ヶ崎も同様にして、なんとか五人を引っぱり、砂の上を引きずるようにして、浅いところまで連れてきた。だが、五人はすごい力で俺と茅ヶ崎の手を振り払おうとしている。

 

「お前ら、しっかりしろ! 雪ノ下、小町!」

 

 焦った。五人の暴れ方がひどくなっている。完全に脳ハッキングされているようだ。しかし、武田真結ではないとすると、誰だ?

 

 と、そのとき、海岸のいたるところで、「おい! どうしたんだ」という男の声が聞こえてきた。波の崩れる音に混じって、群集の集合的な声のざわめきが沸き起こっている。

 

 周囲を見回すと、若い女性がどんどん海に入っていく。

 それを追いかける知り合いや家族の男性。手を振り払う女……。

 

 すでに、遊泳ゾーンの中は女の子だらけだった。海岸にいるすべての女性が沖に向かっている。それを止める男だち。遠くを見れば、浮きブイの繋がるフェンスを乗り越えようとしている女の子もいる。

 

 いったい、これは……。

 焦りつつも冷静に観察していた。勿来海岸の全女性がレミングの行進を続けている。信じられない光景だが、壮観でもあった。

 これは集団脳ハッキングによる集団入水自殺だ。これから、集団溺死事件が起ころうとしているのだ。女たちには海面から突き出した手が見えているのかもしれない。

 

 とりあえず、創発部の女子と小町は俺と茅ヶ崎が抑えているが……。

 

 しかし、押さえていられたのはほんの数分で、ピキーンという脳内の音がしたかと思うと、体が動かなくなり、つかんでいた複数の手が離れて行った。

 

「雪ノ下、小町、目黒、由比ヶ浜、東雲、戻れ! 行っちゃダメだ!」

 

 渾身の力を込めて叫ぶが、通じない。女子たちはずんずんと海に入っていく。一番沖に行ってしまっているのは由比ヶ浜だった。平泳ぎでフェンスにたどり着き、乗り越えようとしている。

 だが、どうにもできない。横を見ると、茅ヶ崎も体が動かないようだった。

 

「なんだこれ。こんなんじゃ俺でも何もできないぞ!」

 

 茅ヶ崎が悔しそうに顔を歪ませている。

 俺は「小町! 助けろ!」と叫んだ。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。