由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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ひき蛙と聞いて目黒恵は容赦なく噴き出す

 

 翌日、午前の授業中にポケットに入れていた携帯が振動した。教師の目を盗んでこっそりと見ると雪ノ下からのメールだった。

 

『昨日はありがとう。すごく楽しかった。自分の家に帰るのが本当に嫌になった。あの家にあのまま住みたい。

 さっきの休み時間、由比ヶ浜さんと目黒さんの二人連れに出会ったとき、部活に入るって言ってくれたの。だから今日の放課後から活動開始。部室は二号棟の三階。放課後はそのへんにいて。カギもらってくるから』

 

 昨日の夕方、俺の家を去るときの彼女の暗い表情を思い出した。そんなに実家が嫌なのか……、というより、俺の家にいたとき、小町と遊んで楽しかったんだろう。ゲームしながらイキイキとしていたもんな。

 彼女の実家には行ったことはないが、金持ちだったり豪華だったりしても、それが幸せとは結びつかないこともあるようだ。

 とはいっても、もうすぐ一人暮らしができるので、あと数ヶ月の辛抱のはずだ。

 

『わかった。とりあえず、新聞作りを開始するんだよな?』

 

 と返信すると、1分もたたないうちに、またメールの着信。

 

『そうよ。とりあえず、3~4人にインタビューかしらね。まず最初に東雲志乃ちゃん。次は葉山君? でも葉山君に接触していいのかどうか……。あとは、城ヶ崎譲二(じょうがさきじょうじ)君に目星をつけているのだけれど、あなたも人選に参加して。由比ヶ浜さんにも案を出してもらいましょう。あとで会議するから』

 

『お前、授業中ヒマなんだろ?(笑) 全部知ってるんで授業受ける意味ないよな。よく耐えられるな。優等生が居眠りできないしな』

 

『ヒマだから教科書に重ねた本読んでる。時間は無駄にしていないわよ』

 

 何読んでんの? と携帯に打ち込もうと思ったが、やめておいた。俺には縁のない本に決まっている。

 休み時間に廊下に出ると、隣の教室から由比ヶ浜と知らない女の子が連れ立って、こっちに歩いてきた。俺に気づくと、由比ヶ浜が手を振った。

 

「あ、比企谷君! 今行こうと思っていたんだよ~! さっき雪ノ下さんに部活入るって伝えたから、比企谷君にも言いに行こうと思って。こっちは友達の目黒恵(めぐろめぐみ)ちゃん! 一緒に入ってくれるって!」

 

「お、はじめまして。比企谷です」

 

「目黒恵です。結衣ちゃんに聞いて、なんか楽しそうだったから。でもいいのかな、入っても」

 

「もちろん」

 

 由比ヶ浜と同じくらいの背の高さ。髪の色はほんの少し茶色がかっている。前髪を眉毛にかかる程度に垂らして、残りのほとんどの毛は後ろへ束ねられていた。

 そのため、頬骨から頬、耳の前から鼻の横までの面積が小さく、顔がこじんまりとしているのがよくわかる。自信のない女の子はこの部分は隠すものだ。 

 束ねた毛は肩甲骨あたりまでの長さ。体つきも由比ヶ浜とほとんど変わらないように見えた。ただ、由比ヶ浜に比べると、胸の主張は少しばかり控えめだったが。

 顔の掘りが深く、鼻も高い。ちょっとバタ臭さが混じっている。由比ヶ浜と友達になるくらいだから、やはり可愛い顔をしていた。

 しかし、本人はそのことにまったく無頓着であるかのような雰囲気がある。「かわいいでしょ?」みたいなわざとらしいアピールがないのだ。

 

「めぐみんっていうニックネームなんだよ。そのうちわかると思うけど、めぐみんって不思議ちゃんなんだよ。数学が得意だし」

 

「数学か……。じゃあ、頭いいな。俺なんて数学ぜんぜんダメで、数学できるって聞いただけで尊敬しちゃうな」

 

「わたしも~! 数学できる人ってすごいよね~」

 

「そのかわり、現国がぜんぜんなんですねぇ~。日本語もあやしいのです。英語もダメだな~」

 

「あはは~、わたしなんて全教科ダメだから」

 

「数学得意ってことは、雪ノ下と話が合うかもな」

 

「とりあえず、そんな感じだから、また放課後ね!」

 

「ああ、よろしくな」

 

 由比ヶ浜と目黒が去って行った。これで部員は4人になった。女3人と俺1人。となると男が欲しいような気がした。しかし、入ってくれるアテはなかった。秋川暁人はすでに書道部に入っていた。

 

 放課後に部室へ行ってみると、すでに3人の女が長テーブルの前に座って談笑していた。漂う紅茶のいい香り。これは久しぶりだ。懐かしい。

 

 

「でさ~、このまえめぐみんとカラオケ行ったらさ~、ファッションが原宿ガールだったんだよね~、結構、めぐみんって制服姿だとキリリとしているんだけど~、私服だとガチャガチャしてカラフルだった。意外な感じがしてさ~」

 

 由比ヶ浜が熱弁している。そこへ入っていくと、「あ、来た来た!」と話が途切れた。

 俺は、空いている席についた。

 

「もう自己紹介は大丈夫ね。みんな名前知っているでしょ? さっそく始めましょうか」

 

「あ、その前に、呼び方決めない? ニックネームとか」

 

 由比ヶ浜が提案する。嫌な予感がした。俺にニックネームは必要ない。

 

「そんなのいいじゃん。普通に名前で呼べば……」

 

 ヒッキーと呼ばれるのだけは避けたい。あのあだ名だけは嫌だ。今度こそマシな呼ばれ方をされたい。しかし、いまだかつて俺にマシなあだ名がついた試しがない。

 雪ノ下のように「比企谷君」て呼べばいいじゃないか。

 ニックネームにこだわるのは由比ヶ浜らしい。人にはニックネームが必要で、友達や知り合いならなおさら、といった観念をこの空間から撲滅しようとして、新聞に掲載する人選の話題を出そうとした刹那……。

 

「私たちのニックネームはだいたい予想がつくのだけれど、問題は彼のよね」

 

 雪ノ下がニコリとする。なんか憎たらしい。頭をピコピコハンマーで叩いてやりたい。

 

「え? どうして?」

 

 と由比ヶ浜が怪訝そうな顔をして俺に視線を移した。

 

「彼の場合はひどいニックネームばっかりだったそうよ。たとえばヒッキー蛙君とか」

 

「ぷっ」と目黒恵が噴き出した。結構容赦のない笑い方だった。

 

「ひっど~い! それじゃあ、ニックネームじゃなくて、悪口だね」

 

「でも仕方がないのよ、彼の場合は自業自得みたいなところがあったのだから。

 ヒッキーがや君はね、少し前までヒッキーこもり気味だったらしいのよ。それでね、ヒッキーこもって何をやっていたかというと、もちろんギターのヒッキー語りなんか練習していたわけじゃないの。ギターなんてヒッキぇないからあたりまえなのだけれど。

 ヒッキーこもりだったヒッキーがや君の趣味で一番ヒッキん(卑近)な例は、便所虫を1ヒッキ、2ヒッキなんて数えるものでもないの。もちろん、ヒッキハイクして旅行する勇気もないし。

 おみくじを買えばヒッキ弱でいつも凶。学校に来ればヒッキー(筆記)用具を忘れる。海に行けばヒッキー波にさらわれて溺れるし。お母さんに頼まれてヒッキー肉を買いに行けば車にヒッキー殺されそうになるし。コーラを飲めばヒックィ、ヒックィとしゃっくりが止まらなくなるし。とにかく、ヒッキ(必死)になって自分をヒッキーこもりじゃないって否定するほどのヒッキーだったのよ」

 

「それって、ニックネームはヒッキーだったってことだよね? 名前を聞いた瞬間、そんな気がしたよ! 比企谷君はヒッキーだね!」

 

「ひでぇ、めちゃくちゃなこと言ってるぞ、文脈を構成していないし。よくもそんなに大量のでたらめを……。俺だってお前が誰かさんにゆきのんと突然呼ばれて嫌がっていたのを思い出しぞ」

 

「じゃあ、雪ノ下さんはゆきのんだったんだね!」

 

「はぁ。結局そうなるのね……。とっくに諦めているけれど」

 

「いいんじゃないんですかぁ、ヒッキーとゆきのん。いい響きですよん」

 

 目黒がニコッとしてそう言う。

 

「めぐみんはめぐみんでいいよね。でもわたしの名前はニックネームつけにくいから苗字でいいよ」

 

 確かに由比ヶ浜結衣という名前からニックネームをひねり出すのは難しい。ずっと前に陽乃さんがガハマちゃんと呼んでいたくらいだ。

 

「由比ヶ浜さんは結衣ちゃんでいいんじゃないかしら。そもそも結衣っていい名前よね。 衣っていうのは、まとうとか身についているものという意味で、結というのは、人と人を結ぶ縁、要するにコミュニケーション力とか、人を惹きつける力よね。人と人を結ぶ力を身につけているなんて、素敵な名前じゃない」

 

「ええ~、ゆきのんにそう言われるとマジでうれしい!」

 

 由比ヶ浜が両手を頬に当てて少し赤くなっている。

 

「恵ちゃんの恵は、温かくいつくしんだり、思いやりで包み込むという意味でしょ。もともと可愛いを意味する『めぐし』=『愛し』が語源という説のある字らしいわよ。その通り可愛いらしいじゃない。これもいい名前よ」

 

「ありがとう。ゆきのんて何でも知っているんだね~」

 

 目黒も、いくぶんポーッとなっている。雪ノ下のやつ、いつからこんな人心掌握術を使いこなすようになったんだ?

 

「お前授業中に調べただろ!あざとい」

 

「当たり!」

 

 由比ヶ浜が「ほよ? なんのこと?」と顔を上げる。

 

「気にしないで」と雪ノ下が流そうとするが、目黒も「へ?」みたいな顔をしていた。

 

「俺のヒッキーなんとかしてくれよ! ヒッキーなんていやだ! 俺はもう過去とは決別しているんだから……」

 

「じゃあ、あなたの名前は八幡だから、蜂男(はちおとこ)とか? エイトマン? ハチ公?」

 

 みんな噴き出した。まったく。人の名前を踏みにじって遊びやがる。やばいな、この傾向が定着すると、俺は本当にこいつらの下僕のようなハチ公になってしまう。やはりもう一人部員が欲しい。それも男が!

 

「あははっ! ゆきのんとヒッキーって、本当にラブラブなんだねっ!」

 

「え? どうしてかしら……」

 

「だってお互いにすべて許し合ってなかったらそんなこと言えないじゃん! ゆきのんなんて今、ヒッキーの悪口言ってたとき、すごく幸せそうな顔してたし! さっきヒッキーの昔話していたときも、すごく楽しそうだった」

 

 見れば、雪ノ下が動揺したように顔を赤くしている。ここはちょっと反撃しておくべきだろう。

 

「やーいやーい! 由比ヶ浜に刺されてやんの。そうか、雪ノ下、お前は俺にぞっこんだったんだな? 今の今まで気がつかなかったぞ? 素直じゃないぞ?」

 

「く……。覚えていなさいよ?」

 

 由比ヶ浜と目黒が顔を向かい合わせて笑っていた。「ゆきのんて可愛いね」と目で語っているように。

 

 眉毛をピクピクさせながら、雪ノ下がコピー用紙を4枚出して配った。そこには、手書きで東雲志乃、葉山隼人、城ヶ島譲二の簡単なプロフィールが記されていた。

 

 東雲志乃……小中学生時代は新体操をやっていて、大きな大会にも入賞歴あり。しかし、中3になったときに右足首の圧迫・疲労骨折で、運動ができなくなる。挫折の経験者。メガネかけたお姉さん風美人。スタイル良し。写真写り良し。

 

 葉山隼人……女子生徒ウケ抜群。成績優秀、小学生時代からサッカーを続ける。彼が出る試合は他校から女子の観戦者を多数呼び寄せる。バレンタインデーにはチョコがカバンに入らなかったという逸話あり。性格は温和、人当たりもうまい。

 

 城ヶ崎譲二……ジュニアゴルフ大会の上位入賞経験者。毎日6時間は練習をしている。自宅の地下にはそれなりの施設も設置。プロになるのは当然で、賞金王になるのが夢。

 

 うーむ。確かにネタがたくさんありそうな人選だ。葉山が入っているのは、雑誌の創刊号の表紙に大スターを起用するのと同じ発想だろう。俺もそれには賛成だった。売れたきゃ何でも利用する。それがこの世の掟だ。

 

「誰か、興味を引きそうなプロフィールを持っている人って、他に思い当たらないかしらね」

 

「そうだな~」

 

 由比ヶ浜が「む~」と唸って考え込む。

 

「あ、羽田美跳(はねだみはね)ちゃんはどうかな~」と、目黒が知らない名前を出した。

 

「どういう子?」

 

 雪ノ下が訊ねると、目黒は羽田美跳について語りだした。

 

「美跳ちゃんはね~、体重が40キロくらいしかない小柄な子だよ。高校卒業したら競艇選手になるって言ってるんだ。小柄なのは選手として有利に働くみたい。

 競艇選手の専用の学校があって、そこに入らなきゃならなくて、その試験倍率がすごく厳しくて……。

 お兄さんはもう高校卒業して競艇学校に入っていて、お兄さんを追って自分も選手になるって。

 選手の平均年収は1700万円くらいだって。女子選手はもっと低いみたいだけど。なれたらすごいよね」

 

「へぇ~。跳ねるという名前からしてカッ飛びそうだな」

 

 思わず俺はため息をついた。平均年収が1700万円ということはもっと低いのもいればもっと高いのもいるということだ。サラリーマンでそんなに稼いでいるのはごく小数だろう。最近発表されたサラリーマンの平均年収は4百万円を少し超えるくらいだもんな。たいしたもんだ。学校に入るのは、それだけ難関なんだろう。

 

「それ、面白そうね。競艇選手の年収を含めれば、とても記事にしやすいわね。候補に入れときましょう」

 

「あとはもう一人思いつくかなぁ」

 

 由比ヶ浜がホワンとした顔をして言う。とぼけているようにも見える。

 

「誰かしら」

 

「ゆきのんだよ」

 

「あ、私もそれ言おうかどうか迷ってたんだな~」と、目黒も追撃する。

 

「それはちょっと……。私なんてつまらないでしょ……」

 

「そんなことないじゃん。男子生徒の目を引くんだったらゆきのんは第一候補だよ」

 

「でも、私なんてもう手垢まみれでしょ。みんな興味ないと思う……」

 

「あははは。ヒッキー、今度は手垢になっちゃったね。ヒモとか言われるよりいいかも! 手を洗って来たほうがいいよ!」

 

「確かに、言いだしっぺがここで一肌脱がないと、示しがつかないかもしれませんねぇ~」

 

 俺は、手をラッパの形にして口につけ、雪ノ下と反対の方へ向けて「そうだそうだ」と言った。

 

「やっぱりそう思われてしまうのね。では、この部の紹介や部長としての自己紹介を兼ねて、写真つきで、コメントを書きます。これでいいでしょう?」

 

 由比ヶ浜と目黒が「賛成!」とパチパチ手をたたく。

 

「やっぱりこの部、面白そう! 次はどっか遊びに行くんでしょ? ヒッキーが幹事になって?」

 

「それはこの次の議題にしましょう。ただ、初めから本当に遊んじゃうと、平塚先生も許可してくれないかもしれないので、見学とかの言い訳が成立する場所ね」

 

「りょ~かい!」

 

「めぐみちゃんは、その羽田さんにインタビューと写真掲載OKか聞いてみてくれる?」

 

「わかりました~!」

 

「葉山君と城ヶ崎君は比企谷君が当たってみてくれる?」

 

「わかった。東雲って子は?」

 

「志乃ちゃんには、もうOKもらっているのよ」

 

 その後、取材は意外に早く進んだ。対象となった羽田美跳、東雲志乃、城ヶ崎譲二、葉山隼人の4人が快くインタビューを受けてくれたからだ。

 全員写真の掲載もOKだった。

 由比ヶ浜と目黒のコンビは葉山と羽田、俺と雪ノ下は東雲と城ヶ崎を担当した。由比ヶ浜コンビのインタビューにはちょっと不安を感じたため。絶対に聞いておかなければならない項目を箇条書きにして渡した。

 インタビューしたら、それぞれが原稿を書く。それを全員で回し読みして、赤字を入れる予定だ。

 写真撮影は写真部の1年生に頼んだ。雪ノ下は、クルリと回転して、スカートがフワリと広がった瞬間を、階段の上から撮影されていた。

 

 出来上がってきた原稿の出来ばえをみんなで討論するのは、とても楽しい作業だった。

 その作業には東雲志乃も参加していた。面白そうなので、ぜひ参加させて欲しいと申し出てきたのだ。

 

 

 

 

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