由比ヶ浜の恋と勿来ヶ崎奇譚   作:taka2992

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東雲志乃はうつむいて涙を落とす

 

 

 東雲志乃のインタビューが、放課後の部室で行われたとき、彼女を初めて見た俺の率直な感想は「うわっ、色っぽい。こんな人うちの学校にいたの?」だった。

 高1のクセに妙に大人っぽい。というか、どこかに退廃的な影が見え隠れしている。この、雰囲気としかいいようのない影は一体何だろうかと、考え込んでしまったほどだ。つい最近まで体操をやっていたようにも見えない。ぶっちゃけてしまえば、運動部に所属していたような健全さや明るさが、ほとんど感じられなかった。

 ここに、女に詳しくない俺の想像力が入り込む余地はなかった。だが、彼女にまとわりついている影の原因について、俺を含む創発部の全員が数日後に知ることになる。

 

 東雲の髪型は、全体的にゆるいウェーブをかけて後ろへ流していた。若干茶色く、長さは背中まであった。それなりのメイクをすれば、大学生とかOLみたいに見えそうだ。

 その点では、雪ノ下と似ていたが、東雲の場合は………、そう、思い出した、フェロモンだ。フェロモンが濃い。胸のボリュームもかなりあるほうだった。

 東雲は黒ブチの眼鏡を取ったり外したりを頻繁に繰り返すクセがあるようだ。眼鏡があってもなくても、大抵の男であれば、どちらも魅力的に見えるはずだ。

 俺は、東雲が「うふん」とか「はぁん」みたいな声を出しているところを、迂闊にも想像してしまった。そういう振る舞いが自然にできそうで、しかも似合いそうだったのだ。

 それから、東雲が大人っぽく見えた理由の一つに、高そうなロレックスの腕時計をしていたこともあるかもしれない。ロレックスの腕時計をしている女子をこの学校では見たことがない。裕福な雪ノ下でさえしていない。

 

 東雲や雪ノ下を含む5人の原稿と写真が完成すると、俺たちは新聞部のパソコンを借用した。そのパソコンにはDTPソフトが入っていて、文や写真を自由にレイアウトできる。

 部員の中で、パソコンソフトを一番使いこなせるのは目黒だった。目黒が向かうディスプレイの後ろで、残りの部員がああしろこうしろと指示を出し、2時間かかって完成した。印刷する紙の大きさはA3。表と裏の全面に印刷して、二つ折りにする。そうするとA4判の4ページの印刷物ができあがる。データをDVDに移して、これを町の出力センターへ持っていく。おそらくカラーでも200枚くらいなら5~6千円程度だろう。

 

 そのDVDを出力センターへ持って行くのは俺の担当になった。今回、俺は原稿を書かなかった。

「どうせ比企谷君が書くと、ヘンチクリンな理屈をこねくりまわすだけだし」と雪ノ下いわれ、お使いを押し付けられたのだ。

 家に帰って、メシを食うと、俺はさっそくDVDを出しに行くつもりだった。部屋に戻ってこの前買った服に着替え、階段を降りると、小町が上がってきた。ちょっと津田沼まで行くというと、「小町も一緒に行く! 5分待ってて!」と、自分の部屋に着替えに飛び込んだ。

 

「えへへ。久しぶりだね、お兄ちゃんと一緒に夜遊びに出るの」

 

「これは遊びじゃないんだがな」

 

 小町が隣を歩きながら、俺の腕に手をかけくる。その横顔は、雪ノ下姉妹の来襲があってからというもの、寂しそうな顔をしていた。

 

「なんで津田沼なの?」

 

「調べたら、あそこには安く印刷してくれるところがあるんだよ。ちょっと遠いが」 

 

 津田沼でDVDを出し、出来上がりは宅配便で送ってくれるように手配した。校正はメールで画像を添付して送信するので、それを見て欲しいそうだ。手続きはすぐに終わってしまった。

 

「せっかくだからゲーセンでも行くか」

 

「そうだね!」

 

「あ、お前中学生だ。ダメじゃん。ん? 高校生が付き添っていればいいのか? いや、成人が付き添いじゃないとダメだったのかな? わからん」

 

 そんな話をしながら繁華街の大通りを歩いていると、ふと、反対側の歩道を知っている人間が歩いているような気がした。隣りに、明らかに50代に見える男がいたため、最初は勘違いだろうと思った。

 その二人も俺と小町と同じ方向へ歩いていた。小町が俺の腕に手をかけるのと同じように、50代のオヤジの腕に手をからめて一緒に歩いている女性。その様子をチラチラを見るうちに、勘違いが確信に変わった。

 

東雲志乃だ………。

 

「なあ、小町、反対側を歩いているカップルって、親子に見えるか? 女子の直感で」

 

 俺の左側にいた小町が、顔をひょいと右に向け、キョロキョロする。すぐに目的のカップルに照準を合わせた。

 

「う~ん。違うな、あれは」

 

「根拠は?」

 

「ちょっと露骨な感じだよね。親子で腕を組むほど仲が良かったら、もう少し楽しそうだよね。女の子のほうが」

 

「なるほど。つけるぞ」

 

意外な言葉に小町が驚く。俺の得意な人間観察だと思っていたようだ。

 

「え? どうして、知り合い?」

 

「そう。同級生。他人のプライベートに立ち入るのは気が引けるが、どうも気になる」

 

 小町が再び反対側の歩道に目を向ける

 

「お兄ちゃん。最近近くに綺麗な人が多くなったね~。頭がおかしくなったんだよ。やっぱり」

 

「おい、この前から同じことばっかり……。この状況と俺の狂気にどういう関係があるのかはっきりしてくれ」

 

「日ごろのお兄ちゃんと、美女の跳梁跋扈にギャップがありすぎて、お兄ちゃんが猛獣使いみたいなファンタジスタなの。だから狂ったファンタジスタなの」

 

「意味がわからん……」

 

 東雲とオヤジのカップルが大通りから右折した。そっちの方面は暗くなっている。道の奥のほうには、ピンク色のネオンサインやら横文字の派手な電飾がゴチャゴチャと茂っていた。

 どうしてこうしたホテルの密集するゾーンには暗い街灯が寂しげな弱い光を放っているのだろう。意図的にそうしているのだろうか。

 東雲たちの背中がゆっくりと小さくなっていった。

 

「小町、俺たちもあっち行くぞ」

 

「え? いくらなんでも、小町をあんなところに連れ込まないでよ」

 

「大丈夫だ。入るわけじゃない」

 

「あたりまえだよ!」

 

 車が来ないことを確認して、俺たちも後をつけた。幸いなことに、30メートルくらい先を歩く二人は振り返ることもない。

 やがて、二人の影が壁に吸い込まれていった。その場所を記憶し、数分してから行ってみると、ホテル「サンマリン」と紫色に光るロゴがあった。

 

小町がサンマリンの前で俺の腕をつかむ力を強めて言う。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。こんなことしていいの? 同級生の秘密暴いてどうするの?」

 

「俺にもわからん。ただ、どうしても興味が湧くことってあるだろ? 気になってしまうことって」

 

「でも、今回のこれは、そっとしておいたほうがいいんじゃないの?」

 

「そうかもしれん」

 

「帰ろうよ」

 

「ああ、帰ろう」

 

 俺たちは来た道を引き返した。

 

  ★    ★    ★

 

 

 翌日の午前中、俺は悩んでいた。昨夜見たことを雪ノ下に言ってみるか……。雪ノ下は東雲と友達になったと言っていた。女同士なら、何か話しのとっかかりがつかめるかもしれない。

 しかし、それが原因でせっかくできた雪ノ下の友人を失うことにもなりかねない。微妙な内容なのだ。

 おそらく、今日あたりから、東雲が部員として定着するはずだ。部員になりたいと申し出てくれた矢先に、来なくなるようなことをしていいのか。

 

……迷った。言うべきか言わざるべきか。言うとしたら本人なのか、それとも……。

 

 小町のカンでは、あれは親子ではないという。それはすぐに証明された。親子でホテルに入るわけがない。いや、世の中にはそんな親子もいるかも知れない……。もしそうだとしたら、それも大問題なのだ。

 

 ふと、東雲の腕時計を思い出した。インタビューの内容からすると、東雲の家はそんなに裕福ではない。普通の家庭の子が、ロレックスの一本や二本持っていても、今時珍しくもない。しかし……。

 

 援助交際という言葉が脳裏に浮かんだ。東雲のあの容姿だ。援助交際を高額で申し出るオヤジは無数にいるだろう。そんな世界に身をやつしている同級生、しかも同じ部員を放置していていいのだろうか。

 いや、プライベートに何をしても知ったこっちゃない。勝手にさらせ。………昔の俺だったら間違いなくそう投げ捨てた事案だ。だが……。

 

 俺は、散々悩んだあげく、結局、東雲に直撃する道を選んだ。これは賭けだった。無残な結果が出て、部員から軽蔑されたとしてもしかたがない。東雲をあのまま放置しておくことよりも、少なくとも俺自身の気が晴れる。結論は、やはり自己満足のために選択した。俺のモヤモヤした気分が晴れる可能性が少しでもあるのなら……。

 

 

 昼休みに、俺は雪ノ下と東雲のいる国際教養科の教室に入った。すると、すぐに東雲と目が合った。東雲はふわっとした笑顔になった。明らかに営業用の顔だ。

 

「比企谷君、雪ノ下さんなら部室のカギを取りに行ったけど?」

 

「ああ、わかってる。由比ヶ浜や目黒とあそこで昼飯食うんだろ。今日はお前に用があって来た、ちょっとつき合ってくれないかな」

 

「なぁに? 用って」

 

「ここじゃマズイから、ちょっとついて来てくれない?」

 

 俺は怪訝そうな顔をした東雲を連れて、屋上にあがった。そこには数人の生徒がいたが、声の聞こえるほどではない。一応、誰にも見られないように、給水塔のコンクリートの影に東雲を誘導した。

 

 後ろからついてきた東雲に向き直る。すると、さっきと同じような笑顔が「ん?」と言っていた。

 

「なあ、東雲。昨日の夜、どこにいた?」

 

「え? どうしてそんなこと聞くの?」

 

 笑顔がほんの一瞬だけ解けて、目に不安がよぎっていた。

 

「津田沼、サンマリン」

 

 東雲の顔がみるみるうちに険悪になっていく。

 

「それが、なにか? 何か問題でも?」

 

「問題大ありだな。お前、何か隠しているだろ。インタビューでは、毎日楽しいとか、高校に入って友達できて嬉しいとか、新しく熱中できることを今探しています、とか言っていたが」

 

「あなたには関係ないことでしょ」

 

「ははは。やっぱりそう言うか。雪ノ下にも昔そう言われた」

 

 東雲が虚を突かれたような顔をしていた。

 

「え? 雪ノ下さん? 昔? 何があったの?」

 

「それは今は関係ない。今の問題はお前だ。俺は、お前がプライベートで何をしているか知らない。昨日見たものだって、お前のプライベートのほんの一部だろう。一部を見てすべてがわかったような気になるほど思いあがっていない。

 ただ、俺は問いたい。そんなことをしてお前は満足なのか? 本当にそんなことをしたいのか?」

 

 東雲がふふふとでも笑うかのような顔をして、俺に近づいてきた。若干、トーンの落ちた声が、その形のよい唇から吐き出された。

 

「あなたに何がわかるの? 私がどうしてそんなことになっているのか。ついこの前知り合ったあなたに、心の奥まで手を突っ込む権利があるとでも思っているの?」

 

「お前の言うとおりだ、お前の心の中にずかずか踏み込む権利など俺にはない。これからお前と同じ部活の仲間になるんだとしても、立ち入りすぎだ。

 しかし、お前が過去と決別したいのなら、雪ノ下や由比ヶ浜、目黒が味方してくれるはずだぞ。それだけは覚えていて欲しい」

 

「ずいぶんわかったらしいこと言うのね。高校1年のぶんざいで」

 

 東雲は俺から視線を外して、横を向いた。その視線の先には、金網を通して、校庭で騒いでいる生徒たちが見えた。その目の横で、髪の毛が風に揺れていた。

 

「話はそれだけだ」

 

 俺が身を翻そうとすると、東雲が俺の手を取った。

 

「このことは誰かに言ったの?」

 

「言ってない。昨夜は俺の妹と一緒だったから、妹は知っている」

 

「誰かに言う予定は?」

 

「俺が一番信用している雪ノ下には言うかもしれない」

 

 東雲の手の力が強くなった。その後の行為が俺にはにわかには信じられなかった。俺の手を引っ張り、自分の胸にくっつけたのだ。いやがおうにも、その膨らみの感触が手に伝わった。

 

「何のマネだ?」

 

 少し混乱して俺は訊いた。

 

「痴漢行為。先生に言うわ。言って欲しくなければ、昨日のことは誰にも言わないで」

 

 俺はこの姑息な行為に少し頭に来た。あまりに幼稚だし無意味だ。

 

「どうぞお好きに。先生にでも警察にでも言えばいいだろ。お前が今までと同じことをこれからもずっと続けたいのであればな。本心からそうしたいのであればな」

 

 東雲が手を離し、俺の手が解放された。横を向いた東雲の顔がうつむく。そして、髪の毛が垂れて、アゴだけが見える。アゴからは水滴がポタリと落ち始めた……。

 

 そこへ、数人の足音が聞こえてきた。

 

「え? え? ヒッキー? ヒッキーが女泣かしてる!」

 

 振り返ると、由比ヶ浜が目と口を大きく開けて呆然としていた。目黒と雪ノ下もその後ろにいた。

 事情を知らない赤の他人がこの状況を見れば、別れ話でも切り出された女が泣いているとしか思えない。それが一番しっくりと来る解だろう。

 

「やあ」と俺は手を上げた。少しバツが悪い。

 

「比企谷君、何があったの?」

 

 雪ノ下の「また何かやったのね?」という目つきがあった。

 

「東雲、こいつらを信用してやってくれ。後はお前の勝手にしろ」

 

 俺は、後から来た3人の方へ歩を進めた。

 

「事情は今聞いてくれるな。東雲が喋りたくないようだったら聞かないでやってくれ。言うようだったら真剣に聞いてやってくれ。あとは頼むわ」

 

「そう……」

 

 俺が屋上への入り口に向かって歩く間、由比ヶ浜が「志乃ちゃん、部室で一緒にご飯食べようよ」と声をかけているのが聞こえた。

 

「志乃ちゃん、行こうよ。昼休み終わっちゃうよ」と言っているのは目黒だろう。

 

 ドアを開ける前に振り返ると、雪ノ下と目が合った。遠くて表情がわからなかった。俺はそのまま階段を下りた。

 

 

 

 

 

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