大嫌いな数学の授業がやっと終わった。昼休みだ。この時間はいっそのこと寝てしまいたかったのだが、顔の横を机につけて寝ると、涎をたらしていることが多々あるので我慢した。誰かさんみたいに「寝て起きて、すぐかっこいい」んだったらよかったんだがな。俺の場合は起きて何時間もたってもかっこよくない。
斜め後ろに座っている秋川暁人と、4列左の東山善哉がノビをしながら「メシどうする」とか言って近寄ってくる。
その途中で東山と秋川が歩を止めて、「また来客のようだぞ」と俺に声をかけた。
振り返ると、戸口に目黒恵が立ち、俺に向かって手招きをしていた。昨日は東雲に同じように手招きをされた。
「お前さ、何なの? どうしてお前だけ、ああやって手招きされんの?」
東山が、またむかついた顔をしている。
「あ~あ、俺、もうこの学校来るのつくづく嫌になった。こう立て続けに、あんな可愛い子がお前に手招きする学校なんてな。次は誰だよ」
秋川がアメリカ人みたいに両手を広げて手のひらを上にしている。
「おまえら勘違いしすぎだろ。部活の用事に決まっているだろが」
席を立って、目黒のところへ行く。すると、おそるおそる「お話があるんですけど……」と言われた。
「なんだい?」
「ここじゃなんですから……」
「じゃあ、屋上行く?」
「あ、屋上はダメ。だってヒッキーって不潔なんだもん。怖い……。人が少ない場所はダメです!」
「怖い?」
サッパリわからなかった。不潔? さて、今日は寝ていなかったから、涎はついていないはずだが。一応口の周りを手で触ってみたが、異常なし。昨夜は風呂にも入っているし……。
「こっちきて」と目黒が歩き出すので、俺もついて行く。すると、同じ階の行き当たりまで来た。
目黒が向き直った。顔が胡散臭いものでも眺めているような表情だった。
「ヒッキーってゆきのんとつき合っているんだよね?」
「つい先日、あいつの母親には友達に格下げされてしまったがな。まあ、つき合っているな」
「じゃあ、どうして昨日の昼、屋上で志乃ちゃんとキスしていたの?」
思いがけない刺客に「がびょ~~ん!」とふざけてしまった。おかしくて顔がふにゃふにゃに崩れ、イヤミのシェーみたいな恰好をしてしまった。
誰も見てないと思っていたのだが、油断も隙もない。壁に耳あり障子に目ありとはよくいったもんだ。
「ふざけないで欲しい。わたしは真面目に聞いているんだけど」
俺は、務めて真面目な顔をした。
「キスって……。唇と唇のキスはしてませんから! あれは、東雲がお礼とか言って、俺の頬に一方的にキスしてきたんだよ! 欧米なんだよ! 欧米か! じゃなくて欧米なんだよ! 東雲にも聞いてくれ」
「わたしには寄り添ってキスしているように見えたけど………。すごく仲良さそうだったよ」
「確かに仲良く喋っていたようには記憶しているが、誤解だ。仲良くキスしていたということは、俺が東雲に惚れられているとでも思っているのか? 買いかぶりだ。俺はそんなにモテないぞ!」
「そう言われればそうだね。いくらなんでもそこまでモテるとは思えない」
モテないといわれてこれほど嬉しかったことは、かつてなかった。
「……よかった。わたし、もしヒッキーが浮気してたんだとしたら、怖くて今日、あの部室に行けなかった。こっちの身にもなってくれない?
部長の彼氏が同じ部室にいる女子部員と浮気してて、その3人と同じ場所にいなければならないって、すごく苦痛でしょ?
昨日なんて、用事があるとかウソついて早く帰ったんだから。帰ってからも部活もうやめようかとか悩んでいたんだよ」
「誤解されるようなマネして悪かったな。そういうときは一人で悩んでいないで電話しろ。データ送るから」
携帯を取り出した。だが、目黒は「いやです!」と言う。
「誤解されるようなことはしたくないから。それに……」
「それに?」
「ゆきのんみたいな人と付き合っているくらいだし、志乃ちゃんのこともうまく解決に導くくらいの人だから、言うけど……」
目黒がじばらく黙ってしまった。言おうか言うまいか迷っている。少し顔をそむると、あの小じんまりした頬が、差し込んできた光に照らされた。もみあげには金色に光るうぶ毛が渦を巻いているのがはっきりと見えた。
「自己卑下のように聞こえるかもしれないけど、女の子って他の複数の女の子が関心を持っている男子に、自然に興味を感じるものでしょ?」
「話の大筋が見えないが。まあ、そうだろうな。女の子に限らず、そういう空気があると自然にその人に興味を感じるだろうな。自分も同じように感じないと、仲間はずれになる可能性もあるわけだし。いわゆる同調圧力というやつだろ?」
「催眠状態みたいなものよね。いまヒッキーは否定したけど、志乃ちゃんは明らかにヒッキーに関心持ってる。だから、どうしてなんだろうって……。どうしてヒッキーがモテてるんだろうって、この前から考えてた。でもわからない。あなたの良さが私にはわからない。ゆきのんに好かれている理由もわからない」
「はっきり言うんだな。でも、そんなこと考えるだけ無駄だぞ」
「何か隠してる? 重大なこと」
「雪ノ下に好かれているというか、くっついているのはそれだけの理由があるんだよ。あいつと俺は、昔、ひねくれてて友達もいなかった似たもの同士だった。だからくっつかざるを得なかったようなところがある。不思議なところも隠すこともないぞ。それに、東雲はただお礼を言いに来ただけだし」
「にわかには信じられないけど、それだけじゃないと思う」
「だいたい、人を好きになるのに理由なんて必要ないだろ。人を嫌いになるのには理由がありがちだが」
「そうかな。……そうだね」
目黒が完全にうつむいてしまった。一体、この子は何が言いたかったんだろう。自分でもよくわかっていないのではないか。行き詰って息苦しさを感じたので話題を変えた。
「どうしてあのとき、お前も屋上にいたんだ?」
「2人が階段上がっていったから、ついていっただけ」
「ふ~ん。好奇心旺盛なんだな。俺と似てるわ」
「ところで、このまえ志乃ちゃんが、ゆきのんは授業中ほかの本読んでるけど、先生に指名されてもすぐに答えるんで驚くとか、ノートも取ってないのに全部わかってると言ってた。どうしてあんなに頭いいの? 大人だし。ヒッキーが一番詳しいんでしょ?」
「子供っぽいところもあるけどな。
学校で教える内容なんて、すでに頭に入っているんだろ。
まあ、俺の全く知らない素粒子がなんたらとか、ヒッグスなんたらとか、信じられないくらい知ってるな。この前なんて、読んでる本のタイトル見たら、リーマン予想がなんとか、とか書いてあったし。」
「あ、リーマン予想だったら知ってる。素数の規則を発見しようとする研究だよね」
「そうか、お前も数学得意だったんだよな。あいつとは話が合うと思うぞ」
「いやぁ、私なんて足元にも及ばないよ。でも、おいおい聞いてみる。
長くなっちゃったけど、そろそろ戻りましょ」
なんだか、目黒の可愛らしい誤解で心が温かくなった。ひょっとすると、こいつは……。とあることが思い浮かんだが、俺は打ち消した。
帰りに、売店で昼飯を買って教室に戻った。
★ ★ ★
その放課後、新聞部部長の
高尾はイスに座りながらひょうひょうとして用件を喋り始めた。相手は部長の雪ノ下が務めている。
「あの人どんな人新聞、なかなかよかったね~。うん。記事の構成もうまかったし、内容もあったな~。これからもああいう新聞作るの?」
「まだ未定ですけど、一応活動予定には入っています」
「そうなんだ。じゃあ、うちのDTPシステム、また使うかもしれないね~」
「そのせつは、お世話になりました」
「いや~、いいんだ。持ち持たれつの世の中じゃん? でも、そのかわりと言っちゃなんだが、今度の日曜日に、うちのサッカー部の他校交流試合があるじゃん? その取材に行ってくれないかな~。いや、うちもさ、同時にテニス部とか剣道部、柔道部の交流試合があって、人手が足りないのよ~。サッカーの試合を観戦して、その記事書いてくれないかなぁ~」
高尾は後頭部をボリボリと掻く。まいったまいった、みたいな顔をしながら上目遣いで雪ノ下を見ている。
「そうですか。確かにうちでもDTPソフトは使いたいですし……。交換条件としては妥当だとは思いますが……。スポーツ関係の記事なんてウチで書けるでしょうかね」
「あの新聞を作るだけの筆力があれば、もったいないくらいだよ。お願いできないかな~」
「わかりました。やりましょう。文字数とか、必要な写真の場面や点数、取材時の注意点などのアドバイスをもらますか?」
「そうだね~、サッカー部キャプテンや、数人の選手のコメントが欲しいな。試合後がいいな。相手校のキャプテンもね。今から箇条書きを残していくんで、それをもとにしてね~。いや~、助かったよ~」
あーあ、雪ノ下のやつ、余計なこと引き受けるなよ。知らねぇ~! と思っていたら声をかけられた。
「比企谷君、今度の日曜日の午前中、もちろんヒマでしょ?」
「あ、いや、その……」
「じゃあ行って来て」
「お前は行かないの?」
「私はその日、家の用事があるのよ」
「一人で取材すんの?」
「そうね……」
「あ、私も行くよ!」
由比ヶ浜が手を上げた。
「この前、新聞で葉山君にインタビューしたの私だし、戸部君とかも顔見知りだし。行ってもいいよ!」
「じゃあ、お願いするわ。他には……」
目黒と東雲が原稿用紙に何か書いている。まったくこちらの話が眼中にないフリをしている。
部屋の中を見回し終わった雪ノ下が、「比企谷君と結衣ちゃんの二人で行って来て」と追加の人員を否定した。
「取材って楽しそう! この前の記事作るのも面白かったし! ヒッキーよろしくね!」
「よろしく」
俺は気のない返事をした。せっかくの休日に駆り出されるというのに、由比ヶ浜はずいぶんと楽しそうだな。
「由比ヶ浜さんっていうの? うちの新聞部に移籍しなよ。そうすればもっと取材できるよ?」
高尾がヘッドハンティングし始めた。
「ええ~? 新聞部ですか~?
取材に行くのは楽しそうですけど、やっぱりこの部のほうがいいですよ。だって、ゲームセンターとかカラオケで遊べる部なんて他にないですよね~」
「ゲーセンで遊んでんの?」
「それはまだやってませんので……」
雪ノ下がバツが悪そうな顔をする。出された紅茶がとっくに冷めていたので、高尾隆志はズズッと全部すすって、席を立ち、「それじゃあ、よろしく~!」と出て行った。
それと入れ替わりに、「くそっ」と毒づきながら平塚先生が入ってきた。今日は竹刀を持っていない。俺の提言が効いたのか? だとしたら意外に細かい人だな。
「君たち、全員いるか? ん?いるようだな」
「ご用件は? 何か?」
「比企谷! ご用件とはなんだ! 私はこの部の顧問だぞ。なめてんな?」
「あ、失礼しました。あまりに先生が若く見えるので、先生という感覚が無くなっていました」
「そ、そうか……。で、用件はな、この前言った新入部員の件だ」
先生がそういうと、無言で原稿を書いていた東雲と目黒も顔を上げた。
「まだ連れてこないんですか?」
雪ノ下も興味がありそうな顔をしている。
「逃げられたんだ。くそっ。あいつ……。今日は残っていろって命令しておいたのに。完全になめられている」
「それって、やっぱり先生が若く見えて、威厳がないからですよ」
機嫌が悪そうだったので、このさい、先生を気持ちよくさせる言葉をたくさん使おうと思う。
「そ、そうか。しかし、威厳がないというのもまずいな。いや、そんなことはどうでもいい。これがヤツの作文だ。なめてることがよくわかる。参考までに回し読みしてくれ。ただし、他の生徒の作文を読んだことは、ここだけの秘密だ」
俺は、先生から作文用紙をもらった。一見すると、平仮名だらけの小学校低学年の作文だった。
『氏名:ちがさ~き まさ~きマン
ぼくは、大きくなったらてろりすとになります。てろりすとになって、よの中をはかいします。お金もちをびんぼう人にします。たべものをめぐんでもらっている元お金もちを指をさしてわらいます。
ぎんこうもつぶします。お金のかわりに暴力でよのなかをしはいさせます。もちろん、せいふもてんぷくします。えらいひとやかんりょうをどれいにします。
この世をほくとの拳みたいなせかいにするのがぼくの夢です。
どうしてかというと、ぼくのいえは、びんぼうです。おとうさんがしゃっきんのほしょう人になって、じさつしました。ぼくは母おやが身をうってそだてた子です。だから、ぼくは必ずこのしゃかいにふくしゅうします。
そのために、ぼくはひっしにあるばいとをしています。ぷるとにうむをいらんとかきたちょうせん、ぱきすたんからやみで買うためです。
げんばくは作れないので、ぷるとにうむをばらまきます。ぷるとにうむをながたちょう、かすみがせき、かぶとちょう、にほんばしなんかにまけば、かぶはだいぼうらくして、せかいきょうこうになります。
じゅうねん、にじゅうねんごになるかもしれません。でも、ぼくは必ずこのしゃかいをはかいします。
わかったかボケ! こんなくだらん作文書かせやがって』
狂っているのかふざけているのかわからない内容だった。しかし……。こんな内容を堂々と他人に見せるとは、いい度胸をしている。
部員が読み終わるたびに「はぁ~」とため息が漏れた。
「先生、いくらなんでもこれは無理です。この人がウチに来ても私たちは何もできません」
雪ノ下が本当に困った顔をしている。俺も同意見だった。こんな文章を書くヤツと話ができるとは思えない。
正直にいって、共感できる部分がないとはいえない。かつて俺が書いた作文を1万倍に濃くしたら、こんな内容になるのかもしれない。
父親が自殺して、母親が身を売って育てたという部分は本当のような気がする。その過去を癒すことなど、俺たちにはとてもできない。この前に東雲のケースとは、深刻さが桁違いだ。
「職員会議でも、度々問題になっている。しかし、こうした作文や発言だけなんだ。こいつのひどいところは。
暴力を使うとか、犯罪行為をするわけではない。むしろ、授業中は寝ているだけだし、これといった悪さをしていない。猫をかぶっているんだ。
だが、2週間前に、一人の男子生徒が保健室に担ぎこまれた。明らかに腹を殴られていた。しかし、そいつはただの腹痛だと言い張る。よほど怖いんだろうな。お礼参りが。
だから、校内でも問題にすることができない。私は当時の状況や人間関係から推測して、この作文を書いた
「そんな粗暴犯をこの部に入れるのは無理があるのでは? むしろ、上下関係が厳しい運動部に入れたらどうです? 相撲部とか、剣道部とか、柔道部とか」
俺の提案に、先生は首を振る。
「いきなりヤツを厳しい規律の中に放り込むのは逆効果だ。というより不可能だ。ガチガチに固定化されたシステムほど破壊しやすいものはない。システムと言ったって、コンクリートでできているわけではないからな。
ヤツをその中に放り込んだら、システムを嬉々として破壊するだろう。運動部の規律や上下関係の厳しさといったシステムは、ヤツが一番破壊しがいのあるものだ。運動部は崩壊するだろう。
そこでだ、この部には規律があるのかないのかわからないじゃないか。何をやっているのかよくわからない、よく言えば柔軟性に富んだこの部に期待したいわけだ。いわば、この部に放り込まれた怪物を、みんなでいい加減に包み込んでしまって欲しい」
「よくもまあ、適当なことを」
俺が呆れた顔をしていると、平塚先生は「結局、愛だよ、愛。ああいうヤツを包み込むものはそれ以外にない」と笑う。
「そうですかね。俺は警察とか少年院がその役割を果たすべきだと思いますが」
「だが、ヤツは触法行為をしたわけじゃないんだ。そこがヤツの小賢しいところだが」
「まあ、この学校に入るくらいですからね」
「でも、なんか悲しいですね、この作文……」
由比ヶ浜が紙を先生に戻しながら言う。
「確かにな。高校生にもなってこんなこと書くようじゃ、悲しすぎる。だがな、ヤツはそれなりに明るいヤツなんだ。見ればわかる。機嫌がいいときは多弁でギャグや冗談を言うヤツなんだ。こういう作文を書くようには見えない。それだけに惜しいんだ。頭もいいようだし。
この部で茅ヶ崎の人材を開発してやってくれ。それに、彼は助けが必要だ。だが、助けてやるなんて態度は禁物だ。そんな態度をしたら一瞬でキレられるぞ」
「やれやれ、荷が重い」
率直な感想を言うと、平塚先生は「この部では男はお前だけだ、頼むぞ、比企谷!」
と俺の肩を叩いた。
「いま、一方的に頼まれましたが、その答えは保留にしといてください。これはありえないほど難題です。先生も度々顔を出して様子を見に来てくれないとダメですよ」
「了解した。できるだけ顔を出す。みんなもよろしく頼んだぞ。な、雪ノ下」
「はぁ……。もうこればっかりはやってみないと、というより、会ってみないとわかりません」
「そうか、近いうちに首根っこ押さえて連れてくる」
先生が出て行くと、誰一人喋る者がいなかった。やれやれと一万回くらい言いたい気分だった。
★ ★ ★
俺はふんわりとした心地よさに包まれていた。授業中にうたた寝しているという自覚と共に。
夢うつつであの世とこの世を行ったり来たりしている状態は幸せだ。こんなときに見る夢は、たいてい、願望を反映している。
「ゆきのんには内緒にしてあげるから。こっちおいで……」
誘われていた。
セイレーンは確かギリシア神話に出てくるキャラで、上半身が女で下半身が人魚。船乗りをその歌声や魅力的な姿で困惑させ、遭難させてしまうという。
「あなたが今、一番して欲しいことをしてあげる……」
口紅のたっぷりついた形の良い唇が近づいてくる。今度は頬ではなく……。
これは…そう、……思い出した。あいつのフェロモンだ。東雲に注入されたフェロモンが俺の中で増殖し、暴走しているのだ。全身への侵食は時間の問題だった。
パターン青! 第11使徒です! 完璧にやばい。俺のMAGIが理性を失いかけている。
警告:brain mulfunction !!
赤い文字の点滅。
俺には女房がいるんだ! 女房って……。深く考えるな、アンビリカルケーブルのようなものだ。遭難したくねぇ。
ユキ! ユキ! 助けてくれ!
モニターには、デスラーの護衛に撃たれた瞬間が映っていた。静止画像で。
死んだ……。
エントリープラグの中に横たわるユキ。そんなに冷たい顔をしないで、笑えばいいと思うよ?
HAL9001の声。
「あはは、比企谷君、わたしの妹を殺しちゃったね! 夢の中でも、これは罪深いよ!やっぱり新しい女の子のほうがいいんだね。でも、それって普通のことだから、気にしなくていいよ?」
あー、せっかく東雲から離れて雪ノ下の方向へ夢が流れていったのに。こうなるかよ!
……やべぇわ。これは結構深刻な症状だわ。と思ったら終わりのチャイム。顔を上げると、口のまわりに涎がついていた。
東山に声をかけられる。
「お前、授業中、体がピクピクしてたぞ。バカだな。先生も気づいていたが、もう見放されているな」
「おい! また来たぞ! 今日もまた! もう俺は驚かん!」
秋川が戸口のほうを見ている。俺も目を向けると、そこには由比ヶ浜が手招きしていた。
「でも可愛いな。すげぇ好みだわ。紹介してよ」
秋川が俺の耳元で囁く。
「由比ヶ浜はお前にはやらん」
「なんだそれ。お前は親父か! それともやり手ババァか!」
俺は、フラフラしながら由比ヶ浜の方へ歩いた。
「ヒッキー、明後日の日曜日よろしくね! 午前10時から試合だって。さっき隼人君から聞いたんだ。だから、伝えに来たんだよ」
「ありがとう。会場は運動公園だったな。あそこまでは電車で40分くらい? 9時ごろに駅前で待ち合わせるか」
「そうしよう。じゃあ、また放課後ね!」
由比ヶ浜がハンカチをポケットから出した。
「はい。使っていいよ!」
「へ?」
「口のまわり、なんかついてるし」
「あ、いや、いい。サンキュー」
袖で口をぬぐった。由比ヶ浜のハンカチを使うのは気が引けた。その様子を見て、由比ヶ浜が顔をしかめたが、すぐに笑顔に戻った。
寝起きの俺に、由比ヶ浜の明るさは眩しかった。