心透かしのジョーカー 作:馬汁
高校最初の学校行事も済んで、落ち着いてきた頃。以前から書籍の交換を続けている錦織さんと、放課後に集まった。
待ってましたと言わんばかりに、しかし思念から十分伝わってきてしまっている。
「先週、大変でしたね。ウチにもその話、聞こえてしまいました」
「面白くない噂だろう」
「そうでしょうか?」
《将軍さま、似合ってると思うんだけどなあ……》
図書室の脇に、腰を下ろす。ここの図書室は、良い椅子を置いている。教室の硬い椅子とは比べ物にならない座り心地だ。
似合っていると自認する事は難しくないが、認めるのも何だか違う。
おもむろに鞄から本を取り出す。
「今日はこれを返す。興味深い展開だったな。主人公の機転に、思わず成程と唸ってしまった」
「そうですよね! これはもうダメだーって思った時に、主人公の一声で私もハッと気づいて」
「であるな。僅か一つの言葉で、私達の頭の中にも彼の腹積もりが見えるようだった。どうして直前までに私も気付けなかったのだろう、と思った程だ」
「はい。それに私、あのシーンが好きなんですよ! あのページがあるだけで、色んな感情が流れ込んでくるんです」
《後々に明かされる、あの決断による犠牲。それを見越した上での葛藤。後々に読み返すと、その苦しみが伝わってくるようで……》
ふむ、あの主人公の判断は、何かしらの犠牲を伴うものだったらしい。
《まさか、過去の記憶が少しずつ無くなっていくなんて……」
ほう、その犠牲と言うのは、過去の記憶であったらしい。
「……」
立派なネタバレを聞いてしまったがまあ、良い。これも私にとっては日常の範疇だ。顔色一つ変えぬまま、代わりに一つ咳払いをする。
「……コホン」
「あ、そうでした。続きの分もちゃんと持って来ていますので……はい!」
「うむ。毎度感謝する」
「それでですね。私の方も、先日ついに読み終わりまして。……はい、どうぞ。ごめんなさい、遅くなってしまって」
「構わない」
最初に貸していた一冊を返却される。錦織さんがこれを読み切るまでに、私は何冊もの漫画を読み進んでしまった。読み慣れていないのは当然な上、それぐらいは私が気にする程のものではなかった。
「小説の類は読んだことが無かったのだろう? 読み辛いのではなかったか」
「いえ、そんなことは無かったです! 思わず何度も読み返していたので、それで時間を」
「気持ちはとても理解できる、伏線の貼り方がとても面白かっただろう? 涙なしでは居られぬとは言うが、あれはまさに文字通りだったな」
「はい。別れを告げる最後のひと時の後、その直後に本来の二人が出会うんですから。私も、涙で本を濡らしちゃったら大変と思ったくらいです」
「違いない。時間遡行と言う物を、ああいう風に生かすとは思わなかった」
私も気に入っているシーンだ。今も読み返そうと思っているが、後々の掌返しにも似た展開を知っていても、あのページを捲る時だけは感情がこみ上げる。
「私も、最初は頬を伝う雫に戸惑ったものだ」
「はい。……え?」
《雫、って……倉井さんも、泣くんだ》
私は涙も流さぬ冷血者だと思われていたのだろうか。
これでも私は感情豊かな方だ。確かに口調も頬も硬い方だが。
「気に入ってくれて嬉しい」
ならば、と考えて、敢えて笑顔を浮かべて見せた。
すると錦織が驚いてしまった。予想外だったらしい。
《変な笑顔……》
ふむ、へこむな。
「あ、あはは……。私もこの作品があるのを知れて良かったです。……実は私、小説の事を今まで敬遠してたんですけど」
「うむ」
「好きになれそうです。思ったより難しくなかったですし、頭の中に様子がすっと入ってきますし……」
どうやら小説も気に入ってくれたようだ。貸した甲斐があると言う物だ。
「あ、それと目が忙しくないのもポイントですね。漫画だと、細部まで描きこんでくれてると情報量が多くて……。シーンにもよりますけどね」
「ああ、明細に描かれた挿絵は、臨場感を高めるからな。一定を超えればそれは写実感となり、非現実が現実に侵食する瞬間を錯覚するだろう」
「え? あ、はい」
《ま、また珍しい言い回しを……。私も小説を沢山読めば、あんな風な喋り方もできるのかな》
無理ではないが、意味が無いと思う。
第二の二条院羽月など生まれては、堪ったものではない。
と、こんな事、私が言えた事では無いな。
……いや、待て。そうだ、口調。
であるならば……ふむ。久しぶりに、また試してみるとするか。
・
・
・
私は、先日の件を重く見ている。
件とは、体育祭のある時に、私の意識が他者の思念に侵された事である。
私にとって、ある意味生まれた瞬間から付き纏ってきた問題だ。それが、今また表面化してきている。
それを考慮して、私はまた改めてトレーニングを始めた。以前にもやっていたことで、今回もそれと同じようにやるだけだ。
私が鍛えるのは、筋肉ではない。学力でもない。集中力、と言えば近いが、やはり違う。
「おっはヨー! 灰君!」
「……え゛」
「どうしたんだい? 私の顔に何かあるのカナ?」
「え゛?! だ、誰?」
「オイオイ、私の事を忘れたのか? 倉井透だよ!」
ほう、やはり戸惑うか。それも仕方ないが。
あの時の様に、他者の思念が私の意識に侵食することがある。
最近はあまり無かった事だ。今の今まで武士の様だと散々言われたこの口調が、私の意識をより強固なものにするから。
「え、お前、いやお前、なんだお前」
「倉井透ダッテ!」
「でもお前」
信じられない物を見る目で、言葉を紡ぎきれない唇を震わせたまま、固まっている。
そんな反応をされると、長生きしてきた私でも流石に傷付く。
「はあ……全く。私は倉井透だ、何度もそう告げているであろう」
「あ、ホントだ」
「うむ……。ダロ?」
「いややっぱ気持ちわりぃわ」
ウィンクで誇らしげに返してみれば、苦虫でも嚙み潰したかのような顔をされる。
苦情を申されても、私がそう決めているのだから仕方ない。
しかし失念していたな。……じゃなくて、忘れていたな。今まで灰の様な友人は居なかったから、そんな風に思われるとは。
中学までの間、知人くらいの仲ならば何人も居たのだが、口調の変化を気にする者は居なかった。
「では……。今日はどうするんダ? ラーメン食べるのは予定通りとしテ、その後ゲーセンとか探したいんだケド!」
「あ、今日はその口調で行くのな……」
「ちょっとした都合でナ♪」
「ヴォェ……」
え、そこまで行くか。
「本当マジで何でその口調だよ……」
と言われても……。
これは私のトレーニングなのだ。今まで私の意識を守って来たあの口調を、今敢えて崩し、そして別の物に変えるという、ある種の修行。
私が敢えて別の口調を意識すると、思わずといった場面に、無意識まで染み込んでいた武士口調に戻る。それを思念の流入に見立てて、訓練するという事だ。
この方法には実績がある。この方法でのトレーニングの結果、武士口調になるという副作用はあれど、何百人もの子供たちが居る学校でも、体育祭の時の様な現象は起きなくなった。
「なあ、本当に教えてくれねえのか? ちょっとした都合って言うくらいなら、別に言っても良いだろ。真っ当な理由だったら我慢するからさ」
「武士口調から別の物に乗り換えようと、検討してるんだ」
なんて、トレーニングという理由など口にできず、代わりの理由で場をしのぐ。
「……口調って乗り換えるもんだったか?」
「そういうもんダ」
その言葉の後に、にひひと笑ってみた。
「そうだなあ……うん。下らん理由認定。って事でダメだ。戻せ。つか戻してくれ。今朝のベーコンエッグが奇跡の脱出劇を果たしかねない」
「どうして」
「無理」
「そこまで……?」
ふうむ……。
うーむ……。
……。
……はぁ。仕方ないな。
「仕方あるまい。これで良いのだろう?」
「おう、それで良い。は~、落ち着いたわ……。なあ、口調を変えるって言うけどさ、やっぱりそっちにも理由もあるだろ?」
「特に大したものではない。この口調が面倒を招きかねないと、先日の体育祭で感じたのだ」
「自業自得だろアレ」
「まあ、良い機会だった」
原作の物語が始まる前だったのも、タイミングとして良かった。もし修羅場の中で私の意思が混濁してしまえば、それはもう台無し所の話ではない。
「いや、何の機会だよ」
そんな機会が、灰によって失われたのだが……。まあいいだろう。
問題に気付けたならば、改善の機会は待たずとも作れる。
「気にするな。では、まずはラーメン屋に向かおう」
「おう。その後のゲーセンも楽しみだ。本の虫は大抵ゲームだと弱いからな。徹底的に打ち負かしてやる」
「ほう? 私はゲームもそれなりに嗜んでおるぞ?」
何せ、私の知っているリドルジョーカーという物語も、ゲームだったのだから。
「何だと?! 一体どんなゲームするんだよ!」
「所謂ヴィジュアルノベルだ」
「本と大して変わんねえじゃねえか!」
「ククク……それは違うぞ、灰」
どうも、彼は何もわかっていないらしい。
彼の無知を徹底的に埋め尽くすかのように、ヴィジュアルノベルの魅力や本等との違いを解説してやった。
「良いか? ヴィジュアルノベルと本の徹底的な違いとは……」
ラーメン屋に辿り着く頃には、灰は無感情な相槌を返すだけの機械と化していた。
因みに、私は物語のシーンを書き手として取捨選択する事が苦手です。
プロットにも似たチェックポイントは必ず通すんですが、寄り道が酷い酷い。まあお付き合いください、原作開始も我慢。