本番組は20○○年12月18日に放送された番組の再放送です。


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 むしゃくしゃしてやった。後悔はしていない。
 (訳:キンイロリョテイ実装まだですか)

 
 




 

 

 

 こんばんは。日本トゥインクルシリーズの歴史にその名を刻んだ、数多くのウマ娘の足跡を辿る本番組。進行は私、明坂と、お相手に細江さんをお迎えしてお送りいたします。細江さん、今日もよろしくお願いいたします。

 

 よろしくお願いします。

 

 記念すべき50回目の放送を迎えました本番組。本日は『50』という数字にちなみ、幾度となく敗戦に塗れながら、最後には偉業を果たしたあのウマ娘に迫ってまいりたいと思います。

 

 根強いファンの多い彼女の魅力に迫るため、まずはこちらのVTRをご覧ください。

 

 

 

 ―――

 

 

 現在に至っても語り継がれる彼女は、5年もの長きに渡って活躍していました。

 

 中央トレセン学園所属のウマ娘としてデビューし、生涯成績は50戦7勝。実力を期待されながらも途中2年余り勝利から遠ざかり、38戦目にして初めて重賞を優勝。

 この間、GⅠを含む数々のレースへ出場し、幾度となく掲示板に名を連ねながら惜敗する姿が次第に愛され始め、初重賞制覇となったGⅡ目黒記念では土曜日の雨というコンディションの中、GⅠにも劣らぬ歓声と拍手が送られました。

 

 どれだけ敗れてもめげずに走り続ける彼女の姿は、多くのファンに勇気を与えました。

 一方で、キャリアが伸びても衰えるどころか良化し続ける彼女を見て、「手を抜いていたのではないか」と疑念を抱いた専門家もいました。高い資質を持ちながら勝ちきれないレースが続くのは、勝つために全力を尽くしていないからだと考えたのです。

 

「メイクデビューを含め、すべてのレースで彼女が真剣に走っていたのは疑いようもありません。ですが全力を尽くしていたかと問われれば、断言することは難しいでしょう」

 

 中央トレセン学園所属のトレーナーとして同期デビューのウマ娘を担当していた沖野氏はこう言います。

 

「現役当時、彼女は大変な気分屋だと言われていました。実際に掴みどころのない性格であったのは疑いようもありませんが、レースの、それも本番に関して彼女が集中を欠くことはありませんでした。こう言うと意外に思われるかもしれませんが、彼女は人一倍真摯にレースへ向き合っていたのです」

 

 当時、沖野氏が担当していたウマ娘の名前は『サイレンススズカ』。

 サイレンススズカは彼女と同じ年にデビューしたウマ娘で、何度も対戦した経験がありました。稀代の逃げウマとして現在に至っても『最も速いウマ娘』の一人に数えられるサイレンススズカが、その全盛期に唯一追い込まれた相手でもあります。

 

「彼女の末脚は強烈でした。引退レースとなった香港でのレースが最たる例でしょう。直線に入ってからの彼女は時に飛ぶように駆け、200メートルの短い間に5バ身の差も覆すのです。私の担当したスズカですら、半バ身程にまで追い詰められたのですから」

 

 苦笑いを浮かべた沖野氏はそれから、彼女が真剣さを疑われる理由についても語ってくれました。

 

「トゥインクルシリーズという晴れ舞台に対し、彼女は他のウマ娘と異なる感覚を抱いていたと聞いています。一つ一つのレースに勝つことよりも、長くレースへ出続けることに重きを置いていたというのです」

 

 勝つことよりも、レースへ出続けることを重視していた。

 沖野氏は当時彼女を担当していたトレーナーから、そんな言葉を聞いたと言います。

 

 一般的に、ウマ娘の中でもレースに出場するほど走行能力の高い者は、総じて勝つことへ強い執着心を持つと言われています。

 『自分は誰よりも速い』――。レースに出走する誰もが、そんな自負を抱いて挑んでいるのです。これはウマ娘としての本能に基づく感覚であり、多くのウマ娘が走る理由に掲げるものだとされてきました。

 

 しかし沖野氏は、彼女はそんな常識から逸脱していたと言います。

 何故、彼女はそんな考えを持つに至ったのでしょうか。

 

 

 

 この疑問に答えてくれたのは、かつて彼女と同じチームに所属していたウマ娘でした。

 

「それについてはあたしも訊いてみたことがありました。あたし自身少し落ち込んでいたこともあって、今となっては嫌な訊き方をしちゃったと思っているんですが」

 

 恥ずかしげに頬を掻いたのはチーム『カノープス』の元メンバー、ナイスネイチャさん。

 仄かに湯気の立つコーヒーをゆっくりとかき混ぜながら、ナイスネイチャさんは当時を懐かしむように語ってくれました。

 

「勝ちたいとは思わないんですかと訊いたあたしを、先輩は笑い飛ばしました。むきになって理由を訊ねると、幼い頃に見た光景について微笑みながら話してくれたんです。当時トゥインクルシリーズで活躍していたあるウマ娘がレースの最中に怪我をし、走ることのできない身体になってしまったのだ、と」

 

 レース中の怪我による引退や走行能力の喪失は、残念ながら現在に至っても時折見られる悲劇です。沖野氏が担当したサイレンススズカもレース中の怪我によって長いリハビリ生活を送っていました。

 

「怪我をしたウマ娘の周りには、何人ものスターウマ娘がいたんだそうです。才能に溢れ、たゆまぬ努力を重ねる彼女らへ勝つため、そのウマ娘は血の滲むような練習を繰り返していました。結果、ライバルへ並び立つほどの力を得たそのウマ娘は、とあるレースの最中に限界を迎えてしまった」

 

 彼女の見た光景は、そうした悲劇の中でも特に残酷なものでした。走ることが生き甲斐になることも多いウマ娘にとって、走れなくなるというのは深い絶望の伴う事故なのです。

 

「どちらの考えが正しいのかは、あたしにはわかりません。あたし自身はどうしても勝ちたかったし、リスクを負ってでも勝ちたいと思う気持ちもわかります」

 

 ため息を吐いたナイスネイチャさんは、一転して晴れやかな表情で続けました。

 

「でも、先輩は違いました。先輩にとって一番大事なのは走り続けること。レースで走るのが好きだった先輩には、勝ち負けよりも大事なことがあったんです」

 

 彼女のことを誇らしげに語る姿には、先輩後輩という以上の憧れが覗いていました。

 

「走り続けるために無理な練習や実力以上のレースはしたくないと、先輩は言っていました。まあ、その後で「実際は本気を出すのが面倒くさいだけなんだが」なんて誤魔化してましたけどね」

 

 そう言って、楽しそうに笑うナイスネイチャさん。

 ナイスネイチャさんにとって、彼女は良き先輩だったのでしょう。事実、このナイスネイチャさんもその後、長きに渡ってGⅠ戦線を走り続ける選手となりました。

 

 

 

 ―――

 

 

 

 いかがでしたか。一般に広く知られる彼女とはまた違った一面を窺い知ることができたのではないでしょうか。

 

 走り続けることを至上とした彼女はトゥインクルシリーズに挑戦して以来、5年にも及ぶ長い期間を第一線で活躍し続けました。

 単純な成績だけを見れば、彼女の勝ち星は少なく見えるかもしれません。ですが国内最高峰のレースへ絶え間なく挑み、大きな怪我もなく最後まで走り抜いたというのは紛れもない偉業と言えるでしょう。これは彼女が引退レースで成し遂げた偉業にも引けを取りません。

 

 5年間の現役期間で、彼女は数多くのライバルと競い、数々の名勝負に華を添えました。

 

 一期上のエアグルーヴとは幾度となく競い、その花道を彩る一人となりました。

 同期のサイレンススズカの覚醒を間近に見て、彼女の怪我を誰より案じました。

 日本総大将として欧州王者を迎えるスペシャルウィークと肩を並べ、

 世紀末覇王と呼ばれたテイエムオペラオーの偉業を見届け、

 覇王諸共勇者アグネスデジタルに敗れ笑っていました。

 

 胸が熱くなるようなレースで、ずっと走り続けていたい。

 そう望んだ彼女にとって、強敵の存在は必要不可欠でした。

 強敵に挑み続けることが彼女にとっての喜びだったのです。

 だからこそ彼女は誰より長く、現役で走り続けたのでしょう。

 

 そうした願いが、50戦という出走数に繋がったのです。

 そして、節目の一戦でついに現役を退くことを決めた彼女は、最後の最後で死力を尽くしたレースを見せました。結果は皆さんも知っての通り、『日本出身ウマ娘にとって初の国外GⅠ優勝』という偉業を成し遂げ、彼女は颯爽とターフを去って行ったのです。

 

 さて、ここまでのお話で、皆さんは彼女の『走る理由』を知ることができたと思います。

 

 怪我なく走り続け、ライバル達と競う。

 こうした想いの下で走り続けてきた彼女ですが、実のところ、彼女は生涯にもう1度だけ、全霊を尽くして走ったことがあります。

 

 それが国外で彼女が走った二つのレースの内の一つ、『ドバイシーマクラシック』です。

 

 もう一つの国外競争である香港ヴァーズでは、引退レースと決まっていたこともありパドックの時点で全力勝負を公言していました。

 ですがドバイでのレースは引退の半年以上前。引退を見据えて全力を解き放つには早く、実際レース直前まで彼女は普段のスタンスを崩すことはありませんでした。

 

 当時、彼女を担当していたトレーナーは記者に「レースの直前、ゲートへ向かうまではいつも通りの彼女だった」と語っています。真剣ではあっても無理はしない。彼女が信条に掲げたとされる走り方は、このドバイでも同様だったというのです。

 

 彼女が高い実力を備えたウマ娘の一人であることは間違いありません。

 それでもこの年のドバイシーマクラシックは、ポテンシャルを完全に発揮することもなしに通用するメンバーではありませんでした。

 ではなぜ、彼女は世界に名立たるウマ娘たちを相手に勝利を収めることができたのでしょうか。

 

 この理由について、彼女は黙して語ることがありませんでした。

 しかしこのレースで敗れた地元ドバイの英雄『グロリアスライト』が記者会見で彼女に謝罪をしたことが大きな話題を集め、それがきっかけで彼女が全力でレースへ臨んだ理由についても窺い知ることができたのです。

 

 後にグロリアスライトは記者のインタビューへこう答えています。

 

《シーマクラシックでの敗戦は、私の油断が招いた結果であり、紛れもない完敗だった》

 

《浅慮だった私は、挑発のつもりで獅子の尾を踏んだのだ》

 

《彼女は自らへの煽りには寛大でも、友の名誉には敏感だった》

 

 これらの発言を受け、関係者の一人は大きく納得したと言います。

 現在、中央トレセン学園で教鞭をとっているエアグルーヴ女史です。

 

「ライバルを悪し様に言われ、我慢ならなかったのだろう。自らへの悪口は鼻で笑うくせに、たわけ者め」

 

 言葉とは裏腹に、エアグルーヴ女史は微笑んでいました。

 彼女よりも一年早くデビューしたエアグルーヴ女史は、当時の生徒会で副会長を務め、その肩書もあってか彼女と関わることは多かったと言います。

 

「何かと勘違いを受けることも多かったが、不思議と慕われるやつでもあったよ。決して面倒見が良いわけでも、付き合いやすい性格というわけでもなかったのだがな。私にとっても面倒なやつではあったが、だからといって不快な想いをさせられたことはなかった」

 

 当時を懐かしむエアグルーヴ女史の話を聞いて、取材をした私は大変感動しました。

 その後、堪えきれずに彼女のレースをできる限り見返してみたのですが、40戦以上のレースを追う間に朝になっていましたね(苦笑)。

 

 彼女のレースには名優が揃っていますからね。どのレースも見応えたっぷりで、全く飽きが来ないのは素晴らしいと思います。

 

 仰る通りです。

 

 さて、かつての名ウマ娘の素顔に迫る本番組も、そろそろお別れの時間が迫ってまいりました。

 最後にURA日本支部の広報が製作した彼女にまつわるCMをご覧いただいてお別れとさせて頂きたいと思います。

 細江さん、本日はどうもありがとうございました。

 

 ありがとうございました。

 

 それでは、次回の放送でまたお会いしましょう。さようなら。

 

 

 

 製作:NHK

 協力:URA日本支部、日本ウマ娘トレーニングセンター学園

 

 

 

 

 

 

 ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのウマ娘は、誰よりも走り続けることを望んだ。

 

 女帝の背中を。逃亡者の覚醒を。総大将の熱戦を。覇王の凱旋を。勇者の誕生を。

 

 数多の強敵と鎬を削り、数々のドラマを間近で見届けた。

 

 道は自らで決めるのだと、いっそ傲岸な程に我が道を貫いた。

 

 どれだけ敗れても決して折れず、曲がらず。

 

 走り競い合う中にこそ喜びを見出した。

 

 歩き続けたその道は、いつしか前人未到の頂へと至る。

 

 『黄金の旅路』を征く、そのウマ娘の名は――。

 

 

 

 

 

 

 

 




 

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