先生Memory! 作:未来景
二メートルを大幅に越した身の丈から、全てを俯瞰する風な佇まいの細身な男は、彼方の空へ存在しない目をやった。
『確かに、リオは正しいと信じる事を押し付けたね』
「ええ」
『でもそれは、リオの視点からすれば本当に正しい事で、だからこそ実行した』
「…そうね」
先の読めない言葉に、一瞬の沈黙を経て、リオは肯定する。
向けられた怪訝な瞳を意に介せず、細身な男は淡々と語り始めた。
『リオは、アリスのもう一つの側面を知っていた。会長だから、迫る終末をどうにかできるかもしれない権力と、ミレニアムの皆を守る責任があった』
「…」
『でも、大きな力には、色んな責任が付きまとう。終末をどうにかできるかもしれない権力は、実質的にはキヴォトスの人々全員を守る責任を伴っていた』
容易に心を壊してしまいかねない責任は、しかし当人が知ってしまった以上、善意を踏み躙り、背にしがみつき続ける。
魔物とも呼べる膨大な責任を、正常な規模へと切り分ける事も可能だ。けれど、それは切り分けた責任を負担してくれる相手がいれば、の話である。
『周りには、ゲーム開発部の子達みたいにアリスを大切に思う人がいっぱいで、理解を得られそうにない。そんな中でリオは、絶対に責任を果たす為に、一人で行動した』
しかして彼女は、独りで戦う道を選んだ。
非難も罵声も、慣れたものと払い捨て。垣間見えた現実を蔑ろにする理想主義の子供達に代わり、現実に立ち向かった。
その覚悟は、果たして子供にできるものか?
『善や悪なんて、見方を変えればどうにでも変わる。でもね、リオ。少なくとも』
やがてリオと対面した細身な男は、暖かな眼差しを以て告げる。
『誰かの為に頑張れる人は、我儘な子供なんかじゃないよ』
次いで、彼女の頭をそっと撫でた。
「恥ずかしいからやめて頂戴」
『ごめんね』
厳しい口調で払ったリオだが、彼女の顔に険しさはなく、薄れた影の代わりに柔らかさが戻っている。
その変化に満足したらしい細身な男は、謝罪に併せて長い手を引き、鉄柵へとかけた。
『でも、できればこれからは、皆と話し合って、協力して、他の道を探して欲しいな』
「…話し合って、協力しても、他の方法が見つからなかったとしたら?」
一見して意地悪な質問は、余裕があるからこそと気づけば、年相応に可愛らしいもの。
とはいえ考えなしの発言ではなく、明確な答えを持っているからこそ願った細身な男は、さらりと返した。
『
瞬間、瞠目したリオは、驚きから転じて微笑を浮かべ、成る程ねと発する。
胸を張るちょっと得意げな細身な男は、暫しを経て落ち着くと、再度紡ぎ出す。
『まぁ、前にも言った通り、その状況自体が間違ってると思うから。私の出る幕なんて、殆どないだろうけど』
いつかに話したトロッコ問題に触れつつ、いつになく真面目に「先生」をする細身な男。
『誰かの犠牲の上に成り立つような、そんな奇跡のない世界は私が許さない。だから、安心して』
「…そう」
かの者の覚悟に、薄らと怒りが覗けた気がしたリオは、訝しみも程々にし、彼の気遣いの通り一息つく。
左手に見える空の青さも素直に綺麗だと思え、更に肩を撫で下ろした。
「なら、安心して会長の座を降りれるわ」
『…ふふっ。その必要も、ないんじゃないかな』
無意識に零した本音に、想像もしない返事が舞い込む。
「何故…?」
向き直ろうとした矢先に、タンタンタン、と階段を駆け上がる音色がリオの耳に届く。
何者かとそちらに視線を移せば、数秒も立たずに見慣れた相手が到着した。
「見つけた!ようやく見つけましたよ!リオ会長!!」
「…ユウカ。貴方はもう少し、落ち着きというものを」
左右に分けて括った青みの濃い髪は汗で濡れ、肩に手を置き息を切らすセミナーの会計担当。早瀬ユウカのあられもない姿に、リオは別の意味で息を吐く。
どうやらそれが一層彼女を刺激してしまったらしく、ばっ、と持ち直したユウカは、若干引いているリオに構わず詰め寄った。
「会長を辞めるってどういう事ですか!?」
「行いの責任を取るだけよ。当然でしょう」
「そんな事はどうだって良いんです!!」
どうでも良くないでしょう。冷静にそう考えたリオだったが、眼前のユウカが纏うただならぬ圧に押され、困惑しつつ言葉を呑み込む。
「確かに、横領もアリスちゃんにした行いも許し難い事です!でもそれは、会長が私達の為を思ってやってくれたんですよね!?」
「如何なる理由であっても、事実は事実よ」
「ああもう!なんでミレニアムの人達は皆ああ言えばこう言うの…!」
一緒にして欲しくない者達の中にカテゴライズされ、リオは若干むっとするが、恐らく一般的な常識を持つ者に尋ねれば、判断に多くの賛同を得られるのは疑う余地もない。
けれどそもそも話題の常識人が少ない故、毎度苦労を被っている冷酷な算術使いは頭を抱えるも、今回は負けないとばかりに踏ん張り、強い意志の灯る瞳をリオに合わせる。
「私はセミナーの会計です。無駄な物にばかり費用を投じているミレニアムにおいての横領ぐらいなら、どうにでも隠せます!」
「ユウカ、貴方」
「黙って聞いてください!アリスちゃんやモモイ達だって怖い思いをしましたが、キチンと話して謝れば分かってくれる筈です。防衛都市も、アトラクションパークなりに作り替えれば問題ありません!後は、全てを知る私達が口を噤めば良いだけです!」
「…分からないわ。何故、そこまでして私を」
「分からないんですか!?」
大声に驚きビクッと震えたリオに、憤怒沸るユウカは放つ。
「私達には、会長が必要なんです!しょっちゅう対立したり喧嘩したりするけど、一人でも皆を助ける為に頑張ってくれるような、優しい会長が!!」
嘘偽りなき彼女の台詞は、罵倒のある環境に順応したリオの心に、ストンと落ちた。
「分かったらさっさと行きますよ!早く戻ってセミナー内の混乱をどうにかしないと、仕事が進まないんですから!!」
赤らめた頬を隠すように、荒々しくリオの手を掴んだユウカは、彼女を連れ、校舎内へと戻ろうとする。
強引な後輩に導かれるがまま踏み出したリオは、助けを求めようと振り返り…口を歪ませ、呟く。
「…しょうがない人達ね」
最初から、誰もいなかったかの如き静寂を擁する屋上。しかしそこには、微かに湯気が漂っていた。
斜陽が世界を染め始める頃。電気を伴い虚空から出現した細身な男は、愛しき生徒達の声に在りもしない耳を澄ませ、また遥か彼方へと存在しない目をやった。
彼の視界を埋め尽くす、見る者を圧倒する壮大な夕焼けに、奇跡亡き箱庭に浮かぶ灰の天蓋が重なる。
二本の手を伸ばし、それでも足りず幾本もの触手を伸ばした。けれどもそうして触れられたのは、温もりの消えた肌だけと、濁った赤だけ。
信仰の象徴。奇跡を齎す救世主の側面を備えておきながら、少女一人のありふれた日常すら守ってやれなかった。
中身の冷めた缶が、音を立てて握り潰される。
『縺ゅs縺ェ縺イ縺偵″縺ッ繧ゅ≧縲√↓縺ゥ縺ィ』
身を焦がす後悔に贖う。決意を新たにする細身な男の触手から、一滴のコーヒーが落ちた。
ピカおじ先生ならきっと救ってくださる筈…(三章全裸待機)