異世界のウマ娘 ~Ancestral Loyality~【サイレンススズカ】   作:もっそ

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 五月四週

 

 二回のレースを経て、レーティングを獲得したと報告を貰い、三回目のレースに出なくてよくなったサイレンススズカはマンハッタン・ハンディキャップの出走登録の為に六月にニューヨークへ向かった。

 ベルモントパークレース場はアメリカでは特に大きな競馬場で、外周のダートコースで一周2400メートルになる。

 内側の芝コースも内1900、外2100と使い分けることができ、東京レース場に匹敵する。

 ベルモントパークレース場のある合衆国最大の島、ロングアイランドは日本の青森県に並ぶ高緯度だが、大西洋の海流の影響で夏には南国のような温暖な気候が続く。

 今日も太陽を真正面に受ける〝レース日和〟であった。

 マンハッタン・ハンディキャップは二週間後に行われる。既に出走予定のウマ娘が何人か滞在しているという。スズカは登録の後は一度ケンタッキー州に戻る予定だ。

 

 レース場で出走登録をしている間、ハイライズというアイルランドのウマ娘と出会った。

 

「私、スペシャルウィークさんとジャパンカップで一緒だったんですよ」

 

「えっ、スペちゃんと?」

 

「はい。会心のスパートだったんですけど、スペシャルウィークさんは速くて追いつけなかったなぁ」

 

 そう言いながらもハイライズ自身はブロワイエに先着する三位になっている。日本以外にもイギリス、ドバイにまで転戦するアクティブなウマ娘だ。

 黒鹿毛のポニーテールで面長の白い肌に利発そうな眼の中で黄みがかった瞳をしている。鮮やかな青紫色のベストと白いシャツをピシっと着ているが、ベルモントパークの外のベンチに一緒に座ってソフトクリームを食べていると、さわやかな愛嬌が出てきて、母国の王室にいるウマ娘の殿下に好走をおほめいただいたと教えてくれた。

 

「ジャパンカップの時、スペシャルウィークさんが何回も言ってたんです。スズカさんなら、スズカさんの為にって」

 

 それがサイレンススズカで、さらにアメリカで走ることを知って、やってきたという。

 

「気になるでしょう。ブロワイエを負かしたスペシャルウィークさんが目指す人。それに――」

 

 私のライバルも怪我が多くてね――ぽつりとハイライズが呟いたが、それはスズカの耳に届かなかった。

 

「ああ? 地味なウマ娘が並んでると思ったら、本当に地味なウマ娘じゃねえかよ」

 

 ガラの悪い声が遠くから聞こえてきたので見てみると、声の主はこちらに近づきつつあった。

 

「えっと……ヤグリー?」

 

「さんをつけろよ、名簿入り(リステッド)の分際で」

 

 大きな体格で威嚇してきたのは四月にキーンランドレース場で見た赤地に金のラインのウェアをチャックの上まで締めて着ている赤鹿毛のウマ娘、ヤグリー・ヤールだった。無造作に伸ばしている髪の下で形のいい逆卵型の顔に鋭い一重の目を張り付けている。額付近の白い流星が三白眼気味の印象を強くしていた。その後ろからは相方と同じウェアを腹の辺りまで開けてミドルセクスドライブが小さく手を振っている。 

 

「久しぶりのニューヨークだと思ってたら出てくるのが病み上がりと残念ダービーときたもんだ。これじゃあ燃えるもんも燃えねえんだよ」

 

「残念ダービー……?」

 

 それはかつての日本短波杯(現ラジオNIKEI賞)の俗称だが、ヤグリーの鋭い視線に射竦められているのはハイライズであった。

 ハイライズは黙って目をそらした。それはある種の諦めに似た動作だった。

 

「あちこち走り回ってアメリカならやれるって思ったか? アメリカのターフはヨーロッパの墓場じゃねえんだよ」

 

 鼻を鳴らすヤグリーだったが、ハイライズが何も言い返さないのを見ると、

「クソッ!」と悪態をつき、ベンチを蹴った。

 

「てめえもだ、さっさと帰れ、日本人」

 

 最後にスズカも罵り、ヤグリーは離れていった。

 残ったミドルセクスドライブが口に指を一本立てて笑う。

 

「ごめんね~、あの子も負けが込んでてね。こないだのターフクラシックでも――」

 

「ミスド! 早く来い!」

 

 ヤグリーの大声に「はいはーい」と返して追いかけようとする間際、ミドルセクスドライブがスズカを見た。短いパーマの黒鹿毛の下でにんまり笑って言う。

 

「見たわヨ、アナタの大逃げ。だけどアタシは逃がさないカラ」

 

 そう言い残して「シーユー」とヤグリーを追いかけていく。

 

 ベンチにはほとんど何も言えなかったスズカとハイライズが座り続けていた。ソフトクリームが半分溶けるほど時間が経った。

 

「史上最も残念なダービー。私たちはそう言われたんだ」

 

 柔らかくなったコーンごと溶けたソフトクリームを頬張ってからハイライズが言った。

 

「二〇〇年の権威あるダービー。だけどその年は本命不在で、一〇〇〇ギニーに勝った子が路線変更して出走して、しかも一番人気になるぐらいだった。私はオーナーの作戦でダービーに狙いを絞って、二〇〇〇ギニーには出なかった。結果、人気もマークも薄くて勝つことができた。タイムも歴代10位くらいですごかったんだよ。デッドヒートってやつ」

 

 走った。飛んだ。戦った。

 私は間違いなく飛んだ。私は戦士でした。

 

 優勝インタビューでのハイライズはスタートまでは考えもしなかった言葉が勝手に出てくるほど昂揚していた。

 

「でも、やっぱり評価は低かった。本命不在で穴ウマが勝っても、しらけちゃうんだって。腹立つよね。オーナーもトレーナーも初めてダービーに勝ったのに、すぐに忘れて、怒って、キングジョージに行くぞって……そこでも二着になったのに、今度はその年全体のレーティングが低く評価されたんだよ」

 

 ザ・ダービーの称号を持つウマ娘は二百人しかいない。しかしその中で最低の一人だ。

 イギリスもアメリカと同じく勝ちウマ投票がギャンブルとして認められている。特に単勝券の投票占有率が50%以上となっている。これはイギリス国民にとってウマ娘レースがチェスや推理ゲームと並ぶ知的格闘として認知されている為である。自分が見抜いたウマ娘が勝つことを喜びとしているのである。

 その中で、赤子も賭けるとまで言われる最大のレース、ダービーが本命不在、しかも穴ウマが勝てば、喜ぶ者よりも、落胆する者、失望する者が多いだろう。

 だが、それは見ている側の勝って極まりない無礼な態度だ。

 こうなったら、どこまでも走りに行って評価を覆してやる。

 

「私のダービーが否定されるってことはさ、私と一緒に走った仲間も否定されるってことなんだよ。もしかしたら、向こうは仲間とは思ってないかもしれないけど、そんなのはもうどうでもいいことじゃん」

 

 それがドバイから日本、アメリカまでやってきたダービーウマ娘、ハイライズであった。

 

「ごめんね。初対面なのに、こんな話して」

 

「ううん、平気よ。私こそ」

 

「スズカは聞き上手だね。つい話しちゃったよ」

 

 恥ずかしさを隠すようにハイライズはコーンの包み紙をくしゃくしゃにして立ち上がった。

 

「ありがとう。だけどレースじゃ負けないよ」

 

「ええ、私も負けないわ」

 

 スズカは自分の指にソフトクリームが垂れてきたのを見て、それをハンカチで拭った。そうしている間にハイライズはスズカに背を向けて小さく手を振りながら去っていった。

 

 日本でのG1レースも、出走登録の前後にはこうやってレース相手とどことなく出会って、お互いの負けられないという想いをぶつけあうことがあったことを思い出した。

 

 ふつふつとスズカの中にG1レースに出るという感覚がよみがえってきた気がする。まるで脚に心臓があるような鼓動を感じる。

 そうなると、走りたくて走りたくて、どうしようもなくなってくる。ここからケンタッキー州まで走って帰ろうかと思いながらベンチから立ち上がった時、ポケットのスマホが震え出した。

 

「フクキタル……どうしたの?」

 

 着信相手を見て通話ボタンを押した途端、あの声がベルモントパークに響き渡った。

 

『すっ、すしゅすすすスズカしゃん! ご無事ですかっ!? 生きてますかっ!!』

 

「え、えぇ……生きてるけど」

 

『た、ただいまですね……スズカさんのご活躍を祈って〝松阪牛を焼いてひっくり返した時の焼き加減占い〟をしていたのですが、た、た、ただならぬ危機が迫っていると出ましたのですっ!』

 

「ただならぬ危機……?」

 

 正直なところ、フクキタルの占いについてはアテにならないと思っている。しかし、こうして電話をしてくるということはよほどの結果が出たのだろう。

 

『おぉっ、おぉぉぉぉ……ふんにゃか~ほんにゃか~~どうかどうか~~シラオキ様~~~この松阪牛の香りに惹かれてスズカさんの往くべき道を~~~むふふぉふぉふぉおおっ!?』

 

「フ、フクキタル……?」

 

 むしろそちら側の――頭の中の方――が危険なのではと思い、いっそのこと通話を切ってしまおうとした直前、フクキタルが叫んだ。

 

『スズカさん! う、後ろです!』

 

「うしろ?」と、振り返るスズカ。

 

『後ろを見てはいけません!!』

 

 絶叫にスズカは返答することができなかった。

 振り向いたその瞬間、柔らかな布のようなもので口を塞がれたからだ。

 

「……ッ!」

 

 咄嗟にスズカは唇に触れたものを手で払った。そしてウマ娘の身体能力そのままに後ろへ跳躍(バックステップ)――およそ十メートル先の芝生を抉って止まった。

 

「誰!?」

 

『スズカさんっ!?』

 

 手に持ったままのスマホからフクキタルのパニック声がする。

 

『あわわわわわ! ス、スズカさんに大凶大獄大殺界が……! け、けけけけ警察!? いえ、救急車!? ああああアメリカに警察はいけませえええん!! ぽりすめえええええええええええん!!!!』

 

 半狂乱のフクキタルとは別に、現実に直面しているスズカは唖然としていた。

 

「……ウマ娘?」

 

「アー……ソーリー、ユアハンケチーフ」

 

 戸惑いがちな英語と共にスズカのハンカチを差し出していたのは、まろやかな褐色肌のウマ娘だった。白いブラウスシャツの上に幅広で風通しの良さそうな上着を着ている。くっきりとした顔立ちの美人であり、頭にかぶっている丸いトルコ帽からはしっかりとウマ娘の縦長の耳が伸びている。

 

『ひいぃぃぃ! きっとこれからスズカさんは囚われのウマ娘となってしまい、ありとあらゆる不幸な目に合ってしまいます……鳩のフンが雨あられと降り注いだり、三匹の黒猫にタンゴを踊らされて……ああぁ~~~ナンマンダブナンマンダブ……』

 

「フクキタル、うるさい」

 

 ぴしゃりとスマホに言いつけてスズカは終了ボタンを押した。

 それから姿勢を正すと、二ヶ月のアメリカ生活で身に付けた見事なスマイルを披露した。

 

「ごめんなさい、びっくりしてしまって」

 

 相手のウマ娘もスズカが過剰反応だったことを理解したらしく、ほっと息を吐いた。

 

「ハンカチ、落としてましたよ」

 

「ありがとうございます……えっと……」

 

 ハンカチを受け取った後も相手はじっとスズカを見つめている。この数十分の出来事から考えて思い当たることはあるが、口にしづらく、普通に訊ねた。

 

「あの、なんでしょう……?」

 

「サイレンススズカさんですよね」

 

 やはりそうかと思っていると、その表情を読んだのか、褐色のウマ娘はたおやかな所作でうなずいた。

 

「わたしもマンハッタン・ハンディキャップに出走します。マンダーと言います」

 

「先月、ターフクラシックで優勝した……?」

 

「はい、覚えてもらえて光栄です」

 

 母名を加えてミンティカ・マンダー。

 五月にチャーチルダウンズレース場で行われたG1レース、ウッドフォードリザーブ&オールドフォレスター・ターフクラシックステークスで優勝して、マンハッタン・ハンディキャップにも出走を表明した為、よく覚えていた。ヤグリーに並ぶ人気上位の一角だ。

 出身はアイルランドだが、褐色の肌のとおり血統はトルコ――中東系だ。ハイライズは身ひとつで世界を渡っているが、マンダーはミンティカというトルコの一族の母の下、各国に移住した先で誕生している。

 

 お互い強力なライバルになる。

 それは目を合わせただけで伝わった。

 

「良いレースをしましょう」

 

「ええ、全力を尽くして」

 

 差し出された手を握り返して、スズカとマンダーは別れた。

 

 十分に離れたスズカにまた手を振るマンダーの呟きは誰の耳にも入らなかった。

 

「……失敗した」

 

 

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