「遊郭までの道のりの途中に藤の家があるから、そこで準備を整える。ついて来い」
そう言うや否や音柱・宇随天元はフッと消え、走り去ってしまった。
「は、はええ……、もうあの距離。胡麻粒みたいな姿になっとる……」
伊之助が思わずそう漏らす。
「ほら、私たちも行くわよ」
そう言ってカナエも走り出した。
「はい」
炭治郎はカナエの後ろをついて走り、更にその後ろを伊之助が追いかける。
カナエに遅れまいと必死に足を動かしながら炭治郎は、鬼殺隊に入ることを決めて蝶屋敷まで走ったことを思い出した。思えばあの時からかなりの短期間でカナエさんと同じ立場になるまで突っ走ったものだ、と思う。
禰豆子は必ず人間に戻す。この初心を炭治郎は片時たりとも忘れていなかった。
カナエと炭治郎、伊之助は宇随に追いつき、藤の花の家紋がある家に入り、客室に入ると……
「しのぶさん!」
蟲柱・胡蝶しのぶが笑顔で正座していた。が、その目は笑っていない……
「おお! 胡蝶の妹も来ていたのか。これはちょうどいい!」
宇随が言うと……
「ちょうどいいとは何のことですか? 宇随さん」
しのぶは相変わらず、ニコニコと笑みを浮かべて言う。
「何か私たちに言うことがあるんじゃないですか?」
「そうよ。私たちの大切な家族のアオイたちに対する振る舞い、どう落とし前つけてくれるのかしら?」
カナエがすかさず、しのぶの隣に正座して宇随に問い詰める。
「お前ら、姉妹して派手に……。どうした?」
「そうだよ! 落とし前とは何のことだよ!」
「伊之助君は黙ってて貰えるかしら!」
伊之助の割り込みに、胡蝶姉妹は揃ってピシャリと制す。
「……」
いつもは猪突猛進の伊之助も、胡蝶姉妹の恐ろしさを直ちに知覚したのか、たちまち口を噤む。
「もし連れて行ってアオイたちにもしものことがあったらどうするつもりだったのですか?」
しのぶは改めて再び問い詰める。
「……」
「ん? 黙っていてはわかりませんよ? 何とか仰って下さい」
しのぶは益々、凍りつくような笑みを浮かべる。
「実は遊郭に、俺の嫁を潜入させてたんだが連絡が途絶えていてな」
それから宇随はアオイたちを攫おうとした動機をぽつりぽつりと語った。
「嫁、もう死んでんじゃねえの?」
伊之助が猪の被り物の鼻をいじりながらそう呟くと、直ちに宇随の鉄拳が飛んで伊之助は失神した。
こればかりは伊之助が不謹慎だったので、カナエたちも伊之助を庇わなかった。
「…それで嫁の安否を確かめるのに、遊郭に潜入させる女の隊士が必要、というわけだ」
失神中の伊之助をよそに、宇随は話し終えた。
「わかりました」
しのぶは溜息をつきながら口を開いた。
「今回は貸しとしましょう。その代わり」
「その代わり?」
「任務が終わったら、宇随さんには蝶屋敷の清掃などを二週間、やってもらいます。いいですね?」
「しのぶの言う通りよ! あなたが拉致しようとしたアオイ、すみ、なほ、きよ達の指示の下、しっかりと蝶屋敷での雑用をこなしてもらいます」
宇随の聞き返しに、しのぶ、カナエが続けて答えた。
「……わかったよ」
宇随は渋々、了解したのだった。これは宇随にとってこれ以上ない過酷な罰だと炭治郎は思った。自分が危害を加えた人たちの指示で作業するとか、気まずいことこの上ない。やはりこの姉妹だけは敵に回せないとつくづく思う。
その後、どう潜入するかを打ち合わせた。
宇随によれば怪しい遊郭の店が3つあるという。
「『ときと屋』に須磨、『荻本屋』にまきを、『京極屋』の雛鶴を潜入させている」
須磨、まきを、雛鶴とは宇随の妻の名前である。宇随には妻が3人居るのだ。
カナエ、しのぶに加え、炭治郎も女装してそれぞれ、その3つの遊郭の店に潜入することとなり、伊之助は宇随と行動を共にすることとなった。
任務地である吉原遊郭。
浅草と勝るとも劣らぬくらい、人でごった返している。
胡蝶カナエ・しのぶ姉妹の着物姿はそれはそれは遊女の最高位―――花魁(おいらん)そのものであった。実際、道行く誰もが姉妹を振り返った。
敢えて言えばしのぶの方は背が低いことが玉に瑕だが、それを補って余りある程の容姿端麗ぶりだ。
姉妹とも元々容姿端麗で、そこから化粧などで磨きをかけるのだから、正に鬼に金棒とはこのことであった。姉妹がいつも通りつけている蝶飾りは、他の遊女たちにとっての簪のような役割を果たしており、姉妹の美しさを更に際立たせている。
当然、姉妹は直ぐ就職が内定し、カナエは京極屋に、しのぶは荻本屋に大歓迎されたのだった。
問題は炭治郎。胡蝶姉妹と同様に化粧をし、口紅まで塗り、蝶飾りで結った髪型。(蝶飾りはいつも通りだが)
誰がどう見ても『男子を無理やり女装させた姿そのもの』で、残るときと屋で宇随が『炭子』として売り込んでも不細工と言われてしまった。
しかし宇随がゴリ押しすると、女中の一人が「素直そうだから一人くらいなら」と言ったことで、
炭子こと炭治郎も無事、就職が内定した。
炭子は女中たちからのイメージ通り、自ら進んで下働きをこなしていったので、評判は上々なものとなった。
そんな中、ときと屋花魁の鯉夏の部屋では……
「京極屋の女将さん、窓から落ちて死んじゃったんだって。怖いね、気を付けようね」
「最近、足抜けしていなくなる姐さんも多いから怖いよね」
と幼い少女たちが噂話をしていたのを、炭子が抱えていた荷物を置いて割って入る。
「足抜けって何?」
「えーっ、炭ちゃん、知らないの?」
「すごい荷物だね~!」
「鯉夏花魁への贈り物だよ」
その後、足抜けの意味について少女たちは教えてくれた。
ここ遊郭の遊女たちは借金を返すために身売りしに来るが、その借金を返さぬまま逐電してしまうのを足抜けというのだという。
「この間だって須磨花魁が……」
少女のその言葉に炭子は反応する。
須磨? 宇随さんの奥さんか!
「噂話はよしなさい」
女性の声がしたので振り返ると、簪をつけた美人な女性が立っていた。目がパッチリとした胡蝶姉妹とは対照的に、やや切れ長の目が特徴的だ。
「運んでくれたのね。ありがどう。おいで」
彼女は炭子に向き直り、微笑みながら言った。
「はい」
炭子は彼女に近付くと、
「お菓子をあげようね。一人でこっそり食べるのよ」
彼女はそう言って飴をいくつか載せたちり紙を差し出した。
「わー花魁、わっちも、わっちも」
少女たちも駆け寄る。
「だめよ。さっき食べたでしょう」
切れ長の美人な彼女―――ときと屋花魁・鯉夏が窘めた。
「あの、須磨花魁はどうして足抜けしたんですか?」
炭子が聞くと、鯉夏は不審そうに目を細める。
「どうしてそんなことを聞くんだい?」
「……」
炭子は頭が真っ白になった。何て言おう。怪しまれない答え方は……
「私、須磨の姉なんです」
辛うじて捻りだした。これで誤魔化せるか?
「姉さんに続いてあなたも遊郭に売られてきたの?」
「はい」
「そうだったの……」
鯉夏は特にそれ以上は詮索してこなかった。良かった……、取り敢えず大丈夫だ……。
「私も須磨ちゃんが足抜けするとは思えなかったわ。しっかりした娘だったもの。男の人にのぼせている素振りもなかったのに、日記が見つかっていて、そこに足抜けすると書いてあったみたいなの。捕まったという話も聞かないから、逃げ切れていればいいんだけど……」
足抜けするという日記は嘘だ。炭子は直ちに思った。というのも、これは鬼にとって都合が良い。
人がいなくなった場合、遊郭から逃亡したと思わせれば例え鬼が殺すなりしても、誰もわからないからだ。
どうか須磨さん、無事でいて欲しい……
炭子こと炭治郎は心からそう思った。
荻本屋では……
「まあなんという美しさ……!」
「京極屋の蕨姫や、ときと屋の鯉夏を超える花魁になれるわ~!」
早速、しのぶは大評判だった。
「ありがとうございます」
しのぶも満面の笑みで慎ましく返すので、女中たちは益々、有頂天になるのだった。
そんな中、宇随の妻の一人であるまきをは囚われの身となっていた。ある部屋で身体中を鮮やかな帯で捕らわれている。両腕も帯によって持ち上げられていた。
「さあ。答えてごらん。お前はこの手紙を誰に出そうとしていたの」
「……」
「答えるんだよ!」
まきをに巻き付いている帯がギュッと締め付けられた。
「何とか、外に、出なければ……。天元様に、伝えなくては……」
まきをは帯による拷問に苦しみながらも何とか外に出ようともがいていた。
京極屋でも、カナエは大評判で、一瞬にして京極屋花魁である蕨姫に取って変わり得る逸材と評される程になった。
カナエも女中や少女たちに持ち前の優しさ、朗らかさを遺憾なく発揮して接するので、評判は益々、うなぎ登りとなった。
しかし、肝心の雛鶴に関する手掛かりは見つかっていない。廊下を歩いていると襖の向こうで女の子の泣き声がした。
カナエはすぐ襖を開けると、中は散らかっており、その中でただ一人、少女が泣いている。
「大丈夫?」
カナエはすぐに少女に駆け寄り、抱きしめた。
「お姉さんが来たからもう大丈夫よ……」
カナエは少女の背中を優しくさすりながら言った。少女もカナエの袴に顔を埋めて涙を拭った。
その時だ。カナエは悪寒がした。誰かの気配がする。しかもただならぬ……
振り向くと、簪をつけた美女が首を傾け、こちらをぞっとするような冷たい目つきで睨み付けている。
「アンタ、人の部屋で何してんの?」
「あらあら」
カナエはゆっくりと立ち上がった。
「女の子の泣き声がしたものでどうしたのかと思ったのよね」
「お前、私を誰だと思ってるんだい? 蕨姫花魁よ。新参の分際で人の部屋にズカズカ入り込むなんて随分、調子に乗っているわね。躾がいるようだね、お前は。きつい躾が」
蕨姫花魁はカナエを睨み付けながら傲岸不遜に言った。
「あら。躾とは。随分恐ろしいこと。あなたこそ花魁であることを笠に着て、調子に乗っているようね。私、宣言します。京極屋の花魁は今から私、胡蝶カナエに変わります。あなたは出て行って貰えるかしら」
続いてカナエは今も抱き着いている少女が益々、震撼することを言ってのけた。
「それにあなたは人間じゃないようだし」
「話はそこまでよ。お前は私が強くなる滋養となりなさい」
その言葉と共に蕨姫花魁から桃色の帯が伸びてきて、少女も悲鳴を上げた。しかしカナエは直ちに避け、近くの窓を開けて屋根に飛び出た。
「ふーん。鬼殺隊でしかも柱ね」
蕨姫花魁も屋根に飛び出てきた。簪は外して髪は下ろしており、その目には『上弦』『陸』と刻まれている。
「そうよ」
カナエはそう言って袴を脱ぎ捨てた。
いつもの蝶羽織姿となり、花柱・胡蝶カナエは薄桃色の刀を抜いて蕨姫こと上弦の陸・堕姫と対峙する。
「花柱・胡蝶カナエ、遊郭に棲んで数多くの人間を喰い殺してきた蕨姫花魁を成敗し、私が京極屋の花魁となります」
女同士の戦いの火蓋が今、ここに切って落とされた。