胡蝶しのぶも姉と勝るとも劣らぬ美貌から、潜入した荻本屋では即座に近い将来の花魁として期待された。
「まあ~! ここまで綺麗な子、何年振りかしら~!」
「荻本屋の『蕨姫花魁』として仕込むわよ~!」
指導係の女中たちからの褒め言葉に、しのぶは笑顔でこう返す。
「ありがとうございます。不束者ですが、絶対に荻本屋イチの花魁になってご覧にいれます」
「まあ~! その意気よ~!」
女中たちは益々、恵比寿顔になってしのぶを仕込むのだった。
しのぶも姉と同様、吞み込みは早く、忽ち遊女としての立ち振る舞いを身に着け、早々に男たちの相手をすることとなった。
紫色を中心とした鮮やかな着物に身をつつみ、簪で紫がかった短めの髪を結った姿。後頭部にはいつもの紫色の蝶飾りをつけている。
そして何より目立つのが、顔だった。シミ一つない色白な顔にある、輝きを放つ人一倍大きな瞳。綺麗な形をしていて筋の通った高い鼻。
女中たちによって施された化粧により、こうした完璧すぎると言っていい顔を何倍も引き立たせている。
しかも華奢な姿から、守ってあげたいと思わせるような、可愛らしさを併せ持っているのもしのぶの特徴であった。
(ただし幼少期は怒りっぽかったのでそういった可愛らしさは台無しだったが。)
しのぶは忽ち、男たちから話しかけられた。
「よお、姐ちゃんよ! とても綺麗だね! あんたきっと、近いうちにここの花魁になれるよ!」
「俺たちと一緒に呑まない?」
しのぶは笑みを浮かべたまま、こう返す。
「あなたたちは礼儀というのを知らないんですか?」
「えっ?」
いきなりそう言われ、男たちはたちまち面食らった。
「私たち、初対面ですよね? なのに何でそんな馴れ馴れしいのですか? それにお互い、誰かも知らないんだからまずは名を名乗るべきでしょう?」
「……」
黙ってしまった男たちに、しのぶは尚も畳み掛ける。
「ん? 黙っていてはわかりませんよ? それとも、親に甘やかされてきたから、そんなことも知らないんですか~?」
笑みを浮かべながら言うしのぶの大きな瞳には、侮蔑の色が籠っている。
そして男たちも血相を変えた。
「何だとてめえ!」
男が我を忘れてしのぶに殴りかかろうとし、もう一人の男もしのぶを蹴り上げようとするが、しのぶは後ろに飛び退き、そして……
ドン!
鈍い男がすると同時に、男たち二人は気絶し床に倒れてしまった。しのぶは男たちの攻撃を避けた後、すかさず飛んで蟲の呼吸の要領で男たちを素早く殴り倒してしまったのだ。
一瞬のうちに起きた乱闘に、周囲は悲鳴を上げるも、しのぶは凍りつくような笑みを浮かべたまま、平然としている。
「ちょっとあんた、何してくれてるの?」
しのぶは女中に詰問されるも、冷静にこう反論する。
「客の礼儀がなっておらず、しかも私を殴ろうとしてきました。ですのでこれは正当防衛です」
しかし、この日の客たちのパニックは止まらず、大多数が帰ってしまったため、荻本屋に入る筈だった収入がほぼ台無しになってしまった。
当然、しのぶは荻本屋の幹部的な人に呼び出されることとなった。
「お客さんになんてことしてくれるの!」
中年男性の幹部は怒鳴り声を上げた。
「お騒がせしたことはお詫びしますが、私、男性に殴られそうになったんです。それに対処しただけです!」
「遊女はね、多少男に嫌なことをされても我慢するものなの! わかる? それで稼いでいるんだから! あんたは確かにここ最近で稀に見る美貌だけど、遊女としては向いてないね。悪いこと言わないから、ここを去ってくれないかね?」
これにはしのぶも眉をギュッと吊り上げた。
「多少男に嫌なことをされても我慢するもの? 聞き捨てならないですね~! 女性を何だと思っているのですか? こんな所、私から願い下げです!」
そう言ってしのぶは簪を取るや力一杯、床に叩きつけて木端微塵にし、着物も脱ぎ捨て、元の蝶羽織姿になる。
「おい! この簪、高いんだぞ! どうしてくれるんだ!」
幹部がそう喚くのをよそに、しのぶはこう告げる。
「最後に言っておきますが、あなたは私が遊女に向いていない、と言いました。しかし、あなたこそここの管理する立場に向いていません! あなたの下で働いている女性が心底、可哀想ですわ。では~」
しのぶは笑みを浮かべながら荻本屋を後にした。
去り行くしのぶの姿に、幹部は尚も怒鳴り続けているのだった。
こうして潜入が失敗に終わったしのぶだったが、後悔していなかった。そもそも、宇随さんがアオイたちを連れていこうとしたのがいけないんです! 任務が終わったらみっちり蝶屋敷で雑用させますから!
しのぶは怒りに震えながらも取り敢えず、夜の吉原遊郭を歩く。
こうなったら遊郭周辺を歩き回って気配で潜んでいる鬼を探すしかない。それに万が一、店への潜入が必要になった場合でも、別の店に受け入れてもらえる自信がしのぶにはあった。
やがて、店の群れからは外れ、人混みもまばらになり、周囲の灯りも少なくなってきた、その時だった。
巨大な蟷螂のような姿が現れた。全身が薄汚く、顔も醜く、まさに醜悪そのもので、両手には夥しい血糊のついた鎌が握られており……
しのぶは瞬時に鬼、しかも上弦だと察知し、構えた。
そのぎょろっと突き出たような目には「上弦」「参」と刻まれている。
「いいなぁ~、お前! その顔、綺麗だなぁ~! 肌もいいなぁ! シミも痣も傷もなくてなぁ。俺はおめぇみてぇな恵まれているような奴、心底許せねぇんだよ! ああ妬ましいなぁ。妬ましいなぁ。死んでくれねぇかなぁ。そりゃあもう、苦しい死に方でなぁあ。生きたまま生皮剥がされたり、それからなぁ……」
「もういいですから。お前が苦しい死に方で死んでくれませんか? 私、今凄く怒っていて、絶対に容赦しませんよ?」
しのぶが満面の笑みでそう言うと、上弦の参は飛び出るような目をさらに見開き、眦を決して両手の鎌を振り上げ、思い切りしのぶに振り下ろした。
血鬼術 飛び血鎌!
蟲柱・胡蝶しのぶと新上弦の参・妓夫太郎との戦闘が始まった。