わすれもの 作:ヌー
一言で言えば最悪だった。
土砂が混じった川の水はちょっとの先すら見えないし、泳いで陸にあがろうにも泳ぐための腕も両方ないし、そもそもそういうこと考えるための頭が大部分欠けてていつにもまして思考が上滑りするし、あちこち欠けた体を再生しようにも流水に揉まれてちゃ上手くいかないし、こんなことになっても全然この体は死にそうにないし。それでも頑張ったのだ、だってさっさと動けるようになって会いにいかないといけないのだから。けれどどうして会いに行きたいのか、そもそも誰に会いたくて、どこに行きたいのかとか、そういうことは全部わからなくなっていた。流され続けて川辺に打ち上げられた時には。
ぴゅう、と水を吐き出した。まっさらな空の天辺に太陽が輝いている。石ころだらけの河川敷に大の字になって寝そべっていた。さんさんと降り注ぐ日光がぽかぽかと気持ちいい。打ち上げられたおかげで体は全部再生できて五体満足だけど、だからといって起き上がって動くには流石に疲労困憊で、日差しが温かいせいもあって、瞼がしぱしぱくっつき始める。このまま少しだけ眠ってしまおうかな、と考える間もなく、思考がふわふわの綿あめみたいになっていって、もう溶けてなくなる、という瞬間に、それは目の前にぬっと現れた。
「ッセロヴァ立bないせふぉあsぢfvpsミ゜!!!!!!」
「フハハハハハハハハやはり貴様だったかロナルド!!!!!」
「なにしやがるテメェ!!!! その、その悪魔を近づけるんじゃねぇ!!!!!」
軽く三回転半くらいした気がする。飛び退って電柱の上に着地して威嚇する。セロウワァワワアワワもとい悪魔を右手に握って、男は何故か反対の手で目を覆っていた。声はなんだかやけに楽しそうだが、口元もマスクで隠れているから顔が全然わからない。誰なんだなんなんだとか考える余裕もなく男が緑の悪魔をなんか猫じゃらしかなんかみたいに揺らすから生きてるみたいでギャオh八戸kjsdlkjファsdf、パニクっているこちらを見かねたか、男はセロ…をカバンに仕舞い込んだ。
「バカめロナルド!!!! さっさと降りてこんか!!!」
あ、ロナルドって私のことか、とようやく気付いた。相変わらず目を覆っているのに、男は私がいる方向を向いて喋っている。確かになんだか聞き覚えのある名前である。そう呼ばれているということは私はロナルドなのだろう。そして私の名前を知っているということは、この男は私の友達だということだ。えっ本当に??? なんか緑の悪魔とか出してくるんだけど本当に???
「聞こえているのかロナルド、さっさと降りてこい!!! あとまともな服を着んか!!!」
服、と自分を見下ろして、その拍子にひらりと何かが落ちてなんだか風通しが良くなった感じがした。見下ろした体はほとんど素っ裸だった。
「犬拾て余所の玄関に置いてくるアホ同じね、責任取れないなら拾うない」
「迷惑をかけてすまない。だが、あいつにお母さんの大切な服を着せるわけにもいかないだろう!!」
「マザコン拗らせ男。はっきり言って気持ち悪いね」
「あのぉ、そこまで言わなくても……」
ぱ、と二人がこちらを振り向いて、男は一瞬で目を瞑った。女は、いやこっちは同胞だ、ガタンと音を立ててこちらに近づいてきて、ガッと布を捲り上げた。
「ヒェッ」
「どうやたらこうなるある。腕と首と胴の見分けつかない、お前より生まれたての赤ん坊がマシね」
「ウェェェン」
ちょっと関節が今までにない曲がり方してる気がする。同胞はものすごい毒舌で文句を言いながらも変に絡まった服? Tシャツ? を外すのを手伝ってくれて、「動くない、絶対」と言われてぴたりとも動かない俺に服を着させてくれた。優しい。
「いや違うんだよ、ボタンとかがあるさぁ、あの前で開くやつ、そういうのばっかり着てたからわかんなくなっちゃって」
「フハハハハ!!! 言い訳は見苦しいぞロナルドォ!!!!」
「イヤーーーーーッッッッセロビャーーーーーッッッ」
「店荒らすないアホ共!!!!」
がつん、といい音がして男の頭に拳が落ちる。ついでに舌を噛んでしまったのか口を押さえて悶絶している男の手から同胞が緑の悪魔を取り上げて、店の奥へ入っていく。
右も左もわからない私を男が連れてきてくれたのは中華料理店だった。目を塞いだままの男は迷うことなく私の手を引いてこの店までやって来て、『定休日』と札のかかった戸を勢いよく開けたのだ。そして中から出てきた同胞に私の服の調達を頼み、自分は席についてなにやら注文しようとしてシバかれていた。
そんなわけで今自分はTシャツと短パン姿だ。なんか慣れないような、逆にやけに懐かしいような気もする。あと多分これサイズ合ってない。ちょっと胸が苦しい。
部屋の隅からじっと男の様子を注視していたが、どうやらあの緑の悪魔の増援は出てこないらしい。そろそろと近づいて、男の正面の椅子に腰掛ける。正面から男の顔を観察してみたけれど、やっぱり思い出せそうにない。しかし「お前の名前誰だっけ」とか言うと悲しませてしまうだろう。友達みたいだし。確かに俺も友達に名前忘れられたら泣くと思う。そんなに友達いたかわかんないけど。
「フハハハハ!!! 俺が誰だかわからないという顔をしているなロナルドォ!!!! 無理もない。お前は見たところ当時と変わらんが、以前に会った時はまだ俺はこの机より小さかったからな!!!!」
「これより!!!???? 赤ちゃんじゃん」
「いやそこまでではないだろう」
「ごめん」
「まあいい。半田だ。半田桃。これを見ろ」
そう言って男、……半田はスマホで画像を見せてくれた。小さい男の子が、母親にしがみつきながら後ろに隠れている画像だ。
「これが俺の大好きなお母さんだ!!!」
「そっちかよ」
「そっちとはなんだ!!!! お母さんの写真を見られるのだ、一生の栄誉だろうが!!!!」
「いやまあそうだけど」
見たところ半田のお母さんは吸血鬼である。一緒に写るにはちょっとした苦労が必要だろう。そして半田が目を覆っていても私の居場所がわかった理由もわかった。彼はダンピールなのだろう。だから目を瞑っていても、私の気配がわかったと言うわけだ。まじまじと半田のお母さんと小さい半田を見ていると、確かになんだか見覚えが、あるような、ないような、そんな気がする。
「まだピンときていない顔をしているなロナルド!!!! まぁいい、本題に入るぞ。これは河川敷で倒れていた時お前が着ていた服だが」
「えっ、なんで半田が持ってんの……?」
「純粋に気持ち悪い。セロリ定食お待ちね」
「セロrrrrrrrrrrrrrrリャッハぁぁぁぁァアアア!!!!」
「勘違いするな。俺は変態ではない。変態だからこの服を回収したわけではない」
「店壊すない何回言ったらわかるある。大人しいするできないかお前」
「ダッ、だってだってセロゥヴァァァァァァア!!!!!!」
「この服を見たところ、ロナルドは少なくとも右肩、左上腕、後頸部、左胸部、胸部正中、右側腹部、左下腹部、両大腿部に銃弾を受けている。それも恐らくは銀だ。この布を貫通できる弾丸は純銀以外ないだろう」
「は? 冗談言うない。ロナルド傷一つないね」
「そうだな。しかし服の状態から考えると銃による攻撃を受けたと考えた方が筋が通る。シャツしか残っていなかったから、上半身の情報しかわからんがな。ロナルドの傷がないのは奴の再生能力のせいだろう。奴は冗談のような身体能力と再生能力の持ち主だ。そしてそんな奴に銃弾をこれだけ叩き込める奴を、俺は一人しか知らん」
「どしてロナルドの能力知てるか。さっき河川敷で拾てきたばかりのくせに」
「レッド・バレットだ。数十年前に出現した、人間に敵対的なものも友好的なものもお構いなしに吸血鬼を襲った悪夢。多数の死傷者を出した危険度Aオーバーの吸血鬼。そいつがお母さんを殺そうとした時にあのおじいさんがそいつを吹っ飛ばし、ロナルドがお母さんをびょうい、……」
「話の途中で黙るない」
「いや、せっかくのセロリ定食が冷めると思って」
「ああ、そうだたな。よく気づいた褒めてやるある。温かいうちにさっさと食べろ。あとロナルド、部屋の隅で震えてる見る邪魔ね。暇なら厨房来て仕事手伝え」
「ひぇーーーん……。ごめん名前教えて」
たーちゃんと名乗った彼女の後について厨房へ入った私は、頼まれた仕事をことごとく失敗して部屋の隅で体育座りをすることになった。めちゃくちゃ皿割っちゃったのにたーちゃんは私に餃子をご馳走してくれた。優しい。
「ニンニク料理美味そうに食べる、お前いい奴ね。迷子だたな、しばらく家にいるよろし」
「ああ、そうしてもらえると助かる。これだけの力を持つ吸血鬼だ、迷子の馬鹿とはいえ野放しにしておくわけにもいかん」
「誰が馬鹿じゃ半田ゴルァ」
私は正直に言えば血よりも人間の食事の方が好きなので、たーちゃんの出してくれたご飯はとても嬉しかった。ご飯を食べて喜ばれるとはおかしなこともあるものである。
そして、私が河川敷に打ち上げられるまでのことをまるで覚えていないことを話すと、半田もたーちゃんも難しい顔をした。特に半田だ。こちらに身を乗り出して、一枚の写真を見せてきた。
「こいつに見覚えはないか。こいつがお前を撃った犯人ではないかと、俺は疑っている」
「……どれ?」
「これだ、この写真の右上の屋根の上にチラッと映っているだろう!!!」
「いやちっちゃすぎんだろわかんねぇよ!!!」
「ゴマ粒並ね、誰が撮たあるこんなクソほど役立たん写真」
「俺だ!!!」
「お前写真撮る才能皆無ね、そのへんの雑草の花でも撮て喜んでろ」
「た、たーちゃん。その辺にしといてあげてくれませんか」
半田は何やらとてもがっかりした様子で、「覚えていないものは仕方がない」とその日は店を後にした。去り際に、だが思い出したらすぐ言え絶対に言えどんな小さなことでも言え、と胸ぐらを掴まれて凄まれたので思い出してあげたほうがいいんだろうけど、どうもぼやぼやしている。
帰らなきゃ、戻らなきゃ、とは思うけれど、帰る場所がわからないし、たーちゃんのご飯は美味い。お店が開いている時間は邪魔だからと店から追い出されて暇だけど、ご飯は美味しいし、たーちゃんは毒舌だけど優しいし、半田は緑の悪魔をけしかけてくるけどなんだかんだで遊んでくれるし、でもここにいちゃ駄目だし、早く行かなきゃいけないし、でもどうしたらいいかわからないし、ちょっと暇な時は、大体そんなことをぐるぐる考えながらその辺をふらふら歩き回る。
たーちゃんのお店があるあたりは住宅街で、人間の親子とかがたくさん住んでいる。中には半田んちみたいに吸血鬼と人間の家庭もあるけれど、実際そこまで吸血鬼は多くもなくて、つまりいきなり現れた吸血鬼である私は、周りの人たちからは警戒されているみたいだった。だからあんまり人と会わないようなところを散歩するんだけど、それでも出くわしちゃった人がビクッと驚いてたりするのでなんか申し訳なくなる。
たーちゃんと半田は友達だけどどっちも仕事で忙しくてあんまり遊べないし、なんか暇だなぁ、楽しくないなぁ、と思いながら、今日も今日とて散歩をする。好き勝手しても皆怖がるだろうからあんまり走ったり飛んだりできないけど、昨日会った猫とかにまた会えると嬉しくなる。大体すっごい威嚇されるけど。そしてまた三毛猫に引っ掻かれてしょんぼりしながら、ふと思いついた。私は川に流されてたんだから、川を遡れば戻れるんじゃないだろうか。
思い付いてしまえば単純なことだった。私は中華料理店に戻るとたーちゃんに「川に行ってくる」旨を伝えて、もらったあんまんを手に意気揚々と走り出した。
ここは川辺の街だから、もちろん川にはすぐに着く。私が流れ着いていた川は、数日前より随分流れが落ち着いていた。空が夕焼けに染まる頃合いだ、学校が終わったらしい子供たちが河川敷で遊んでいる。子供たちに見つからないように遠くから、さてどっちが上流だろう、と川の流れを目を眇めて見ていると、
「オルァアやっと見つけた、ぜ!!」
と声と同時に背中に何かぶつかった。わ、と勢いに押されて少し、姿勢を崩す。振り向くと、どうやら私に勢いよく抱きついてきたらしい相手は私の両肩に手を乗せた。
「よぉ、ロナルド!!! 元気そうだな、」
「ちょっと待って」
手のひらを彼女に向けて、タイムを要請する。シスター服のような衣装を纏った彼女は、出鼻を挫かれたようにきょとんとしている。
「いや、大丈夫。忘れてない。えーと、あれだよな。あの、ほら、えーと、」
「あー、そっか。マリアだよ。そんで荷台で布引っ被ってんのがショットとサテツな。おい元気だったか? カジュアルなのも似合ってんなおい、でもサイズあってねーだろそれ」
「おいロナルド!!! こっちから吸血鬼の気配が」
「おっあいつ友達かよ? ロナルド。ダンピールじゃん、しかもあの格好からすると退治人か? 遊び甲斐ありそうじゃねーか」
「仕事中だから遊べないんだって、……そうだ、マリアだな、うん。マリアと、ショットと、サテツ」
マリアが乗ってきたらしい軽トラに半田が飛び乗って、日除けらしい布を引き剥がされたショットとサテツが情けない悲鳴を上げている。
「悪いな、本当はすぐ追いかけたかったんだけどよ。ダム直してて遅くなった」
「ダム」
「ダム。この川の上流のな。俺たちの活躍で無事元通りになったぜ」
「ほう。話を詳しく聞かせてもらえるか」
ショットとサテツの首根っこを掴んで引き摺ってきた半田が、警戒を隠そうともせずにマリアに向き合う。
「ああ、いいぜ。もちろん」
マリアはあくまで堂々と、豪快な笑顔を見せた。
「──ああ、見たぜ。あいつあれだろ? レッドブラッドだかなんだか」
「レッド・バレット。レッドブラッドではただの血だろう」
「それそれレッドバレット。逃げられたけどな」
「どんな姿をしていた」
「奴はな、恐ろしい形相をしていたぜ。……満月の夜だった。真紅の衣を纏い、銃口をこちらに突きつけてな。今にもその引き金を引こうと指に力が入ったとき、俺の魔眼が」
「イソギンチャクうるさいね、グダグダ無駄なことばかり喋てる間に皆ミイラなてるある」
「ごめんなさい」
「ロナルドは、覚えてない? 撃たれたんだろ?」
「……なんか、思い出しそうだけど」
気遣わしげなサテツの視線を感じながら、俯いて顔に手を当てる。レッド・バレット。赤い服。赤い外套。丸い月。銃声。風船。赤。青。銀。
「……私、その人に会いたいな」
シン、と皆が口を噤んだ。え、と顔を上げると、「いいなぁそれ!!」とマリアが隣から肩を抱いてくる。
「俺もちゃんと遊んでみたかったんだよ、すっげぇ戦り甲斐がありそうな奴じゃん!!」
「例のレッド・バレットの活動地域とかはわかるのか、えーと、半田さん?」
「あ、あぁ。とにかく吸血鬼がいる場所だ。特に吸血鬼が暴れているようなところには神出鬼没で、」
「このへんだとシンヨコね。あそこ吸血鬼好き勝手する」
「す、好き勝手……。どんな場所なのかな」
「住んでいる吸血鬼も多いが敵対的な吸血鬼も多く、退治人も吸対も練度が高い。貴様らのような友好的な吸血鬼をわざわざ傷付けるようなことはないとは思うが」
「手応えのある遊び相手がいるってことか!! いっちょ殴り込みに行ってみたら楽しそうだな!!!」
つまり。
そのシンヨコには、遊び相手になりそうな人間がたくさんいる。その中には私を殺せるようなのもいるかもしれないし、それに、そこで遊んでいれば、
「俺たちが散々引っ掻き回してやれば、例のレッド・バレットも出てくるかもしれない、ってわけだな。フッ、このショットさんにかかれば」
会えるかもしれない。
「いいな、それ!!!」
大きな声でそう言えば、マリアがぎゅっと私を抱き寄せて、サテツが私の背を叩いて、ショットが私の頭を撫でて、たーちゃんが仕方ないというように口角を上げて、そして半田は頭を抱えた。
「北に1km……、15、16か。そして一際大きい気配が一つ……」
そしてその大きな気配はめちゃくちゃ馴染みのある気配だ。あの小娘何してやがる、とキリキリ痛む胃を押さえながらドラルクは年上の五歳児に脳内でつらつらと呪いを吐き連ねる。
「突然の新横浜への吸血鬼大侵攻……」
この街は私が守らなくては、と少女は帽子を被り直す。大切な人たちの住む大好きな街だ。どれだけ強大な相手であろうとも、この街を守るために、ヒナイチたちは負けるわけにはいかない。キッと向こうを睨み据えて、少女は不敵な笑みを浮かべる。
「──あれが常夜の街ですか。噂通り奇妙に心地良い空気……」
なにやら話し合っている仲間を見遣って、なんかやけにメンバーが増えちゃったなぁ、とロナルドは思った。そう思いながらもロナルドはわくわくと浮き立つ気持ちが抑えられない。
あの街には、どれだけ楽しいことがあるだろう。どれだけ強い相手がいるのだろう。私を殺してくれるだろうか。あの人はいるだろうか。赤い外套に銀の銃、銀色の髪に青い瞳。きっと、多分、彼は私に終わりをくれるんじゃないだろうか。
「……■■■、」
ヴリンスホテルの屋上で、その人は小さく呟いた。