水の国は、昔から大名の座を巡った戦いが多かった。
故に治世が定まらず、国が荒れることなど日常茶飯事だ。その煽りは国内の村や街も当然の如く受け、治安に悩まされている者も決して少なくない。
そしてその動きは水の国と密接な関係にある霧隠れの里にも当てはまると言えよう。国が荒れれば里が荒れ、里が荒れれば国が荒れる。それは霧隠れの里が水の国にとって最も便利な暴力装置であり、また生命線でもあるからだ。
だがそうして長く盛衰を繰り返してきた水の国は、最近新たな水影の就任をきっかけに変化の兆しが訪れた。
元より閉鎖的だった初代。
解放的ではあったが時代の所為か本人の人柄か、争いの中心であることが絶えなかった二代目。
初代の意思を継いで、より閉鎖的に、そして悪辣な治世を行った三代目。
何者かに操られ、先代の血霧政治を増長させた四代目。
そのどれとも違い、新たな影……五代目水影は里自体の暗い雰囲気を一掃したのだ。
解放的で、それでいてなるべく平和に寄せた……そんな政治を。
それが彼女が、数多の同士を引き連れクーデターを望んだ先にあった、明るい未来だった。
無論、先代が残した負の遺産……と言うより借金と言った方が正しいであろう負債はまだまだ残っている。
三代目から四代目の終わりまでという、期間が長すぎたのだ。あまりに暗い時代でいたのが。
しかしそれもまた徐々にではあるが、より良い方向へ向かっていると水影は思う。
そしてその働きかけは、里のみならず水の国自体へも行っているのだ。
その成果か、未だ手の届いておらぬ場所はあるが治世は整いつつあると言えるだろう。
だがそんな水の国にて鵺が月麻呂を連れて訪れたのは、その未だ手の届いておらぬ……暗い目をした者が多い街だった。
往々にして、国の中央は栄えるが末端に位置する街や村には手が届かないのは、よくある話だ。
そしてそんなよくある話だったからこそ、月麻呂は街と言う存在を恐ろしい場所だと認識しているのだが。
だが鵺は違う。
確かに逃亡の旅を始めた頃は人が怖く、そんな人が沢山いる街など恐ろしくて仕方なかった。しかし力を手にして、その強さや自信を実感してからは一般人など恐れる必要が無くなったのだ。
初めてそう認識した時は、幸せに一歩近づいたと笑顔が溢れた。そして同時に、力こそが幸せをもたらすとも。
「いい? 月麻呂。食べたい物はこうやって買うんだよ」
少しだけお姉さんぶって、鵺は得意顔で月麻呂に買い物の仕方を教えた。
これは鵺自身が、白や再不斬に教えてもらったことだった。
盗むのは良くないことで、ちゃんとお金を払わなければならないことを白が。
盗みは無駄に目を付けられたり、最悪追われる可能性があって面倒なことになるから、あまりしない方が良いと再不斬が。
正直なことを言えば『良いこと』と、『悪いこと』や『良くないこと』の差など鵺にはよく分からない。
だがダメだと言われればそれに従うのが、鵺の素直なところだった。無論、必要だと思ったことや自分に害の無いことに限るが。
そうして彼女たちの身体には、少し多いくらいのパンと焼き魚を買った。
得意になった鵺が少々買い過ぎた、と言う形だ。
「ここで食べよ」
人通りの少ない大通りを避けて、二人は細い路地に入った。
これは、あまり自覚は無いが今まで聞いた会話や言葉から、自分のことをかなりの人数に知られていると海月が推測し、顔を隠すのをなるべく意識させているからだ。
少し面倒だが、鵺は家族の言葉には聞き分けが良く……特に夢現獣の術の家族の言葉には絶対に従うのだ。
が、今回ばかりは少しこの行動は、不幸な人間を一人増やすに至る。
「おぉいガキどもぉ……なぁに食ってんだぁ~? 俺にも分けてくれよぉ」
彼女たちの背後から、随分と酒臭い体臭を撒き散らかした中年が現れた。
彼はガタイが良く、実に鵺の1.5倍ほどの身長だ。月麻呂に至っては二倍近く差がある。
「ヒッ……!」
月麻呂はそんな男の乱入に、体を強張らせてしまう。手に持っていたパンは虚しく落ち、その眼には涙さえ浮かんでいる。
よほど男が怖いらしい。あと数秒ほどすれば、怯えて腰を抜かしてしまうかもしれない。
そして一方で鵺は……深く被ったフードの奥で、力強く男を睨みつけていた。その眼は激しい憤怒を滾らせており、普段他者に無感情な眼がギラリと光っている。
「……海月」
『分かりました』
言葉はそれだけでいい。
「ん? なんだぁ?」
鵺はそれ以上言葉を発さず、男に近づいた。
時にこの忍界では、チャクラを操れるか否かと言うのは……とても大きな差として現れる。
例えそれが男と女でも……中年男性と幼い少女であっても。
「ぐぇ」
ヌルリと粗雑に鵺の手が男の腹辺りの服に伸び、チャクラを込めて力強く引っ張る。するとチャクラも使えぬ一般人である相手は抗える訳もなく、呻き声を上げて自然と膝を折り、顔の位置が鵺と同じ高さに来た。
そして──────
「あ、ぇ……」
服を手放した右手が彼の頭を掴む。するとローブの緩い袖から、無数の触腕が溢れ出た。
それらは次の瞬間には彼の頭部にある穴から内部に入り込み……
無情に、苛烈に、無差別に。命の要所を破壊した。
当然の如く男は僅かに声を漏らした後に、倒れ伏す。そして数度痙攣すれば、もう動くことはない。
無論口を開くことも、彼女たちを脅かそうとするあの目も、開かない。
「大丈夫だよ。もう怖くないよ」
鵺はその結果に満足し、もう興味も無いと言わんばかりに男から目を離した。
そして傍で震えているしか出来なかった可哀想な
「あ……あぁ……」
彼女から返答ではなく吐息が漏れた。
そしてその眼は……
どうしようもなく、輝いていた。