強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

22 / 90
第22話 ターニングポイント

 新潟遠征から戻ってきた私は、その日は休み、翌日の月曜日にトレセン学園へ登校して授業を受けた放課後になって生徒会室に脚を運んでいた。

 

 生徒会室の扉を開けようとした瞬間に、背後から声をかけられる。

 

「……何か用か?」

 

「あ……ナリタブライアン副会長。実は会長に話がありまして――」

 

「……だったら、扉を開けてくれないか」

 

 見るとナリタブライアンの両手は段ボール箱を持っているために塞がっていた。

 

「あ、はいっ!」

 

 人が居なかったら多分、脚で開けて、それをエアグルーヴに咎められていたりするんだろうなあ、と内心思いつつも生徒会室のドアを開ければ、そこには机上にて事務作業をするシンボリルドルフの姿があった。

 

「助かるよ、ブライアン……っと、サンデーライフ。君がここに来るとは珍しいね」

 

「まあ……はい。少々相談したいことがありまして。今がお忙しいようでしたら、空いている日時をお伝えいただければ改めて――」

 

「いや、その必要はないよサンデーライフ。ちょうど一段落ついたところだからね。そこのソファーで良いかい?」

 

「わかりました」

 

 なお、このやり取りをしている間にナリタブライアンは居なくなっていた。誰がどう見ても面倒ごとの類であるから話を聞いてしまう前に退散した、という側面と、外に話を漏らしたりすることは無いが会長に対して相談しに来ている私に配慮した、という二面性が共存する動きとみえる。

 

 そして5ヶ月ほど前……例の資料室の管理権限を頂いた後に、エアグルーヴに連れられて生徒会室を訪れたこともあったが、その時と同じく例のエクリプスのスクールモットーがよく見えるソファーに座った。

 

 シンボリルドルフが先手を切る。

 

「まずは、先におめでとうと言った方が良いかな。

 清津峡ステークスの勝利、実にお見事だった。百折不撓とはまさしくこのことと言ったところだろうか」

 

「あ、恐縮です……」

 

「これでサンデーライフ。いよいよ本格的にオープン戦へと挑戦するわけだが……。生徒会室に用事とは、一体どのようなことかな? いやはや、別に君が世間話をしたいと言うのであれば私も喜んでそれに応じようとも」

 

 私自身が普通よりも目立つ生徒である自覚はあるから、シンボリルドルフに私のオープン戦昇格自体が把握されているかもしれないとは思っていた。しかし、レース名まで認識していたというのは驚きも大きい。

 

 そして世間話云々は、そこそこシンボリルドルフの本心っぽい。『皇帝』クラスまでいってしまうと何の気兼ねなしに話せる相手は、それこそミスターシービーやマルゼンスキーくらいだろうし、そもそも彼女たちは生徒会室を訪ねる頻度は極めて少なそうである。カツラギエースとかビゼンニシキ辺りの会長同期組も生徒会室には来なさそう、イメージ的に。

 ……まあ。かくいう私も用があるときであってもここへ来るのはかなり畏れ多いので、そのシンボリルドルフの胸中を満たす存在にはなれない。

 

「……2点、お話があります。まず重要な方から。

 判断の可否はシンボリルドルフ会長にお任せいたしますが、もし会長、貴方自身も必要だと感じれば、私からの『URAへの抗議』を非公式という形でお伝えいただければ」

 

「抗議、とはおおよそ穏やかではない言葉が出てきたね。一体何があったのかい?」

 

 少なからず私の『抗議』という明瞭な言葉に対してシンボリルドルフは驚きの表情を見せていた。……もっとも、ある程度私が何に悩んでいるのか自体はおおよそ見当は付けていたけれども、まさか抗議までするとは、といった反応だと思われる。

 

「私が前走で出走した『清津峡ステークス』の興行日程の公示時期についてですね。レースを知ってから出走登録するまでに2週間しかない、というのは流石に短すぎるかと愚考いたします」

 

「……。正直、それについては私も思うところはあるけどね。

 しかし、良いのかい? ……敢えて無礼を承知で言うけれど君は『そのおかげ』で勝ったのだろう?」

 

 その会長の言葉は、乗せた声色や表現こそ厳しいものであったが、決して私のことを糾弾するつもりでないことも同時に察せられた。そして会長自身も、私が本来の実力ではオープン戦ウマ娘となるだけの能力を有していないと考えている何よりの証左であった。

 

 そこまで踏まえるとシンボリルドルフの意図としては『正気か?』ということなのだろう。この抗議によってURAの怒りを買って清津峡ステークスにおける私を失格処分にすることをちらつかせるかもしれない。

 そんな危険を冒してまでわざわざ抗議をするくらいならば、大人しく黙って今の勝利を受け取る方が賢明な判断であるのは一種の正解だ。ましてや、私に周囲を黙らせるだけの実力は無いのだから。

 

 

 ――ただし。

 

「……シンボリルドルフ会長のご心配は、恐らく私が失格処分になることだと思われますが。

 ですが――そこまでの処分を下して本当に困るのはURAの方では無いですか? 私とともに無理心中出来るほど小さな組織ではないでしょう?」

 

「……」

 

 シンボリルドルフは押し黙った。

 レース結果が確定した後に、当該ウマ娘を事後失格処分にする制度は確かに存在する。

 その対象となる違反行為は主に3点。1つ目はウマ娘自身がレースに全力を注がず手を抜いたことを公言した場合。これは競走精神とかスポーツマンシップの問題などというよりも、認めてしまうと八百長に直結するものだからである。

 2つ目がウマ娘の体内から使用の禁止されている物質が検出されたとき。まあドーピングである。

 そして最後に、不正協定の発覚。先の八百長にも関連する話であるが、もし現行制度で私を失格処分にするのであれば、この『不正協定』が適用される可能性が最も高い。

 

 けれども、もし私の行為が『不正』と認められたとして、『レースの興行日程の公示日が遅いのを利用した』ことを不正とするのであれば、その私の不正取引の相手先は他ならぬURAとなってしまう。

 それでは私を失格にすることでURA自身が大火傷を負いかねない。

 

「……見知った相手でもない者が『賢明』であることに期待するというのは、些か不用心にも思えるけれどもね。サンデーライフ、そこまで賢い君には黙することも出来たはずだが?」

 

「……それなのですけれども、シンボリルドルフ会長。

 この一件、小火で済むか大火災になるかは分かりかねますが、一切の問題にならないということはないかと思われます」

 

「……まあ、そうかもしれないね。時の風化がすべてを押し流してくれるとは思うが、君の活躍次第では『話題性』はあるだろう」

 

「この抗議は一種の自己保身であるとも捉えて貰えると。究極的に言えば、これで一切の事務手続きの遅滞が是正されるなど考えておりません。

 ……ただ。本件が『大火災』になったときに、こうして抗議を行い……そして非公式にでも『揉み消された』事実というのは、私に優位に働きます」

 

 私がレースを実力ではなく『興行規則』で勝利したことに対して糾弾がなされたとき。

 そうなったときに、勝利を事後失格制度で取消にされる覚悟ですぐにURAに抗議しようとして黙殺された事実の有無は、問題になってからこそ大きいと思う。

 言わば一種の保険でしかない。本件に関してURA側が対処を誤らなければ、今の私の行動は全部無意味だ。シンボリルドルフの言葉を借りるのであればURAが『賢明』で無かったときにはじめて効力を発揮するものである。

 

 シンボリルドルフはソファーの背もたれに寄りかかり、溜め息を吐きながら語る。

 

「……成程、総括すれば。

 最初から私か学園かURAのいずれかが揉み消す前提の抗議ということか。問題にならなければ万事解決、もし本件で炎上したときには今ここに居る事実そのものが君を守る傘となるわけ……か。

 それで抗議の中身自体は、私の意に沿う……サンデーライフ。今の君がクラシック級ウマ娘であることを今更ながら惜しく思うよ。

 競走ウマ娘として成長著しいこの時期でなければ、私は君のことを生徒会に欲していたところだ……いや、今からでも内定させてくれないかい?」

 

 

「――私が今だからこそ、この提案をしている……と言ったら。シンボリルドルフ会長は失望するでしょうか?」

 

 この言葉には今だから生徒会に会長が無理に誘わないという意味のほかに。

 私が前々走の『阿寒湖特別』の影響で、アイルランドの国営放送に名前が出た存在だということも加味されている。あのニュースが有名無実のものでしかないことを分かっていても、私を不本意な形で競走の場から無理やり引き摺り下ろそうとするのであれば、それがURAであってもシンボリルドルフであっても、国際的な批判を受ける恐れがあるという、本来あり得ないリスクを計上する必要がある。

 まあ、私とファインモーションの関係性はブラフでしかないが。でもその『虚構の関係』が私の競走ウマ娘としての人生を担保するものになるならば、私はそれを利用する。……まあファインモーションには後々全部バレそうだけどね。

 

「――まさか。そうだね……1つ聞かせてもらおうか。

 自己保身があるとはいえ現行の興行日程の公示の是正は、今後君の不利になるとしても実施されて欲しい……その考えも確かにあるね?」

 

「……っ」

 

 これに即答できなかった。あれだけ保身を全面に押し出していたのに……。

 そしてその時のシンボリルドルフの表情はしてやったりというものであった。

 

「――君の申し出が真に『自己保身』に依拠するものであれば、そこは何の躊躇いもなく肯定の意を示しただろうね。……正直、その反応で安心したよ。

 つまり少なからず、あの勝利の形に君は罪悪感も感じている――義侠心から来る行動でもあるわけだ」

 

「……どんな形でも勝利を掴み取ることと、それで何も感じないことは……別、ですよ……」

 

 

 結局、私は本心を吐露してしまった。

 『興行規則』による勝利。もし時を戻してやり直せるとしても私は何度だって同じ選択をする。

 

 覚悟もあるし、実力勝負だけでは頭打ちになるのも分かっていた。

 しかし様々なオブラートに包まれていたはずの『心理的動揺』を皇帝は看破していた。それは何故、と思っていたら、私の表情から内心の疑問を悟ったのかシンボリルドルフは語る。

 

「なに、単純な話だよ。『不本意な形の勝利』――それに私も心当たりがあるというだけさ」

 

 自身のレースのことか、それとも生徒会長として見てきたレースの中で思い至ったもののことだろうか。どう告げるか逡巡していると――

 

「おや、珍しく物分かりが悪いじゃないか。『皐月賞』と言えば……分かるかな? 『興行規則』に詳しい君なら言わんとすることは分かるはずだ」

 

「……あれは。斜行は、当時の規則(・・・・・)では降着などの処分は無いはずですし、何より罰則自体は受けているはず……」

 

 

 ――シンボリルドルフ号の皐月賞。最終直線にて2着を走っていたビゼンニシキ号の進行方向へと斜行し接触。それは走行妨害であり、騎手には実際に罰則も与えられている。

 ……が、その当時、走行妨害による降着制度自体が存在しなかった。それが制定されたのは1991年。シンボリルドルフ号のクラシック時代の7年後である。

 

 確かに現行制度では降着もあり得るものであったかもしれないが。しかし、当時の制度としては全く問題は無い。だから『無敗の三冠』という称号は決して風化しないはずであるが……当の本人がそれをどう感じるのかは、別の問題。

 

「……ああ、確かに私は2日間の自室謹慎処分は受けている。当時もそれで処分を受けたという認識だった。

 けれど。降着制度が出来て、実際に『審議』で降着する者が現れてからは……あの『勝利』が今でも本当に正しいものであったのか分からなくてね」

 

 

 降着制度がない時代の斜行勝利と、新設レースの公示日を利用した興行規則勝利。

 

 どちらも制度上の瑕疵は無い、あるいは無かった。

 でも――だからこそ、シンボリルドルフは私の勝利に己の皐月賞を見出したのであろう。

 

 ……私の心中の吐露まで求めたのも、影を重ねていたからこそ私が自身の『不服な勝利』をどう感じているのか知りたかった、ということなのかもしれない。

 いや、Pre-OP戦のレースとクラシック路線のGⅠ大舞台・皐月賞を同一視しないで欲しいけれども。私に寄り添っているようで微妙にずれている。

 

 というか、そもそも前提が異なるのだ。

 別にシンボリルドルフは、斜行しなければ勝てなかったわけじゃない。それに対して、私は『清津峡ステークス』でなければ今の時期にPre-OP戦を突破することは不可能だったと言って良い。

 

 

 だからこそ――私とシンボリルドルフは決定的に違う。

 

「シンボリルドルフ会長。……もう1つの用件をお伝えしてもよろしいでしょうか? 一応、関連はすることではあるのですが……」

 

「おっと、そうだった。君は『2つ』話があると言っていたね」

 

 

 一拍置く。実を言うとこれを会長に伝える必要は無いけれども、意思表示としては意義のあることだろうと思いたい。

 

「シンボリルドルフ会長もご理解している通り、今の私はオープン戦にて戦っていくだけの実力に不足していることは私自身痛感していることであります――」

 

「……っ! まさか、サンデーライフ。君は――」

 

 

「……改めて同じ言葉を別の意図で口にしましょうか。

 『平地競走ウマ娘にとって障害転向とは、ただ未勝利ウマ娘に残された岐路の1つとしてだけではない』……ええ、ご明察の通りです。

 

 ――私は障害転向を希望いたします」

 

 

 平地競走と障害競走の賞金体系は別。

 ということは、平地競走でオープンウマ娘となった私であっても、障害レースにおいてならば未勝利戦に出場することが出来る。

 

 

 

 *

 

「――まあ、君自身の進路だからね。

 生徒会としては把握のために一応障害転向をする場合には書類を提出することにしているが、それすら本当は必要のないものだ。私としては君の決断を止めるつもりなど毛頭無いとも」

 

 その雄弁に語る姿は威風堂々としているはずなのに、どこかしょんぼりとしていた。ションボリルドルフというやつだ。

 

「とりあえずは一時的措置のつもりです。障害未勝利戦に何度か挑戦してみて、手応えを掴めたら再び平地競走に戻ることも検討しております」

 

 ……まあ、これが結構異例なのは自分でも理解している。会長の表情は喜色を取り戻したように見えたが。

 なお障害競走で重賞を獲得した競走馬が、その後に平地競走に戻って平地の重賞を取った例は存在しない。いずれ出てくるかもしれないけれどもね。

 重賞ではない障害勝利後に、平地に出戻りした競走馬で最も著名なのはメジロパーマー号であろう。つまり私は、ひとまずはパーマー路線を目指すこととなる。

 

 

「承知した。君の障害転向の話も寝耳に水であったが、それは構わない。

 ……で、実は私からも君に1つ伝えたいことがあるのだけれども、今、伝えてしまっても構わないかい?」

 

「……えっ、あ、はい。別に構いませんが、一体……」

 

 そう言うや否や、シンボリルドルフは立ち上がり生徒会室を出ようとする。彼女は着いてくるように促したので私は会長の後を追うように足を進める。

 

「え、あの……どこへ向かっているのですか……?」

 

「それは黙秘させていただくよ……楽しみが半減してしまうからね」

 

 

 生徒会室で私からの話を聞いていたときよりも心なしか楽し気にしているように見える。

 

 

 そして到着した先は――トレーナー室。

 トレーナーは育成するウマ娘との作戦会議をしたり他のトレーナーに見られてはいけない作業をするために個室も分け与えられているが、ここはその個室ではなく共用スペースのトレーナー室であった、職員室みたいな感じ。

 

「……ええと」

 

 

「紹介しようか、彼女が――」

 

「あ、シンボリルドルフさん! ご厚意はありがたいのですが、最初の挨拶は自分でやらせてもらっても良いでしょうか!」

 

「ふふっ……すまないね」

 

「いえいえ、サンデーライフさんをここまで連れて来てくれただけで充分です! では、コホン。改めて――。

 初めまして、桐生院葵と申します! 今回、貴方のことをスカウト希望しております学園所属のトレーナーです」

 

 

 ……えっ。

 

 えええええええええっ!?


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。