強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

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第23話 一水四見

 桐生院トレーナーによる私のスカウト希望。

 色々な内面の動揺とは裏腹に、その日は顔合わせだけで終わった。

 

 で、そういう私の心の機敏を読み取ることにも長けていたのだろう、生徒会長・シンボリルドルフは、数日後に言伝で『何もないことになった』という一言だけを残した。それはつまり、私の『抗議』がどこまで伝達したかは不明だがとりあえず上層部へと『非公式』で伝わり、そして伝わっただけ(・・・・・・)という私の望んでいた形に落ち着いたことを指し示していた。

 本来ならばその会長の手腕に感嘆し、私の脳内で称賛の嵐を吹かせる類のビッグイベントであったはずなのに、私のキャパシティは完全に桐生院トレーナーのことでいっぱいいっぱいになっていた。

 ……もしかしたら、そういう状態にあることを見込んで、最も私の手を煩わせない形での終幕へとシンボリルドルフが誘導したのかもしれない。

 

 で、問題の桐生院トレーナーの件。

 最初、私はようやく専属トレーナーのスカウトが来てくれたやったー! って感じの勢いでスカウトではなく正式な契約を結ぼうとしたが、

 

「……サンデーライフさんが、私のことをどう思うのか現時点では分かりませんから、急ぐ必要は無いですよ。

 勢いで決めた後に『何か違う』となってしまえば、お互い不幸なことになってしまいかねないですから」

 

 と、そんな感じで優しく諭されてしまったし、言っていることには一理あったので私もひとまず仮という形で様子を見ることにした。でも、こういうことを言ってくる時点で、致命的に合わないってパターンは少ない気がするけど。

 

 ただ仮の身分であっても、『もし私がトレーナーにならないとしても細かいデータを蓄積しておくに越したことはない』と桐生院トレーナーから言われて、まず最初に求められたのが、私の身体上のデータ。

 勿論、トレセン学園の健康診断データくらいならばトレーナーは守秘義務の下で自由に閲覧可能であり、桐生院トレーナーもまた入手済であった。しかしもっと細かい様々な健康上の指標が欲しい、と言われて、それについては私も取っておくこと自体に意味はあると思って了承。

 確かに今まで色々と自己管理でやり繰りしてきたけれども、スポーツ医学的な専門の知見という観点は私には無かった。血液検査であったり、唾液などを使った遺伝子検査まで行うことになったが、この時の私は『清津峡ステークス』後のクールダウン期間で放課後のトレーニングなどは特にやっていないタイミングだったので心置きなく検査に専念できたのである。

 

 ……そう言えば。ファインモーションの育成シナリオ中にてエアシャカールが『遺伝子が適性距離に影響している』という研究があることを示唆していた。細かい内容は、専門領域に入ってしまうので私も詳しくは知らないが、確か競走馬であれば『ミオスタチン遺伝子』というのが勝利馬の走行距離と相関があるらしく、血統によって得意距離が左右されることもある現象については、これが1つの要因になっているのではないかという話があった。

 ただ、複合的な要因の1つにはなり得ても競走能力の決定因子になるわけではなく、サラブレッドの競走能力を左右する遺伝子がミオスタチンのみではないことと、更には後天的な育成環境やレース経験、あるいはレース当日の様々な条件などによって非常に大きく左右されるので単なる『競走馬の強さ』みたいな指標として扱えるものではない。

 

 というか遺伝子によって距離がすべて一意に定まるならば、私やハッピーミークのような全距離対応型のウマ娘というのは出てきてはいけないということになるし、因子魔改造組であるメジロマックイーンやハルウララに起きている現象の説明すらつかなくなってしまうから、あくまで参考の指標ではある。

 

 桐生院トレーナーも私に検診を受けてもらう説得材料として、ナチュラルに医学的な論文を私に手渡してきた。しかも英語のものを。

 

「あの……すみません。流石に技術的なものは前提の知見が無いと何も分からないので……」

 

「――あれ? あの資料室には確か海外のレースの興行規則の中に使用禁止物質に関する資料も置いてあったはず。てっきり医学的なものも読み解けるのかと――」

 

 

 あー……。ちゃんとあそこの部屋に何があるのか分かっている人から見れば、私ってそういう扱いになるんだ。そっちの方向性の過大評価は想定していなかった。なまじ同じ個室持ちにアグネスタキオンという本物の天才が居るから、誤解する気持ちは分からないでも無い。

 

 確かに、これは相互理解に少し時間を置いた方が良いかもしれないと思い直す出来事であった。私が桐生院トレーナーについて知る、というよりも桐生院トレーナーが私のことをどれだけヤバい奴だと評価しているのかを調べてちゃんと是正しなきゃ。

 

 

 

 *

 

 桐生院トレーナーから検査の行き帰りの往復の送迎でいくつか彼女に質問をしたりした。

 その中で一番重要そうなものは、彼女の本来の担当であるハッピーミークについてである。実はハッピーミークは現在シニア級2年目に突入しており、同時に桐生院トレーナーも学園の配属になってから4年目――ということでアプリの育成期間自体はそっくり終了している計算になるのだ。

 去年の年末の有記念にもハッピーミークはハルウララの勝利の裏で出走していたみたい。……ハルウララのインパクトがデカすぎて完全に見落としていた。

 

 それでハッピーミークは引退したわけではないものの、一応節目として大きなレースには出走したこともあってかシニア級の第一線でレースに出走し続ける形はやめて、年に1、2戦程度出走するというセーブ気味の出走予定にすることをハッピーミークと相談の上で桐生院トレーナーは決めたらしい。まあURAファイナルズ決勝という舞台が無い以上は、そういう動きになるのかもしれないね。

 だから彼女は、ハッピーミークの専属トレーナーではあり続けるものの、兼任という形で私の面倒も見るということを希望しているようだ。

 

 だからこそ。この桐生院トレーナーはアプリで知る桐生院トレーナーの最終形態のその先にあった。

 

「サンデーライフさん、週末の予定は空いていますか?」

 

「? はい、土日のどちらかでドラッグストアにでも行こうかなって思っていたくらいですけど……」

 

「――それでは! 私と一緒に遊びに行きましょう!」

 

「ええ、構いませんが……何処へ行きます?」

 

「特に希望が無ければ『水族館』を考えていますが……どうでしょうか?」

 

 

 この桐生院トレーナーは既に『桐生院家』の教えに固執せずに、ウマ娘と向き合う姿勢が全面に押し出されていて。

 いきなりカラオケに誘い出すような突飛な行動が減り。

 

 

 更には当日。

 

「……桐生院トレーナーって普段学園で着ている服以外に、私服持っていたんですね」

 

 桐生院トレーナーの服装はボウタイとリボンのベルトがアクセントになったシックなオリーブグリーンの色合いのチェックのワンピースであった。クラシカルな雰囲気で、いつもの動きやすそうなパンツルックからは全く違うように思える。普段と全然違う感じで、若干血色も良く見える……服の印象のせいだろうか。

 というかアプリトレーナーと外出に行く際であってもいつもの服であった彼女が、こういう私服を持っていること自体が驚きである。

 

「……なっ! そういうサンデーライフさんこそ、普段は制服とジャージくらいしか――」

 

「いや、桐生院トレーナーと付き添いで外出したのって血液検査とかなのですから、制服で済ませますって、一々着替えるの面倒ですし」

 

 一応私も私服である。制服で水族館に行けるハッピーミークってそう考えるとメンタルえげつない。私は桐生院トレーナーがいつもの服で来る想定だったからちょっとスポーティ寄りにしたくらいだ。ベージュ系のアウターに、チェックパンツでダッドスニーカー。

 うーん、まさか桐生院トレーナーに私服があるとは想定外。

 

「――それで、そう言えば今日は何故、水族館だったりするんですか?」

 

 ついでに、さっくりと危険球を通してみる。アプリにおけるハッピーミークとの外出先が主に水族館であったことを知っている私にとってはただの確認事項に過ぎない。

 でも、それを知らない桐生院トレーナーからすれば、結構答えに窮する感じもある。

 

「あはは……実のところサンデーライフさんの好みそうな場所、というのがあまり見当が付きませんでしたから。

 だったらいっそのこと私が案内できる場所に連れて行った方が、サンデーライフさんも多少は楽しめるかなーって……」

 

 何となくここまで来て薄々分かったことが1つある。桐生院トレーナー、彼女は私の前で恐らく意図的にハッピーミークの話を出さないようにしている。

 

 ハッピーミークがシニア級2年目という話も私から聞いたものであったし、今の質問だって『ハッピーミークと一緒に来たから』とかそういう言葉が返ってくることを想定していた。

 意識的なものなのか、無意識でやっていることなのかは分からないが、私をハッピーミークと同一視しないように気を付けているようにも思える。でなければ、私がハッピーミークの名前を出すと不機嫌になるかもしれないと危惧しているかのどちらかであろう。

 

 

 少なくとも、どちらであったとしても分かるのは、私に対してのえげつないレベルでの配慮である。

 

 傍証は他にもあった。

 

「サンデーライフさんは普段、水族館に行くことは?」

 

「そうですね……、あんまり無いかもしれません。結構出不精で、トレーニング以外は資料室に引き籠っていることが多いですし。

 オフの日とかで遊びに行くときも、基本受け身なんで自分からどこかへ行きたいっ! って感じで遊ぶことって少ないかもしれません」

 

「ふふっ、案外私達似ているかもしれません。私もこの水族館に来たのはトレーナー業を始めてからで、実際にこの仕事をやってみるまで趣味らしい趣味ってありませんでしたから……あ、でも! トレーニング方法を学ぶことはとっても楽しかったですよ!」

 

 彼女のそういう性質はアプリで知っていた。

 知らなかったのは、私から情報を引き出すだけではなく、自身の情報も共有するということ。これもトレーナーとしての3年間が桐生院トレーナーを変えた部分であるのだろう。

 

「あっ! サンデーライフさん、ちょうど、あそこのマンボウの水槽で飼育員の方が餌やりをするみたいです! 見てみませんか?」

 

「タイミングが良いですね……って、何でしょうあの餌……? お団子……?」

 

 

 それからまたいくつかの水槽を桐生院トレーナーと一緒に見て回った後に、今度は屋外水槽のコーナーへと繋がる通路で1つの掲示を発見する。

 

「見てくださいっ! あと5分でイルカショーがはじまるようです!」

 

「……へえ」

 

 ……段取りが完璧すぎる。そう思わざるを得なかった。水族館側が来館者に対して脅威のスケジューリング能力を発揮しているわけでも無ければ、こちらが意図して動かない限りは決してこれだけの展示以外の催し事にタイミング良く遭遇できるはずがない。

 マンボウの餌やりだって1日に2、3回くらいしかないし、イルカショーも2時間に1回程度。そして私は特に何も考えずに桐生院トレーナーの話に合わせながら、特に何も考えずに水槽とお魚さんを見ていただけ。

 

 ちょっと、仕掛けるか。

 

「……私、水しぶきを浴びる前の方の席で見たいのですが……良いですかね?」

 

 私のこの言葉に初めて桐生院トレーナーは難色を示した。

 

「……あー……いやー、その。合羽が借りられるとはいえ、びしょ濡れになるのはちょっと……」

 

「大丈夫ですよ、だったら後ろの席にしましょうか。

 ……それよりもちょっとお手洗いに行ってきても良いですかね? 私の分の席も取っておいてもらえると助かります、席はどこでも構いませんので」

 

「あ、勿論ですっ! お任せください!」

 

 

 そして、お手洗いへと向かった私。

 ちょっとだけ整理する時間が欲しかったための方便である。

 

 

 ――正直に言って異常であった。

 ショーとか餌やりが何時にやっているかを把握しているのが大前提として。それに間に合うように計算され尽くされている。しかも、どこの水槽で何分見る……みたいな形ではなく、私との会話の長さに合わせて流動的に組み替えられるタイプのスケジューリングが行われている。

 

 多分、このイルカショーの後も、更に言えば水族館を出た後の予定も、かなり計算されて組まれているであろうことが容易に想像が出来た。

 ――それが、全て『私のため』なのだから、ちょっと末恐ろしくすら思えてくる。恋人や家族のためであったとしてもここまではしないだろう。

 

 確かにトレーナーという種族にとって競走ウマ娘とは、身の回りの大事な人物を遥かに凌駕する相手なのかもしれない。その可能性は私も考えた。

 ましてや言い方は悪いが、私は彼女をトレーナーにするかどうかキープにして吟味している状態。最終決定権が私にある以上、私が優位であるという立場は揺るがない。しかし一方でトレーナーが付かなくて困るのは私の方。

 

 何かが、ある。

 そう判断するのには十二分すぎるほどの材料が転がっていた。

 

 

 しかしそれ以上に気になる違和感もあった。

 これだけの緻密に計算された遊びの計画。なのに誘われたのは今週の中ごろ。

 イルカショーで水を浴びるのを嫌がったこと。もっと辿れば、今日だけ不自然に感じた『血色が良い』印象を受けた彼女の雰囲気。

 

 1つ1つのピースが埋まるとともに、私の中で答えが導き出されていく。

 そして最後の鍵はアプリの中。彼女のサポートカードイベントで明かされた1つの事実が雄弁に語っていた。

 

 ――『実は私、どんなに夜更かししても隈が出にくい体質なんです!』

 

 

 桐生院トレーナーが建ててくれたこの計画はまず間違いなく私のためを思ってのもの。

 だからこそ、躊躇いもあったけれども――

 

 

 

 *

 

 イルカショーを見終わった。

 正直、飼育員さんも視認できつつ、イルカのジャンプなどを中央で捉えられるこれ以上の場所は無いと思うほどの席であった。……計算され尽くされた場所であった。

 

「……桐生院トレーナー。私、この後行きたい場所が出来ました」

 

「えっ、サンデーライフさんの申し出ならばどこへでも喜んでついていきます! それで、どちらに行こうと?」

 

「――あなたの家です」

 

 

「……ええええええっ!? 一人暮らしですし、面白いものは何も無いですよ!?」

 

 

 折角予定を立てて来てくれたものを崩すのは心苦しいけれども。

 ――全部、壊すね。


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