強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

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第51話 唐衣

 前回のあらすじ。

 葵ちゃんに学園指定の水着を着せた。以上。

 

 尻尾を通すスペースは葵ちゃんの場合何もないから、一番キツく閉めてもちょっとだけ背中が見えちゃっていた。

 葵ちゃんも水着の構造自体は把握していても、流石に自分でウマ娘用の衣服を着る経験は無かっただろう、と思って私がその調節をしていたが、それを眺めていたハッピーミークが横からそのスペースに指を差し入れて背中に触れた。

 

「ひゃっ!? 今のサンデーライフですか、ミークですか? どっちですか!」

 

「……ぶい」

 

「ミークですねっ!! もう、私をからかわないでくださいよ!」

 

「……トレーナーの背中……クラゲみたいだった」

 

 

 うーん、私がとやかく言える立場では無いのは百も承知だけど、その腰とは呼べるがマジでギリギリのラインの部分の素肌を触る度胸は私にはちょっと無い。

 それを『からかう』で済ませる葵ちゃんも葵ちゃんである。

 

 

 ただ、ここまで来たら葵ちゃんも吹っ切れたようで、念入りに準備運動をしていた。私とハッピーミークも小休憩だったとはいえ休んだ後なので、一緒にストレッチからやり直すことにした。

 ……うん。こうして見ていると完全に葵ちゃんが生徒にしか見えない。でもこれを伝えたら、若く見えるって以上に普通に落ち込むと思ったので黙っておく。

 

 

 

 *

 

「おおー……トレーナー……上手……」

 

 ハッピーミークが感嘆していたが、実際のところ葵ちゃんの遊泳フォームは物凄く綺麗だった。

 

「……どうでしたっ!?」

 

 心なしか葵ちゃんも楽しそう。まあ、大人だし身分的にはトレーナーだから絶対口には出さないけども、やっぱり心の奥底では泳ぎたかったんだろうなあ、とは思う。これだけ立派なプールを目の前にして、こんなに泳げる人が目の前でずっとお預けを喰らっていたのだからそれもそうか。

 

「これだけ上手なら最初から見せてもらえばよかったかもしれません、葵ちゃん。

 ウマ娘と人間の身体構造が若干違うとは言っても、多分葵ちゃんの泳法はお手本としてはほぼ完璧だと思いますよ」

 

「本当ですかっ、サンデーライフ! ありがとうございます。

 ……なるほど。トレーナーが自分で泳ぎ方を見せる、というトレーニング法もあるのですね……」

 

 一応、こういうところは私もちゃんと話しておく。葵ちゃん自身の基礎的な運動スペックが高すぎるから、結構葵ちゃんの所作をそのまま真似るだけでも、実際トレーニング手法として充分通用すると思う。

 

 となると、今後の葵ちゃんとのプールトレーニングは、彼女も水着を着用しての練習になる可能性が高い。……でも、その方が実際効率的ではあるのか。着替えのことを考えればプールサイドの水がかからないところから眺めていることしか出来ないよりかは、状況次第ではこうして一緒に泳げる服装の方がより細やかな指導が出来る。

 

 とはいえ流石に学園指定の競泳水着を着用するのは今日だけだろうね。突然無理やり対応させたからであって、次からは絶対自分用の水着を持ってくるようになると思う。

 ……私の趣味で着させたって? ぶっちゃけ、制服とかを一度着せたら童顔だし同級生みたいに見えるだろうなあとは思っていたけれども、流石に水着についてはあれはその場の思い付きだ。備品関連の話も、バレンタインのときのレンタルキッチンのように何かインチキするために調べたものだしね。

 それに水着に限らずジャージなども、ウマ娘はアホみたいな運動量をこなすことが出来るので消耗が激しく、それ故にいざという時の応急手当的な代替品が学園に常備されていることは知っていた。これはむしろ私に葵ちゃんが付く前のトレーナーが居ない頃に、同じ境遇の子が使っているのを何度か見たからこそ知っているものだった。

 

 

 そして、そのまま今日のトレーニングの終わりまで葵ちゃんはずっとプールの中に居た。ずっと泳いでいたわけではない。というかちゃんとトレーニングとして練習メニューをこなしている私だって、100mとか200m泳いだら一旦小休止を入れるというインターバルを挟みつつやっているわけで。ずっと泳ぎっぱなしというのはあくまで競走ウマ娘のトレーニングの一環としてやるにしては負荷が高いと思う。まあアニメやアプリだと夏合宿のときに遠泳が盛り込まれていたけど、それは特殊なトレーニングメニューではあると思う。

 

 でも。

 確かに今日の練習の途中から無理やり葵ちゃんを参加させたから、トレーニング時間の大体半分くらいだけどさ。それに、泳いでいる距離だってちゃんとしたトレーニングメニューが組まれた私の半分程度ではあるけどさ。

 

「ミーク! サンデーライフ! お疲れさまでしたっ!

 後は、シャワーを浴びて着替えて解散です! ……って、今日は私も一緒にシャワー浴びないとですね……」

 

「……葵ちゃん、疲れていないのですね?」

 

「いえ! 久しぶりに泳げたのでとっても楽しかったですよっ!

 やっぱり、自分の担当ウマ娘と一緒に泳げると良いですね!」

 

 今日が初回のトレーニングで、競走ウマ娘というアスリートの私達のこなすメニューの半分程度の量をこなした上で、しかも葵ちゃんは人間だって言うのだから色々と規格外である。運動神経が良いのは分かっていたけど、現時点でも人間のセミプロくらいのレベルにあるんじゃない、これ。

 

「……ちょっと、葵ちゃん。脚、触りますよ」

 

「――へ? ……ひゃあっ!? サンデーライフ、ちょっと……くすぐったいです……」

 

「……少し熱は持っていますけれども、運動をこなした後の常識的な水準ですね。

 本当に疲労の蓄積がほとんど無い……」

 

 流石に、トレーナーや按摩師・鍼灸師レベルの知見は持ち合わせていないが、運動のし過ぎで血液の巡りが悪くなると筋肉が微妙に突っ張る感じがあったりする。

 あるいは激しい運動をすれば筋肉が熱量を持つので、それを早めに冷やした方が良いけれど、そうした酷使の形跡が葵ちゃんの脚からは見られない。

 

 まあ私が分かるのはここまでだ。異常がありそうな動きを見つけることは自分の経験則からある程度導くことは出来ても、異常が無さそうなものが抱えている隠れた不具合などを私の知見では発見することは不可能だ。

 

 所詮スポーツ科学や医学に関しては素人同然なので、怪我の現場でのごく基本的な応急処置くらいしか出来ない。

 そして応急手当自体はほぼ競走ウマ娘としての必須技能である。何なら今まで練習に影響が出るレベルの怪我ってしたことないから、予防に関する知見はともかくとして実際の処置スキル自体は多分並以下だ。

 

 私が触った後に、葵ちゃんも自分で触診をしてみて特に問題無さそうな様子だったので多分本当に疲労は溜まっていないのだろう。

 で、そんなやり取りをしている最中も何故かずっとビート板を抱えてプールでぷかぷかしていたハッピーミークを引きずり出して、3人でシャワーを浴びてから着替える。

 

 

 その更衣室の場で葵ちゃんから話しかけられた。

 

「……そう言えば、サンデーライフは次走はどうなさるつもりですか?」

 

「そうですね……来月のどこかで出たいなー、とは思っているのですが」

 

 5月にある重賞レースを列挙すると、まずGⅠのヴィクトリアマイル。

 GⅡなら芝1400mの京王杯スプリングカップか長距離2500mの目黒記念。

 そしてGⅢには芝中距離路線の新潟大賞典と、ダート1900mの平安ステークスの以上5レースがトゥインクル・シリーズにて実施されている。

 

 ただGⅢが結構走れる子の多い距離なのが気がかりだ。前走が芝のマイル戦であったことを踏まえれば。ヴィクトリアマイルを除けば重賞では京王杯スプリングカップが一番条件的には近いけれども、別に前走からの距離延長・短縮に関してはそこまで私はこだわっていない。

 だから目黒記念に行っても良い。が、2500mという距離もまたアプリでは長距離に区分されるとはいえ有記念と同じ距離。だからこの距離に照準を合わせられる子は多い。とはいえ有とはレース場は別だけどね。

 しかもどちらもGⅡである。

 

「うーん、正直あまり狙いたい重賞レースが無いのですよね。

 OP戦に一度戻ってみるのもアリかな、なんて思います。ほら5月の後半には新潟の直線コースで開催される『韋駄天ステークス』もありますし」

 

 未勝利戦のときに対ゴールドシチーで走った新潟の千直。トゥインクル・シリーズ唯一の直線コースだが、既に経験済な上に重賞で好走できている今ならば、色々と試せそうなコースでもある。

 

「あの……サンデーライフ、分かっていて避けていたのであれば申し訳ありませんが――」

 

「なんですか、葵ちゃん?」

 

「ダービー卿チャレンジトロフィーにて2着を取ったことにより収得賞金を積み上げましたから、恐らくローカル・シリーズの『交流重賞』も視野に入れて良いかと」

 

 

 あっ。完全に考慮外だった。

 

 ローカル・シリーズの中央出走枠は限られている。レースによってその数は4~7枠程度。だから中央から出走する場合には競合するリスクが高く、特に私は清津峡ステークスでの格上挑戦があるおかげで、2勝クラス1戦分だけ1着賞金が少ない。だから他の順当に勝ち上がってオープンウマ娘になった子たちよりも不利な抽選条件にあった。

 なので今までローカル・シリーズレースを度外視して考えていた。

 

 しかし、重賞2着以上の結果はこの収得賞金という概念に加算が可能で、これで晴れてオープン戦以上の格のレースでまだ勝利の無いウマ娘相手ならば、基本的に抽選で勝てるようになった。

 今の私よりも抽選で更に有利になるためにはオープン戦で勝つか、重賞で2着以上を取るしかない。しかしそれが出来るのはほんの一握りである。

 

 となれば、JpnⅠの人気レースなどを選ばない限りはおそらく出走枠を掴むことは出来るだろうと思う。そして5月の地方重賞のダートレースは。

 まずJpnⅠ・船橋のかしわ記念。

 そしてJpnⅢである名古屋のかきつばた記念の合計2走がさらに検討リストに加わることとなる。

 

 ただしJpnⅠのかしわ記念は出走枠を多分掴めないと思うので地方レースを選ぶとしたら実質1択。

 一応6月に入ればJpnⅢにもう1走、門別レース場で開催される北海道スプリントカップが選択肢に増えるが、これ夏季日程になるからクラシック級ウマ娘との混合重賞になるのよね。となると今のディープインパクト・トウカイテイオー世代のダートウマ娘の出走の恐れが生じて、カネヒキリとかヴァーミリアン、あるいはハシルショウグンとかラシアンゴールドのような世代のウマ娘が新たに出てくる危険性が生じる。史実同世代がこの世界でも同世代になるかは微妙な上に、北海道スプリントにやってくる可能性としては多分低いけどね。

 

 そうなるとほぼ1択であった。それにローカル・シリーズのレースも出てみたいとなれば、いつでも行けるオープン戦よりも優先する価値はあるはず。

 

「……葵ちゃん。かきつばた記念の出走登録をお願いいたします」

 

「はいっ!」

 

 かきつばた記念。原則5月3~4日いずれかの平日開催の名古屋レース場・ダート1400mのレース。

 フルゲート12名のうち、中央トレセン学園所属ウマ娘の枠が5名までで、名古屋・笠松トレセン以外の地方トレセン学園所属ウマ娘の枠が3名まで。それ以外は東海地方の名古屋・笠松トレセン所属のウマ娘が登録可能なレースとなる。

 

 さあ、初めての地方レースだ。

 そうして葵ちゃんとともに次のレースへの意欲を高めていたら、ハッピーミークの声が聞こえた。

 

「……ねえ、2人とも着替えないの?」

 

 

 その声の主であるハッピーミークを見れば彼女は既に学園の制服に着替え終わっていた。一方で私と葵ちゃんはまだ水着のまま。

 

 お互い顔を見合わせていると、ハッピーミークは溜め息を吐きつつ、先にプールから出て行って寮へ帰って行った。

 

「あっ、待ってくださいミーク! ……って、もう解散したので待たなくても良いですけどっ!

 というか、サンデーライフ、時間は大丈夫ですか!? この姿を他の方に見られる訳には――」

 

「……安心してください。葵ちゃんが生徒の水着を着ていたってバレても、私が誘って無理やり着せたって証言しますから」

 

「――それはそれで誤解しか招かないじゃないですか! ……って、サンデーライフ、完全に今のはふざけて言いましたよねっ!?」

 

 

 なお、幸いにも誰にもバレることが無かったことと、以後のプールトレーニングでは葵ちゃんは私物のトレーニング用の水着を持ってくるようになったことだけは補足しておこう。


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