強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。 作:エビフライ定食980円
「……もしかしたら王子様が気付いていないかもしれないので、一応! 一応言っておきますけれども!
――蹄鉄、落ちていますよ?」
「……ふぇっ!?」
アグネスデジタルが指差した私の右の足先付近には、確かに蹄鉄が落ちていた。そして右脚の靴裏を見てみると、確かに蹄鉄が無かった。
――つまり、落鉄である。
スタート前に落鉄に気付くことが出来た場合、蹄鉄の打ち直しが認められている。一応、蹄鉄があっても無くても競走能力に差が出ないというのがURAの公式見解ではあるが、私個人の感覚としては蹄鉄が無いとカーブで滑りやすいな、という印象だ。
まあ普段のトレーニングから蹄鉄有りで練習しているために踏み込み方が若干変わるせいだと思う。
で、アグネスデジタルが指摘して私が気付いた以上は、出走準備は一時中断して一旦全員ゲートから出される。
「サンデーライフさん、今のシューズに蹄鉄を嵌めなおしますか? それとも、当レース場の予備シューズと交換しますか?」
職員の方が数名集まってきて私に質問する。
……レース直前のシューズ交換は、嫌だなあ。しかも名古屋レース場の予備ってことは初めて履く靴になるし。
そう思い私は職員さんから工具を借りて自分で装蹄作業を隅で行うこととなった。
確か、アニメでもメジロマックイーンの天皇賞でこんなシーンがあったなあ、ってことをぼんやりと思い出していたが、これが急いでやると中々上手く装蹄出来ない。
ただ無為に時間が過ぎていこうとする中、遠くの観客席で歓声が上がっているのが聴こえた。……どうやらスマートファルコンが、私が装蹄している時間ファンが退屈しないように急遽マイクを借りてパフォーマンスをして盛り上げているようであった。うわあ、もの凄く申し訳ない。
しかしその気持ちに反してやっぱり蹄鉄は上手く収まらない。
見かねた職員が再度私に話しかけてきた。
「……あの、サンデーライフさん。先ほど貴方のトレーナーさんが予備のシューズを持って来て下さいました。
当方としても事前に予備登録が済んでいるものと確認が取れましたので、こちらのシューズとも交換出来ますが、どうしましょう?」
そう言う職員さんの手には、私の履き慣れたシューズが携えられていた。
あ、そういえばシューズ予備登録なんてものもあったっけ。ウマ娘独自のものだから完全に頭から吹き飛んでいた。葵ちゃんと……興行規則に助けられた。
「……そのシューズと交換します」
――結局、発走開始予定時刻は私の落鉄により15分遅れることとなる。
*
シューズを履き替えた後、待ってくれた出走ウマ娘の皆に頭を下げる。そのすぐ後から順次ゲートインが再開して私も再度ゲートに入った。
……これまでのことで分かってはいたけれども、この世界って基本的に優しい子たちばかりだ。さっき頭を下げたときもみんな「気にしないで」とか声を掛けてくれたし、背中を叩いてくれた子も居た。
それに、黙っていれば私は落鉄したままスタートしたかもしれないのに、わざわざ伝えてくれたアグネスデジタルも凄いよね。大事なレースを目の前にして、自分が有利になるわけでもないのにルーティンから外れた行動を取れるというのは尊敬に値する。
後はやっぱりスマートファルコン。アクシデント発生でファンのことをすぐ気にするというのはウマドルである彼女ならではの行動であった。スタートがいつになるか分からない状況でファンにまで目を向けられる視野の広さは只者ではないよ、本当に。
落鉄自体は稀に起こり得ることではある。けど、まさか自分に降りかかることになるとは全く考えていなかった。そのせいで頭が真っ白になっちゃったけど、気を取り直してこれから――
「――さあ、ゲートイン完了。……スタートしました! スマートファルコンやはり素晴らしいスタートですっ!
ああっと、2番人気サンデーライフ、痛恨の出遅れ! これは作戦通りかレースに支障をきたすのでしょうか!?」
「……まあスタート前に落鉄していましたからね。そこで集中力が切れてしまうのは仕方がないことです。ここからの追い上げに期待ですよ――」
短距離戦での出遅れは致命的。
そしてスマートファルコン主導のレースで展開は超ハイペースで、名古屋レース場は後方ウマ娘が決定的に不利。
それらの客観的事実が示すように。
私は結局、その出遅れを取り戻すことは出来ずに、12人中10着でJpnⅢ・かきつばた記念を終えた。
*
レースが全部終わってようやく頭が冴えてきた。自分では平静を努めていたつもりだったけれども、改めて考え直してみればスタート直前にレースとは全然関係の無いことを考えていたのだから、その時点でレースに意識が入り込めていなかった。
だから、盛大に出遅れをやらかしてしまった。いや、今までレースを走ってきて初めての経験だった。
多分、落鉄直後からずっとパニック状態だった気がする。
自分でも滅茶苦茶分かりにくいパニックの仕方をするな、とは思う。でも今までレース中に一度もパニックになんてならなかったから、こういう焦り方をするんだってことに全然気が付かなかった。
不本意なレースをして落ち込んではいる。けれども、これを想定できたか? と言われると、想定できなかったよなあと思う自分も居て、事前にどうにかすることは多分無理だったんじゃないかなと考えもある。
ともかく今、一番申し訳ないと思う相手はアグネスデジタルだ。
いや、勇気を出して落鉄を伝えた相手が真横で出遅れ起こしたらビビるでしょ。多分動揺もあったのだろうアグネスデジタルは4着。彼女の力量を考えればもっと上の順位を狙えたかもしれないだけに私としても申し訳が立たない。
しかもデジたんの性格的にも絶対負い目に感じているはずだから、まずはそれを払拭しておかないと。
「……アグネスデジタルさん、申し訳ありません。
折角ご指摘いただいたのに『出遅れ』してしまって……」
「……そ、そ、そんな滅相もございません!! 非があるのは突然話しかけたあたし、デジたんにあって王子様のお気を煩わせたのが全部悪いのです!!
もっとあたしが紳士的に話しかけられれば、王子様が出遅れすることも――」
そんな感じでお互いに謝り倒していたら、本日の優勝ウマ娘がダートの土の上で謝罪合戦をしている私達に話しかけてきた。
「デジタルちゃんもサンデーライフちゃんも、そんなに悲しい顔しちゃダメだよ! もっとキラキラしないとねっ!」
「ヒョワァアアア~~!? 後光が見えるっ!! ハァハァ……。待って、ダメ、しんどい……」
……そのアグネスデジタルのセリフは一言一句同じものをアプリのホーム画面で聞いたことあるな、と思いつつも、私もスタート前の15分の間、場を繋いでくれたスマートファルコンに感謝の言葉を告げる。
「うーん、ファル子は気にしてないけど……あ、そうだっ。
じゃあちょっとだけ! ファル子に協力してくれるかな、サンデーライフちゃん?」
「あ、はい。私に出来ることなら構いませんけど。一体何をすれば――」
私が言い終わらないうちに、スマートファルコンはずんずんと近づいてきて、私の両膝裏を左腕で支えて、そのまま背中を右腕で支える形で持ち上げた――『お姫様抱っこ』である。
「え、ちょっとスマートファルコンさん!?」
「……サンデーライフちゃんが障害レースでこれやったときに、ファル子もやりたいっ! ってずっと考えてたの! ホントは抱っこされる側のが……なんだけどね。でも今日は抱っこする側でね☆」
「……いや、スマートファルコンさんがして欲しいのであればお姫様抱っこならしますけど」
考えてみればあれで私の知名度も上がったが、障害競走の知名度も上がった。……確かに考えてみればダートのウマドルを目指す彼女にとって私は商売敵であると言っても差し支えなかった。
でもそれならスマートファルコンをお姫様抱っこした方が良いんじゃないか、って思ったけれども。
「……駄目。サンデーライフちゃん、レースで使おうとしたのとは別のシューズで走ったでしょ?
前を走っていたからファル子には分からないけど、トレーナーさんともきちんと相談した方が良いと思うよ」
「……ご配慮ありがとうございます」
「ううん、気にしないで」
確かに履き慣れた靴に交換してもらった。ついでに言えば、元々使おうと思っていた靴と同じメーカーで同じ型番のものであり、蹄鉄すら同じである。
だけど、当然落鉄した靴の方を優先したということはそれだけの理由があり、予備の靴は予備でしかない。つまり元の靴の方が走りやすかったのは確かで、直前に靴を変えるという行為そのものがそこそこ危険なことを理解しての発言であった。
そこを突かれてしまうと私としても立つ瀬がない。……抱えられているから立っては無いが。大人しくスマートファルコンに抱きかかえられたまま、今度は私がお姫様抱っこで退場する番となった。
当然、スマートファルコンのこの行為に観客席からは万雷の拍手と黄色い歓声が響き渡ったのは言うまでもない。
ついでに言えば、自分がメジロパーマーにやったことがこうして返ってきた瞬間、これが想像以上に破壊力があることに気付き、顔に熱を感じていた。
……あ、コース上でデジたんが死んだ音がした。
*
スマートファルコンの助言通り、私はバックヤードに戻った後に葵ちゃんに相談すると、ウイニングライブでバックダンサーとして踊るのは取り止めて病院へ向かうこととなった。
その前に葵ちゃんの見立てで触診もしたし、名古屋レース場の医務室にも行った。どちらも異常は無さそうとのことではあったが、大事を見ての判断。
そして病院で精密検査を一通りして、すぐに結果が出るものだけならば特に異常はやはりみられないとのことであった。今日中に出ない検査結果については、後日郵送してくれる手筈となった。
取り敢えず脚に異常は無い。自分としても違和は全く感じていなかったからそうだとは思っていたけれども、ひとまず安心した。
「……葵ちゃん、1つ良いですか?」
「なんです、サンデーライフ?」
「……今日、ホテルに戻ったら一緒に寝て下さい。
多分、今日だけは1人にされるの……ちょっと無理です」
「もちろん構いませんが、ちょっと本当に大丈夫ですか、サンデーライフ?
正直に言ってくれるのはありがたいですが、本当に辛いのでしたら心療内科のカウンセリングを用意しますが――」
「……。
そこで具体的な臨床手法が出てくると、滅茶苦茶萎えますね……。
葵ちゃん、気持ちは分からないでもないですが。今の言葉はトレーナーとしてかなり減点入ると思いますよ」
苦言は呈すが、多分葵ちゃんも葵ちゃんで動揺があるということなのだろう。とはいえ、これまで全部自己管理出来ていたウマ娘が急に依存し始めたように見えたら流石にビビるか。
でも、これは確かに自分のメンタルダメージ的に1人にされるのが嫌って気持ちもあるけど、この状況で葵ちゃんを1人にするのもそれはそれで思いつめそうという考えもあっての申し出だ。
多分、今日葵ちゃんを放置したら絶対寝ないで対策を練る気がする。……となると、これも必要か。
「……あと。今日中に帰りの新幹線のチケットを取っておきましょう。
今の葵ちゃんに名古屋からトレセン学園までの運転を任せることは出来ません」
「……なるほど、サンデーライフ自身の管理であると同時に、私のメンタル管理でもあるのですね……。
そうでしたね……。最初の水族館の頃からしてサンデーライフはそうでした。
少なくとも問題に直面した際のリフレッシュに関しては、私よりもサンデーライフにお任せした方が上手くいきますし――」
ネガティブな発言が漏れ出している葵ちゃんの唇を私の人差し指をくっつけることで、言葉を中断させる。
「ほら、葵ちゃん……そんな後ろ向きな言葉が出ている時点で、今はあんまり考えちゃダメですよ?
取り敢えず今日は、ちょっと豪華なものを食べて、一緒にお風呂入って、一緒に寝ましょう。
それで明日は名古屋を観光してから、新幹線で帰りましょうね。車は代行でも他の職員にでも良いですので後で取りに行かせましょう。そういうのは後から意外と何とかなりますから」
「はい……。
って、これ私とサンデーライフの立ち位置、普通逆じゃないですか?」
……。
本当だ! 何で私が負けたのに、私が名目上トレーナーである葵ちゃんを励ます側に回っているんだ!?