強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

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第59話 宝塚への道(4)――『同着』

 人間がウマ娘を超える。

 

 その言葉に目を輝かせたのはたった1人の少年ではなかった。僕も、私も、と一気に子供たちが私の下に集まってくる。……しかも、その中には男子だけではなく女子の姿もあった。

 

「とりあえず、皆には『スタート』の練習をしてもらいます。先生が『よーいどん』って言ったらすぐに飛び出せるようにしてくださいね? 走るのは5歩くらいだけで構いません」

 

「はいっ!」

 

 そうすると子供たちはびっくりするくらい素直に、そして真剣に練習に取り組むようになった。そしてこの場にはレポーターさんと私が取り残される。

 

「……本当に安請け合いして大丈夫なのですか?」

 

 その声色には心配の要素も乗っていた。そりゃここまで期待させておいて裏切るわけにもいかないからね。

 少なくとも芸能人であるはずの彼女からカメラの前で仮面を拭ってしまうくらいには。だからこそ、私は敢えて自信満々でこう質問する。

 

「レポーターさんは、ウマ娘が具体的にはどれくらいの速さで走るのかご存じですか?」

 

 これが一見レポーターさんに投げかけているような質問には見えるが、その実はテレビの編集点となり得る場面として意識したものだと即座に気付いた彼女はすぐさま『職務上』求められている答えをした。

 

「ええと……すっごく速い! ってことは分かるんですけどー、実際にどれくらいのスピードかって言われるとちょっと……」

 

「公道にウマ娘専用レーンがあるのが分かりやすいでしょうか。つまりは車に比肩するくらいの速度は出るということで……そうですね。一概には言えませんがよく出される数値としては時速60kmといったところでしょう」

 

「あっ! たまに車を追い越すウマ娘の姿を見たことあります!」

 

 1時間で60km。60分60kmなので1分で1kmということになる。

 もう1回単位を変えると60秒で1000m……これを5で割ると12秒で200mという数値になる。

 

 200mとは1ハロンで、僅かに早い気もするが本当にざっくり言うなればレースの平均ペースがこれくらいだ。ここまで口頭で説明した上で一言。

 

「とはいえ、後先考えなければもうちょっと速いですよ? 私はGⅠウマ娘と比較してしまえばそこまで最高速度は速くはありませんが、それでも多分10秒台は出るかと思います。

 100mに換算すれば5秒とコンマ何秒かといったところですね」

 

「あのー……具体的な数字を聞くと、ますます人間が勝てるとは思えないのですけれども」

 

「まあ、普通にやったら勝ち目が無いのは確かですので、色々条件を付加するわけです。まず100m5秒そこそこというのはあくまでトップスピードに乗ったとき限定です。止まっている状態からスタートした際にはどうしても加速の分がありますから……大体、100m7秒台くらいになります」

 

 つまり距離が短くなれば短くなるほどウマ娘側が全力で走れる区間が減少ないしは消失し、相対的に人間との差が縮まっていく。

 とはいえ、だからと言って流石に『1m走』みたいな条件では子供たちが勝った気にはなれないだろう。

 あるいは全く逆の方向性でウマ娘側のスタミナ切れを狙うというのもあるが、そもそも中学生レベルでも体力テストで走る『持久走』って男子1500m、女子1000mであってウマ娘的には『短距離戦』区分の長さだ。

 小学5年生だから、それよりも短い距離に設定しなきゃそもそも完走が危ぶまれるし、このくらいの距離ではウマ娘の方が遥かに優位な距離設定になってしまう。

 だったら『1000km走』みたいなことをすれば全員完走できず同点に持ち込むことも出来るけど、それをやったところで……ねえ。

 

 だからこそ設定する距離は50m直線。ヒトにとって最も馴染みがある距離でありつつ、同時にウマ娘にとってはトップスピードに到達できない距離。……相手取るウマ娘が現役競走ウマ娘ではなくまだ小学生であること、そしてちらりとアイネスフウジンがトレーニングしている彼女たちの様子から見積もれば、50mでは4秒幾ばくかが標準タイムになるだろう。多分5秒に差し掛かることはない。

 

「――で、事前にこのクラスの体力テストの結果には目を通してあります。

 50m走は人間だけの競技ですが……大体男子で9秒フラット、女子だと9秒5くらいが平均といったところでしょうか。一番速い子でも7秒台後半が限界ですね」

 

「倍近い差があるじゃないですか!」

 

 

「ええ。……ですが不思議に思ったことはありませんか?

 私達ウマ娘と、あなた方人間で体格はそこまで変わりません。

 

 ――では、どういった動作をすれば倍のスピード差を付けられるのでしょうか?」

 

 

 

 *

 

 人間とウマ娘の身体構造に大きな差異は無い。だからこそ『地上最速』のチーターのように特異的な体幹や根本的な走行原理から異なるわけではない。

 

 あるいは確かにウマ娘の『跳ぶ』力は人間を上回っているものの、『歩幅』という観点で見た場合にこれも大きくは変わっていない。ディープインパクトのような『大跳び』という例外はあれど、それでも彼女だって障害飛越のような跳躍で常に走っているわけではなく、走行フォームとしての範疇に収まるレベルの『歩幅』ではあるのだ。

 

「人とウマ娘の差、とは一体……」

 

「――『歩数』……スピードに乗り始めたときの1秒あたりの歩数。

 これが明らかに人間とウマ娘では倍近く違います。

 つまり、人間とウマ娘の最も大きな差異は――『歩数』なのです」

 

 

 同時にウマ娘を攻略する鍵はこの『単位時間あたりの歩数』にある。そもそもこの同じ時間で繰り出せる歩数の上限値が違うことから、全く同じ走行フォームを取ったとしても人間は絶対に勝てない。

 裏を返せば、人間がピッチ走法で細かく刻んで走ってどれだけ歩数を稼いだとしても、ウマ娘の大跳びの歩数にすら届かないのだ。

 走法によって『単位時間あたりの歩数』には大きな差異があるとはいえ、人間とウマ娘とで比較してしまうとその走法うんぬんでは覆せない種族差が横たわっている。

 

 ただし、突破口が無いわけではない。ウマ娘はトップスピードに至るまでに距離が必要で、走行距離を短くすれば短くするほどウマ娘の優位は消えていく。ということは、裏を返せばスタート直後の歩数差というのはそこまで大きく異なるわけではない。

 

「――1秒でもウマ娘を走らせれば(・・・・・)人間は絶対に勝てません。

 であれば、人間がウマ娘に勝つ方法は単純です。50mの間で1秒たりとも走らせなければ良いので……これを使います」

 

 そう言いながら、私は『もしかしたら使うかも』ということで事前に開けさせてもらっていた校庭の隅の体育倉庫に行って目当てのものを取り出した。リポーターさんも見覚えがあるものであった。

 

「……ハードル、ですか」

 

 何の変哲もない人間の体育の授業で使うハードル。

 これを50mのコース上に配置する。普通の授業では基本5個くらいしか設置しないそれを、助走と最後の駆け抜け防止も兼ねて1コースに8個用意。ラストのハードル飛越後には3mくらいしか無い。

 そしてちらりとウマ娘たちの走りは見ているので、上手く走りが噛み合わないように、そして各ハードル間の距離もまちまちになるように設置する。走りを慣れさせないことが狙いである。ハードルの高さは……40cmで良いか。

 

 これで私の出来る仕込みは完了した。

 

「大体、普通のハードル走だと2秒から3秒くらいタイムが変わりますが……今日はたくさんハードルを置いてみたのでもっと遅くなります。なので目標タイムは13秒台ってところですかね。12秒が見えれば大したものですよ」

 

「でも、それじゃあウマ娘に勝てる訳――」

 

「それはやってみないと分かりませんから……ね?」

 

 

 直線50mにハードル8個で設置位置も一緒。隣り合ったレーンでハードルの高さも同じ。一見すると確かに条件設定は同じ。そこにウマ娘と普通の小学生を並走させる。

 

 トップバッターは勿論、最初に『ウマ娘に勝ちたい』と言ってくれた子。そして相手は私の挑発に乗った勝気なウマ娘。

 私はその男子小学生に小声でアドバイスを送る。

 

「私から出来ることはここまでです。ウマ娘が嫌がるものを極力詰め込んでおきました。後は貴方の頑張りですが……授業でハードル走はやったことありますよね?」

 

「はいっ!」

 

「なら、その要領でやってください。それで……勝ちましょう」

 

 自分のことではないので、安易に勝利を目指させる。そして最も重要なことは今の会話で引き出した。それは彼がハードル走経験が体育の授業とはいえあるということ。

 

 対して。

 ウマ娘にとって、50mという距離もハードルという存在もまるで未知数なのである。

 当然だ。ウマ娘は身体能力が隔絶しているのだから、そもそも体育の授業メニューからして異なるのだ。アニメではメジロパーマーがハードル走経験があることに言及されていたが、この世界では障害レースが然りと存在するのでハードル競走という興行がトゥインクル・シリーズに『存在しない』。

 

 だから。彼女たち小学生ウマ娘はハードル初挑戦になるのだ。未経験のハードルと未知の距離。それは確実に初見である小学生ウマ娘を混乱させる。

 先生が2人のスタートの合図をする。

 

「位置に付いて――」

 

 

 そして。私の策はそれだけにとどまらない。

 

「よーい……ドン!」

 

 

 ――その第一歩。最初の一歩は確かに少年が先行した。

 

 そう。勝負が確定した後に彼らに練習させたのは『スタート』の練習。この先生の合図のタイミングを叩きこませたからこそ一歩目は確実にウマ娘よりも早く動き出せる。

 その瞬間まで相手の勝気ウマ娘もきっと『ハードル』に意識を向けていたからこそ、この一番最初の動き出しについては完全に埒外であっただろう。

 

 更に、先行されたという意識は焦りを生む。当然だ。短距離において出遅れは致命的――それを体現しているのは私の前走・かきつばた記念なのだから、50mなどという全く試したことの無い超短距離において出遅れを自覚したウマ娘が掛からない訳が無いのだ。ましてやそれが小学生ならば、その遅れを取り戻すことに意識が傾くのは自然だ。

 

 でも。

 加速に意識を傾けようとした瞬間には――既に彼女の目の前にはハードルが迫っている。

 

 

 

 *

 

 加速して遅れ(・・)を取り戻そうとした矢先にハードルに気付き慌てて飛越体勢へと移行して踏み足を決める。それらを頭で処理しているときに身体はどういう動きをするかと言えば、ほぼ地団駄を踏んでいるようになるのだ。

 そして速度を落としてジャンプしてハードルを越えた瞬間。彼女の速度はほぼゼロスタートに戻っている。

 

 少年は当然ウマ娘の走りのペースよりも遥かに遅い。だが、ハードルの飛越はまずまずといったところだ。数歩前からどちらの足でジャンプをするかを身体で考えて歩幅を変えている……ハードル間隔が不規則であることを踏まえれば、いっそ彼の運動センスはかなり良いと言ってしまってもいいかもしれない。

 一方で、勝気な小学生ウマ娘にとってはこのハードルはやりにくいはず。初見だからハードルの正式な飛び方を知らないし、ちゃんと飛越するにはウマ娘には低すぎるしハードル間隔が近すぎる。でも普通に走るだけでは避けられない。しかも歩幅と全然合わない感じで置かれているので、走っていて噛み合わないだろう。

 

 だからこそ、8個目のハードルを先に越えて最後のほんのわずかな直線を先行したのは少年の方だった。最後に残った3mの直線は小学5年生男子の足ならおよそ0.5秒弱。

 

 

 ……この、残り0.5秒だけは私は試練として敢えて残した。

 それは、ここまで47mで培った先行分で人間がウマ娘と真っ向から勝負することが叶うと判断した時間。

 

 ギリギリの勝敗分岐点であるとともに、この0.5秒は私があの少年に与えた贈り物でもあった。

 

 

 このたった0.5秒だけは。

 あの少年は今――ウマ娘と同じフィールドに立っている。

 

 

 ――そしてゴールを2人の影が駆け抜けた。

 

 

 

 *

 

 同時にゴールラインを踏んだように見えた2人であったが、競走ウマ娘としてどちらが先にゴールしていたかというのは、はっきりと分かった。

 タイム差としては出ないだろうがアタマ差からクビ差くらいで……あの少年は――

 

「……同着なのっ! すごいの、2人とも良い勝負だったのっ!」

 

 私が口を開く前に、アイネスフウジンが『同着』を宣言した。いや、でも確かに着差はあったはず……とアイネスフウジンの顔をみれば、彼女は無言で私にウインクした。

 

 ……本当の結果を分かっていて、嘘をついたのねアイネスさん。

 

 

 アイネスフウジンが『結果』を告げると、ウマ娘の勝気な少女と勇気ある少年は互いにきょとんと顔を見合わせて……抱き合った。

 

「――絶対俺が勝ったと思ったのに、あそこから追い詰めてくるとかやっぱ凄いよお前は!」

 

「……バカね。ここで負けたらウマ娘失格でしょ。でも初めてアンタの走っている背中を見たけど……カッコよかったわ」

 

 

 あー……。この2人、そういう感じの関係だったのね。

 そしてこの少年がウマ娘に勝ちたいと言ってあれだけ闘志を剥き出しにしていたのは、この子に置いてけぼりにされたくなかったから……なんだろうな。

 

 で、アイネスフウジンはそこまで分かっていたからこそ、『同着』という顛末にした、と。いやはや、これは大したお姉ちゃんである。

 

 そして、その後も同級生ウマ娘に勝負を挑む小学生は後を絶たず、予定されていた時間いっぱいいっぱいまで使って勝ったり負けたりしていた。

 

 

 

 *

 

 5月末。オークスをトウカイテイオー、日本ダービーをディープインパクトが順当に取って、香港チャンピオンズ&チャターカップでハッピーミークが5着入着という戦績を掲げて帰国してきた頃に、先の小学校で『走り』を教えるものが映像化してニュース番組で流れて大きな反響を得た。

 

「……私とミークが居ない間に、随分派手なことをサンデーライフはやっていたようですね……」

 

「……お土産」

 

「あはは……、っとミークちゃん、ありがとうございます。

 ……これは、模型? ですか?」

 

「うん……香港の街並みの模型」

 

 80cm四方のケースに入った香港の町の一角がかたどられた精巧な模型を貰った。……いや、これどうすれば良いの。寮の部屋だと邪魔になるから資料室に置いておくしかないかな。

 

 そして葵ちゃんが『派手』と称したのは、先のニュースが大きくバズって私とアイネスフウジンのペアがクローズアップされていることと、合わせて今のトレーナー室が壁一面の日本地図を掲げたまま票読み作業を続行している点も含めてのことだろう。Web会議である程度状況は伝えていたけれども、実際に目にしたときのインパクトは大きいということなのかもしれない。

 半分くらい葵ちゃんは呆れていたというか『サンデーライフですから、今更そういう部分に才覚が突出している点にはとやかく言いませんが……』って諦めムードだった。葵ちゃん的には宝塚出走まで目指すつもりは多分無かったのだろう。まあレース出走の最終決定権は私に帰属しているので、これには葵ちゃんも苦笑いである。

 

「……それで、サンデーライフの次なる一手はもう決まっておいでで?」

 

「いやー、流石にこの反響がどのくらい票に出るのかを見たいので、第2回中間発表までは取り敢えず打ち止めですね。そこでの順位変動を基にどうするかは考えようと思います」

 

「でしたら今のうちにウイニングライブ曲の『Special Record!』の練習を集中的にやっておきましょうか」

 

 そうして、それから数日は特にメディア露出はしなかったものの、先の映像はニュース番組の特集の一枠だけに留まらず、別の番組でも転用したらしい。そして他のテレビ局にも映像を融通したようで、他局でもガンガン使っていた。

 やっぱりヒトとウマ娘が同着する映像の印象は大きかったようである。

 

 

 なお私がダンス練習メインになっていた頃に、知らないうちにハッピーミークが例のデカい日本地図の太平洋の余白部分に何故かタコのイラストを描き加えていた。デフォルメのタコさんは可愛かったけど、なんで?

 

 そして6月初頭の第2回中間発表。

 ――結果は30位。

 おお、18個も上がってる。やっぱりダイレクトマーケティング路線は間違っていない。

 

 そして宝塚記念に出走意欲を見せているウマ娘の中の順位では――13位。

 

 

 10位以内まであと順位は3つまで迫って、最終発表まで残り1週間となった。


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