強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

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第61話 証明

 サイレンススズカの日本帰国断念は怪我や病気等によるものではなく、ローテーションを踏まえてのものだった。今年のサイレンススズカはアメリカのBCシリーズへの出走を目標として据えており、2000mのBCフィリー&メアターフか2400mのBCターフのいずれかを選択するであろうと囁かれている。というかフィリーもメアも牝馬を差す言葉だけど大丈夫なのかなって思ったけど、よくよく考えてみたら普通に国内でも『阪神ジュベナイルフィリーズ(・・・・・)』って使ってた。でもBCの『ブリーダーズカップ』の方の呼称はダメらしい。JBC系統もアプリ内実況などでは一律『ジェービーシー』読みだったし。

 で、そんなアメリカのBCシリーズは開催地が毎年変わるのだけど、今年はケンタッキー州のキーンランドレース場にて実施される。10月の最後の週だから、これだけなら確かに宝塚記念に出る余裕はあると言えばあるのだけど……どうもサイレンススズカ陣営はBCの前に、同じアメリカ中西部のイリノイ州にあるアーリントンパークレース場にて夏季興行中に1戦挟むつもりだったようだ。そうなると宝塚記念が確かにローテーションを逼迫しているのは確かであり、しかもキーンランドもアーリントンもサイレンススズカが得意な左回りコースなのに対して、宝塚記念の行われる阪神レース場だけ『右回り』。

 無理して帰国して宝塚記念に出るのが、サイレンススズカの帰省とファンお披露目以上の意義は私から見れば無いように思えた。まあ私も生でサイレンススズカを見たかったと言えば、それはそうなのだけれども。

 

 そもそも、考えてみれば出走意志発表時点からサイレンススズカ陣営はかなり消極的な声明で『行けたら行く』レベルだったし。とりあえず人気投票で枠だけ確保してから改めて判断するという考え方自体はレース管理の手法としてはむしろ納得のやり方だった。

 

 

 ……後はマックイーンなんだけどさ。同じ6月末のレースで帝王賞の方を優先するのはちょっと面白い。まあメジロ家全体で考えればパーマーもライアンも居たから、宝塚をメジロ運動会にしないためにもという意味合いはあると思うけれども、春天で1着を取っておいてダートの名優に戻るんかい。

 

 ちなみに第2回特別出走登録――つまりは、宝塚記念の週の木曜日までには私よりも人気投票が上位であった子から更に2名の出走回避者が出て、私の下でも1人回避が出て、結局15位までがギリギリで引っかかることになった。

 

 だから出走メンバーが決定したときには私の最終12位という順位は、案外普通に出られる範囲に収まっていたわけである。……史実中央競馬の宝塚記念・有馬記念の両グランプリがなんだかんだでファン投票上位層競走馬のうち半分くらいは回避することを考えれば、15位までで10枠埋まっているのは、こちらの世界のレースの人気さを再確認できる。

 

 

 ――そして、第2回特別出走登録を終えた1時間後にはすべての出走ウマ娘が確定し、その宝塚記念出走ウマ娘の中にしっかりと私の名前はあり。

 それとほぼ時を同じくして葵ちゃんのトレーナー室へ、私の勝負服が届いたのである。

 

 

 

 *

 

 勝負服はハンガーラックとともに搬入されていて、不織布のドレスカバーで厳重に保護されていた。

 私がトレーナー室に来たときはURA提携の専用の『勝負服を運搬するためだけ』の専属業者が、ハンガーラックごと緩衝材が入れられた箱から取り出されている最中であった。

 

 勝負服を複数着用できるウマ娘などGⅠを複数回勝利しているウマ娘でもほんの一握り。ましてや勝負服そのものが、GⅠに出走しなければ着ることが出来ないともなれば、ウエディングドレス以上の希少性があるのだから生半可な扱いはできない。

 

 だってトゥインクル・シリーズのGⅠレースは年間24レース。このほかにローカル・シリーズのGⅠ・東京大賞典、JpnⅠが10レース、そして障害競走J・GⅠの2レースで国内は全てだ。

 37レースとして考えると多いかもしれないけれど。中央・地方の1年間の合計レース数って具体的な数こそ数えたことはないけど、年間で1万8000程度はいくだろう。その中のたった37、しかもその中央や地方のトレセン学園に所属できないウマ娘も居るということも考えれば、私の目の前にある勝負服の価値というのは測り知れないものがある。

 

 改めて、凄いところまで来てしまったことを再確認する。

 そして業者の方が、緩衝材や運搬用ボックスなどを回収して撤収すると、そこには改めて存在感のあるドレスカバーが鎮座していた。

 私は葵ちゃんに一言だけかける。

 

「……開けますね」

 

 

 その返答には何も返ってこなかったけれども、そのままゆっくりと丁寧に私はドレスカバーのジッパーを開き、全て開け切ったところで、カバーごと外して勝負服を見やる。

 

 全貌が明らかになる。

 そこに存在したのは。

 

 

 ――近現代にかつて存在した女性用乗馬服。

 

 今では男性用の最上級の正装として知られるモーニングコートのスーツジャケットに、白色のジョッパーズのパンツ。その上にジャケットと同系統の黒色のオーバースカートを重ねて、ブリティッシュスタイル馬術で用いられるようなロングブーツで揃えた色彩にメリハリのある衣装。上着のモーニングコートの下には色味のアクセントとして淡い水色のスキッパーシャツをインナーにしている。

 

 個々のアイテム自体はこの世界にも当然存在しているが。

 それらを調和させ1つの『衣装』として一体化させたこの勝負服は、実にありふれたように思えて、細かく見れば見る程にこの世界には存在しない――『唯一無二の勝負服』なのである。

 

 

 

 *

 

 当たり前のことだが、この世界には『馬』が居ない。ただ『馬』がおらずともウシやロバや豚やラクダ、リャマなどといった多種多様の動物が、『馬』の家畜としての役割を担った。荷物を運ぶ荷役馬や馬車に繋がれる馬車馬の代わりには主にロバ、田畑を耕す農耕馬の代わりにはウシやスイギュウといったように。もちろん、その役割をウマ娘が補完することも多かった。

 

 だからこそ『馬』が居なくても社会は発展していったし、本来『馬』が居なければ登場し得ない『乗馬服』や『馬具』なども、一切この世界の歴史に名を見せぬまま、そこから発展したアパレル系のアイテムは別系統からの分岐で補完されていた。

 

 例えば、馬具は古くは上流階級にこそ親しまれて使われる商品であったために、それを取り扱うメーカーは細心の品質管理と注意が必要であった。他ならぬ高級ブランドメーカーである『HERMES』や『GUCCI』がそうした馬具の取扱いからその歴史の第一歩を歩み始めていることからも、本来ファッションと『馬』というのはそれなりに不可分なものだ。

 ……ただ、この世界ではその繋がりは絶たれていて、全てはウマ娘、ないしは他の動物関連のアイテムからの系統進化という形になっている。

 

 『乗馬服』も同様だ。先に挙げたモーニングスーツも乗馬服からの派生である。ブーツも乗馬用途から発展したものだった。あるいは『騎手の勝負服』だって上は識別用に色が割り振られたものの、下に履いているパンツが白色なのも、イギリスの伝統的な乗馬服のフォーマルスタイルからの派生。『勝負服』すら源流を辿れば乗馬服に行き着くのだ。

 けれども、この世界には乗馬服は存在しない……が。最早、私の知識としてしか存在しない競馬の歴史……ううん『馬の歴史』として見たときに乗馬服の歴史は存外古いのである。

 

 そして、その『女性用乗馬服』という存在も、古くはエリザベス1世の治世まで遡ることが可能だ。

 エリザベス1世は競馬を愛したが、その源流は父であるヘンリー8世の影響であるところが強い。このヘンリー8世時代に、現在も(・・・)レースを行う中では最古の競馬場たる『チェスター競馬場』が開設されたが、これが1539年。織田信長が生まれて何年かという頃である。

 そしてエリザベス1世の時代には、女王自ら競馬観戦に行く熱の入れようで17世紀には『競馬』が10数か所の競馬場で定期的に開催されるようになった。なおエリザベス1世(・・)は『エリザベス女王杯』のレース名の示す女王とはまた別人なのであしからず。

 

 閑話休題。

 だからこそ、このエリザベス1世を中心として宮廷の女性たちの間で『女性用乗馬服』の着用の流行が生まれた。それ以前から男性用衣服のレディース改造着用という文化はこのイングランドの貴族社会にはあったらしいけれど、『女性用乗馬服』という流行は宮廷から始まったことが記録にも残されている。

 そのスタイルは男性用の上着ジャケットに近い装束にスカートというアイテムの組み合わせが基本で、そこにフードや帽子、マントなどを合わせていくといったものが主であった。

 

 そしてその文化は20世紀に入っても残り続けたが、この頃に女性乗馬の転機が1つ訪れる。それまで女性が乗馬する場合は横乗りが基本であったが、今の『乗馬』のように跨いで馬に乗ることが徐々に男性から女性にも浸透し始めた。

 跨ぎ乗りする場合にはスカートはどうしても邪魔になる。だからこそ乗馬用途のオーバースカートというのは徐々に廃れて消失し、結果的には男性用と女性用の乗馬服の見た目はほぼ同一となって現代に至る。

 既に『女性用乗馬服』という概念そのものが、現代においてはサイズやデザイン性としての区分に過ぎないものだ。

 

 

 ……私の『勝負服』は、そんな男性と女性の乗馬手法の垣根が無くなる前の過渡期の衣装である。だからこそ『王子様』のような男性的な偶像のイメージと、私という存在の曖昧さを表現するのにこの上ない衣装であるというのがまず1つ。

 

 これまでずっと『競馬』としての知識をレースに応用し続けて、『ポロ』や『ホースボール』といった競馬外の乗馬競技すらも使い続けてきた私にとって、それらに共通する『乗馬』という概念そのものを形容する衣装であるというのがもう1つ。

 

 そして。

 この『乗馬服』や『女性用乗馬服』という存在が、この世界には存在しない概念だということ。

 ……ウマ娘。彼女たちが『ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前とともに生まれ、その魂を受け継いで走る』存在なのだとしたら。

 別世界の名前もなく、その魂が存在しない『サンデーライフ』が背負うものは――無いのである。

 けれど。そんな私が背負えるものがただ1つあるとすれば。

 

 それは、私の中に然りと記憶として残されている……『馬』という存在の『歴史そのもの』だ。

 『乗馬服』とは、その『馬』と『人間』が共に寄り添ってきた歴史の証明であり。

 『女性用乗馬服』とは、それが決して男性だけで紡がれてきた歴史ではないことの結実である。

 

 

「……ねえ、葵ちゃん。『勝負服』を着ても良いですか?」

 

「もちろんですっ! 是非、お願いします!」

 

 私の『勝負服』姿を見たいのか、それとも採寸とかの都合を確認したいのか……多分葵ちゃん的にはどっちも含めた上での言葉だったのだろうけれども、とりあえず何も言わずに更衣室にて着替える。

 びっくりするくらい簡単に着ることが出来た。私の身体にフィットするタイトな衣装ではあったけれども、着ることに時間はかからなかった。上着についてはほぼ実質スーツだしね、これ。ドレスや着物みたいに手間がかかるようなものじゃない。

 

 そして勝負服を着たまま私は姿見を見て。――気付いた。

 

「……そっか。本当にこの『勝負服』は――」

 

 

 全てがちぐはぐであった。

 

 男性的な上着に女性的なスカート。

 全体としては大人びた雰囲気を与えるのに、そのジョッパーズの上にオーバースカートという出で立ちは、どこかスカッツのようなキッズファッション的な印象も微かに残しており。

 モダン風の印象を与えつつも、歴史的にはクラシカルな衣装。

 ウマ娘であるはずの私が、『馬』に乗るために作られたはずの衣装を着ていること。

 そしてこの世界のファッションアイテムとしては全部バラバラの由来を持つアイテムを無理やりごった煮にしたようなもの。

 

 

「――綺麗で、カッコよくて、可愛いですよ? サンデーライフ」

 

「葵ちゃん……。そうですね……」

 

 姿見の後ろから葵ちゃんが私の肩に手をのせて顔をひょこっと見せるようにして話してきた。

 相反する性質を兼ね備え。曖昧なのにどこか調和もしていて。どうしようもなくこの『勝負服』は私を形容していた。

 

 だからこそ。私が着た瞬間に、まるでこの服は私が着るために生まれてきた……と、そこまで思えるくらいのもので。そしてその感覚は正しく、この『勝負服』は私が着る唯一無二のものとして、どこまでも相応しかった。

 

 ……心のどこかでやっぱり履き慣れたシューズ、そして運動に最適化された服装で走るのが一番速いんじゃ、と思う気持ちはずっと残っていたけれども。

 『勝負服』を着てみて感覚的に分かった。……ここに乗せられた気持ちは別格だ。

 

「葵ちゃん」

 

「なんでしょう、サンデーライフ?」

 

「……私、こんなに『走りたい』って気持ちになったのは初めてかもしれません」

 

 

 初めての勝負服。

 初めてのGⅠ。

 初めての気持ち。

 

 

 そして。それらを全て乗せた宝塚記念は。

 

 ――お互いに話すまでもなく、最も絶望的なレースであった。

 

 

 


6月第4日曜日 3回阪神8日 発走時刻:15時40分

第11R 宝塚記念 GⅠ

クラシック級以上 オープン(国際)(指定) コース:2200メートル(芝・右)

本賞金 1着:1億5000万円 2着:6000万円 3着:3800万円 4着:2300万円 5着:1500万円

 

1枠 1番 メジロライアン

1枠 2番 ゴールドシチー

2枠 3番 ダイタクヘリオス

2枠 4番 タマモクロス

3枠 5番 マチカネフクキタル

3枠 6番 オグリキャップ

4枠 7番 アグネスデジタル

4枠 8番 マーベラスサンデー

5枠 9番 マヤノトップガン

5枠10番 サンデーライフ

6枠11番 グラスワンダー

6枠12番 メジロパーマー

7枠13番 バンブーメモリー

7枠14番 メイショウドトウ

7枠15番 アグネスタキオン

8枠16番 キンイロリョテイ

8枠17番 アイネスフウジン

8枠18番 テイエムオペラオー

 

コースレコード 2:10.1 晴/芝:良 アーネストリー(シニア級3年目時)


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