強めのモブウマ娘になったのに、相手は全世代だった。   作:エビフライ定食980円

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第62話 シニア級6月後半・宝塚記念【GⅠ】(阪神・芝2200m)

 発走1時間前。

 阪神レース場。天気は曇り。バ場状態はここまでずっと良バ場。

 

 私は控え室で既に自身の勝負服である『女性用乗馬服』を身に纏っていた。

 既に興行は本日阪神・第9レースの2勝クラスのPre-OP戦・舞子特別が終了して次走の準備をしているところだ。第10レースの花のみちステークスはダートレースなので、もう芝が使用されることはない。

 

 最後の確認といった面持ちで、何度も何度も繰り返すように見て、ここ阪神レース場までの移動中も、前日入りしたホテルでも片時も手放さなかった『出走表』を見やる。

 改めて見ても、どうしようもないメンバーだ。今まで私は最も脅威となるであろう数名をマークするという戦法でここまで進んできたけれど、これだけの面子が用意されてしまうと最早作戦うんぬんの水準でどうにかなるレベルを遥かに凌駕していた。

 

 前にはダイタクヘリオスとメジロパーマーの爆逃げコンビが居る以上、最早私の十八番となりつつある切り過ぎた切り札こと『大逃げ』すらもほぼ不可能と来ている。タマモクロスも居る以上は追込までしっかりとカバーされている。

 

 一応、阪神レース場についても振り返っておこうか。

 このレース場には何度かお世話になっているものの、ダートレースが2回、障害ダートが1回で、芝においてはメイクデビュー戦における対スーパークリークの2000mただ1回のみだ。

 それよりも200m長いが、良い点は2000mも2200mもどちらも内回りコースを利用することで、経験が生かせること。悪い点は、その経験はメイクデビューという本当に一番最初のレースでちゃんと事前に考えて走っていなかった頃だから、ほとんど何も参考にならないということ。……ダメじゃん!

 

 阪神・芝の特性を考え直すと、まず幅員が狭く、コース取りを変える余地が少ない……なので、バ場状態が良くても、内側の痛みは結構進行している。だから内がそこまで有利にはならないし、何なら最初のホームストレッチ側での直線スタートもかなり長めに余裕があることから外枠からスタートしても位置取りに関してはそこまで問題にならない。だから枠番による有利不利というのはほぼ無いと見て良い。

 

 コースとしては第3コーナー辺りから、第4コーナー、ホームストレッチ直線にかけてずっと下り坂が続いて、ゴールまであと200mという地点から100m程度で一気に高低差1.8mの坂を登るという構造。高低差自体はトゥインクル・レース開催レース場の中では物凄くキツい、というわけではないが短い距離で駆け上がるために勾配は結構ある。しかも、ホームストレッチ側からのスタートなので、この急勾配の坂は序盤と終盤に2回。

 

 なので、統合すると急坂2回と荒れたインコースということで、スタミナ消耗が激しくパワーを要するコースと言える。だから芝ウマ娘の中でも、ダートや障害を経験している私は条件としては相対的には有利にはなる。

 まあダートも走れるオグリキャップやアグネスデジタル、そして障害経験者ならメジロパーマーも居るから、私だけに有利に働く要因では無いんだけどね。

 

 レース場適性から見れば単純に強い脚質は差し。最終直線はやや短めだけれども、急勾配の坂でのスタミナ切れを狙えることから後方から差し返す展開が有利になりやすいことと、第3コーナーからの下り坂で一気にレース展開が加速することが予測されるので、私の追込だと逆に間に合わない可能性が生じるためだ。

 

 しかし、今日のメンバーを鑑みるに、同条件で『差し』で争ったとして勝てる見込みは無いし、その中団にバ群が形成されてしまえばそれから抜け出すのも容易ではない。ということで、今日の私は先行から差しの間での折衷策で行く。

 先行集団に追走しつつもかなり後ろ目に付いて、後方の差し集団には埋もれない位置に付くのが目標だ。これならスリップストリームの恩恵も受けられるはず。

 

 あとは、ダイタクヘリオスとメジロパーマーの爆逃げコンビがどれだけレース展開を荒らすのかにもかかってくる。……まあ、それら全てが上手く噛み合ったとて勝機は見えてこない勝ち筋が皆無のレースである。

 

「葵ちゃん、今日はパドックお披露目の後、葵ちゃんの居る観客席には行かずに、時間になったら直接ゲートへ向かいます。

 ……だから、何かあれば。今のうちに言葉を頂けると――」

 

 葵ちゃんはまず、私の両手を軽く掴んで、そのまま手のひらでくるんだ。

 そしてゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「……今、この場にこうして一緒に居ることこそが、サンデーライフ。あなたの尽力によるものです。その意味で言えば、本日のレースについては現時点で私達の目的は9割以上満たされていると言っても良いでしょう」

 

「……ふふっ、そうですね」

 

 そもそもこの宝塚記念。私達にとっての立ち位置は『メンタルトレーニング』の一環である。そしてこの文脈においては充分に成果を挙げていたと言っても良いだろう。

 だからこそ、レースの勝敗に関わらずもう私は目的の成就という意義は達成していた。……今から始まるのは、それの『ウイニングラン』に過ぎないのかもしれない。

 ファンや他の出走者は誰一人として、そんなことを考えているなどとは知る由も無いだろうが、ここから先に起こるレースの結果に関して、私と葵ちゃんはそこまで重きを置いていない。

 

「……こんなことを言うのはサンデーライフにだけですよ、全く。

 今日、あなたはここに集まったトップクラスのウマ娘たちを最も近くで見ることができる『聴衆』です。

 そして、同時にあなたに票を投じた32万4189人の『ファンの夢』を背負っているウマ娘でもあるのですよ……もちろん『私の夢』もずっと託してきたつもりです」

 

「この場面で、言われると重い言葉を的確に選んできますね……」

 

「――おや? サンデーライフには『ファンの夢』と『私の夢』……どちらが重く感じたのですか?」

 

「……どちらもですよ。本当にどっちも重い――」

 

 

 ――いつの間にか、私は色々なものを背負っていた。それを感じることは月日が経つごとにどんどん多くなっていっていたけれども、心のどこかでは今の私にかかるそういった期待感という名の重責が、羨望という名の重石が、どこか心地よくなってきている側面もあった。

 

 逆境の中で勝利を無理やり掴み取るメンタリティは私の中には無い。

 

 ファンの夢も葵ちゃんの夢も、私の走りで叶えてあげようという気持ちも無い。

 

 

 ただ私に出来ることを着々とこなすだけ。

 私が出来る力を無理なく自然に引き出して、行けるところまで行ってみる。

 

 ――たとえそれが、ただのトレーニングであろうと……春の三冠の最後を飾る、たった2つしかないグランプリの片割れ――GⅠ・宝塚記念であったとしても。

 

 ……私は全く同じパフォーマンスで走る。

 

 

 

 *

 

「――票に託されたファンの夢。思いを力に変えて走るグランプリ・宝塚記念!」

 

 全員有力ウマ娘。私以外なら誰が勝利を掴んでもおかしくないように思えるレース。けれどもファンによる人気というのは然りと存在している。

 

「1番人気はテイエムオペラオー。8枠18番、最も外枠からの出走となりますね」

 

「今年に入ってからの連対率は100%をマークしております。京都記念では1着、GⅠ・大阪杯でも1着、そして春の天皇賞におきましてはメジロマックイーンに僅かに届きませんでしたがそれでも2着でした。

 今年のシニア級戦線で最も勢いに乗っているウマ娘は間違いなくこの子でしょう」

 

 大阪杯がIFローテなので、春天を落としてグランドスラムは不可能になっているもののGⅠ勝利数は依然史実準拠をキープしているオペラオー。彼女を1番人気に指名したファンたちに『実はこれでも史実戦績と比べても悪いんですよ』って言ったらどんな顔するんだろうね、連対100%で6月の折り返しに来ているウマ娘の『戦績が悪い』なんて言い出したら気狂いにしか思われないと思う。

 

 

「2番人気を紹介しましょう。オグリキャップです。3枠6番からの出走となります」

 

「昨年の秋のグランプリ――有記念にて一度夢を掴んだウマ娘です。今年は春秋どちらの夢も掴む魂胆なのでしょう。葦毛のアイドルウマ娘――僅かに人気がテイエムオペラオーに届かなかったのは、今年の初めに疲労蓄積の療養を挟んでいたためでしょうか。前走・目黒記念におきましては堂々たる走りでその不安を一蹴していたかのように見えましたが、それでも人気は譲っております」

 

 史実・オグリキャップ号はこのシニア級1年目に相当する期間は繋靭帯炎を発症して、前半シーズンは全て休養に充てているが、それがこの世界線では存在しなかった。となると、史実オグリ陣営の当初想定プランである大阪杯→春天→安田→宝塚という鬼畜ローテに移行したのかなと考えていたが『疲労蓄積』という軽減した形で症状は出たようで、結局早めの温泉療養旅行をトレーナーと一緒に行っていたらしい。

 まあ、疲労ならまだ温泉で回復するのは理解できる。で、目黒記念を経由する仮想ローテで史実よりも早く復帰したということになる。

 

 

「3番人気はこの娘――7枠15番からGⅠ・2勝アグネスタキオン」

 

「昨年はNHKマイルカップを優勝して、直近ではヴィクトリアマイルでのフジキセキとの直接対決が見られました。惜しくもヴィクトリアマイルでは2着でしたがマイル戦線で活躍するウマ娘ですね。

 ですがジュニア級においてはホープフルステークスの日本レコードに迫る勝利もありました。中距離路線においても充分に通用するはずのウマ娘ですよ!」

 

 ついに来たね。完全仮想組。アイネスフウジンもそうだけれども、このアグネスタキオンだって史実なら既に引退済である。タキオンについてはもうアプリローテすらも逸脱していたが、このシニア級宝塚のタイミングでアプリローテに戻ってきた。

 既に無敗記録は破れているものの、それでも出走すればほぼ好走という脅威の安定性を有している。

 

 

 ――そして。

 

「16番人気、5枠10番サンデーライフ」

 

「実力と実績はまずまずですが、果たして『条件不問の王子様』はこのグランプリの舞台でどこまで通用するでしょうか。厳しい展開が予想されますが、しっかりと仕上げてきておりますね。格上相手にどこまで喰らいついていけるかに注目です」

 

 流石に周囲が全員ネームドであるこの舞台では人気もそれくらいになってしまうし、解説の言葉も厳しい。ただ、それでも人気は最下位ではなかった。ダントツの最下位人気などでは無いということだけでも充分だろう。

 

 

 そして、ゲートへと向かう。

 そこには見知った顔ばかりがあった。流石にレース前だから一言二言交わすだけだ。

 

 まずアグネスデジタルは流石に前走のことがあるから彼女から話しかけにくいだろうと思って私から。そこで、同室のよしみのタキオンからも『カフェから話を聞いている』みたいな一言を貰って。

 

 爆逃げコンビのメジロパーマーとダイタクヘリオスにも挨拶。一緒に逃げる? って聞かれたけれども、ここで策とかは弄さずに素直に断って。

 

 ゴールドシチーとバンブーメモリーの同室コンビにも話しかけられて。2人からは『やっとGⅠまで来た』みたいにからかわれて気合を入れてもらって。

 

 テイエムオペラオーは未勝利戦以来一切関わっておらず、しかも本当に初期の未勝利戦だったので印象に残る戦い方なんてしていなかったのに、私のことをしっかりと覚えていて。それを隣に居たメイショウドトウに自慢していて。

 

 マヤノトップガンからは、勝負服のデザインについて『もっとファンをノーサツできるような衣装じゃないと大人の魅力が引き出せない』って指摘を受けて。

 

 そして最後に、メジロライアンとアイネスフウジンのこれまた同室コンビに一言かけられた。ライアンとは前に白富士ステークスの応援団でアイネスフウジンの付き添いで来てもらったときが初対面。でもアイネスフウジンから再三話は聞いていたからこれが2度目という感じはあまり無いんだよね。でもアイネスフウジンもメジロライアンも闘志がみなぎっているのが気配だけでも分かった。

 

「アイネスさん……結局、初詣のときのお話を果たすことができましたね」

 

「えへへ、ライアンちゃんもサンデーライフちゃんもありがとうなのっ! 2人とも同時に一緒に走れる機会があるとは思わなかったの!」

 

 まあ、個別ならともかく私とメジロライアンの路線が競合することはほぼ無いだろうしねえ。本当に今回限りかもね。ただそれだけ言葉を交わしたら、1人ずつゲートに入っていく。

 

 

 ――そしてゲートイン完了。

 今から2分と少し後には、決着がつく。

 

 

「……さあ、ゲートが開きました。揃って飛び出した18人であります。

 今年もあなたの、そして私の夢が走ります。あなたの夢はオペラオーかオグリキャップか、タキオンか。

 私の夢は――」


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